映画と夜と音楽と…[418]まったく近頃の若いモンは…
── 十河 進 ──

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●苦虫を噛みつぶしたような顔をした孤独な老人

昔、読んだマンガにアメリカ中西部の大学町に住む偏屈な医者が出てきて、いきなり「私は若いモンが嫌いだ」というセリフがあった。「傲慢で、ワガママで、自分勝手で、何をやっても許されると思っている…」というセリフを苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。僕自身も若いモンだったのだが、その医者の言葉に何となく納得した。

しかし、次のコマではその町のカレッジの学生たちが「○○先生、○○お願いしまーす」とワイワイやってくるのを、その医者は破顔して迎えている。「そうはいっても、実際に若いモンに何かを頼まれると断れなくてね」と、学生たちを迎え入れながら医者は人のよさそうな笑顔でつぶやくのである。そんな言葉とは裏腹の情の深いキャラクターが僕の心に残った。

グラン・トリノ (クリント・イーストウッド 監督・主演) [DVD]クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」(2008年)を見終わったとき、僕はそのアメリカ中西部に住む苦虫を噛みつぶしたような顔をした医者を思い出した。「まったく近頃の若いモンは…」と文句を言いながら、若いモンに本気で力を貸す偏屈な老人…。もっとも「グラン・トリノ」の主人公ウォルト・コワルスキーは医者のようなインテリではなく、フォードの組立工を50年勤め上げた中西部の町に住む保守的な白人のブルーカラーである。

偏狭で人嫌いで、攻撃的ですぐに銃を持ち出す、口の悪い孤独な老人だ。イーストウッドの演じたウォルトは、僕に過去のイーストウッド映画群を甦らせた。「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年)の老トレーナー、「スペースカウボーイ」(2000年)の偏屈な老宇宙飛行士、「ホワイトハンター ブラックハート」(1990年)の偏執狂的な映画監督、「ハートブレイクリッジ/勝利の戦場」(1986年)の朝鮮戦争の英雄だった鬼軍曹などだ。



ダーティハリー アルティメット・コレクターズ・エディション [Blu-ray]同時に、当たり役「ダーティハリー」(1971年)の悪党を処刑する男のイメージ、「奴らを高く吊せ」(1968年)「荒野のストレンジャー」(1972年)の復讐者(リベンジャー)のイメージも引き継いでいた。クリント・イーストウッドというスターが出てくれば、誰もが抱くイメージがある。ウォルト・コワルスキーというポーランド系の老人は、そんな先行するキャラクターの要素をすべて注ぎ込んだようだ。だから、「グラン・トリノ」はイーストウッド映画の集大成になった。

監督作としても出演作としてもイーストウッドの最高傑作という声がある。異議はない。僕は、その名人芸に圧倒された。笑い、涙ぐみ、ハラハラし、最後に衝撃を受けた。その衝撃に納得し、気持ちが晴れるようなカタルシスがあり、魂が浄化されたことを実感した。クレジット・タイトルがスクロールし、イーストウッド自らが歌う(おそらくピアノも弾いている)「グラン・トリノ」が流れたとき、僕は満ち足りた気持ちで聴き入った。

音楽は息子のカイル・イーストウッドとのコラボレーションだ。カイルは「センチメンタル・アドベンチャー」(1982年)で主人公のカントリー歌手と一緒にナッシュビルへの旅をする甥の少年を演じたが、ジャズ好きの父の影響を受けたのだろう、ジャズ・ベーシストとして10年ほど前にリーダーアルバムを出した。また、「硫黄島からの手紙」(2006年)でも音楽を担当している。

●孤独な老人は1972年型グラン・トリノに何を託したか

「グラン・トリノ」はウォルトの妻の葬式から始まる。ウォルトが苦虫を噛みつぶしたような顔で棺の横に立っている。孫たちが祈りを捧げる。ハイティーンの孫娘はお腹を出し、へそと耳にピアスをしているし、葬式の間中、携帯電話をいじっている。もうひとりの孫も罰当たりな祈りを捧げる。ウォルトの顔がますます不機嫌になる。今にもキレて怒鳴り出しそうだ。

列席している息子ふたりが父親を嫌っているのが会話でわかる。母親が死んでひとり暮らしになった父を「兄さんが引き取ったら」と弟が言い、兄が「とんでもない」と反応し、ふたりで笑う。父親と暮らすことなどあり得ない、という兄弟の共通認識があるから、その会話が笑い話になるのだろう。

