映画と夜と音楽と…[371]自らを犠牲にできる人間とは
── 十河 進 ──

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●「本屋さん」大賞と冒険小説協会の日本軍ベストテン

ゴールデンスランバー先日、「本屋さん大賞」が発表になり、朝のテレビ番組でもニュース映像が流れた。伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」が一位で、作家自身もインタビューに答えていた。今や本の売れ行きに最も貢献する賞と言われる「本屋さん大賞」だから、取材メディアもかなり集まっているようだった。

そのベストテンを見ると、僕は七冊も読んでいた。最近の作家にはあまり興味がないのだが、昨年の話題作を積極的に読んだ結果、こうなった。これは、昨年に冒険小説協会の会員になり、僕自身が面白本の投票をすることになったからだ。なるべく多くの小説を読まなれば、と僕は努力した。

冒険小説協会の日本軍大賞は「警官の血」(佐々木譲)で「このミステリーがすごい」の一位と同じだったが、冒険小説協会選出のベストテンに入った作品で「本屋さん大賞」ベストテンにも入っていたのは「ミノタウロス」(佐藤亜紀)、「ゴールデンスランバー」(伊坂幸太郎)、「サクリファイス」(近藤史恵)の三作品だった。


「本屋さん大賞」には、桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」「私の男」と吉田修一の「悪人」も入っていた。テレビ「SP」で人気の金城一紀「映画篇」も入っている。僕が未読だったのは「有頂天家族」(森見登美彦)、「八日目の蝉」(角田光代)、重松清「カシオペアの丘で」の三作品である。

それぞれに昨年話題になった小説ばかりだ。吉田修一の「悪人」は朝日新聞連載のときにはまったく読んでいなかったのだが、呑み友だちのIさんに薦められて読んだ。犯罪者の孤独と娘を殺された父親の悲しみが伝わるよい作品だと思うが、世評ほどすごいとは思えない。

桜庭一樹の二作品は話題になっていたので読んでみたが、「私の男」の直木賞には納得がいかなかった。小説も映画も、ある作品を好きという人がいれば嫌いだという人もいるけれど、僕は容認しがたい。「赤朽葉家の伝説」は読み始めてすぐ「これは『百年の孤独』だな」と思ったが、作者はマルケスの「百年の孤独」の影響を素直に認めているらしい。

ミノタウロス「ミノタウロス」は吉川英治文学新人賞を受賞し「本の雑誌」選出の年間一位だそうだが、好きになれなかった。誰かが「ピカレスク・ロマン」と評していたけれど、僕にはアンモラルな印象しかない。「ピカレスク・ロマン」は「悪漢小説」と訳されるが、主人公が悪漢でも何らかの爽快感が必要だと思う。僕が思うピカレスク・ロマンの名手は、アラン・シリトーだ。

伊坂幸太郎の小説は「魔王」を読んだだけだったが、「ゴールデンスランバー」は「逃亡者」がベースらしいと聞いて読んでみた。正体不明の絶対的権力に追われて逃げる主人公の個人的武器は「信頼」だというので期待しすぎたのだろう、それなりに面白く読んだが、落胆したのも事実だ。

映画篇金城一紀「映画篇」を読むと、この作家の映画好きがよく伝わる。「ローマの休日」上映会を軸にして様々な人物を収斂させていくのも映画的で、キューブリック監督「現金に体を張れ」(1956年)やタランティーノ監督「パルプ・フィクション」(1994年)の手法を連想した。

サクリファイス「サクリファイス」の近藤史恵さんは、この作品が二十九冊目というベテラン作家らしいが、僕は名前も知らなかった。だから、まったく予備知識なしに読み始め、夢中で読んだ。読み終えて「この感動を誰かに伝えたい」と思った唯一の小説だった。少なくとも、この一年間に読んだ小説のベストワンである。

「あれはいいよ」と本好きの人に会うと薦めていたら、今年になって大藪春彦賞を受賞した。大藪春彦賞は作品のイメージとは合わないが、やはりミステリとして受け取られているのだろう。作家自身が鮎川哲也賞を受賞してデビューしたらしいから、ミステリ作家と見られている。残念ながら「サクリファイス」は「本屋さん大賞」では二位だった。

●「犠牲」と「生贄」の大きなニュアンスの違い

犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日 (文春文庫)僕が「サクリファイス」という言葉を覚えたのは、柳田邦男さんの「犠牲(サクリファイス)」というノンフィクション作品が出たときだった。もう、かなり昔のことになる。「サクリファイス」という語感と「犠牲」という日本語がしっくりこなかった。

「SACRIFICE」を辞書で引くと、最初に「生贄」「供物」といった意味が出てくる。次に「犠牲」「犠牲的行為」という意味が解説されている。日本語の「生贄」と「犠牲」には大きなニュアンスの違いがある。英語圏では「生贄」と「犠牲」が同じように捉えられているのだろうか。そんなことを、当時の僕は思った。

サクリファイス「サクリファイス」(1986年)は、アンドレイ・タルコフスキー監督の遺作のタイトルでもある。僕もタルコフスキー・ファンで、ときどき彼の独特の映像にどっぷりと浸りたくなるが、その難解さは筋金入りだ。何度見ても理解できない。理解する必要はないのだけれど、理解したくなるのが業なのかもしれない。

タルコフスキー作品はどんどん物語性が希薄になっていて、映像体験によってしか得られない何かが心の奥深いところを揺さぶる。初期の「僕の村は戦場だった」(1962年)は物語が理解しやすいが、あの作品も繰り返しあらわれる井戸の水面のショットが喚起的だった。

