●怪優・松尾スズキが演じたメチャクチャなキャラクター
奥田英朗さんの小説は、以前に「東京物語」を読んだことがある。主人公は小さな制作プロダクションで働く青年だった。奥田さんもプランナー、コピーライター、構成作家などをやっていたそうだから、おそらく自伝的な作品だったのだろう。時代は1959年生まれの奥田さんの20代前半と重なる80年代の設定だった。
その後、代表作である精神科医・伊良部シリーズを映画化した「イン・ザ・プール」(2005年)を見た。怪優・松尾スズキが演じる伊良部はメチャクチャなキャラクターで、診察にやってきた患者をたきつけて治療のためと称し振られた女の会社に乗り込み、ひどい罵倒(「クサレバイタ」とまで言う)をしたり、強迫症の若い女性にとんでもない治療を行ったり、笑わせながら少しゾッとさせるところがあった。
そんな伊良部には興味は湧いたが、原作を読むほどではなかった。また、昨年は森田芳光監督による映画化作品「サウスバウンド」(2007年)を見たが、何を言いたいのかよくわからない映画だった。豊川悦司と天海祐希が演じた全共闘世代の両親と3人の子どもたちの話なのだけれど、本物の全共闘経験者が見るときっと腹を立てると思う。
森田芳光監督は全共闘世代に近いけれど、日大闘争には間に合わなかったのではないか。あの時代、1、2年の違いが大きな差になった。1968年に大学生でなかった人間は、全共闘最盛期を経験していない。全共闘が機動隊導入などによって排除され、高校に闘争が波及した頃に僕は高校生だった。ほんの数年、遅く生まれてしまったために闘争の昂揚を経験できず、僕はセクト間の内ゲバばかりが起こっている大学に通う羽目になった。
僕はラディカルではあるつもりだったが基本的にはノンポリだったのに、なぜかセクトのヘルメットたちに取り囲まれるような時代だった。当時は間違って殺された(誤爆と言われた)一般学生だってかなりいたのだ。全共闘世代という区分けをするなら、1950年以降に生まれた人間は内ゲバ世代と自称する。自虐的である。かつての昂揚は去り、頽廃と沈潜しかない暗い青春だった。
1968年には小学生だった奥田英朗さんは、全共闘については体験していない。奥田さんが全共闘の時代を見る感覚は、60年安保のデモ隊をテレビで見てクラスで「アンコ反対」と言いながら押しくらまんじゅうをしていた、小学生の僕に近いのではないだろうか。もちろん、あれにどんな意味があったのだろうと、僕も高校生になったときに改めて調べた。
「サウスバウンド」で気になったのは、ほんの些細なことだった。たとえば、天海祐希は「××大のジャンヌ・ダルク」と言われたということなのだが、あの時代、戦闘的かつ革命的な女子学生を「ジャンヌ・ダルク」とは呼ばなかったと思う。呼ぶとしたらローザ・ルクセンブルクに敬意を表して「××大のローザ」とか「ゲバルト・ローザ」ではなかっただろうか。
「サウスバウンド」は未だに国家権力に対して反抗し続けている父親と、学生時代に内ゲバまがいの事件で人を刺し刑務所に入っていたという母親を持った少年が、ある種の違和感を感じながらもその両親の生き方に影響を受けていく物語だった。少年の視点から描いているから、必ずしもアナクロな新左翼系の父親を肯定しているわけではない。
といって、未だに全共闘の時代の昂揚を持ち続けている時代錯誤な父親が引き起こす常識世界との摩擦や衝突、それによって生まれる笑いを見せる映画でもなかった。そんな父親を全面的に支持する母親にも僕は共感できなかった。要するに、僕にはふたりとも「困った大人」にしか見えなかったのだ。それは、僕が歳を重ね保守的になったということなのだろうか。
●国家への反逆心を醸成しテロリストに育っていく若者
ということで、奥田英朗さんの新作「オリンピックの身代金」(角川書店)には、それほど期待していたわけではなかった。タイトルだって、26年前に評判になった「摩天楼の身代金」(文春文庫でまだ出ているのかなあ)を連想させる。オリンピックを人質にして、若きテロリストが国家権力を相手に身代金を奪う話なのである。
読み始めて、最初は少し違和感があった。昭和39年は1964年であり、僕は中学一年生だった。奥田さんは幼稚園に入ったくらいだろうか。時代の空気は記憶にあるだろうが、細かい部分の表現に微妙な齟齬がある。しかし、それも次第に気にならなくなった。実によく調べているし、僕自身が改めてあの年を追体験している気分になった。
それに、構成がいい。うまい。何人かの視点で章が分けられているのだが、主要なのは追跡する警視庁の若き刑事の章と若く純粋な犯人の章である。それに加えて、犯人の東大時代の同級生で草創期のテレビ局に入社した青年(彼の父親はオリンピックの警備責任者である警察官僚だ)の章、犯人に憧れているビートルズファンの古本屋の娘の章が随時挿入される。
各章の頭には「昭和三十九年八月二十二日 土曜日」といった時制が明記される。ただし、それは時制を追って順番に現れるわけではない。僕がうまいなあと思ったのは、冒頭、テレビ局の青年の章で始め、いきなり事件が起こることである。次の章は一週間後、古本屋の娘の視点になり、二度目の爆発事件が起こるのだ。