ウォルトは嫌な老人だ。息子が「葬儀に多くの人がきてくれたね」と言うと、「ハムを喰いにきたのだ」とにべもない。地下室から椅子を出すのを「手伝おうか」と声をかけると、「おまえに頼むと来週になる」と皮肉を言う。彼は家族も含めて、すべての人間が嫌いなのだろうか。彼が愛情を込めて口にする名前は亡くなった妻だけである。その妻もひとりになったウォルトを案じ、神父に「懺悔をさせて」と遺言していた。妻は、彼の心の重荷を見抜いていた。

ウォルトは怒れる老人だ。いつの間にか近所に住むのが「イエローの米喰い人種」ばかりになったことを怒っている。老婦人とぶつかった若者ふたりが謝りもせず、散らばった荷物を拾いもせず、卑猥な動作をして去っていくことに怒っている。イエローのチンピラたちが自宅の庭に入ったことを怒っている。近頃の若いモンは…、と口にする。彼にとって、世界は怒りの対象でしかない。何もかもがいまいましい。

ウォルトは過去にとらわれた老人だ。朝鮮戦争に出征し、多くの人を殺したことを忘れられない。ほんの少年のような敵の兵士を銃剣で刺したことを忘れることができない。敵を殺した感触を甦らせ、そのことで人生を呪っている。彼は朝鮮戦争の英雄だが、たったひとり生還し勲章をもらったことを誇る気持ちにもなれない。彼は「人を殺したら、どんな気持ち?」と訊かれ、「最低の気分だ」と怒声で答える。

ウォルトは人種差別的言語を吐き散らす老人だ。おまけに、唾も吐き散らす。「クロ」「イエロー」「ジャップ」「ジュー」「イタ公」など、人種差別の言葉が頻出する。ある日、ウォルトが病院にいくと様々な人種の患者がいて、看護婦はイスラム系女性で彼の名前をまともに発音できない。彼の主治医だった白人の医者は3年前に引退しており、担当医はアジア系の女医である。保守的なアメリカ中西部の白人としては、非白人系の移民たちに自分のテリトリーを占領された気分だ。

ウォルトは少年のような老人だ。戦争から帰還したウォルトは、フォードの自動車工場で組立工として働いてきた。その間、膨大な種類の工具を集めガレージの壁に整理している。「これだけ集めるのには50年かかる」と嬉しそうに言う。そのガレージには、彼の宝物であるピカピカの1972年型グラン・トリノが置かれ、常に新車のように整備されている。グラン・トリノのコラム・シフトは彼が工場で取り付けたものだ。アメリカの自動車産業が世界のトップだった時代の美しい車である。

●不器用で愛情を素直に伝えることができない孤独な老人

ある夜、隣家のアジア系(モン族)一家の息子タオは、従兄弟のチンピラたちに脅され、「グラン・トリノ」を盗みにガレージに忍び込むが、ウォルトに見付かって逃げ出す。翌日、チンピラたちがタオの家にやってきて前庭で諍いになり、ウォルトの庭にまで侵入する。ウォルトは銃を持ち出し、チンピラたちに凄みをきかせて追い返す。

タオの姉スーが礼を言いにやってくる。スーは頭のよい娘だ。ある日、彼女は道を歩いていて3人の黒人にからまれる。レイプの危険さえ感じるが、スーは黒人たちに負けていない。ウォルトが車で通りかかり、拳銃を出す真似をして黒人たちを脅す。指鉄砲を向けるウォルトの迫力に気圧され、黒人たちの腰が引ける。ウォルトは胸に手を入れ今度は本物の拳銃を出す。黒人たちが逃げる。このシーンのウォルトは、まるでダーティハリーだ。

車の中でスーと会話をしたウォルトは、自分が素直に話せることに驚く。ある日、スーがウォルトをパーティに招く。隣家にはモン族の人々が大勢やってくる。スーに連れまわされ、いろいろ紹介され、うまい料理を食べて、ウォルトは居心地のよさを感じ、いつもの口の悪い偏屈な自分ではなくなっていることに気付く。不思議なことに、彼は「イエローの米喰い人種」と蔑視していた、言葉も通じない人々の間で心安らぐ時間を持つのだ。

グラン・トリノを盗もうとした詫びに一週間働くというタオに、ウォルトは近隣の家の修理をさせる。それをきっかけにして、周囲に住むアジア系の人々との交流も始まる。また、隣家の排水の修理や天井のファンの修理も引き受け、タオやスーとの交流が深まる。ウォルトは、タオにとって様々なことを教えてくれる父親のような存在になる。そんなふたりをスーが微笑みながら見守っている。

