●佐々木譲さんと同じ部屋で泊まった熱海の夜のこと
ちょうど一年前になる。熱海の冒険小説協会の第26回全国大会に参加したとき、佐々木譲さんと同室になった。長編小説「警官の血」が評判になっていたから大賞だろうと思ったら、やはり日本軍大賞を受賞して佐々木さんは宴会場で挨拶をした。人柄の出たいい挨拶だったし、偉ぶらない人だなあと僕は思った。
相手が有名作家だと何となく構えてしまうものだが、部屋で佐々木さんに会って、なぜ僕が作家部屋で同室かを説明するために言い訳のように「昨年、映画の本で特別賞をいただいたものですから」と口ごもって言うと、「どんな本ですか」と聞き返された。タイトルを言うのが少し恥ずかしくて、僕は曖昧な返事をした。
その後、寝る前も朝起きてからも話をしたが、映画の話はなるべく避けていた。例外は「われに撃つ用意あり」(1990年)について話をしたこと。これは原作が佐々木さんの長編小説で若松孝二監督作品である。そのときも、僕が小倉一郎の役を「助教授」と言い「あれは予備校の講師です」と訂正された。
熱海から帰った後、佐々木さんのブログを覗いたら頻繁に映画の話が出てくる。それもかなりマニアックな記述だった。作家らしい洞察力のある批評だ。佐々木さんとは世代的にはほぼ同じだから、よくわかる部分もあった。僕は佐々木さんから名刺をもらっていたので自分の本を送ろうかと考えたが、何となく売り込んでいるような気がして臆してしまった。
その佐々木譲さんの「幻影シネマ館」(マガジンハウス刊)という本が、昨年暮れに出た。1992年から1995年にかけて雑誌連載した映画エッセイだ。ただし、「存在しない映画」について書いた本で、その内容すべてが「幻影」なのである。それもずいぶん手が込んでいて、前回の原稿の内容について読者から情報をもらったなどと、もっともらしく訂正を入れている。こんな具合だ。
──「ハード・ノーベンバー」の最後でヘンリー・シルバが使った拳銃は、オートマチックではない、という指摘をいただいた。あれはリボルバーのS&W44マグナムM29だそうだ。藤沢市のKさん、ありがとう。
これじゃあ、けっこう騙される人は多いだろう。連載中にも「残念ながら、その映画は見逃しました」という読者の反応もあったらしい。それにしても、佐々木さんは地味な脇役に至るまで相当に映画に詳しくて、映画ファンを自認する人であればあるほど騙されやすい仕組みになっている。ニヤニヤしながら原稿を書いている佐々木さんの顔が浮かぶ。
たとえば「ヘンリー・シルバ」という俳優は、60年代ハリウッド映画を見ている人(それも犯罪映画マニアなど)にはたまらない名前なのだが、その名前が出てくることで、もっともらしい嘘が本当に思えてくるのだ。佐々木さんは実に楽しそうに、映画エッセイを綴っている。
●自分が見たい映画を夢想するのは映画ファンの特権
「幻影シネマ館」の最初の話は「日本映画の奇妙な影響」というもので、ゴードン・ダグラス監督「ハード・ノーベンバー」とトニー・リチャードソン監督「汝等の誓約」という映画を紹介している。この「幻の映画」を見た佐々木さんは「ハード・ノーベンバー」が黒澤明監督「椿三十郎」(1962年)の、「汝等の誓約」が山下耕作監督「博打打ち・総長賭博」(1968年)のリメイクであることを見抜く。
「ハード・ノーベンバー」は佐々木さんがニューヨークにいた頃、ケーブルテレビで見たことになっていて、主人公はリー・ヴァン・クリーフ。彼は名前を問われると「ジャック」と答え、あたりを見渡して壁のカレンダーに目をとめると「ノーベンバー、ジャック・ノーベンバー」と答える。映画は11月の話なのだろうか。このくだりに僕は笑った。
