映画と夜と音楽と…[365]蒼ざめた馬を見た人々
── 十河 進 ──

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●日曜日に鼠を殺せば、月曜日には…

先日、長い間、気になっていた映画を見た。「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)というフレッド・ジンネマン監督作品だ。中学生の時に学年誌の映画紹介の記事を読んで以来ずっと見たかったのだが、とうとう40数年、見る機会がなく今に至った。DVDが発売になったので、いつでも見られると思っていたらワウワウで放映してくれたのだ。

驚いたのは映画のタイトルが「BEHOLD A PALE HORSE(蒼ざめた馬を見よ)」となっていたことである。「ヨハネ黙示録」第六章第八節の有名なフレーズであり、その出典も映画の冒頭で明らかにされる。「蒼ざめた馬を見よ。これに乗るものの名を死…」というもので、60年代カルチャーに触れた人にはおなじみのフレーズだろう。

蒼ざめた馬[オンデマンド]僕が高校生の頃、晶文社からロープシン(サヴィンコフ)の「蒼ざめた馬」という本が出ていた。その頃、五木寛之さんが「蒼ざめた馬を見よ」という小説で直木賞を受賞した。そのフレーズの意味はよくわからなかったが、僕も「蒼ざめた馬を見よ。これに乗るものの名を死といい、黄泉これに従う」という言葉のカッコヨサにまいったものだった。



ペイルライダーキリスト教圏ではこのフレーズは有名らしく、クリント・イーストウッド監督主演の西部劇「ペイルライダー」(1985年)もこのフレーズからとっているし、映画の中でも引用される。イーストウッドが演じたガンマンは「死」を象徴する存在だった。つまり「蒼ざめた馬に乗ったライダー」なのである。

しかし、である。僕が気に入っていた「日曜日には鼠を殺せ」というタイトルは誰がつけたのだろうかと疑問が湧いた。この映画を見た宣伝担当者が「日曜日には鼠を殺せ」という邦題をつけたとすると、あまりにかっこよいではないか。だいたい、映画を見ても「日曜日には鼠を殺せ」という邦題の意味がまったくわからない。

赤い靴原作小説は「日曜日には鼠を殺せ」のタイトルで、映画が公開された頃、早川書房から出版されていた。作者は「赤い靴」(1948年)などの監督で脚本家でもあったエメリック・プレスバーガーである。その小説の原題が「Killing a mouse on Sunday」だった。それを、なぜかタイトルを変更して映画化した。

キリスト教圏ではない日本では「蒼ざめた馬を見よ」より「日曜日には鼠を殺せ」の方が思わせぶりでいいと、映画会社の宣伝部は考えたのだろうか。この映画が公開された頃、まだ五木作品は書かれていなかった。ロープシンの「蒼ざめた馬」は出ていたが、まだまだマイナーだった。

「日曜日には鼠を殺せ」をネットで調べたら、その意味がわかった。聖書の教えを忠実に守る敬虔な清教徒は、日曜日は安息日だから働いてはいけないと考える。だから、日曜日に鼠を殺した猫がいたとしたら、月曜日に清教徒に殺される…という意味だという。日曜日に鼠を殺すとひどい目に遭うよ、ということだろうか。

日曜日に鼠を殺すことは徒労であり、そのために手痛いしっぺ返しを喰らってしまう…そう理解すれば、この映画のテーマに合っているかもしれない。スペイン市民戦争に敗北した主人公はフランスに亡命しているが、彼を宿敵として狙うスペインの警察署長の罠を知りながら帰郷し、壮絶な銃撃戦の中で死んでいく物語なのである。

●「スペイン市民戦争」という言葉が輝いていた頃

誰がために鐘は鳴る「スペイン市民戦争」という言葉を知ったのは、「日曜日には鼠を殺せ」の紹介記事が最初だったと思う。次に「誰がために鐘は鳴る」は、ヘミングウェイが義勇兵としてスペイン市民戦争に参加した体験から生まれたことを知った。「誰がために鐘は鳴る」は、ハリウッドで1943年に映画化された。スペイン市民戦争が人民戦線側の敗北で終わった4年後のことである。

