●撮影直前に制作中止になる映画はどれくらいある?
馳星周さんの新作が書店が平積みになっていた。馳さんは、現在、軽井沢に住んで、著述に専念しているらしい。僕は最初に評判になった「不夜城」しか読んでいない。金城武が主演した映画版(1998年)も見たが、人がむごたらしく死ぬし、ちょっと救いがないところがあって苦手だった。
先日、新宿ゴールデン街の酒場「深夜+1」にいたら、「ここが馳星周がいた酒場?」と言いながら入ってきた二人連れの客がいた。もう二十年近く昔になるのだろうか。馳さんは「深夜+1」のカウンターに入っていた。その頃の馳さんは地味な人だったとも聞く。
今も三人の若者たちが交替でカウンターに入っている。みんな、早稲田の学生らしい。そのひとり、K太郎クンは映画を志していて、今年、初めて現場に入れるということで夏前から張り切っていた。フォース助監督なのだという。何の映画か聞いたが、「まだ公表できなくて」という返事だった。
秋から本格的な撮影に入るということだったが、先日、カウンターに入っているので「あれ?」と思ったら、クランクイン直前に制作中止になったという。「それは残念でしたね」と僕は言ったが、本人はそれほど落胆している風には見えなかった。撮影直前の制作中止は、よくあることなのかもしれない。
馳星周さんの新作が書店が平積みになっていた。馳さんは、現在、軽井沢に住んで、著述に専念しているらしい。僕は最初に評判になった「不夜城」しか読んでいない。金城武が主演した映画版(1998年)も見たが、人がむごたらしく死ぬし、ちょっと救いがないところがあって苦手だった。
先日、新宿ゴールデン街の酒場「深夜+1」にいたら、「ここが馳星周がいた酒場?」と言いながら入ってきた二人連れの客がいた。もう二十年近く昔になるのだろうか。馳さんは「深夜+1」のカウンターに入っていた。その頃の馳さんは地味な人だったとも聞く。
今も三人の若者たちが交替でカウンターに入っている。みんな、早稲田の学生らしい。そのひとり、K太郎クンは映画を志していて、今年、初めて現場に入れるということで夏前から張り切っていた。フォース助監督なのだという。何の映画か聞いたが、「まだ公表できなくて」という返事だった。
秋から本格的な撮影に入るということだったが、先日、カウンターに入っているので「あれ?」と思ったら、クランクイン直前に制作中止になったという。「それは残念でしたね」と僕は言ったが、本人はそれほど落胆している風には見えなかった。撮影直前の制作中止は、よくあることなのかもしれない。
映画は、クランクインまでの準備にも時間がかかる。しかし、その段階では動いているのは制作者、監督、助監督などそれほど多くはない。ところが、クランクインすると各パートのスタッフ、キャストなど、一日に拘束する人数は数十人に膨れあがる。
以前、東映Vシネマの担当者に聞いたら、Vシネマ規模でも一日最低五十万円はかかるそうだ。劇場公開の映画なら数百万の単位で金が消えていく。そのため、制作中止になるのはクランクイン直前が多い。制作に入るか中止するか、ギリギリのところでの決断を迫られるからだろう。
吉田喜重監督がテレビのインタビューで、クランクイン初日に制作中止になったときの無念さを語っていたことがある。美術スタッフがセットをきれいに拭きあげたところで制作中止が知らされ、全員が悔し涙を流したエピソードを披露していた。
制作中止の原因は、制作費が集まらなかったことである。ほとんどそれだけが原因だ。K太郎クンがフォースにつくはずだった映画も、おそらくそうなのだろう。フォース助監督はカチンコを叩くので、数万円するカチンコを自分で買ったと話していたが、内心は悔し涙にくれていたのかもしれない。
●シンプルな人生の目的を吐露した凶暴なヤクザ