タルコフスキー作品では「サクリファイス」の意味は、自らの身を生贄とする犠牲的な精神として描かれる。僕は「生贄」は他者から強制されるものというニュアンスがあり、「犠牲」には自らが進んで行う行為というニュアンスがあると思っていた。しかし、自己犠牲の行為として自らを差し出すのであれば、それは神への供物であり、他の人々を生かす生贄なのかもしれない。

近藤史恵さんの「サクリファイス」を読み終えたときも、僕はそんなことを考えた。近藤さんの「サクリファイス」の見事さは、ミステリ的などんでん返しを経た結果、真実を知った主人公に精神的な成長が訪れることだ。彼は人生のステージを一段階上がる。ある人物の犠牲的な行為への深い感動を胸に秘めて…。

「サクリファイス」というタイトルは、走る主人公を示すのだと思って僕は読み進めた。しかし、読み終えたとき、「サクリファイス」という言葉が示すものが百八十度ひっくり返ってしまう。まさに、どんでん返しであり、それ故にミステリとして成立しているのだけれど、その逆転には爽やかな感動が伴うのである。

●自転車ロードレースの世界を描きつくした小説

「ツール・ド・フランス」のテレビ・ドキュメンタリーを見たのは、もう二十年以上も前のことだ。子供の頃、競輪場が遊び場だった僕には自転車はなじみ深いものだったが、自転車レースと言えば「競輪」であり、それはギャンブルという後ろめたさを伴うものだった。

しかし、「ツール・ド・フランス」は過酷なスポーツであり、人々が熱中する大きなレースなのだと知った。ヨーロッパでは自転車ロードレースが盛んで、各国にプロチームが存在すると知ったのも、その番組だった。各国のチームが参加する自転車ロードレースの最高の舞台がツール・ド・フランスだ。

一ヶ月近くに及ぶレースであり、一瞬のミスがクラッシュを引き起こし、命をなくす危険さえある。アルプスの山を越えるようなハードなコースを走るのだ。「ツールド・フランス」は、知れば知るほど驚きだった。チームのメカニックたちはレースを車で追い、パンクした車輪を一瞬で交換する。そんなシーンにも目を見張った。

自転車ロードレースは大勢の選手が決められたコースを走るが、個人レースではない。チームで参加し、それぞれに役割がある。チームのエース選手を優勝させるためにアシストたちは、徹底的なチームプレーを要求されるのだ。F1レースのエースドライバーとサブドライバーより、役割は明確だ。

「サクリファイス」は、そんなロードレースの世界が詳細に描かれる。エースの選手がパンクし、メカニックたちの車が遅れていれば、すぐ近くにいたアシストの選手は、自分の自転車の車輪を交換用に差し出さなければならない。エースの力を温存するために正面からの風を受けながら走り、エースの風よけにならなければならない。

「サクリファイス」の主人公は自転車ロードレースに魅せられた青年であり、彼はアシストとしてエースをサポートする。彼は自らが光を浴びるより、影の存在になることを望むような人間だ。オリンピック候補も夢ではないと言われた陸上を棄てロードレースの世界に飛び込んだのは、アシストという存在を知ったからである。

彼のチームには何年もエースを張ってきたベテランの選手がいる。彼には、自分のポジションを奪いそうな若い選手を潰してきたといった噂がある。実際、彼が起こしたクラッシュで半身不随になった若きエース候補がいた。彼はロードレースしか頭にないようなストイックな選手だが、それ故に何を考えているのかわからない不気味さがある。

主人公と一緒にチームに加わった有望選手がいる。彼はエースになることを目標にし、先輩を先輩と思わない傲岸さを見せ、チームの中では浮いた存在だ。しかし、その実力は誰もが認めざるを得ない。また、エースの選手を何年も何年もサポートしてきたベテランのアシストの選手もいる。彼は長い年月をエースの影として生きてきた。

そんな彼らが展開する物語の最後に、本当の「サクリファイス」とは何なのか、その行為の真実の意味は何だったのかが明らかになる。人は互いに誰かの犠牲のうえに生きている。誰かが何かを担ってくれているから、人は生きていける。そのことを知っている人間は、自分が犠牲にならなければならなくなったとき、迷わずサクリファイスになれるのかもしれない。

人は多かれ少なかれ世のため人のため、誰かのために生きている──それを認識し、誰かのためにサクリファイスを迫られたとき(日常では、それはほんの些細なサクリファイスかもしれないが)、それができる人間でありたいと僕は思う。それができない人生に何の意味がある?

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
花粉症がひどくて、しばらく週末は家に籠もっていたが、久しぶりに体を動かした。ところが、翌日、ひどい筋肉痛に襲われた。それでも肉体的な疲労は心地よい。医者からも「運動して体重を落とせ」と言われている。年寄りの冷や水と言われない程度に運動をしようかなあ。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
>

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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12
おすすめ平均 star
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 映画一日一本―DVDで楽しむ見逃し映画365 (朝日文庫) 荒野の用心棒 完全版 スペシャル・エディション 【初回限定生産】『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション(5枚組み)



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ゴールデンスランバー
伊坂 幸太郎
新潮社 2007-11-29
おすすめ平均 star
star最高ではないと思う
starなかなか面白かったです。
star「メビウスの輪」的ジェットコースター小説
star最高傑作!!
star9時間一気読み!

フィッシュストーリー 魔王 流星の絆 砂漠 ダイイング・アイ

by G-Tools , 2008/04/18