●言葉で人格を破壊される体験ができる映画
藤原伊織さんの遺作「遊戯」を読んでいたら、フルメタル・ジャケット弾についての記述があった。「完全被甲弾」と呼ばれ、貫通性が高い弾丸と言われている。鉛を硬い金属で覆っている弾丸のことだ。人道上の理由から軍用の弾丸にはフルメタル・ジャケットが使われる。
不思議なもので、銃弾は人を殺傷する兵器であるのに、人道的であるかないかが問われるのだ。鉛の弾丸はやわらかいので、人に命中すると弾頭が変形し破壊力が増す。弾頭をさらに変形させ殺傷力を増やそうとするのが、弾頭に十字の刻みを入れるホローポイント弾である。
ホローポイント弾は人体に命中すると衝撃で弾頭がキノコのように変形し、その回転で内蔵をメチャクチャに破壊する。貫通した場合は、入った傷は小さくても、出ていった傷は巨大な穴が開くと言われている。もちろん僕も冒険小説の描写くらいでしか知らない。

不思議なもので、銃弾は人を殺傷する兵器であるのに、人道的であるかないかが問われるのだ。鉛の弾丸はやわらかいので、人に命中すると弾頭が変形し破壊力が増す。弾頭をさらに変形させ殺傷力を増やそうとするのが、弾頭に十字の刻みを入れるホローポイント弾である。
ホローポイント弾は人体に命中すると衝撃で弾頭がキノコのように変形し、その回転で内蔵をメチャクチャに破壊する。貫通した場合は、入った傷は小さくても、出ていった傷は巨大な穴が開くと言われている。もちろん僕も冒険小説の描写くらいでしか知らない。


「フルメタル・ジャケット」は、おそらく徴兵されたであろう若者たちが長髪をバリカンで刈られて刈り上げ頭になるカットから始まる。次に登場するのは、新兵の訓練担当官である鬼軍曹である。彼が一方的にしゃべり、新兵たちは直立不動で「サー・イエス・サー」と答えることしか許されない。
映画の前半は、新兵の訓練シーンが延々と続く。鬼軍曹の言葉の汚さは映画史に残る凄さである。卑語、罵詈雑言、ありとあらゆる下劣な言葉が飛び交う。人を徹底的に侮辱し、貶める。軍曹は名前が気に入らないと怒鳴り、デブ、チビといった肉体的欠陥をあげつらう。