トニー・リチャードソンの「汝等の誓約」はシェークスピア悲劇のような映画で、王の継承者をめぐる話になっていた。「博打打ち・総長賭博」は、公開後、三島由紀夫が「まるでギリシャ悲劇のようだ」と評したので話題になった。あの設定をそのままイングランドの王朝に移し替えても、かなりいい映画になりそうだから佐々木さんの嘘(空想)にも説得力がある。
「博打打ち・総長賭博」はラストシーンで主人公(鶴田浩二)が叔父貴分(金子信雄)にドスを向けると「おまえの任侠道はそんなもんか」と言われ、「任侠道? そんなもんは知らねぇ。おれはただのケチな人殺しよ」と言うセリフが有名なのだが、「汝等の誓約」のラストはこうなっているらしい。
──「お前はそれでも騎士か。なぜ恩あるわたしを殺すことができる?」とアッテンボローに問われて、アルバート・フィニーが答える。「騎士道など知ったことか。おれはただの怒れる獣だ。貴様たちの誓約など、地獄へでも持ってゆけ」ここまで観て、わたしはこれが「総長賭博」であったことを確信したのだった。
それにしてもこの映画、配役が素晴らしい。鶴田浩二=アルバート・フィニー、藤純子=ヴァネッサ・レッドグレーブ、若山富三郎=オリバー・リード、金子信雄=リチャード・アッテンボロー、名和宏=エドワード・フォックス、沼田曜一=テレンス・スタンプなのである。ホントに存在するのなら、絶対に見たい映画である。
その他にも佐々木さんが出してくる映画がどれもたまらなくて、僕は一気にその本を読んでしまった。ケン・ラッセル、ジャン・ピエール・メルヴィルなど、監督の趣味もいい。こんなことなら、一年前の熱海の夜、佐々木さんと映画の話をしておくのだったと悔やまれる。
そして、本の最後に置かれた文章が「あの『冒険者たち』のリメイク」と題されたものだった。リュック・ベッソン監督の「ザ・フォーカス・ポイント」という架空の映画についての話である。その文章の中で佐々木さんは、こんなことを書いている。
──さて、「冒険者たち」を愛する映画ファンなら、リュック・ベッソンの「グラン・ブルー」(1988年)が「冒険者たち」への熱いオマージュであったことに気づいただろう。舞台といい、三人の関係といい、テーマといい、あれは見事なまでにアンリコ的世界であった。
●「冒険者たち」のローランの配役だけは譲れない
「世界観が変わる時」(日刊デジクリ2001年3月16日号/「映画がなければ生きていけない」第一巻228頁掲載)というコラムで、僕は「グラン・ブルー」と「冒険者たち」について書いた。以下、少しアレンジして引用する。
──素潜りの素晴らしさを見せてくれたのは、リュック・ベッソン監督の「グラン・ブルー」である。「グラン・ブルー」を見ながら、僕はもう一本の映画を思い出した。男二人とひとりのヒロイン。素晴らしい水中シーンにジョアンナという名が出てくれば、僕が思い出す映画は「冒険者たち」の他にない。
「幻影シネマ館」の装丁を担当し本文中のイラストを描いているのは宇野亜喜良さんである。表紙にはクリント・イーストウッド、ブラッド・ピット、キム・ノヴァクなど、宇野さんが彼らに似せて描いたイラストが載っている。そして、裏表紙はジョアンナ・シムカスの似顔絵だ。それは、「冒険者たち」でコンゴの海に浮かぶ船のデッキで潮風に吹かれる逆光のレティシアだった。
そうか、佐々木譲さんも「冒険者たち」が大好きなのだな、と僕は確信した。二年前、やはり熱海の日本冒険小説協会の全国大会では大賞受賞者の大沢在昌さんと話が盛り上がり、その中で大沢さんも「冒険者たち」が好きだとわかった。半年ほど後、デジタルリマスターの「冒険者たち」特別版DVDが出た時、帯の推薦文は大沢さんが書いていた。
「冒険者たち」の公開時、大沢さんは中学生、佐々木さんは高校生だと思う。やはり、彼らにとっても生涯忘れられない映画なのだ。僕は、無人島に一枚だけDVDを持っていける(プレーヤー、そもそも電気はどうするのだという問題は別にして)としたら「冒険者たち」を選ぶ。棺桶には「冒険者たち」のLDを入れてもらうことをカミサンに遺言した。