K太郎クンは、さすがにいろんな映画をよく見ていて、セリフもよく覚えている。先日、「仁義なき戦い 広島死闘篇」の大友勝利(千葉真一)のセリフを口にしたときは、ちょっと驚いた。もちろん、印象的なセリフだから僕もよく覚えているが、下品な卑語なので僕はとても口にできない。しかし、そのセリフをK太郎クンは、実に優雅に爽やかに、すらっと口にした。育ちの良さがうかがえた。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」は昭和三十年(1955年)頃の広島で、博徒の組とテキ屋の組が抗争を繰り返した事実をベースにしている。テキ屋の組の二代目が大友勝利で、この男は「仁義なき戦い」シリーズ中、最も凶暴でめちゃくちゃなキャラクターである。
大友勝利は「仁義なき戦い 完結篇」にも登場するが、この時は宍戸錠が演じた。年老いても大友勝利は徹底抗戦を主張する武闘派で、人の下につくのをよしとせず、自分が天下を取ろうとするのだ。単純といえば単純で、力だけを信じて生きている男である。老獪な策士にのせられて自滅する。
若き日の大友勝利は博徒の組と抗争を起こし、父親であるテキ屋の大親分に叱られると、その父親にくってかかる。その態度はまるで狂犬だ。そのときのセリフが次のようなものだった。ちなみに「あれら」とは、対立する組のことである。
──あれらのホテルで何売っちょるか、知っとるの。淫売じゃないの。
いうならあれらは○○○の汁で飯くうちょるんど。
K太郎クンは、この「○○○」を含むセリフを実に優雅に口にしたのだ。この三文字は西の方で一般的に流布する卑語で、「仁義なき戦い」シリーズでは頻繁に使われる。ただし、テレビ放映時には必ず音を消される。WOWOW放映時の録画テープで確認したら、千葉真一が「お……」と無音で喋っていた。
それにしても下品極まりないセリフだが実に絶妙で、脚本を書いた笠原和夫の筆が絶好調だったことを実感する。出てくるのがみんな極道ばかりだから、自然、セリフは下品で直接的なものになる。「仁義なき戦い」シリーズがヒットしたのは、彼らが喋る広島弁に負うところが大きい。広島弁で語られることで、微妙なユーモアが醸し出されるのだ。
さて、先ほどのセリフを口にした後、大友勝利は怒鳴るように言う。これも印象的だった。
──わしらうまいもん喰うてよ、
まぶいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの。
実にシンプルな人生観である。わかりやすい生きる目的である。僕は、初めて見たときに、このセリフが最も印象に残った。こんな風な人生観だけで生きていけたらどんなに楽だろうと、心底羨ましかったものだ。まだ、社会人になる前、二十一歳のときだった。
大友勝利は「人生の目的は何だろう」「人が生きるのはどういう意味があるのか」などと悩むことは絶対にないだろう。彼は食欲と性欲を充たすために生まれてきたのだと断言し、そのためには金がいるのだと父親に言い募る。金を手にするために広島の縄張りを博徒の組から奪って何が悪い…。実にシンプルな論理だ。
●「欲望」を人生の目的にすることは虚しい
二十一歳の僕が大友勝利の「わしらうまいもん喰うてよ、まぶいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの」というセリフを聞いて、羨ましいと思ったのは、自分が絶対にそんな価値観では生きられないと思っていたからだ。それは人生観というより、獣の本能だった。
しかし、その言葉に含まれるある種の真実を僕は感じ取り、自己韜晦的に口にしたくなることはある。酔っ払って、「人生に意味なんかない。うまいもん喰って、まぶいスケ抱くために生きてるんだ」と大声を出し、真面目な同僚を驚かせ、女性の同僚に嫌われた若き日もあった。
しかし、僕が本当にそう思っているのなら、別の人生があっただろうと思う。こんな文章を書き続けることもない。本も読まないし、映画も見ない。権力をめざし、上昇志向だけで生きてきただろう。現世利益だけを信じて、金に汚く、いい女を見れば口説いたに違いない。
ところが、僕は大友勝利のシンプルな人生観に対抗する、それを否定する有効な論理を持たないのだ。「人はパンのみにて生きるにあらず」とか、「しっかりしていなければ生きていけない。優しくなれなければ生きていく資格がない」とか、それらしいフレーズを浮かべても決定打はない。