しかし、スペイン市民戦争とはどういうことだったのかを理解したのは、五木寛之さんの「裸の町」を読んだときだった。僕はファシスト側(反乱軍)のフランコ将軍を支援したのがナチス・ドイツとイタリアであり、人民戦線側(政府軍)を支援したのがスターリンのソ連とメキシコ革命後のメキシコだったことを知った。「裸の町」は、スターリンがスペインに送った大量の金塊を巡る物語だった。

戦争は終った高校生のときだった。アラン・レネ監督「戦争は終わった」(1966年)を見て、未だに反フランコの活動を続けている人々がいることを僕は知った。1960年代半ばの現在の話なのに、かつての人民戦線の闘士である主人公(イブ・モンタン)は、反フランコ政権の地下運動を続けているのだった。

ちょっとピンぼけスペイン内乱が終わって、四半世紀が過ぎていた。それでも、スペインはフランコ将軍が敷いた体制が続いているファシスト国家だった。僕は「スペイン市民戦争」のことをさらに知りたくて、写真家ロバート・キャパの「ちょっとピンボケ」を読み、その頃すでにフランスの文化大臣になっていたアンドレ・マルローの「希望」を読んだ。

希望~テルエルの山々~【字幕版】「革命」という言葉にロマンを抱いていた16歳の僕にとって「スペイン市民戦争」は、輝ける何かになった。多くの小説家や詩人が反ファシストの立場で義勇軍に参加した内戦。ロバート・キャパは銃撃され崩れゆく瞬間の兵士の写真を撮り、ヘミングウェイやマルローは自らの体験を小説に書いた。マルローは「希望」を基にして「テルエルの山々」(1939年)という映画を作る。

スペイン市民戦争の時代に生きたスペイン人はパブロ・ピカソがいて、パブロ・カザルスがいた。ピカソは、フランコ将軍を支援するナチス・ドイツによって大規模な空爆を受けたゲルニカの悲劇を作品に昇華した。カザルスはフランスに亡命するが、各国政府がフランコ政権を認めたことに抗議して演奏活動を停止する。今でも僕はカザルスの「鳥の歌」を聴くたびに、スペイン市民戦争に思いを馳せる。

カタロニア賛歌だが、イギリスの詩人ジョージ・オーウェルの「カタロニア賛歌」を読んで、僕の「スペイン市民戦争」に託した夢や希望は潰えた。オーウェルは左翼作家というよりはアナーキストの立場だったが、それでもスペイン市民戦争が始まると人民戦線側の国際旅団に義勇兵として参加する。

そこで彼が体験したのは、同じ人民戦線側からの攻撃である。左翼陣営内部の対立であり、分裂だった。スターリン率いるソ連からの支援を受け勢力を拡大したスペイン共産党は、人民戦線側の多数を占めていたアナーキスト派をトロッキストと呼び、1937年にはとうとう軍事的な衝突を起こす。人民のための理想の社会を作ることを目標としていたはずの左翼陣営の内部分裂…、それが僕には信じられなかった。

動物農場 (角川文庫)オーウェルは味方の銃弾から逃れた体験を「カタロニア賛歌」で記し、この後、「動物農場」でスターリニズム批判を展開し、「1984年」で全体主義に支配される暗黒社会を描き出し、人間が作る国家や政府への絶対的な不信を明らかにした。大学に入った僕が学生運動にのめり込む人間たちの言葉を信用せず、内ゲバを繰り返すセクトの人間たちを軽蔑したのは、高校生の頃にオーウェルを読んだからかもしれない。

●無駄だと思われる行為に己の誇りをかけるとき

日曜日には鼠を殺せ「スペイン市民戦争」への夢や希望を失ったときから40年が過ぎた現在、僕は「日曜日には鼠を殺せ」の冒頭シーンを見ながら、一瞬、それを甦らせた。おそらく記録映画のフィルムを使っているのだろう、軍人ではなく普通の市民の姿をした人たちが戦いを展開していた。銃を持たず、投石でファシストたちに対抗している人々の姿も映っていた。

