●フェルメールを魅惑した小間使いの少女
フェルメール展が東京で開催されている。ちょっといきたくなって自宅で「フェルメール展やってるね」とつぶやいてみたら、「もういったわよ」とカミサンが即座に答えた。娘と平日にゆっくり見てきたらしい。娘と母親は、美術好きで一致しているのだ。
僕としては、ひとりでいくのも何だから…と思って誘ったつもりだったのだが、いつものように肩すかしを食らってしまった。こんな夫婦のすれ違いが重なって、さらに溝を深めていくのかもしれないなあ、やれやれ。
僕は美術は好きだけどそんなに知識もないし、ひとりで美術展にいくかと言われると、二の足を踏む。今まで、いろいろいきたい美術展はあったのだが、結局、画集で間に合わせている。
フェルメール展が東京で開催されている。ちょっといきたくなって自宅で「フェルメール展やってるね」とつぶやいてみたら、「もういったわよ」とカミサンが即座に答えた。娘と平日にゆっくり見てきたらしい。娘と母親は、美術好きで一致しているのだ。
僕としては、ひとりでいくのも何だから…と思って誘ったつもりだったのだが、いつものように肩すかしを食らってしまった。こんな夫婦のすれ違いが重なって、さらに溝を深めていくのかもしれないなあ、やれやれ。
僕は美術は好きだけどそんなに知識もないし、ひとりで美術展にいくかと言われると、二の足を踏む。今まで、いろいろいきたい美術展はあったのだが、結局、画集で間に合わせている。
ひとりでいった美術展と言えば、十数年前に東武美術館で開催された「モジリアーニ展」くらいだ。「ゴッホ展」も「ムンク展」もいきそこなってしまった。誰かとのデートでも設定しないと、なかなか美術展には足を向けないものである。
博識かつ芸術好きのIさんを誘えばいいのかもしれないが、中年男がふたりで夜の美術館で待ち合わせするのは何だかなあ、と思ってしまう。Iさんとは、いつも酒場で待ち合わせをするだけだ。一度、東京都写真美術館で待ち合わせをしたが、あのときはIさんの奥さんが一緒だった。
しかし、いけばきっと感激する。去年の五月にブリヂストン美術館へいき、ジャクソン・ポロックの原画を見たときには、ちょっと慄えた。そのときは、カミサンとのデートだった。しかし、「ムンク展」や「ゴッホ展」など、どちらかというと精神を病んだ画家の展覧会には、誰といけばいいのだろうか。
フェルメールは作品数が少なくて、全点踏破する人もいるらしい。僕も、去年、「フェルメール全点踏破の旅」という本を読んで、現存するフェルメール作品は一応、印刷で確認した。十七世紀のオランダの画家が、二十一世紀の今、なぜこんなに人気があるのだろうか。
スカーレット・ヨハンソンが主演した「真珠の耳飾りの少女」(2003年)は、すごく面白い映画だった。青いターバンを巻き小さな真珠の耳飾りをした少女の肖像画は、フェルメール作品の中でも特に人気がある作品らしい。1665年頃の作品と言われている。
映画は貧しい少女がフェルメールの家の小間使いとして働き始めるところから始まる。当時の市場を再現し、運河沿いの街並みが昔のオランダらしい雰囲気を出していた。フェルメールの絵の色調を意識したのか、暗めのアンバー系の描写で、窓からの斜光を生かしていた。
フェルメールの絵は、ほとんど同じ構図で同じ光線を使っている。今でも照明用語で「レンブライト・ライト」と言われるように、レンブライトの光の使い方は独特だが、同じようにフェルメールのライティングも一見するだけで彼の作品とわかる描き方だ。
アトリエの窓の近くにモデルを立たせて、窓から入る外光で描くのである。当然、斜光になる。斜光はモデルに陰翳を与え、ドラマチックになる。映画「真珠の耳飾りの少女」は、小間使いの少女がモデルになり絵が完成するまでのフェルメールを扱っていて、興味深いものがあった。
●世界で最もセクシーな女性に選ばれた女優
「真珠の耳飾りの少女」と同じ年にスカーレット・ヨハンソンは「ロスト・イン・トランスレーション」という映画に主演し、一躍話題になった。フランソワ・コッポラの娘であるソフィア・コッポラが監督し、日本を舞台にした映画である。