さて、佐々木さんが空想するリュック・ベッソン監督のリメイク版「冒険者たち」の配役は、アラン・ドロン=ブラッド・ピット、リノ・ヴァンチュラ=ビル・プルマン、ジョアンナ・シスカス=ユマ・サーマンだという。人は、思い入れがあればあるほど、自説を曲げない。だから、やはり僕は佐々木さんと映画の話をしなくて正解だったのだ。
なぜなら、この存在しない映画で佐々木さんと論争になっただろう。「冒険者たち」をリメイクすることそのものが神をも怖れぬ行為(?)だと思うが、加えてこの配役はちょっと違う。リメイクしなければならないとしたら、リュック・ベッソン監督以上に適任者はいないかもしれないけれど、ロベルト・アンリコ監督独特の詩情は彼には出せない。
キャスティングでは、マニュ・ボレリ(アラン・ドロン)の役は現在人気の美男俳優(たとえばヒュー・ジャックマン)でよいけれど、ローラン・ダルバン(リノ・ヴァンチュラ)の役は「イースタン・プロミス」(2007年)のヴィゴ・モーテンセンあたりにお願いしたい。しかし、レティシア(ジョアンナ・シムカス)役で悩む。僕は、最近の外国の女優では思い付かない。
そう言えば、昔、「黄金のパートナー」(1979年)は日本版「冒険者たち」と言われた。この時、三人の男女を演じたのは、三浦友和、藤竜也、紺野美沙子だった。あの頃の紺野美沙子だから許したけれど、今なら誰だろうか。「サイドカーに犬」(2007年)の竹内結子なら許してもいい気がするが、それでも何となくしっくりこない。
おそらく、僕がそんなことを主張すると、枕を並べて寝ていた佐々木譲さんは、やおら布団の上に起き直り、丹前を羽織り紐を結びながら頭を少し傾け、「ソゴーさん、僕はちょっと違うと思いますね」とメガネの奥の視線を据えて言ったことだろう。たった一夜だったが、佐々木さんは相手の間違いをきちんと糺す人だと僕は知った。
昨年、僕は佐々木さんの新人賞デビュー作「鉄騎兵、跳んだ」の掲載誌を、間違って「小説現代」と言ってしまったのだ。僕は、完全に思い違いをしていた。佐々木さんは、少し困ったような表情をして「僕がとったのは『オール読物新人賞』なんですけど…」と答えた。ホントにマジメな人なのだ。
僕はどちらかというと、そういうときに相手の間違いを「まあ、いいや」と聞き流すタイプだ。それは、あまりいいことではない。最初に訂正しなかったために、そのまま会話が進みばつの悪い思いをした経験もある。それに、最後に相手に大恥をかかせる可能性もある。佐々木さんのように、そのときにきちんと訂正しておくべきなのだ。
しかし、やっぱり佐々木さんとは「冒険者たち」で論争しなくてよかった。ユマ・サーマンは「キル・ビル」(2003〜2004年)で日本刀を振り回していたのはよかったけれど、「パルプフィクション」(1994年)ではヤクのやりすぎで白目剥いてた人ですよ。まあ、人の好みはいろいろなので、とやかく言うつもりはありませんけど(充分言ってます)。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
今年も日本冒険小説協会の全国大会で熱海までいってきました。昨年暮れの日本冒険小説協会の忘年会のときに会員の中では重鎮らしきカルロス(と呼ばれている男)と兄弟盃を交わしました。カルロスとは五分盃ではなく五厘下がりの兄弟盃なので、こちらは弟分。会うと叱られてばかりいます。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
- ちびちび、の愉悦!
- 「ぼやき」という名の愛
- 第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
- すばらしい本です。
- ものすごい読み応え!!
by G-Tools , 2009/04/03