●死後に助演男優賞賞を受賞したヒース・レジャー
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僕はヒース・レジャーという俳優を「ブロークバック・マウンテン」(2005年)で初めて知ったが、調べてみたら彼と認識せずに、その前の出演作も何本か見ていたのだ。「チョコレート」(2001年)「サハラに舞う羽根」(2002年)などである。どちらもいい映画だったけれど、ヒース・レジャーがどの役だったかもわからない。
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「いけない、いけない」と理性で抑制しながら、感情は強く強く相手を求めている。要するに、恋愛感情が高まる状況である。障害があるから、抑えられた気持ちは燃え上がる。昔なら「夫ある身の道ならぬ恋」などがよく描かれたが、現在、不倫くらいでは心理的な障害にはならない。そこで、人が人を愛し求める切なさを、男同士の愛で描くことになる。
そう言えば「ブエノスアイレス」でトニー・レオン相手にハードなセックスシーンを演じたレスリー・チャンは、数年後に香港の高級ホテルの部屋から飛び降り自殺をした。そのニュースを聞いたときに、僕は沖雅也の自殺を思い出した。人気俳優のホテルでの飛び降りという共通性もあったが、ふたりとも私生活ではホモ・セクシャルだった。
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あの映画のジョーとラッツォの関係をホモ・セクシャルと言っていいのかどうかはわからないが、男同士の友情という単純な結びつきだけではない気がする。フロリダ行きの長距離バスの中で死んでいくラッツォを看取るジョーの表情には、何とも言えない切なさがあった。
「真夜中のカーボーイ」の監督は、イギリス人のジョン・シュレシンジャーだった。ジュリー・クリスティ主演の「ダーリング」(1965年)や「遥か群衆を離れて」(1967年)で高い評価を得、ハリウッドに呼ばれてベストセラー小説の映画化を担当した。
その後、再びイギリスに戻り「日曜日は別れの時」(1973年)を作る。グレンダ・ジャクソン、ピーター・フィンチというイギリスの名優が出たが、映画史的には「初めて男同士の性的なキスを見せた作品」として記憶される。ピーター・フィンチ演じる医師は、若い男と同性愛の関係になり男同士で抱き合い、キスをした。
性格俳優として長いキャリアを持っていたピーター・フィンチという俳優は、その映画によって広く名を知られることになった。また、数年前、ジョン・シュレシンジャー自身がゲイであることをカミングアウトしていたため、その映画はそういう目で見られた。
●死後に主演男優賞を受賞したピーター・フィンチ
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それに加えて、「ダークナイト」の完成前に死んでしまったことが、今回の授賞を促したのかもしれない。授賞式にはヒース・レジャーの父母と姉が出てきた。オスカー像は、まだ幼い愛娘が相続することになるらしい。「ブロークバック・マウンテン」の印象が強かったせいか、ヒース・レジャーに娘がいたことに僕は何となく違和感を感じた。役と私生活が入り交じったのだ。
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オードリーのフィルモグラフィの中でもリバイバル上映もされない地味な映画というイメージができたのは、彼女がほとんど頭巾をかぶった尼僧姿でしか出てこないこと、相手役がピーター・フィンチという要素が大きかった。ピーター・フィンチの名は、「趣味は映画です」と公言する映画ファンでも知っている人は少なかった。ピーター・フィンチは演技派の脇役俳優だった。
だが、「尼僧物語」の中でピーター・フィンチは強烈な印象を残す。それに、僕は「尼僧物語」はオードリー映画のベストスリーに挙げてもいいと思う。これは非常に個人的な嗜好だが、他の二本は「いつも二人で」(1967年)「暗くなるまで待って」(1967年)である。ただし、「ローマの休日」(1953年)と「麗しのサブリナ」(1954年)を別格にしての話だけれど…。
「尼僧物語」は、オードリーが演じたヒロインたちの中でも最も彼女の実人生に近かったのではないか、とオードリーの伝記を読んで思ったことがある。オードリー・ヘップバーンはベルギーに生まれ、第二次大戦中はオランダで反ナチのレジスタンスに参加していた。アンネ・フランクが家族と屋根裏に隠れ住んでいた頃だ。女優になる以前のオードリーの人生を、僕は彼女の死後に様々な本で知った。
●ピーター・フィンチはオードリーの印象的な相手役だった