スカーレット・ヨハンソンは、ハリウッド俳優(ビル・マーレイ)がCM撮影のために日本にやってきて出会う若い女の役だと思う。吉本興業の藤井某がCMディレクターらしき役をやっていたのを予告編で見た。と書くように、僕は、この映画をまだ見ていない。
アカデミー賞の候補になったりしたので、いろいろと話題になった映画である。日本が舞台なので、テレビでもよく紹介されていた。僕は、スカーレット・ヨハンソンはこの映画で出てきた人だと思っていたのだが、調べてみると子供の頃からの長いキャリアがあり、その何本かは僕も見ていたのだった。
1984年生まれだから、今年二十三歳。若いなあ。「リー・ストラスバーグ・シアターインスティテュート・フォー・ヤングピープル」という演劇学校に通っていたらしい。リー・ストラスバーグは「アクターズ・スタジオ」の主宰者で有名だが(実物は「ゴッドファーザー・パート2」で見られる)、その子供版の学校らしい。
デビューが八歳、映画デビューが十歳というから「ロスト・イン・トランスレーション」のときは十年のキャリアを積んでいたのだ。出演歴にある「モンタナの風に抱かれて」(1998年)(1998年)「バーバー」(2001年)などは僕も見ていて、あの役がそうだったのかと今にして思う。
「バーバー」というのは、ビリー・ボブ・ソーントンが理髪店主を演じたモノクローム作品で、2001年のカンヌ映画祭最優秀監督賞をコーエン兄弟が受賞した。コーエン兄弟の作品らしくグロテスクで人がむごたらしく殺される話だが、主人公が思い入れる美少女役がスカーレット・ヨハンソンだった。
だとすれば、主人公へのお礼にと車の中で性的な奉仕をする少女である。アメリカのキャスティングは、オーディションが基本だ。清純そうな美少女なのにセクシーであると評価されたのだろうか。現在、セックス・シンボルみたいな存在になっているスカーレット・ヨハンソンは、十代からセクシーだったのかもしれない。
現在のスカーレット・ヨハンソンは、間違いなくセクシーだ。写真を見ただけでもゾクゾクする。ナバコフ作「ロリータ」冒頭の名文を借りると、「わが罪、わが肉の炎(ほむら)」という感じである。アメリカの男性誌でも「世界で最もセクシーな女性100人」の2006年版トップに選ばれたという。
●身を滅ぼすことになるとわかっていても溺れる
ウッディ・アレンの映画は、「インテリア」(1978年)以外はあまり好きではない。それなりに見てはきたが、セックスを人生最大のテーマのように描いていて好感が持てないし、インテリの気弱さとしたたかさをウリにしていることに少し反発する。本人も、結婚していたミア・ファーローからセックス・スキャンダルで訴えられたりしている。
僕はミア・ファーローの自伝を読んだだけなのでフェアではないのだが、ミア・ファーローは何人も養子にしており、その中の十代半ばの娘とウッディ・アレンがセックスしているのを知ったのだという。自作自演の映画の中でもアレン本人がロリータ・コンプレックスを告白しているから、そういうこともあるだろうと僕は思った。
ウッディ・アレン監督「マッチポイント」(2005年)のヒロインがスカーレット・ヨハンソンだと知ったとき、ウッディ・アレンの新しい恋人は彼女なのかと思った。アレンは私生活と作品が密接に関わっていて、ダイアン・キートン、ミア・ファーロー...など、プライベートな関係の人をヒロインにしてきた。
ある映画評はスカーレット・ヨハンソンを「ウッデイ・アレンの新しいミューズ」と書いていた。確かに、そうかもしれない。「マッチポイント」は、スカーレット・ヨハンソンがいたから発想された映画だ。「男を虜にする女」という言葉を、そのまま体現しているスカーレット・ヨハンソンの存在なくしては成立しない映画だった。
テニスのプロプレイヤーをやめてロンドンでレッスンプロになったアメリカ人の主人公は、テニスクラブにやってくる金持ちの一家と親しくなる。その娘に惚れられて結婚し、父親の会社の重役になる。順風満帆...を絵に描いたような人生だった。
ある日、義兄のフィアンセであるアメリカからやってきた女優志願の娘(スカーレット・ヨハンソン)に紹介され、ひと目でその魅力にまいってしまう。彼女は家風に合わないと母親に拒否され、やがて義兄と別れるが、主人公は彼女と再会し愛人関係になる。
