●日曜日に鼠を殺せば、月曜日には…
先日、長い間、気になっていた映画を見た。「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)というフレッド・ジンネマン監督作品だ。中学生の時に学年誌の映画紹介の記事を読んで以来ずっと見たかったのだが、とうとう40数年、見る機会がなく今に至った。DVDが発売になったので、いつでも見られると思っていたらワウワウで放映してくれたのだ。
驚いたのは映画のタイトルが「BEHOLD A PALE HORSE(蒼ざめた馬を見よ)」となっていたことである。「ヨハネ黙示録」第六章第八節の有名なフレーズであり、その出典も映画の冒頭で明らかにされる。「蒼ざめた馬を見よ。これに乗るものの名を死…」というもので、60年代カルチャーに触れた人にはおなじみのフレーズだろう。
僕が高校生の頃、晶文社からロープシン(サヴィンコフ)の「蒼ざめた馬」という本が出ていた。その頃、五木寛之さんが「蒼ざめた馬を見よ」という小説で直木賞を受賞した。そのフレーズの意味はよくわからなかったが、僕も「蒼ざめた馬を見よ。これに乗るものの名を死といい、黄泉これに従う」という言葉のカッコヨサにまいったものだった。
先日、長い間、気になっていた映画を見た。「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)というフレッド・ジンネマン監督作品だ。中学生の時に学年誌の映画紹介の記事を読んで以来ずっと見たかったのだが、とうとう40数年、見る機会がなく今に至った。DVDが発売になったので、いつでも見られると思っていたらワウワウで放映してくれたのだ。
驚いたのは映画のタイトルが「BEHOLD A PALE HORSE(蒼ざめた馬を見よ)」となっていたことである。「ヨハネ黙示録」第六章第八節の有名なフレーズであり、その出典も映画の冒頭で明らかにされる。「蒼ざめた馬を見よ。これに乗るものの名を死…」というもので、60年代カルチャーに触れた人にはおなじみのフレーズだろう。
![蒼ざめた馬[オンデマンド]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/11Vt7XwXFaL.jpg)
![ペイルライダー](http://images-jp.amazon.com/images/P/B000HCPVL4.09.TZZZZZZZ.jpg)
しかし、である。僕が気に入っていた「日曜日には鼠を殺せ」というタイトルは誰がつけたのだろうかと疑問が湧いた。この映画を見た宣伝担当者が「日曜日には鼠を殺せ」という邦題をつけたとすると、あまりにかっこよいではないか。だいたい、映画を見ても「日曜日には鼠を殺せ」という邦題の意味がまったくわからない。
![赤い靴](http://images-jp.amazon.com/images/P/B000LXINMI.09.TZZZZZZZ.jpg)
キリスト教圏ではない日本では「蒼ざめた馬を見よ」より「日曜日には鼠を殺せ」の方が思わせぶりでいいと、映画会社の宣伝部は考えたのだろうか。この映画が公開された頃、まだ五木作品は書かれていなかった。ロープシンの「蒼ざめた馬」は出ていたが、まだまだマイナーだった。
「日曜日には鼠を殺せ」をネットで調べたら、その意味がわかった。聖書の教えを忠実に守る敬虔な清教徒は、日曜日は安息日だから働いてはいけないと考える。だから、日曜日に鼠を殺した猫がいたとしたら、月曜日に清教徒に殺される…という意味だという。日曜日に鼠を殺すとひどい目に遭うよ、ということだろうか。
日曜日に鼠を殺すことは徒労であり、そのために手痛いしっぺ返しを喰らってしまう…そう理解すれば、この映画のテーマに合っているかもしれない。スペイン市民戦争に敗北した主人公はフランスに亡命しているが、彼を宿敵として狙うスペインの警察署長の罠を知りながら帰郷し、壮絶な銃撃戦の中で死んでいく物語なのである。
●「スペイン市民戦争」という言葉が輝いていた頃
![誰がために鐘は鳴る](http://images-jp.amazon.com/images/P/B000RHK2S6.09.TZZZZZZZ.jpg)
しかし、スペイン市民戦争とはどういうことだったのかを理解したのは、五木寛之さんの「裸の町」を読んだときだった。僕はファシスト側(反乱軍)のフランコ将軍を支援したのがナチス・ドイツとイタリアであり、人民戦線側(政府軍)を支援したのがスターリンのソ連とメキシコ革命後のメキシコだったことを知った。「裸の町」は、スターリンがスペインに送った大量の金塊を巡る物語だった。
![戦争は終った](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21W7HDTP5KL.jpg)
![ちょっとピンぼけ](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21TZEH3796L.jpg)
![希望~テルエルの山々~【字幕版】](http://images-jp.amazon.com/images/P/B00005I2PM.09.MZZZZZZZ.jpg)
