映画と本と音楽と…[再録]父から子へ伝わるもの
── 十河 進 ──

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●共に家を建てる

ケビン・クライン主演の「海辺の家」(2001年)を見ていたら、昔の建築現場を思い出した。「海辺の家」は、数カ月後に死ぬことを知った主人公が息子と共に家を建て直す話である。16才の息子は離婚した妻と暮らしており、自分を持て余すようにマリファナやシンナーに溺れ、荒れている設定だ。

もちろん、ふたりは家を建てる過程で理解し合い、荒れていた息子は穏やかになり、主人公の死後、ひとりで家を完成させる。お約束のような展開だが、そうなることを期待している観客たちに、どんな結末を提供できる? どちらにしろ映画なのである。苦い結末だったら、僕も見たくはない。

父と子、という関係はなかなかむずかしい。僕にも息子と娘がいるけれど、ことさら何かを伝えようとすることなど、普通の親子関係の中では成立しないと思う。親の背中を見て子供は育つというが、自分のことを思い返しても父親から改まって何かを継承したことなどなく、結局、その生き方を見て育ったと実感する。その姿は時には教師であり、時には反面教師だった。


家を建てることでコミュニケーションを成立させていく話としては、ロバート・B・パーカーの「初秋」が印象深い。探偵スペンサーの7作目の長篇だ。スペンサー・シリーズで僕が最も好きな話である。両親に見放された自閉症気味の少年に、スペンサーは一緒に家を建てることによって、人生に立ち向かうことを教えていく。生き方を学ばせる。自立心を培わせる。

しかし、この小説が成立するのはスペンサーと少年が親子ではないからだ。ここには擬似的な親子関係の成立が描かれるが、男同士の友情と同じように、肉親ではないからこそ「教える立場」と「教えられる立場」が素直に成り立つのだ。肉親であれば、そこにはいろいろと複雑でややこしい感情がからんでくるだろう。

僕も息子ができたら「初秋」のスペンサーのように何かを教えられたらいいなと思っていたけれど、実際に息子ができると子供を育てるというのはメシを食わせ教育を受けさせ、人に迷惑をかけないようにしつけ、それ以外は見守っていることしかできないのだと思い知らされた。

●父親の仕事現場

「海辺の家」を見ながら昔の建築現場を思い出したのは、子供の頃からなじみがあったからだろう。今と違って、昔は近所の建築途中の家の中で遊び回れたものだったが、僕の場合は父がタイル職人だったので子供の頃から父の仕事現場にいくことが多かった。

忙しい時には母も僕を連れて現場に手伝いにいっていた。親方をやっていた父のところには多い時で10人近くの職人がいたが、景気がいい時は下働きが不足することがあったのだ。中学を卒業したばかりのアンちゃんがふたりほど住み込みでいたが、忙しくなると母は現場に入りセメントと砂をこねたりした。

考えてみれば、普通の民家とはいえ建築現場だから、けっこう危険だったはずだが、僕は父や母が働いている横で機嫌よく遊んでいたらしい。少し大きくなると、休みの時に小遣い稼ぎのために父の手伝いに出るようになった。一輪車に30キロもあるセメント袋を積んでフラフラしながら運んだ記憶がある。

現場での父は弟子たちにテキパキと指示を出し、黙々と働いていた。昼休みになると弁当を食べ、寒くなると石油缶で木っ端を燃やしながら暖をとり、大工や左官たちと話をした。そんな時、僕は黙って父の横で話を聞いているだけだったが、家にいる時とは父の印象はずいぶん違っていた。

昼休みの会話には、今から思うとかなりきわどい話題もあった。内容はわからなかったが、大人たちの笑いのニュアンスで僕はそれを感じた。時には僕に向かって卑猥な冗談を言う職人もいた。僕には何のことかわからなかったが、言葉のニュアンスと周りの反応でヘンだなと感じた。

父を見ると一緒になって笑っている。家ではほとんど口を利かなかった父の意外な一面を見た思いだった。しかし、今から思えば、働いている父を見たことはよかった、とつくづく思う。まさに「親父の背中」を見た思いだった。

●建築現場の想い出

建築現場の想い出では、ひとつ忘れられないことがある。小学校五年生の時だったと思う。いくら親方だといっても、職人だから日雇い仕事である。不景気になると仕事にあぶれることもあった。そんな不安定な経済を改善するためだったのだろう、我が家の裏庭をつぶして二階建てのアパートを建てることになった。その時、僕は初めて棟上げを経験した。

最近、棟上げをやっている家などは見かけないが、昔はどこの家でもやったものだ。子供たちの間にはそんな情報網があり「今日は、どこどこで棟上げがある」というニュースはクラスの中で飛び交った。僕らは学校が終わると急いで帰宅し、鞄を放り投げて自転車で新築の建設現場まで走った。

その日、我が家の棟上げのことは、もちろんみんな知っていた。神主がくる。簡単な神棚が作られて祭られる。父親と母親が真ん前に立ち、僕と兄はその後ろに並ぶ。神妙な顔をして大工の棟梁の後ろに立つ。祝詞が始まる。その頃の僕にとっては耐えられないほど長い時間だった。