だが、「妻と別れる」など適当なことを言っていた主人公は、彼女が妊娠し進退窮まる。今の生活を放棄したくない主人公は、隣の部屋の老婆を殺して金を奪った強盗が、たまたま帰ってきた彼女と鉢合わせをして殺してしまったことにして猟銃で射殺する。
物語自体は陳腐でよくある筋なのだが、この後の展開が意表をつき一筋縄ではいかない。やはりウッディ・アレン作品だと思う。その品性は、スカーレット・ヨハンソンが殺される場面を描かないことで顕れる。幻想の中で無傷のスカーレット・ヨハンソンが出てくるための伏線でもあるのだが、主人公が彼女の名を呼び猟銃を撃つカットだけですませている。
ここでウッディ・アレンが描きたかったのは、かつて「ああ、それにしても肉欲」とゴダールが嘆いたような気分ではないだろうか。ウッディ・アレンも肉欲の虜となり、妻から裁判を起こされるような愚行をやってしまった。愚かなこと、人倫にもとることとわかっていながら自制できない。その元には肉欲がある。セックスへの願望がある。
肉欲には個人差が大きい(ようだ)。僕は僕の基準と経験でしかわからないから、そんなものに振り回される悲劇(喜劇的要素が強いけれど)が理解できないのかもしれない。ウッディ・アレンの映画を見ていると、すべてのトラブルはセックスへの願望から起きている。相手構わずに欲望を覚える人間が見れば、共感できるのかもしれない。
「マッチポイント」に続いて、ウッディ・アレンは「タロットカード殺人事件」(2006年)を作った。メガネをかけたスカーレット・ヨハンソンが登場する。メガネフェチの僕としては、目の前にスカーレット・ヨハンソンがいたら自制する自信はない。お願いだから、誰も、僕の目の前にメガネをかけたスカーレット・ヨハンソンを寄越さないでほしい。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
10月発売の一巻・二巻に続いて、11月中旬にソフトバンク文庫から「マンハッタン・オプ」の三巻と四巻が出るようです。矢作俊彦さんの伝説の私立探偵小説。二十数年前にFM東京で毎夜放送されていたラジオドラマをベースに小説化したものです。放送は、劇団四季の名優・日下武史が語り手で、いい雰囲気でした。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>
角川文庫から発売になった大沢在昌さんの「天使の爪」上下巻に解説を書かせていただきました。四百字で11枚ほども書いたのに、もう少し書きたいことがあります。もっとも読者は、くどい解説は迷惑でしょう。「天使の牙」「天使の爪」と続くシリーズは、読み始めたらやめられないことは保証します。
小説宝石」7月号に大沢在昌さんとの対談が載りました。「ハードボイルドがなければ生きていけない」というタイトルです。大沢さんの話の間に僕が「そうですね」と言っているだけのような対談ですが、大沢さんの映画やミステリへの愛がうかがえて面白いですよ。
博識かつ芸術好きのIさんを誘えばいいのかもしれないが、中年男がふたりで夜の美術館で待ち合わせするのは何だかなあ、と思ってしまう。Iさんとは、いつも酒場で待ち合わせをするだけだ。一度、東京都写真美術館で待ち合わせをしたが、あのときはIさんの奥さんが一緒だった。
しかし、いけばきっと感激する。去年の五月にブリヂストン美術館へいき、ジャクソン・ポロックの原画を見たときには、ちょっと慄えた。そのときは、カミサンとのデートだった。しかし、「ムンク展」や「ゴッホ展」など、どちらかというと精神を病んだ画家の展覧会には、誰といけばいいのだろうか。
フェルメールは作品数が少なくて、全点踏破する人もいるらしい。僕も、去年、「フェルメール全点踏破の旅」という本を読んで、現存するフェルメール作品は一応、印刷で確認した。十七世紀のオランダの画家が、二十一世紀の今、なぜこんなに人気があるのだろうか。
スカーレット・ヨハンソンが主演した「真珠の耳飾りの少女」(2003年)は、すごく面白い映画だった。青いターバンを巻き小さな真珠の耳飾りをした少女の肖像画は、フェルメール作品の中でも特に人気がある作品らしい。1665年頃の作品と言われている。
