映画と夜と音楽と…[415]さらばその歩むところに心せよ
── 十河 進 ──

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●川本三郎さんの「現代映画、その歩むところに心せよ」

あれは、いつの頃だったろう。僕はそのタイトルを見て一瞬で記憶に刻み込んだ。中学生の頃に愛読していた「エラリィ・クィーンズ・ミステリマガジン」の「私のベスト5」というコーナーにその小説のタイトルが紹介されていた。選者は丸谷才一さんだったか、結城昌治さんだったと思う。だとすれば、もう半世紀近く以前のことになる。

その小説は「さらばその歩むところに心せよ」という。エド・レイシイというアメリカの作家が書いたミステリだ。エド・レイシイは黒人の私立探偵を主人公にした「ゆがめられた昨日」という作品も評価が高かった。どちらも早川書房のポケットミステリ版だった。僕は「ゆがめられた昨日」は読んだが、結局、「さらばその歩むところに心せよ」は読んでいない。

読まなかった理由は単純だ。原題が「Be Careful How You Live」という単純なものだと知ったからである。「なぁ〜んだ」と、英語を学び始めたばかりの生意気な中学生は思った。「生きていくうえでは注意しろ」ということじゃないかと僕は気付き、深遠な何かを示唆した言葉だと深読みした自分がバカだったと思った。



しかし、翻訳者というものは偉いモンだ、と感心した。「Be Careful」を「心せよ」と訳すだけで格調が高くなる。深遠な何かが漂い始める。「How You Live」は、「その歩むところ」である。堀辰雄は「風立ちぬ いざ生きめやも」とポール・ヴァレリーの詩を訳したけれど、あれが「風が吹いた。さあ生きよう」では感じが出ない。

さて、そんなことを思い出したのは川本三郎さんの新刊「現代映画、その歩むところに心せよ」(晶文社)を読んだからである。川本さんはエド・レイシイの小説のタイトルからとっているのだろうか。それとも、やはりこの言葉は聖書か何かにあるのだろうか。そんなことを思いながら僕は読んだ。

「現代映画、その歩むところに心せよ」は三部構成になっていて、一部で日本映画、二部でアジア映画、三部で欧米映画が取り上げられている。どれも、ここ数年(2003年〜2008年)に公開された「現代映画」ばかりだ。川本さんは、作られてから何十年たって見ても面白い「永遠の名作」と、その時代に見なければよさがわからない「現代映画」があるという。

川本さんが名作の例として挙げているのは小津安二郎や成瀬巳喜男の作品であり、現代映画の例としては大島渚の「日本の夜と霧」(1960年)や「イージー・ライダー」(1969年)などを挙げている。確かに「イージー・ライダー」は、あの時代の空気がわからなければ面白くはないと思う。ベトナム戦争、徴兵拒否、ヒッピー・ムーブメント、フラワー・チルドレン、エトセトラ、エトセトラ…。

僕は日本映画で紹介されていた作品はほとんど見ていたが、アジア映画と欧米映画は半分も見ていなかった。それでも「酔っぱらった馬の時間」(2000年)のクルド人監督の新作インタビューは興味深く読んだし、欧米映画の部では「善き人のためのソナタ」(2006年)の監督インタビューがあり、改めてあの映画の深さを感じた。

また、「カポーティ」(2006年)の監督インタビューも掲載されていて、ドキュメンタリー出身のベネット・ミラー監督は、「カポーティ」が初めての劇映画だったことを知った。ある種のドキュメンタリー性があるのはそのためだったのか、と僕は納得した。WOWOWでは「カポーティ」と「冷血」(1967年)を抱き合わせで放映したが、名画座のプログラムのような企画だった。

●カポーティが「冷血」を書き上げるまでの日々を描く

トルーマン・カポーティはパーティ好きの派手なセレブリティであり、成功した小説家だった。ホモ・セクシュアルであり、同じ作家のジャック・ダンフィとの生活を30年にわたって続けた。「ティファニーで朝食を」という誰でも知っている中編小説を書き、「冷血」というベストセラーを出した。

「カポーティ」という映画が公開されると知ったとき、僕はスキャンダラスなカポーティの私生活を描くものかと思った。フィリップ・シーモア・ホフマンはクセのある俳優だが、映画のスチールを見ると嫌みなくらいカポーティに似せていた。それが評判になったのか、彼は翌年、アカデミー主演男優賞を受賞した。

フィリップ・シーモア・ホフマンが印象に残った映画は「フローレス」(1999年)だった。ロバート・デ・ニーロ扮する退職警官が住むアパートの別の部屋に暮らすドラッグ・クイーン(要するに女装したオカマです)を演じた。どぎつい化粧と派手なドレス姿のフィリップ・シーモア・ホフマンは、嫌でも記憶に残る役だった。

そのフィリップ・シーモア・ホフマンのイメージがあったから僕はゲイの役は向いていると思ったが、カポーティの知性と嫌みな性格が出せるかどうかは不明だった。だが、映画「カポーティ」は彼がどのように惨殺事件に興味を持ち、どう取材し、どのように「冷血」を作り上げていったかを描く作品であり、フィリップ・シーモア・ホフマンは見事にカポーティになりきっていた。

「カポーティ」という映画が面白くなったのは、カポーティと「冷血」にテーマを絞ったからである。カポーティは新聞記事でカンザス州の小さな町で起きた一家惨殺事件に興味を抱き、雑誌に取材記事を書くことにする。その町で取材をしているときにふたりの犯人が捕まり、カポーティはそのひとりペリー・スミスに強い興味を掻き立てられる。