儀式が終わり、いよいよお菓子や餅や木札をばらまく時がやってくる。見下ろすと大勢の人々がこちらを期待に充ちて見上げていた。「ソゴー、こっちや」と叫んでいるデブは学校一の乱暴者の中村君だった。薫という名に似合わないガキ大将で、僕も何度かいじめられたことがある。

誰があんな奴のところに投げてやるかと思ったが、何かを拾わせないと学校でまたいじめられるな、という考えが脳裏をよぎる。まず、父が大きな木箱に手を入れて両手に餅やらお菓子やらを抱えるように取り出した。一斉に振りまく。人々が争って拾い始める。

僕はなるべく遠くへ投げた。ほとんどが顔を知っている人たちだったが、誰がいるのかはよくわからなかった。二学期になって転校してきた同じクラスの中西君の顔が見えたけれど、シャイな中西君は少し遠くにいた。中西君は、人と争ってまで何かを手に入れようとする性格ではなかった。

僕は彼に向かってグリコのサイコロキャラメルやカバヤの付録付きキャラメル、前田のクリケットや森永のチョコレートを投げたけれど、彼が拾えたかどうかはわからなかった。

ちょっと高価な景品は最後に投げる。父が「酒一升」などと書かれた木札を何枚か投げ、人の群れが一斉にその木札をめざした。最後に、木箱を持ち上げて逆さにしてばらまく。もうすべて投げ終わったよ、という合図である。

●もうひとつの父と子

棟上げの後は自宅の座敷で宴会が始まった。職人たちに祝い膳と酒が振る舞われる。父は一滴も飲めなかったから、ひとりで酌をしてまわった。母親は酒を燗したり、料理を追加したりと忙しかった。僕と兄は食事をして玄関脇の小部屋に籠もっていた。

その時、玄関をドンドンと叩く音がした。ひどく乱暴な叩き方だった。父が玄関を開けると、その男が入ってきた。酔っているようだった。男は、そのまま玄関の上がりがまちに腰を据えた。

子供心に不安に感じたのだろう、その時のことは今でも映像が浮かぶほどよく覚えている。その夜、やってきた男はかなり酔っていて、応対に出た父に最初からからんでいた。上がりがまちに腰を下ろし、怒鳴り声をあげた。僕は玄関の隣の部屋にいて兄と身を寄せ合っていたが、次第に男が何を言っているのかがわかってきた。

男は棟上げで一升酒の札を拾ったのだが、失くしてしまった、ただし、拾ったのは間違いないから酒を寄こせ、と言っているのだった。父は何度も「札は全部交換したのだからそんなはずはない」と繰り返すのだが、男は「拾ったのは確かだ。誰かが俺が落とした札を持ってきたのだ」と言い募った。

暴力までは振るわなかったが、床を叩くことは度々だった。怒鳴り声も続き、さすがに父も答える言葉がなくなったのだろう、一度、座敷に入り母親と何か相談していた。僕が母親に呼ばれたのは、そのすぐ後だった。

僕は、近くの酒屋まで使いに出された。一番安いのでよいから、酒を一升瓶で買ってこいと命じられたのだ。僕は一升瓶を抱えてうちを出た。その頃は、まだ升での量り売りをやっていたのだ。

その酒屋は近所だから顔なじみだったけれど、客としていくのは珍しかった。その日、初めて我が家は上客になったのだ。「酒、足らんようになったんか」と酒屋の主人が気安く声をかけてきた。

僕は事情を話した。「どんな男や」と聞く主人に、僕はやってきた男の特徴を話した。主人はゆっくりとうなずくと口を開いた。

──あれは中西ゆうて、この夏に西浜の方から引っ越してきた奴や。向こうで
もいろいろ不義理しておられんようになったゆうて聞いたなあ。何もせんで、
昼真っから酒ばっかり喰ろうとるゴクツブシや。カミサンが働きに出とるらし
い……、子供がよううちに酒買いにきよるけど、掛売りは断っとる。

その時、僕は、一升瓶を抱えて酒屋にやってくる中西君を思い浮かべた。掛売りを断られても、中西君は店先でじっと立っていそうな気がした。何も言わず、いつものように少しはにかんだ表情をして立っている中西君……

あの頃、中西君は父親のどんな背中を見ていたのだろうか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
金曜日に咳と喘鳴がひどくなり土曜日の午前中に病院で点滴を受けたが、あまり回復しない。午後、心配しながら新幹線で熱海へ。冒険小説協会の26回目の全国大会に参加。大賞受賞の国内作品は「警官の血」の佐々木譲さん。海外作品は「ウォッチメーカー」だった。ディーバーのメッセージが読み上げられた。佐々木譲さんと同室になり、咳をこらえて寝ていたので睡眠不足。ということで、今週は再録にさせてください。そういえば、冒険小説協会の第一回大賞の海外作品はパーカーの「初秋」でした。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>

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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12
おすすめ平均 star
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 映画一日一本―DVDで楽しむ見逃し映画365 (朝日文庫) 【初回限定生産】『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション(5枚組み)

by G-Tools , 2008/04/04