●評判になった吉田修一さんの「悪人」

「悪人」は暮れに発表になる「ミステリ・ベストテン」などでも取り上げられていた。しかし「ミステリ・ベストテン」で票を入れたミステリ評論家は、基本的に小説がわかっていないのじゃないだろうか。意地の悪い見方をするなら、ホラ、私はこんな純文学畑の作品にも目配りしているのですよ、というアピールをしたかっただけなのかもしれない。

小説をジャンル分けするのはナンセンスという説に僕も与する者である。「世の中には二種類の小説しかない。できのいい小説か、できの悪い小説かだけだ」と気取ってみたい気もする。これは、いくらでも言い換えができるので、「面白い小説か、そうでないかだ」と言ってもいい。しかし、その前には「自分にとって」という言葉が付く。
小説、詩、映画、舞台、ドラマ、絵画、写真などは、個人の好みや感性や主観や年齢や育ちや経験などによって、好き嫌いは大きく別れる。ある人の「人生の一冊」が、別の人には「まったく訳がわからない本」であることはよくある話だ。結局、世の中には「自分がいいと思う小説と、そうでない小説があるだけ」なのかもしれない。より大勢の人がいいと思う(あるいは興味を惹く)と、それはベストセラーになる。

単行本の帯には「胸に迫るラブストーリー」と書かれてあったけれど、僕は読み終わって「どこがラブストーリーだったんでしょうか?」と、帯のキャッチコピーを書いたであろう編集者に訊きたくなった。僕が面白かったのは、ヒロインが友人と交わすこんな会話だ。

「アラン・ドロンが株の仲買やってる映画でしょ?」
「観たことある?」
「前にビデオ借りたんだけど、あまりにも退屈で寝ちゃった」
「退屈だった?」
「退屈よ。たしか、あの女優さん…、モニカ・ヴィッティだ、彼女が婚約者から別れるシーンから始まるでしょ? 部屋の中で何を話すわけでもなく、ふたりで行ったり来たりして、それをカメラが延々追って。たぶん、その辺りですでに睡魔に襲われてた」
「何言ってんのよ、あのシーンがいいんじゃない。『いつ愛が消えた?』って、婚約者に訊かれたモニカ・ヴィッティが、『…ほんとに、わからないの』って答えるところなんて、ちょっと鳥肌立つくらいカッコいいじゃない」
●「日蝕」を「太陽はひとりぼっち」とした公開時のセンス
21世紀を生きる20代半ばのOLの反応として、「東京湾景」のふたりの会話はしごくまっとうだ。しかし、現代の20代の女性がミケランジェロ・アントニオーニ作品に興味を持つものだろうか。アントニオーニが描く「愛の不毛」は、今の時代では当たり前にしか見えないのではないか。「東京湾景」も恋愛小説ではなく、僕は不可能恋愛小説として読んだ。現代はまさに「愛の不毛」の時代である。
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しかし、吉田さんもミケランジェロ・アントニオー二監督の「太陽はひとりぼっち」が公開された頃のことはわからないだろうなあ。小学生だった僕は「太陽はひとりぼっち」の原題が「日蝕」だと知って、配給会社の宣伝部のセンスに感心したクチなのだ。「太陽がいっぱい」(1960年)でアラン・ドロンがブレイクして二年後のことである。「太陽=ドロン」であり、二匹目のドジョウを狙うのは当たり前だった。

しかし、アラン・ドロン目当てで「太陽はひとりぼっち」を見にいった多くのファンは、間違いなくがっかりしたことだろう。「東京湾景」のふたりのOLの会話のように、それは「あまりに退屈」だったからである。どちらかと言えば、「アントニオーニが好き」と言うヒロインの方が少数派であり、アート志向の強い気取り屋なのかもしれない。
10代半ばの頃の僕は、あまりアート志向は強くなかったので「何が『愛の不毛』だよ」と感じたことを憶えている。それでも当時の映画ジャーナリズムは、アントニオー二監督作品を絶賛した。おかげで、アントニオー二の「愛の不毛・三部作」のヒロインをつとめたモニカ・ヴィッティは、国際女優になった。