そんなとき「わしらうまいもん喰うてよ、まぶいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの」という強烈なフレーズに含まれる一面の真実が僕の中で膨れあがる。実際に、そんな人生観だけで生きている人間を見たら、嫌悪感でいたたまれない。彼らの多くは、自分の欲望を満たすことだけを考え、他者に対する想像力を持たない。
そこまで考えて僕はわかった。少なくとも僕は「うまいもん喰って、まぶいスケ抱く」だけでは生きていけない。というか、うまいもんは食いたいが「まぶいスケを抱く」ことには価値を感じないのだ。僕を必要としてくれる人でなければ、何の意味もないと思う。
人は、他者との関係の中で生きる。生きざるを得ない。「まぶいスケ」と出会ったら、好きになってほしいと願う。他者を意識すると、自分の存在意義を問う。自分は人の役に立っているかと検証する。人の役に立っていることが実感できたときには、深い満足感を味わう。存在理由が確認できたと喜ぶ。生きている意味があったとさえ、思う。
「うまいもん喰って、まぶいスケ抱くために生まれてきとる」という人生観で生きている人も、まともな人間なら仕事をして金を得ようとするだろう。そのときに、人は仕事で「世のため人のため」に役立っていることを実感したいし、きつい仕事をやり遂げた達成感を味わいたいし、多くの時間を費やしている仕事なのだから充実していたいと思うはずだ。
だとすると、その人の生きる目的は、もう「うまいもん喰って、まぶいスケを抱くため」だけではなくなっている。おそらく、やむを得ず始めた仕事の中で、何かの「目的」を見付ける。それを「夢」と言ってもいい。「夢」を持たない人生は辛い。毎日が味気ない。死ぬまでの時間をつぶすだけの人生になる。
いろんな人が生きている。それぞれの価値観、人生観がある。「夢」や「目的」だって様々だ。平穏無事に大過なく家族が幸せに暮らせることが夢の人もいれば、ビル・ゲイツのような成功を収めることが夢の人もいる。K太郎クンのように、映画制作の世界で生きていくことが夢の人もいる。
だから、きっと「欲望」を「夢」と勘違いしてはいけないのだ。人生に意味はない、と僕も思う。しかし、「うまいもん喰って、まぶいスケ抱くために」だけ生きるのでは、何だかさみしい。シンプルな生き方には憧れるが、少しは考えながら自覚的に生きていたい、と思う。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
写真家の管洋志さんが新潮社から写真集「奄美—シマに生きて—」を出版し、写真展を開催しています。先日、久しぶりにニコンサロンのオープニングパーティに出席してきました。管さんに最初にお会いしてから三十年になりますが、印象的には変わらない人だなあ、と改めて思いました。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>
角川文庫から発売になった大沢在昌さんの「天使の爪」上下巻に解説を書かせていただきました。四百字で11枚ほども書いたのに、もう少し書きたいことがあります。もっとも読者は、くどい解説は迷惑でしょう。「天使の牙」「天使の爪」と続くシリーズは、読み始めたらやめられないことは保証します。
小説宝石」7月号に大沢在昌さんとの対談が載りました。「ハードボイルドがなければ生きていけない」というタイトルです。大沢さんの話の間に僕が「そうですね」と言っているだけのような対談ですが、大沢さんの映画やミステリへの愛がうかがえて面白いですよ。
以前、東映Vシネマの担当者に聞いたら、Vシネマ規模でも一日最低五十万円はかかるそうだ。劇場公開の映画なら数百万の単位で金が消えていく。そのため、制作中止になるのはクランクイン直前が多い。制作に入るか中止するか、ギリギリのところでの決断を迫られるからだろう。
吉田喜重監督がテレビのインタビューで、クランクイン初日に制作中止になったときの無念さを語っていたことがある。美術スタッフがセットをきれいに拭きあげたところで制作中止が知らされ、全員が悔し涙を流したエピソードを披露していた。