カポーティとペリーの最初の出会いのシーンが、とても面白い。保安官事務所の檻のようなところに入れられたペリーは、鉄格子の中から穏やかにカポーティに話しかける。カポーティの方は一家4人を惨殺した犯人だから、非常に緊張してペリーの一挙手一投足を観察する。そのとき、本物のカポーティもそうだったのではないか、と僕は思った。

取材に出かけるとき、カポーティは気後れしたように親友の女性作家ネル・ハーパー・リーに電話して一緒にいってくれるように頼み込む。面白いのはカポーティが女性的で、キャサリン・キーナーが演じているハーパー・リーが男性的に見えることである。ハーパー・リー、そう、「アラバマ物語」の作者である。彼女はカポーティの幼なじみであり、生涯の親友でもあった。

●カポーティと「アラバマ物語」の作者との関係

「カポーティ」ではカポーティの社交生活も描かれている。僕がドキッとしたのは、ハーパー・リーの「アラバマ物語」が映画化されて、そのプレミアショーが終わった後、感想を聞かれたカポーティが否定的なひと言を吐きすてるように口にするところだ。辛辣な批評家でもあったカポーティのイメージが甦ってきた。

「アラバマ物語」(1962年)公開の頃、カポーティはまさに「冷血」の取材を続けていたときである。カポーティが映画化された「アラバマ物語」を否定したのは、カポーティがモデルといわれるディル少年を、強い近眼メガネをかけたひどく醜い少年が演じていたからではなかっただろうか。そんなことも想像した。

しかし、「冷血」はハーパー・リーの協力がなければ書けなかった作品であることは、「カポーティ」を見るとよくわかる。執筆にいき詰まったカポーティはパートナーであるジャック・ダンフィとハーパー・リーに泣きつく。彼ら3人が議論するシーンが頻繁にある。カポーティは泣き言を言い、議論をふっかけ、そして甘える。

カポーティはペリーのために弁護士の手配をしてやり、頻繁に面会にいく。やがてペリーはカポーティを信頼するようになる。だが、ある日、ペリーに作品のタイトルを問われてカポーティは答えられない。「IN COLD BLOOD」というタイトルをカポーティはペリーに告げられないのだ。

「冷血」は完成に近づくが、その頃にはカポーティはペリーの死刑執行を望むようになる。いや、ペリーに抱く友情とペリーが死刑にならなければ自分の作品が完結しないことの葛藤に心を引き裂かれるのだ。やがてペリーは死刑になり、カポーティはその場に立ち合うことで「冷血」を完全な形で書き上げる。

「冷血」の大成功の後、カポーティはついに新作を完成させることができなかった。「ノンフィクション・ノベルという新しいスタイルを作り出した『冷血』が成功しすぎたためにカポーティは書けなくなった」と言われたが、ベネット・ミラー監督の言葉を読むと別の理由が浮かんでくる。

──あそこでカポーティの苦しみが頂点に達する。「早く彼が処刑されてほしい」と願っていた。それが実現される。処刑を目撃する。これで自分の「冷血」は無事に完成する。ほっとすると同時に、彼の心の中でモラルの崩壊が起きる。

そのことは「カポーティ」を見終わるとヒシヒシと伝わってくる。カポーティが書けなくなったのは、自己のモラルが崩壊したからではないのか。カポーティは、1984年に60歳を目前にして亡くなった。1966年に「冷血」を発表してから18年後である。天才作家と言われた男が、その間、新作を完成させることができなかったのだ。

「カポーティ」の中でカポーティが「ネル」と呼んで何かと頼りにしたネル・ハーパー・リーは今年で83歳になる(彼女も「アラバマ物語」が大成功したためか、その後、作品は発表していない)。そのハーパー・リーが「カポーティ」を見て「真実のカポーティが描かれている」という手紙をミラー監督に送ってきたという。

トルーマン・カポーティは若くして作家としてデビューし、その才能をうたわれた。社交界で派手な話題を提供し、マスコミにもたびたび登場した。だが、彼の人生が幸せだったかどうかはわからない。スキャンダラスな人生を送り、「自分は天才だ」と喚いた。カポーティに関する本を読む限り、僕にとっては近づきたくないタイプの人間ではある。

人々は「冷血」の成功だけを口にする。作家は誰もが血を流して書いているのだろうが、あれほど苦しまなければ書けなかったのだとすれば、多くの人は成功を約束されていてもカポーティにはなりたくないかもしれない。しかし、誰の人生にも陥穽はあるのだ。マイナスは必ずある。愛があれば憎しみが生まれ、得意があれば失意がある。絶頂があれば奈落がある。それは、いつか必ずやってくる。

もちろん僕にも、ある日突然、奈落の底に落とされるようなことがあったし、得意の絶頂のときに冷水を浴びせかけられ失意に沈んだこともある。それは、予期しないときにやってくる。深い心の傷になる。死ぬまで痛み続ける。だから「さらばその歩むところに心せよ」は、生きているすべての人に与えられた警句なのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
我が家は4人家族ですが、2人が4月生まれです。先日、カミサンの誕生日には渋谷でスペイン料理を奢ってきました。兄弟分カルロスがオーナーシェフをつとめるお店です。ワインもおいしくて飲みやすく、おいしい料理が次々出てきてちょっとリッチな気分でした。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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