ある日、地下室から古いフリーザーを持ち出そうとしたウォルトは、タオに手助けを求める。何とか持ち出したフリーザーをウォルトは60ドルで売りに出すという。タオが「うちのフリーザー壊れていて…」と言うと、「じゃあ、どうだ。25ドルで」とウォルトがすかさず言う。「でも、60ドルだって…」とためらうタオに「新聞に出す広告代を引いたんだ」とウォルトは答える。

もちろん、彼は隣家のフリーザーが壊れているのを知っていたに違いない。しかし、ストレートに「使っていないフリーザーをあげるよ」とは言えない。相手の自尊心を考えるからだ。自分がそんな好意を示されたら「施しは受けない」と拒否するだろう。だから、タオに手伝いを頼み破格の値段を提案する。ウォルトは好意を素直に表現できない人間なのだ。自分がそんな行為をすることが恥ずかしいのである。

こんなキャラクターを見たことがあるぞ、と僕は思った。そう、あの男はカサブランカという街で酒場とカジノを経営していた。ある日、貧しい若夫婦がナチを逃れてやってくる。アメリカへ出国したいが金がなく、妻が男に相談をする。男は「故郷へお帰りなさい」と冷たく言う。だが、なけなしの金をルーレットに賭けている夫に男は数字を耳打ちし、ディーラーに目で指示を出す。もちろん、若い夫婦は出国するための充分な金を手にする。

ウォルトは、過去の小説や映画で数多く登場したヒーロー像に連なるキャラクターだ。要するに、ハードボイルド的人間なのである。不器用で、照れ屋で、愛情を相手に素直に伝えることができず、孤独であることにもやせ我慢を張り、自分のモラルとルールを守り、そんな生き方を誇りに思っている。男は、強くなければ生きていけないと覚悟し、助けを求めるのは恥だと感じている。自立心が強く、泣き言は言わない。

しかし、ハードボイルド的人間だからこそ、優しくなれなければ生きていく資格がないこともわかっている。熱い心を秘めたセンチメンタリストである。そして、センチメンタリストとは、小林信彦さんが書いているように「過酷な現実の前に挫折した理想主義者」なのだ。ウォルトも理想に燃えた青年だったに違いない。人生に夢を抱いた若者だったはずだ。前途に希望を抱いていた。

だが、20歳になるかならないころに徴兵され、過酷な戦場で死を身近なものとして感じ、多くの敵を殺すことで現実の酷さを思い知らされた。そんな彼を救ったのが妻になる女性だ。彼は彼女との家庭を守るために自動車工場で懸命に働いた。ふたりの息子もできた。だが、いつの間にかアメリカの自動車産業は衰退し、息子たちとのコミュニケーションもうまくとれず、どう接していいかわからなくなった。

そんな彼が妻を亡くした孤独な生活の中で、再び愛する人間を見付ける。彼らを傷つける者がいたら、ウォルトは決して許さない。だが、彼らの人生を邪魔する存在が現れる。このままでは、スーもタオもまともな人生は歩めない。だから、まるでダーティハリーのようにウォルトは行動する。しかし、ダーティーハリー的行動が裏目に出る。それは、まるで「悪党を退治すれば解決した」過去のイーストウッド映画への総括のように思える。

彼の過去の経験則が役に立たなかったそのとき、彼はどう行動すればいいのだろうか。様々な準備をしながら、ウォルトは自分を追い込んでいく。そして、タオも神父も、観客の誰もが予想した行動を超える決着の付け方をウォルトは選ぶのだ。それは、正義のためという名目はあっても、過去の映画の中で多くの悪党を殺してきたイーストウッドなりのオトシマエだったに違いない。

グラン・トリノは、かつて理想を抱いていたウォルトの夢の象徴だ。過酷な人生の中で彼が唯一守り続けた理想や夢、それがピカピカの1972年型グラン・トリノなのである。そして、グラン・トリノが象徴するウォルトの理想や夢は、グラン・トリノを譲るという具体的な形で、彼が愛した最も相応しい人物に受け継がれる。

80近い男が作った映画だが、是非、近頃の若いモンに見てもらいたい。イーストウッド映画の最高傑作ではない。すべての映画の中で最高なのだ。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
連休中に写真・デザイン関係の本を整理しようと思っていたのだが、納戸の中はまったく手がつけられなかった。大した写真集はないけれど、一時期よく通った海外写真家の展覧会の図録はかなり揃っている。アーウィット、ハース、ブラッサイ、ドアノー、キャパ、メープルソープなどなど。最近はまったくいかなくなったなあ。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
十河 進
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
star特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 ねにもつタイプ 赤い影 [DVD] ちょっとネコぼけ ジャンク・スタイル―世界にひとつの心地よい部屋 (コロナ・ブックス)

by G-Tools , 2009/05/15