制作中止の原因は、制作費が集まらなかったことである。ほとんどそれだけが原因だ。K太郎クンがフォースにつくはずだった映画も、おそらくそうなのだろう。フォース助監督はカチンコを叩くので、数万円するカチンコを自分で買ったと話していたが、内心は悔し涙にくれていたのかもしれない。
●シンプルな人生の目的を吐露した凶暴なヤクザ
K太郎クンは、さすがにいろんな映画をよく見ていて、セリフもよく覚えている。先日、「仁義なき戦い 広島死闘篇」の大友勝利(千葉真一)のセリフを口にしたときは、ちょっと驚いた。もちろん、印象的なセリフだから僕もよく覚えているが、下品な卑語なので僕はとても口にできない。しかし、そのセリフをK太郎クンは、実に優雅に爽やかに、すらっと口にした。育ちの良さがうかがえた。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」は昭和三十年(1955年)頃の広島で、博徒の組とテキ屋の組が抗争を繰り返した事実をベースにしている。テキ屋の組の二代目が大友勝利で、この男は「仁義なき戦い」シリーズ中、最も凶暴でめちゃくちゃなキャラクターである。
大友勝利は「仁義なき戦い 完結篇」にも登場するが、この時は宍戸錠が演じた。年老いても大友勝利は徹底抗戦を主張する武闘派で、人の下につくのをよしとせず、自分が天下を取ろうとするのだ。単純といえば単純で、力だけを信じて生きている男である。老獪な策士にのせられて自滅する。
若き日の大友勝利は博徒の組と抗争を起こし、父親であるテキ屋の大親分に叱られると、その父親にくってかかる。その態度はまるで狂犬だ。そのときのセリフが次のようなものだった。ちなみに「あれら」とは、対立する組のことである。
──あれらのホテルで何売っちょるか、知っとるの。淫売じゃないの。
いうならあれらは○○○の汁で飯くうちょるんど。
K太郎クンは、この「○○○」を含むセリフを実に優雅に口にしたのだ。この三文字は西の方で一般的に流布する卑語で、「仁義なき戦い」シリーズでは頻繁に使われる。ただし、テレビ放映時には必ず音を消される。WOWOW放映時の録画テープで確認したら、千葉真一が「お……」と無音で喋っていた。
それにしても下品極まりないセリフだが実に絶妙で、脚本を書いた笠原和夫の筆が絶好調だったことを実感する。出てくるのがみんな極道ばかりだから、自然、セリフは下品で直接的なものになる。「仁義なき戦い」シリーズがヒットしたのは、彼らが喋る広島弁に負うところが大きい。広島弁で語られることで、微妙なユーモアが醸し出されるのだ。
さて、先ほどのセリフを口にした後、大友勝利は怒鳴るように言う。これも印象的だった。
──わしらうまいもん喰うてよ、
まぶいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの。
実にシンプルな人生観である。わかりやすい生きる目的である。僕は、初めて見たときに、このセリフが最も印象に残った。こんな風な人生観だけで生きていけたらどんなに楽だろうと、心底羨ましかったものだ。まだ、社会人になる前、二十一歳のときだった。
大友勝利は「人生の目的は何だろう」「人が生きるのはどういう意味があるのか」などと悩むことは絶対にないだろう。彼は食欲と性欲を充たすために生まれてきたのだと断言し、そのためには金がいるのだと父親に言い募る。金を手にするために広島の縄張りを博徒の組から奪って何が悪い…。実にシンプルな論理だ。
●「欲望」を人生の目的にすることは虚しい
二十一歳の僕が大友勝利の「わしらうまいもん喰うてよ、まぶいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの」というセリフを聞いて、羨ましいと思ったのは、自分が絶対にそんな価値観では生きられないと思っていたからだ。それは人生観というより、獣の本能だった。
しかし、その言葉に含まれるある種の真実を僕は感じ取り、自己韜晦的に口にしたくなることはある。酔っ払って、「人生に意味なんかない。うまいもん喰って、まぶいスケ抱くために生きてるんだ」と大声を出し、真面目な同僚を驚かせ、女性の同僚に嫌われた若き日もあった。