スペイン市民戦争の時代に生きたスペイン人はパブロ・ピカソがいて、パブロ・カザルスがいた。ピカソは、フランコ将軍を支援するナチス・ドイツによって大規模な空爆を受けたゲルニカの悲劇を作品に昇華した。カザルスはフランスに亡命するが、各国政府がフランコ政権を認めたことに抗議して演奏活動を停止する。今でも僕はカザルスの「鳥の歌」を聴くたびに、スペイン市民戦争に思いを馳せる。
![カタロニア賛歌](http://images-jp.amazon.com/images/P/4329000210.09.MZZZZZZZ.jpg)
そこで彼が体験したのは、同じ人民戦線側からの攻撃である。左翼陣営内部の対立であり、分裂だった。スターリン率いるソ連からの支援を受け勢力を拡大したスペイン共産党は、人民戦線側の多数を占めていたアナーキスト派をトロッキストと呼び、1937年にはとうとう軍事的な衝突を起こす。人民のための理想の社会を作ることを目標としていたはずの左翼陣営の内部分裂…、それが僕には信じられなかった。
![動物農場 (角川文庫)](http://images-jp.amazon.com/images/P/4042334016.09.TZZZZZZZ.jpg)
●無駄だと思われる行為に己の誇りをかけるとき
![日曜日には鼠を殺せ](http://ecx.images-amazon.com/images/I/217DYQEUp8L.jpg)
そのフィルムが終わり、フランス国境に並ぶ人民戦線の兵士たちの列が映る。フランスに亡命するためには、武器を放棄しなければならない。その中のひとりが列を離れてスペインへ戻ろうとする。「あきらめろ、マヌエル」という声がかけられる。1939年のことである。
20年後、スペイン国境に近いフランスの街で暮らすマヌエル(グレゴリー・ペック)は、かつての同志の息子の訪問を受ける。マヌエルの情報を得るために警察署長(アンソニー・クイン)は、少年の父親を拷問し殺したのだという。少年は、マヌエルに署長を殺し父の敵を討ってくれと訴えるが、マヌエルは冷たく少年を追い返す。
マヌエルは母が病の床に伏せっていることを、しばらく前から知っていた。20年間、反政府ゲリラとしてマヌエルはスペインに戻り、銀行強盗や政府機関への攻撃を繰り返してきた。しかし、年老いた今、彼は母が病気だと知りながらスペイン国境を越えることができない。「俺は臆病になった」とつぶやく。
「奴は反政府ゲリラのリーダーなどではない。単なる強盗だ」と新聞記者に主張する警察署長は、マヌエルを逮捕するために彼の母親を病院に収容し、病院の周囲に罠を張り巡らせる。マヌエルが信頼する同志カルロスも署長に籠絡され、密告者になりさがる。
マヌエルは母が死に、カルロスが裏切ったことを知る。しかし、マヌエルは埋めてあった武器を掘り出し、ピレネー山脈をひとりで越えていく。その孤独な影が印象的だ。母が死に、罠だとわかっているところへ、なぜ彼は帰っていくのだろう。間違いなく、そこには「死」が待っている。蒼ざめた馬に乗った死が、黄泉を従えて待っている…
マヌエルの行動には、何の意味もない。死んだ母に会うという目的以外に何もないし、おそらく母の亡骸を安置した部屋まで彼はたどり着けない。徒労である。しかし、彼はピレネーを越える。それは、おそらく彼が生涯をかけて闘ってきたものに殉じるためだ。自分の人生を無にしないために、彼はあえて徒労と言われる行為を選ぶ。
安息日に働いたことをもって月曜日に殺されるとしても、日曜日に鼠を殺すことは必要なのではないか。人は現実の利益より、誇りや自尊心といった精神性を重視する。それが、人間ってものじゃないのか。だから、僕には自死とも思えるマニエルの行動が理解できる。共感する。自分もそうありたいと思う。
この映画は1964年に公開されたが、映画の中の現在時は1959年の設定であり、ほとんど同時代の話だった。僕が本格的にスペイン市民戦争に興味を持つきっかけになった「戦争は終わった」の主人公も、1966年に27年前に終わった内戦を引きずっていた。
当時の僕にとってスペイン市民戦争は自分が生まれる12年前に終わった内乱であり、そんな昔のことにこだわることが理解できなかった。だが、50年以上を生きてきた今ならわかる。35年前の蟠りが僕の中の大きな部分を占めているし、その想いを抱いて生きてきた35年間なんて、ほんの一瞬のことだ。たった35年、未だに決着(オトシマエ)はつかない…
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
前回、うっかり「ハンフリー・ボガード」と書いてしまいました。「ボガート」ですね。三谷幸喜の芝居「エキストラ」に出てくる映画ファンのおやじ(角野卓造が演じていた)が「ボガードじゃなくてボガート」としつこく訂正するセリフがあり、僕とそっくりと笑ったのに自分がうっかり間違ってるんじゃ仕方がありません。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>
![photo](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21Zc-rj302L.jpg)
- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12
- おすすめ平均
ちびちび、の愉悦!
「ぼやき」という名の愛
第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
すばらしい本です。
ものすごい読み応え!!