映画は貧しい少女がフェルメールの家の小間使いとして働き始めるところから始まる。当時の市場を再現し、運河沿いの街並みが昔のオランダらしい雰囲気を出していた。フェルメールの絵の色調を意識したのか、暗めのアンバー系の描写で、窓からの斜光を生かしていた。
フェルメールの絵は、ほとんど同じ構図で同じ光線を使っている。今でも照明用語で「レンブライト・ライト」と言われるように、レンブライトの光の使い方は独特だが、同じようにフェルメールのライティングも一見するだけで彼の作品とわかる描き方だ。
アトリエの窓の近くにモデルを立たせて、窓から入る外光で描くのである。当然、斜光になる。斜光はモデルに陰翳を与え、ドラマチックになる。映画「真珠の耳飾りの少女」は、小間使いの少女がモデルになり絵が完成するまでのフェルメールを扱っていて、興味深いものがあった。
●世界で最もセクシーな女性に選ばれた女優
「真珠の耳飾りの少女」と同じ年にスカーレット・ヨハンソンは「ロスト・イン・トランスレーション」という映画に主演し、一躍話題になった。フランソワ・コッポラの娘であるソフィア・コッポラが監督し、日本を舞台にした映画である。
スカーレット・ヨハンソンは、ハリウッド俳優(ビル・マーレイ)がCM撮影のために日本にやってきて出会う若い女の役だと思う。吉本興業の藤井某がCMディレクターらしき役をやっていたのを予告編で見た。と書くように、僕は、この映画をまだ見ていない。
アカデミー賞の候補になったりしたので、いろいろと話題になった映画である。日本が舞台なので、テレビでもよく紹介されていた。僕は、スカーレット・ヨハンソンはこの映画で出てきた人だと思っていたのだが、調べてみると子供の頃からの長いキャリアがあり、その何本かは僕も見ていたのだった。
1984年生まれだから、今年二十三歳。若いなあ。「リー・ストラスバーグ・シアターインスティテュート・フォー・ヤングピープル」という演劇学校に通っていたらしい。リー・ストラスバーグは「アクターズ・スタジオ」の主宰者で有名だが(実物は「ゴッドファーザー・パート2」で見られる)、その子供版の学校らしい。
デビューが八歳、映画デビューが十歳というから「ロスト・イン・トランスレーション」のときは十年のキャリアを積んでいたのだ。出演歴にある「モンタナの風に抱かれて」(1998年)(1998年)「バーバー」(2001年)などは僕も見ていて、あの役がそうだったのかと今にして思う。
「バーバー」というのは、ビリー・ボブ・ソーントンが理髪店主を演じたモノクローム作品で、2001年のカンヌ映画祭最優秀監督賞をコーエン兄弟が受賞した。コーエン兄弟の作品らしくグロテスクで人がむごたらしく殺される話だが、主人公が思い入れる美少女役がスカーレット・ヨハンソンだった。
だとすれば、主人公へのお礼にと車の中で性的な奉仕をする少女である。アメリカのキャスティングは、オーディションが基本だ。清純そうな美少女なのにセクシーであると評価されたのだろうか。現在、セックス・シンボルみたいな存在になっているスカーレット・ヨハンソンは、十代からセクシーだったのかもしれない。
現在のスカーレット・ヨハンソンは、間違いなくセクシーだ。写真を見ただけでもゾクゾクする。ナバコフ作「ロリータ」冒頭の名文を借りると、「わが罪、わが肉の炎(ほむら)」という感じである。アメリカの男性誌でも「世界で最もセクシーな女性100人」の2006年版トップに選ばれたという。
●身を滅ぼすことになるとわかっていても溺れる
ウッディ・アレンの映画は、「インテリア」(1978年)以外はあまり好きではない。それなりに見てはきたが、セックスを人生最大のテーマのように描いていて好感が持てないし、インテリの気弱さとしたたかさをウリにしていることに少し反発する。本人も、結婚していたミア・ファーローからセックス・スキャンダルで訴えられたりしている。
僕はミア・ファーローの自伝を読んだだけなのでフェアではないのだが、ミア・ファーローは何人も養子にしており、その中の十代半ばの娘とウッディ・アレンがセックスしているのを知ったのだという。自作自演の映画の中でもアレン本人がロリータ・コンプレックスを告白しているから、そういうこともあるだろうと僕は思った。