そのフィルムが終わり、フランス国境に並ぶ人民戦線の兵士たちの列が映る。フランスに亡命するためには、武器を放棄しなければならない。その中のひとりが列を離れてスペインへ戻ろうとする。「あきらめろ、マヌエル」という声がかけられる。1939年のことである。

20年後、スペイン国境に近いフランスの街で暮らすマヌエル(グレゴリー・ペック)は、かつての同志の息子の訪問を受ける。マヌエルの情報を得るために警察署長(アンソニー・クイン)は、少年の父親を拷問し殺したのだという。少年は、マヌエルに署長を殺し父の敵を討ってくれと訴えるが、マヌエルは冷たく少年を追い返す。

マヌエルは母が病の床に伏せっていることを、しばらく前から知っていた。20年間、反政府ゲリラとしてマヌエルはスペインに戻り、銀行強盗や政府機関への攻撃を繰り返してきた。しかし、年老いた今、彼は母が病気だと知りながらスペイン国境を越えることができない。「俺は臆病になった」とつぶやく。

「奴は反政府ゲリラのリーダーなどではない。単なる強盗だ」と新聞記者に主張する警察署長は、マヌエルを逮捕するために彼の母親を病院に収容し、病院の周囲に罠を張り巡らせる。マヌエルが信頼する同志カルロスも署長に籠絡され、密告者になりさがる。

マヌエルは母が死に、カルロスが裏切ったことを知る。しかし、マヌエルは埋めてあった武器を掘り出し、ピレネー山脈をひとりで越えていく。その孤独な影が印象的だ。母が死に、罠だとわかっているところへ、なぜ彼は帰っていくのだろう。間違いなく、そこには「死」が待っている。蒼ざめた馬に乗った死が、黄泉を従えて待っている…

マヌエルの行動には、何の意味もない。死んだ母に会うという目的以外に何もないし、おそらく母の亡骸を安置した部屋まで彼はたどり着けない。徒労である。しかし、彼はピレネーを越える。それは、おそらく彼が生涯をかけて闘ってきたものに殉じるためだ。自分の人生を無にしないために、彼はあえて徒労と言われる行為を選ぶ。

安息日に働いたことをもって月曜日に殺されるとしても、日曜日に鼠を殺すことは必要なのではないか。人は現実の利益より、誇りや自尊心といった精神性を重視する。それが、人間ってものじゃないのか。だから、僕には自死とも思えるマニエルの行動が理解できる。共感する。自分もそうありたいと思う。

この映画は1964年に公開されたが、映画の中の現在時は1959年の設定であり、ほとんど同時代の話だった。僕が本格的にスペイン市民戦争に興味を持つきっかけになった「戦争は終わった」の主人公も、1966年に27年前に終わった内戦を引きずっていた。

当時の僕にとってスペイン市民戦争は自分が生まれる12年前に終わった内乱であり、そんな昔のことにこだわることが理解できなかった。だが、50年以上を生きてきた今ならわかる。35年前の蟠りが僕の中の大きな部分を占めているし、その想いを抱いて生きてきた35年間なんて、ほんの一瞬のことだ。たった35年、未だに決着(オトシマエ)はつかない…

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
前回、うっかり「ハンフリー・ボガード」と書いてしまいました。「ボガート」ですね。三谷幸喜の芝居「エキストラ」に出てくる映画ファンのおやじ(角野卓造が演じていた)が「ボガードじゃなくてボガート」としつこく訂正するセリフがあり、僕とそっくりと笑ったのに自分がうっかり間違ってるんじゃ仕方がありません。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>


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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12
おすすめ平均 star
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 映画一日一本―DVDで楽しむ見逃し映画365 (朝日文庫) 【初回限定生産】『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション(5枚組み) 気まぐれコンセプト クロニクル グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)



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日曜日には鼠を殺せ
グレゴリー・ペック.アンソニー・クイン.オマー・シャリフ フレッド・ジンネマン
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2007-07-25
おすすめ平均 star
starグレゴリー・ペックの演技が素晴らしい

冒険者たち 40周年アニヴァーサリーエディション・プレミアム

by G-Tools , 2008/02/29