「フルメタル・ジャケット」の後半では、殺人マシーンに仕立て上げられた新兵たちは、いきなりベトナムの戦場に送り込まれる。彼らは通常の思考を停止させられ、人間兵器となっているのだ。非人間的にならなければ、戦場に出ることなどできない。
そのベトナムの戦場シーンの怖さは、どこから銃弾が飛んでくるかわからないことだった。仲間がいきなり撃たれて死んでいく。ここでも、キューブリックの描写は非凡だ。どこから銃撃されるかわからない不安を、スクリーンのこちら側にいて安全なはずの観客の心に掻き立てる。
●シェークスピアも「言葉、言葉、言葉」と嘆いた
「フルメタル・ジャケット」は、悪夢のような映画だった。それが僕の中に長く残る印象だ。一度見ただけで生涯残るほどの強烈な体験である。それは、ただただ鬼軍曹の罵詈雑言の凄さにまいったからだった。
言葉の暴力は、確かにある。言葉は人を殺す。精神を殺すのだ。洗脳し、殺人マシーンに仕立て上げるために、指導軍曹は罵り、怒鳴り、相手の自尊心を徹底的に破壊する。だが、その軍曹にデブと罵られ、しごかれた新兵は、遂に精神に変調をきたし、軍曹を撃ち殺して自殺する。
「たかが言葉、されど言葉」である。いじめの問題も同じだ。毎日毎日、教室で「おまえは臭い」と言い続けられたら、僕だって自殺したくなる。僕たちの日常生活では暴力は非日常だが、言葉の暴力は日常なのである。言葉によって人は傷つき、言葉で人を傷つける。
「言葉、言葉、言葉」とは、シェークスピアの「ハムレット」の中のセリフだが、まさに「言葉、言葉、言葉…、やれやれ」という感じである。ただ、人は他者からの言葉に敏感だが、自分の発する言葉には鈍感だ。そのくせ、人はコミュニケーションの手段に言葉以外の有効な方法を持たない。
そう、言葉はコミュニケーションの手段のはずだった。しかし、「フルメタル・ジャケット」の訓練担当軍曹と新兵たちの間には、コミュニケーションなどはない。支配し命令する者と従う者という一方的な関係だけだ。鬼軍曹は新兵たちを人間ではなくするために、卑語と罵詈雑言を浴びせかける。
しかし、僕たちの日常でも言葉はコミュニケーションになっているのだろうか。組織の中にいる人間なら多かれ少なかれ、一方的な言葉を浴びることを経験している。その組織的縛りが厳しいところもあるし、緩やかなところもあるだろうが、一方的に浴びせられる言葉はどこにでも存在しているのだと思う。
言葉は、言葉だけで存在しているのではない。それを発する人間がいる。その人間には様々に付帯するファクターがある。その人間がもうひとりの人間と会話する時、付帯するファクターはさらに複雑になる。ふたりの人物の関係がからんでくるからだ。親と子、教師と生徒、上司と部下、発注者と受注業者など、様々な関係が存在する。
言葉、言葉、言葉…、すべて言葉で処理しなければならないなんて、ちょっと無理があるのではないかと思えてくる。愛の告白の言葉が通じなくて「この胸を断ち割って見せたい」と、もどかしげに叫んだのもシェークスピア劇の登場人物だった気がするが、違っているかもしれない。
●敬意を持った言葉遣いを心がけたい
「ものは言いよう」という言葉がある。フルフレーズだと「ものは言いようで角が立つ」になる。しかし、この言葉は逆じゃないかと僕は思っている。「ものは言いようで丸くなる」が正しいのではないか。僕の個人的体験の範囲での統計だが、どちらかと言えば人は「角が立つ」物言いがベースになっているように思える。
もちろん、ものの言い方は個人差が大きくて、柔らかな物言いをする人は常にそうだし、あまり気遣いしない物言いをする人は大体において角が立つ言い方をする。僕は自分では前者だと思っていたのだが、「ソゴーさんの言い方は、きついよね」と言われて、最近、いたく反省した。
仕事では注意を勧告したり、小言を言ったりしなければならない立場になっている。誰だってイヤがられることは言いたくないけれど、組織には耳障りのよくないことを言う憎まれ役は必要だ。「トイレの電気はこまめに消せ」「サーバのデータを整理しろ」「無駄な残業はするな」などなど、まあ、自分でもうんざりすることはある。
そんなこと一々言わせるなよ、と思う。思うから、言葉にニュアンスが生まれる。皮肉っぽい言い方になる。それが「きつい言い方」になるのかもしれない。僕は甘ったれた覚悟のない言葉を聞くと、「甘ったれるな。てめぇの牙はてめぇで磨け」という反応をしてしまうので、よけいにそう受け取られることがあるのだろう。
僕はKさんという取締役総務部長の仕事を四年前に引き継いだ。それまで、Kさんがどんな仕事をしているのかほとんど知らなかった。Kさんが社員の目に見えるところでやっていたのは、電球を取り替えたり、玄関に飾ってある写真を取り替えたり、トイレが詰まったという訴えの処理をしたり、道具箱を下げてどこかを修理したりということだった。
そんな縁の下の力持ち的な仕事をしているKさんを、僕は敬意を込めて「取締役ビル管理人」と呼んでいた。これは揶揄的に聞こえるかもしれないが、Kさん本人にもそう言っていたし、僕の言葉のニュアンスを感じてKさんも笑ってくれていた。
しかし、実際にKさんの仕事を引き継ぐと、そんなことはほんの一部だったことがわかったし、ビル管理人的仕事にKさんが誇りを持っていたことも知った。引き継ぎの時にKさんは僕を社屋中引き回し、様々なことを説明しながら「経理はダメだったかもしれないけど、総務としては充分やった」と胸を張った。
切れた蛍光灯を取り替えたり、詰まったトイレを処理したりという仕事は誰かがやらなければならないのだ。取締役という肩書きがありながら、Kさんはそれを自分の仕事だと誇りを持ってやっていた。誰かがやらねばならないなら、自分であってもいいわけだ。そう思っていたに違いない。
幸い、僕もそういう庶務の仕事が苦にはならない。トイレの修理もするし、蛍光灯が切れていると言われれば取り替えにいく。Kさんもやっていたのだから…と思う。しかし、どんなに丁寧な言葉遣いでも「それは、あんたの仕事だろ」というニュアンスが伝わってくると(確かに僕の仕事だが)、やはり気持ちが乱れる。ムッとすることもある。
そんなことがいくつか重なって、先日、改めて思った。「人の気持ちを和らげる物言い」とは、「相手に敬意を持った言い方」なのだと。敬意を持った言い方とは、相手の自尊心を傷つけないことである。
「フルメタル・ジャケット」の鬼軍曹は、兵士にとって最も邪魔になる自尊心を破壊するために言葉を暴力として使った。命令に従順にし、死の恐怖をなくし、人を殺すことを無感覚にし、セックスしか考えない頭にする。それらにとっては、自尊心こそが最大の障害だ。
敬意を持って言葉を選ばなければならないな、と僕は自戒する。僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかった十代の頃に読んだ「偉大なギャツビィ」の書き出しが甦る。それを僕は自分の指針にしてきたはずなのに、いつの間にか相手の自尊心を考えない言い方をする人間になっていたのかもしれない。
──僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」(村上春樹・訳)
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
いかにも秋らしい十月下旬の日曜日。ゆっくり音楽を聴こうとしたら、オーディオセットが不調。相当使ったからなあとは思うが、(僕としては)かなり奮発した品物だ。今更、新しいCDプレーヤーを買うのもなあ。パソコンの新しいのを買う方がいいか、と迷っています。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>

- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12
- おすすめ平均
「ぼやき」という名の愛
第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
すばらしい本です。
ものすごい読み応え!!

- 天使の爪 上 (1) (角川文庫 お 13-25)
- 大沢 在昌
- 角川書店 2007-07

- 小説宝石 2007年 07月号 [雑誌]
- 光文社 2007-06-22

- フルメタル・ジャケット
- マシュー・モディーン リー・アーメイ ビンセント・ドノフリオ
- ワーナー・ホーム・ビデオ 2001-08-23
- おすすめ平均
反戦映画でもなく戦争映画でもない。
人と戦争…
ハートマン軍曹
海兵隊新兵教育って・・
ラリッたような感覚

- ブーツ
- ナンシー・シナトラ
- ヴィヴィッド 2005-02-16
- 曲名リスト
- As Tears Go By
- Day Trippper
- I Move Around
- It Ain`t Me Babe
- These Boots Are Made For Walkin`
- In My Room
- Lies
- So Long,Babe
- Flowers On The Wall
- If He`d Love Me
- Run For Your Life
- The City Never Sleeps At Night
- Leave My Dog Alone
- In Our Time
- These Boots Are Made for Walkin` (mono single version)
by G-Tools , 2007/10/26