僕らの世代では、アントニオー二監督の「欲望」にイカれた人が多い。僕の知り合いに、この映画を見て写真家をめざした人がいる。彼は、プロカメラマンとして、もう30年以上仕事をしているから、一本の映画が彼の人生を決めたのだ。それだけの影響を与える作品なのだろうが、冒頭の主人公のカメラマンがモデルに馬乗りになって撮影するシーンに衝撃を受けたからかもしれない。
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●アントニオーニの世界認識に時代が追いついてしまった
さて、「東京湾景」のふたりの会話から、僕は久しぶりに「太陽はひとりぼっち」を見たくなり、ビデオを引っ張り出してきた。ファーストシーンもよく憶えている。モノクロームの映像が焼き付いていた。屋外のシーンは光にあふれたように白が基調だったと記憶していたが、近代的な建物や塔をとらえたショットなど、映像的には今も斬新だった。
10代半ばで見たときとは違って、さすがに退屈はしなかった。いや、リアルな描写に引き込まれたと言ってもいい。ヒロインが婚約者に別れ話を持ち出し、一晩中、話し合っていたシチュエーションから始まるのだが、僕自身はそういう経験には乏しいものの、この歳になると「そんなこともあるよな、人生いろいろだし」という気分になる。
ヒロインがカーテンを引くと、夜が明けている。男はぐずぐずと「僕は別れたくない。いつ、愛が消えたんだ」と未練がましい。ヒロインは婚約者に「いつ愛が消えた」と迫られ、「本当にわからないのよ」と答える。ゾクゾクはしなかったけれど、確かに、そのフレーズが「太陽はひとりぼっち」のキーワードなのだ。人の気持ちはわからない。自分の気持ちさえわからない。
だけど、そんなこと…当たり前じゃないか、という気がする。これも長く生きてきたからかもしれないが、今さら言うことでもないのじゃないか、ことさら「愛の不毛」などと言わなくても、そんなものだよな、と思う。この映画を作ったとき、アントニオーニ監督は40歳になるかならずだった。インテリが鹿爪らしく「愛について考察」した映画なんだな、と納得した。
一昨年の7月30日、僕らの世代にとってはビッグネームだった映画監督がふたり死んだ。イングマール・ベルイマンとミケランジェロ・アントニオーニである。ベルイマンは89歳、アントニオーニは94歳だった。アントニオーニが5歳も年上だったのだ。どちらにしろ、20世紀の巨匠ふたりは、同じ日に人生を終えた。
朝日新聞の死亡記事では、ふたりともまったく同じ扱いだった。顔写真が入り、縦長4段で45行の記事。見出しの大きさも同じである。破格だった。そのうえ、その週の夕刊にフランス文学の教授で映画やジャズや文学の評論をする中条省平さんが長文の追悼記事を書いた。「対照的に現代描く」という大見出しに「アントニオーニ/ベルイマン 両監督を悼む」というサブタイトルが付いていた。
その追悼文の中でも書かれているが、アントニオーニは60年代を過ぎて極端な寡作に陥る。中条さんは「彼の世界認識に時代が追いついてしまったのだ」と書いているけれど、おそらく彼は何も作れなくなったのだ。今、「太陽はひとりぼっち」を見ると、「現代の普通の男女関係を描いているだけじゃないか」と思ってしまう。幻想もロマンチシズムもないリアルな男女関係、それがアントニオーニの描いた「愛の不毛」だった。
だとすれば、現代の恋愛は最初から不毛だ。だから「東京湾景」は恋愛小説としては始まらず、結末にいたって恋愛が始まりそうな予感を感じさせるのかもしれない。しかし、セックスが先行する恋愛を僕は理解できない。昔の恋愛小説は男女が手を握るまでに半分のページ数を費やし、くちづけまでいけばほとんど終わりだった。現代では、やはり愛は不毛なのかもしれない。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
ちびちび、の愉悦!
「ぼやき」という名の愛
第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
すばらしい本です。
ものすごい読み応え!!
by G-Tools , 2009/01/30