しかし、僕が本当にそう思っているのなら、別の人生があっただろうと思う。こんな文章を書き続けることもない。本も読まないし、映画も見ない。権力をめざし、上昇志向だけで生きてきただろう。現世利益だけを信じて、金に汚く、いい女を見れば口説いたに違いない。
ところが、僕は大友勝利のシンプルな人生観に対抗する、それを否定する有効な論理を持たないのだ。「人はパンのみにて生きるにあらず」とか、「しっかりしていなければ生きていけない。優しくなれなければ生きていく資格がない」とか、それらしいフレーズを浮かべても決定打はない。
そんなとき「わしらうまいもん喰うてよ、まぶいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの」という強烈なフレーズに含まれる一面の真実が僕の中で膨れあがる。実際に、そんな人生観だけで生きている人間を見たら、嫌悪感でいたたまれない。彼らの多くは、自分の欲望を満たすことだけを考え、他者に対する想像力を持たない。
そこまで考えて僕はわかった。少なくとも僕は「うまいもん喰って、まぶいスケ抱く」だけでは生きていけない。というか、うまいもんは食いたいが「まぶいスケを抱く」ことには価値を感じないのだ。僕を必要としてくれる人でなければ、何の意味もないと思う。
人は、他者との関係の中で生きる。生きざるを得ない。「まぶいスケ」と出会ったら、好きになってほしいと願う。他者を意識すると、自分の存在意義を問う。自分は人の役に立っているかと検証する。人の役に立っていることが実感できたときには、深い満足感を味わう。存在理由が確認できたと喜ぶ。生きている意味があったとさえ、思う。
「うまいもん喰って、まぶいスケ抱くために生まれてきとる」という人生観で生きている人も、まともな人間なら仕事をして金を得ようとするだろう。そのときに、人は仕事で「世のため人のため」に役立っていることを実感したいし、きつい仕事をやり遂げた達成感を味わいたいし、多くの時間を費やしている仕事なのだから充実していたいと思うはずだ。
だとすると、その人の生きる目的は、もう「うまいもん喰って、まぶいスケを抱くため」だけではなくなっている。おそらく、やむを得ず始めた仕事の中で、何かの「目的」を見付ける。それを「夢」と言ってもいい。「夢」を持たない人生は辛い。毎日が味気ない。死ぬまでの時間をつぶすだけの人生になる。
いろんな人が生きている。それぞれの価値観、人生観がある。「夢」や「目的」だって様々だ。平穏無事に大過なく家族が幸せに暮らせることが夢の人もいれば、ビル・ゲイツのような成功を収めることが夢の人もいる。K太郎クンのように、映画制作の世界で生きていくことが夢の人もいる。
だから、きっと「欲望」を「夢」と勘違いしてはいけないのだ。人生に意味はない、と僕も思う。しかし、「うまいもん喰って、まぶいスケ抱くために」だけ生きるのでは、何だかさみしい。シンプルな生き方には憧れるが、少しは考えながら自覚的に生きていたい、と思う。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
写真家の管洋志さんが新潮社から写真集「奄美—シマに生きて—」を出版し、写真展を開催しています。先日、久しぶりにニコンサロンのオープニングパーティに出席してきました。管さんに最初にお会いしてから三十年になりますが、印象的には変わらない人だなあ、と改めて思いました。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>
- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12
- おすすめ平均
- 「ぼやき」という名の愛
- 第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
- すばらしい本です。
- ものすごい読み応え!!
- 天使の爪 上 (1) (角川文庫 お 13-25)
- 大沢 在昌
- 角川書店 2007-07
- 小説宝石 2007年 07月号 [雑誌]
- 光文社 2007-06-22