映画と夜と音楽と…[377]人の美しい心を信じていたい
── 十河 進 ──

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●ウィリアム・P・マッギヴァーンが好きだった

ウィリアム・P・マッギヴァーンという作家が好きだった。40年以上前のことである。当時、主に創元推理文庫で作品が出ていた。いや、ハヤカワ・ポケットミステリでも出ていたのだが、中学生の身では手が出なかったのだ。僕は、とりあえず創元推理文庫の彼の作品を読破した。

昔、創元推理文庫はジャンル別にマークをつけていた。サスペンスものは黒猫、ハードボイルド・警察小説はリボルバー、本格ものは帽子をかぶった男の横顔にクエスチョンマークが入っていた。ウィリアム・P・マッギヴァーンの作品はリボルバーマークに分類されていた。

その頃、僕はミステリ分野では本格ものからカトリーヌ・アルレーのサスペンスものやダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーのハードボイルドものにシフトし始めていた。ホームズものを小学生で読破し、エラリィ・クィーンやディクスン・カーの代表作を読んだもののアガサ・クリスティやヴァン・ダインの不自然さに違和感を感じたからだった。

そのハードボイルド・ジャンルで異質の評価を受けていたのが、ウィリアム・P・マッギヴァーンだった。私立探偵が主人公のハードボイルドものが主流の中、マッギヴァーンは悪徳警官もの、犯罪者ものを多く書いていた。それまで、正義派の主人公ばかりを読んでいた僕は、犯罪者が主人公であることや警察官が犯罪者に堕ちていく物語に衝撃を受けたものだった。



昨年、たまたま大沢在昌さんとお会いしたとき、大沢さんがウィリアム・P・マッギヴァーンの愛読者だったと聞いて盛り上がった。大沢さんは悪徳警官を主人公にした作品は書いていないが、「新宿鮫」シリーズなどで脇役の悪徳警官を書きながらマッギヴァーンを思い出しているのかもしれない。

マッギヴァーンの悪徳警官ものには「悪徳警官」というそのものズバリのタイトルの作品や「殺人のためのバッジ」という間接的な表現の作品がある。ちなみに僕はずっと、キム・ノヴァクのデビュー作「殺人者はバッヂをつけていた」(1954年)は、マッギヴァーン原作だと勘違いしていた。

トマス・ウォルシュの「深夜の張り込み」を読んだのは、やはり中学生のときだったが、こちらが「殺人者はバッヂをつけていた」の原作だった。三人の刑事が銀行強盗犯の情婦を張り込んでいる。ひとりの刑事(「うちのパパは世界一」のフレッド・マクマレー)が情婦(キム・ノヴァク)に誘惑され、犯人を殺して金を奪うというストーリーだった。

マッギヴァーンは悪徳警官ものだけではなく、10作目の「ファイル7」などは誘拐ものの名作として名高い。そして「緊急深夜版」を経て、12作目が「明日に賭ける」だった。これは、軽装の箱入り(裏表紙の定価表示のところだけ切り抜いて窓にしてあった)だった頃の、ハヤカワ・ポケットミステリから出ていた。

それまで僕は、ポケットミステリは高松市の田町商店街にあった「高松ブックセンター」という古書店でしか買ったことはなかった。僕は新刊で買った創元推理文庫を売りにいき、狭い棚に並んでいたポケミスの古本を買った。そう言えば中学生だった僕は、親の承諾書を持って本を売りにいっていたなあ。

しかし、マッギヴァーン・ファンだった僕は、どうしても「明日に賭ける」が読みたくなり、清水の舞台から飛び降りる思いで新刊を買った。もったいないなあと思いながら、その夜、僕は「明日に賭ける」を読み切った。泣いた。感動した。銀行強盗の話であんなに心を奮わせたのは、14年間の人生で初めてのことだった。

●「明日に賭ける」は「拳銃の報酬」になった

昨年、「レッドパージ・ハリウッド」(作品社)の筆者である上島春彦さんとお会いしたのは、ちょうどその本が日本推理作家協会賞の特別賞の候補になっていたときで、上島さんはちょっとドキドキしているようだった。残念ながら受賞は逸したが、朝日新聞の読書欄で中条省平さんが取り上げるなど、話題になった本である。

「赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝」とサブタイトルにあるように「レッドパージ・ハリウッド」は赤狩り時代を詳細に捉えた労作である。よく調べているなあ、と僕は感嘆した。その第六章は「『拳銃の報酬』ハリー・ベラフォンテとポロンスキー」となっている。その「拳銃の報酬」(1959年)が「明日に賭ける」の映画化作品である。

ところで「レッドパージ・ハリウッド」を読むまで、僕は「拳銃の報酬」の脚本を書いたのがエイブラハム・ポロンスキーだとは知らなかった。僕がポロンスキーの名を知ったのは「夕日に向かって走れ」(1969年)の監督としてだった。当時、赤狩りでハリウッドを追われたポロンスキーが復活したと言われた。

「夕日に向かって走れ」は「明日に向かって撃て」(1969年)と出演者が重なる西部劇だという理由から、そんな二番煎じのタイトルが付けられたのだろう。原題は「ウィリーボーイはここにいると奴らに告げろ」という意味だ。ウィリーボーイを演じたのが「冷血」(1967年)のロバート・ブレイクだった。

恋人を連れて居留地を抜け出したインディアンのウィリーボーイを保安官が追う。ウィリーボーイの恋人はキャサリン・ロス、保安官がロバート・レッドフォードだった。ポール・ニューマンが出ていれば、「明日に向かって撃て」の続編が作れる。