ウッディ・アレン監督「マッチポイント」(2005年)のヒロインがスカーレット・ヨハンソンだと知ったとき、ウッディ・アレンの新しい恋人は彼女なのかと思った。アレンは私生活と作品が密接に関わっていて、ダイアン・キートン、ミア・ファーロー...など、プライベートな関係の人をヒロインにしてきた。
ある映画評はスカーレット・ヨハンソンを「ウッデイ・アレンの新しいミューズ」と書いていた。確かに、そうかもしれない。「マッチポイント」は、スカーレット・ヨハンソンがいたから発想された映画だ。「男を虜にする女」という言葉を、そのまま体現しているスカーレット・ヨハンソンの存在なくしては成立しない映画だった。
テニスのプロプレイヤーをやめてロンドンでレッスンプロになったアメリカ人の主人公は、テニスクラブにやってくる金持ちの一家と親しくなる。その娘に惚れられて結婚し、父親の会社の重役になる。順風満帆...を絵に描いたような人生だった。
ある日、義兄のフィアンセであるアメリカからやってきた女優志願の娘(スカーレット・ヨハンソン)に紹介され、ひと目でその魅力にまいってしまう。彼女は家風に合わないと母親に拒否され、やがて義兄と別れるが、主人公は彼女と再会し愛人関係になる。
だが、「妻と別れる」など適当なことを言っていた主人公は、彼女が妊娠し進退窮まる。今の生活を放棄したくない主人公は、隣の部屋の老婆を殺して金を奪った強盗が、たまたま帰ってきた彼女と鉢合わせをして殺してしまったことにして猟銃で射殺する。
物語自体は陳腐でよくある筋なのだが、この後の展開が意表をつき一筋縄ではいかない。やはりウッディ・アレン作品だと思う。その品性は、スカーレット・ヨハンソンが殺される場面を描かないことで顕れる。幻想の中で無傷のスカーレット・ヨハンソンが出てくるための伏線でもあるのだが、主人公が彼女の名を呼び猟銃を撃つカットだけですませている。
ここでウッディ・アレンが描きたかったのは、かつて「ああ、それにしても肉欲」とゴダールが嘆いたような気分ではないだろうか。ウッディ・アレンも肉欲の虜となり、妻から裁判を起こされるような愚行をやってしまった。愚かなこと、人倫にもとることとわかっていながら自制できない。その元には肉欲がある。セックスへの願望がある。
肉欲には個人差が大きい(ようだ)。僕は僕の基準と経験でしかわからないから、そんなものに振り回される悲劇(喜劇的要素が強いけれど)が理解できないのかもしれない。ウッディ・アレンの映画を見ていると、すべてのトラブルはセックスへの願望から起きている。相手構わずに欲望を覚える人間が見れば、共感できるのかもしれない。
「マッチポイント」に続いて、ウッディ・アレンは「タロットカード殺人事件」(2006年)を作った。メガネをかけたスカーレット・ヨハンソンが登場する。メガネフェチの僕としては、目の前にスカーレット・ヨハンソンがいたら自制する自信はない。お願いだから、誰も、僕の目の前にメガネをかけたスカーレット・ヨハンソンを寄越さないでほしい。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
10月発売の一巻・二巻に続いて、11月中旬にソフトバンク文庫から「マンハッタン・オプ」の三巻と四巻が出るようです。矢作俊彦さんの伝説の私立探偵小説。二十数年前にFM東京で毎夜放送されていたラジオドラマをベースに小説化したものです。放送は、劇団四季の名優・日下武史が語り手で、いい雰囲気でした。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12
- おすすめ平均
- 「ぼやき」という名の愛
- 第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
- すばらしい本です。
- ものすごい読み応え!!
- 天使の爪 上 (1) (角川文庫 お 13-25)
- 大沢 在昌
- 角川書店 2007-07
- 小説宝石 2007年 07月号 [雑誌]
- 光文社 2007-06-22