「尼僧物語」は第二次世界大戦前のベルギーから物語が始まる。医者の娘であるオードリーが父親に連れられてある家にやってくる。その家の広間には何人もの若い娘がいて、彼女と同じように家族との別れを惜しんでいる。彼女も父親から「決心は変わらないんだね」と念を押される。
彼女らは家族と別れ、扉の向こうへ入っていく。そこは修道女たちの修行の場所だ。髪を切り、修道女見習いの身体を覆い尽くす服に着替え、お喋りを禁じられる。俗世との完全な訣別を促される。そこからは修道女になるためのプロセスが描かれる。修道女になるまでが大変なのだと「尼僧物語」で僕は知った。修行の日々が丁寧に細密に描かれていく。
やがて、正式な修道女になるときがやってくる。修道女はイエス・キリストを夫として神に仕えることを誓う身である。そのことを誓う儀式があり、正式な戴冠(というのかどうかわからないが)があり、修道女の衣服を身につける。修行中もそうだったが、オードリーはずっと頭巾をかぶり顔だけしか出していない。
彼女は、シスター・ルークという名前になる。シスター・ルークの夢はアフリカでの医療活動に従事することだった。だが、最初に配置されたのはベルギーの精神病院である。気持ちの優しいシスター・ルークは患者に感情移入しすぎるきらいがあり、トラブルに巻き込まれたりするが、そこでの働きぶりを認められて希望していたコンゴの病院へ派遣される。
そのコンゴの病院の優秀で型破りな外科医フォチュナティ(一体、どこの国の人?)をピーター・フィンチが演じている。彼は無神論者で、看護士として優秀なシスター・ルークを高く評価するが「自分の思い通りの生き方ができない尼僧などやめてしまえ」と彼女を挑発する。
シスター・ルークが尼僧になるには、あまりにも感情がありすぎることを彼は見抜いているのだ。彼女は、反発しながらもフォチュナティに淡い好意を抱く。しかし、やがて自分が結核に冒されていることに気付く。そのシスター・ルークを献身的に看病し、回復させたのはフォチュナティだった。
「尼僧物語」でのオードリーの相手役はピーター・フィンチに違いないが、彼の出番はそう多くない。尼僧であるオードリーが心を乱す相手ではあるけれど、シスター・ルークがコンゴからベルギーに戻るときに駅でひそかに見送る姿が最後になる。しかし、「尼僧物語」一本で僕の中にピーター・フィンチという名前は刻み込まれた。
「尼僧物語」から18年がたち、ピーター・フィンチは61歳で初めてアカデミー主演男優賞にノミネートされた。だが、「ネットワーク」にはウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイという格上のスターが出ており、単独主演とはいいがたい映画だった。しかも、ノミネートされていた中には「タクシー・ドライバー」のロバート・デ・ニーロもいた。
授賞式の三ヶ月前、ピーター・フィンチは映画の宣伝でテレビ局へいくために待ち合わせをしていた「ネットワーク」の監督シドニー・ルメットの目の前で、突然、倒れた。ホテルのロビーだった。「まるで『ネットワーク』の彼が死ぬシーンが再現されたみたいだった」とルメットは語った(川本三郎「スタンド・アローン」)。
主演男優賞のオスカー像は、彼の代理として登壇した27歳年下の未亡人に渡された。彼女はピーター・フィンチが周囲の猛反対を振り切って結婚したジャマイカ生まれの黒人で、「会場は"黒い女性"の出現に一瞬静まったが、すぐに事情を知って彼女を拍手で迎えた」と、川本三郎さんは「スタンド・アローン」のピーター・フィンチの項を締めくくっている。
「尼僧物語」でコンゴ・ロケにいったとき、ピーター・フィンチは誰よりも現地の人たちと仲良くなった。「撮影に使われた部落の長はピーター・フィンチが撮影を終えてコンゴを去るとき『あなただけは私たちを未開人と軽蔑しなかった』と、彼の乗った飛行機を最後まで見送った」という。そんなエピソードを知ると、また、改めて「尼僧物語」を見たくなる。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
花粉症が目にくると、ひどいときは目を開けていられなくなる。予防のためにアマゾンで花粉防止メガネを検索して購入したら、サングラスタイプだった。大きなマスクをして、そのサングラスをかけると怪しい男が出来上がるけれど、先日から、そのスタイルで通勤している。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
ちびちび、の愉悦!
「ぼやき」という名の愛
第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
すばらしい本です。
ものすごい読み応え!!
by G-Tools , 2009/03/06