そのポロンスキーは、マッギヴァーンの「明日に賭ける」を映画化するにあたって原作の後半部分を捨て、かなりハードな映画に仕上げた。それは、前年に作られた「手錠のままの脱獄」(1958年)に対するアンチ・メッセージだったのかもしれない。

「手錠のままの脱獄」はトニー・カーチスが演じた黒人嫌いの白人とシドニー・ポワチエの黒人が手錠につながれたまま脱獄し、憎み合い反発しながら次第に理解し友情を深めていく物語だった。それは、ケネディが大統領になり、公民権運動が盛り上がる直前に公開された問題作だった。

おそらくポロンスキーは、白人と黒人が理解し合い友情を結ぶ「手錠のままの脱獄」の甘さが気に入らなかったのだ。あるいは、制作者であり主演者であったハリー・ベラフォンテの意向だったのかもしれない。ハリー・ベラフォンテは、若手の有望な黒人俳優シドニー・ポアチエへの対抗心があったに違いない。

しかし、僕は白人と黒人が対立したまま死んでいく「拳銃の報酬」のラストは不満だった。子供の頃に見た「手錠のままの脱獄」に感動したように、「明日に賭ける」のラストに僕は強く心を揺さぶられたのだ。だから、それを演じるロバート・ライアンとハリー・ベラフォンテを見たかったのである。

●落伍者である男にたったひとつ残っていた「誇り」

「明日に賭ける」が出版されたのは1957年。もしかしたら「手錠のままの脱獄」は、マッギヴァーンの「明日に賭ける」の影響を受けているのかもしれない。「手錠のままの脱獄」はスタンリー・クレイマーがプロデュースし、ふたりのシナリオライターがシナリオを書いた。設定が「明日に賭ける」にひどく似ている。

余談だが、石井輝男監督の大ヒット作「網走番外地」(1965年)は、「手錠のままの脱獄」からヒントを得たことを明言している。こちらは凶悪犯(南原宏治)と手錠につながれていたため心ならずも脱獄する羽目になった模範囚(高倉健)の物語である。

考えてみると、「明日に賭ける」の核になっていたものを「手錠のままの脱獄」で描かれてしまったから、「明日に賭ける」を原作にした「拳銃の報酬」は逆に甘いヒューマニズムを謳えなくなったのかもしれない。原作通りに映画化すると、同工異曲の作品になる可能性は確かにあった。

「明日に賭ける」の主人公アールは黒人嫌いの前科者だ。情婦の稼ぎに頼って生きているような自分に嫌気がさしている。彼は元警官の男から銀行強盗の仕事を持ちかけられる。仲間には、もうひとり黒人のジョニーが加わる。彼らは銀行から金を盗むのには成功するものの、最後にアールの黒人嫌いが原因で失敗し、ふたりで逃亡するはめになる。

逃亡中、ふたりは協力せざるを得ない。しかし、アールの中に次第にジョニーに対する信頼が生まれるのだ。謂われのない差別意識を持っていたことにアールは気付く。彼は白人であろうが黒人であろうが、信頼できる人間であるかどうかが大切なのだと学ぶのだ。

しかし、アールは自らを守るためにジョニーを裏切り、見捨てて逃げる。だが、彼に逃げ延びた喜びはない。彼は自己嫌悪に陥る。自分が見捨てたものは、ジョニーだけではなかった。自分はたったひとつ残っていた「誇り」を捨てたのだ、と彼は思う。アールはジョニーを助けるために、保安官たちが待ちかまえている場所に戻る…。

白人と黒人の犯罪者は互いを無二の者と認め、厚い友情を確認する。だが、そのとき、彼らを捕らえようとする者たちの銃弾が浴びせられる。死にゆくアールを腕に抱いたジョニーは、慟哭する。かけがえのない親友を失った者の悲しみに充ちたラストシーンだった。

今から思えば、甘い感傷的な描き方かもしれないと思う。そんなにきれいなもんじゃない、黒人嫌いの白人と、白人に憎悪を感じている黒人がそんなに簡単に理解し合えるわけがない、そう言われればそうかもしれない。だが、四十数年たった今も、僕の中には泣きたいほど心を揺さぶられた記憶が刻み込まれている。

甘いかもしれないが、長く辛い人生を経験した今も、僕は「明日に賭ける」のラストシーンに泣くだろう。犯罪者に堕ちた男たちが持っていた心根の美しさに、彼らが守りきった最後の誇りに、人と人はいつか必ず理解し合えるという希望に、どんな絶望的な状況でも救いはきっとあるという確信に、僕は感動するに違いない。

世の中は悪意に充ちている。不幸が蔓延し、絶望があふれている。生きていくのは辛く苦しい。人生には何の意味もない。期待は裏切られ、夢など実現するはずがない。どこを探しても希望などない。しかし…、と僕は異議を唱える。諦めるな、希望を失うな、夢を棄てるな、とつぶやき続ける。人の心の美しさを、その存在を、僕は信じていたい。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
免許を取った当時は一年間で一万キロ以上乗っていたのに、最近、気が付くと二週間運転していないなんてことがある。週末にカミサンが車を使うことが多く、そのせいもあるけれど、一年半、夫婦ふたりで五千キロの走行距離は何だかもったいない気がする。といって、ガソリンも高いし、意味なく乗っても環境に悪いし…とジレンマを感じています。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/shop/shop2.asp?act=prod&prodid=193&corpid=1
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12
おすすめ平均 star
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。
starものすごい読み応え!!

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 【初回限定生産】『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション(5枚組み)

by G-Tools , 2008/06/06