三章は、若い刑事一家の団地への引っ越しから始まる。あの時代、団地に入ることがどういう意味を持っていたのか、その辺もきちんと奥田さんは書き込んでいる。時代の空気を再現する。そして、第四章でようやくテロリストとなる島崎国男が登場する。「昭和三十九年七月十三日 月曜日」──それは、事件よりひと月以上も前に遡る。マルクス経済学を研究する東大院生が、テロリストになっていく最初のきっかけが描かれる。
「オリンピックの身代金」の構成で感心したのは、犯人の島崎国男の章が7月13日から始まり、じっくりと書き込まれることだ。彼がなぜ国家を相手にするテロリストになっていくのか、その一ヶ月ほどの彼の生活に寄り添う読者は納得させられる。一方、追跡側の警察サイドの描写は事件が起こった8月22日から始まり、国男の犯罪の結果が先に読者には知らされる。
つまり、国男が起こしたらしい事件の結果が先に読者に知らされるのだが、それによって「どう考えても彼がそんなことをする人間ではないのに…」という謎が読者に提示されるのだ。その後、国男の章が、徐々にその謎を解き明かしていく。したがって、読者はページを繰り続けるしかない。つまり、読み始めたらやめられなくなる。
僕はこの1400枚に及ぶ小説で、国男が次第に国家への反逆心を醸成しテロリストに育っていくのを読みながら黒澤明の「天国と地獄」を思い出した。この小説の中にも、前年に公開された「天国と地獄」にヒントを得て、身代金を列車の窓から落とすことを指示した爆破魔・草加次郎の吉永小百合脅迫事件がふれられているが、「天国と地獄」では描かれなかった犯人が犯罪に走った理由をきちんと書き込んでいることに感動した。
以前にも書いたけれど、僕は黒澤明の「天国と地獄」があまり好きではない。その映画が面白く魅力的であり、強烈な映像の力を持つが故に、罪深さを感じてしまう。あの映画で仲代達矢が演じた警部は「憎むべき誘拐犯を死刑にするために」麻薬中毒患者の女を見殺しにし、犯人を現行犯で捕まえて「これで、お前は死刑だ!」と叫ぶ。刑事が犯罪者を裁くようになったらオシマイだ。
また、インテリの医学生である青年(山崎努)が、なぜ誘拐という凶悪犯罪を犯したのかという背景がまったく描かれていない。あれでは、犯人は冷血漢の殺人者でしかない。だが、「オリンピックの身代金」では東大院生のインテリである犯人が、なぜ、日本国民全員を敵にするような犯罪に走ったのかをきっちりと書き込んでくれる。そう、「天国と地獄」の犯人にだって言い分はあったはずだ。
黒澤作品には権力主義的な匂いがある。「弱者は強者に従え」という考えは、「七人の侍」(1954年)「椿三十郎」(1962年)さらに「赤ひげ」(1965年)からさえも感じられる。だから、「天国と地獄」では警察権力が憎むべき誘拐犯を追いつめていく過程を無批判に描いている。黒澤明はもっと、弱者や犯罪を犯すまで追いつめられた人間に寄り添うべきだったのではないか。「素晴らしき日曜日」(1947年)や「どですかでん」(1970年)のような…。
なんてことを言うと、まるで「サウスバウンド」の国家権力を忌み嫌う時代錯誤なアナクロ親父だが、少なくとも僕の中にもそんな血が潜んでいるらしい。平岡正明の「すべての犯罪は革命的である」という言葉に心が振れる。「官憲帰れ!」と、かつてシュプレヒコールをした身だ。国家や警察権力に好意は持っていない。それは、先日、亡くなった忌野清志郎が「反骨のロック歌手」と言われたように、僕らの世代の精神的基盤である。
●東京オリンピックの時代を映像で見せてくれる映画群
「オリンピックの身代金」には、巻末に資料本リストが掲載されていた。その後に、さらに主要参考映像として「東京オリンピック」(1965年)「若大将キャンパスDVDボックス」(1961〜1971年)「クレイジーキャッツ無責任ボックス」(1962〜1964年)「下町の太陽」(1963年)が挙げられていた。なるほど、うまいところを参考にしている。
それらの映画は、あの時代を映像で見せてくれる。あの時代の考え方や空気を直接、肌で感じさせてくれる。「下町の太陽」は若き山田洋次監督の第2作めである。はちきれそうな倍賞千恵子が若々しく、勝呂誉を相手役とした労働者階級の物語だ。倍賞千恵子の「下町の〜太陽は〜」という歌声が聴ける。あの頃の下町の町工場の風景は、今はもうなくなってしまった。
それに比べて、同時代とはいえ東宝の「若大将」シリーズはまったく違う風景を見せる。何しろ若大将こと京南大学生の田沼雄一は、銀座の老舗スキヤキ店「田能久」の跡取り息子であり、誰もが羨むような大学生活を送っている。当時は苦学生の方が多かったはずだが、田沼雄一は金持ちのボンボンのような生活を送っているのだ。
京南大学は、僕のイメージでは慶応大学である。青学も入っているかもしれない。昭和30年代だというのに、彼らはスポーツカーを乗りまわし、高級クラブに入り浸り、ダンパ(ダンスパーティ)を開催し、金のかかりそうなスポーツに熱中する。もっとも、そんな役はすべて金持ちのバカ息子である青大将こと石山(田中邦衛)が担当したのではあるけれど…。
あれは確か若大将が水泳部に入っていたから、第一作の「大学の若大将」(1961年)だと思う。若大将と水泳部のマネージャー(江幡達治)が部員たちの食料を買い出しにいくシーンがあった。彼らは安いというのでドッグフードの肉の缶詰を大量に仕入れるのだが、その店が近代的スーパーマーケット(青山にできた紀伊國屋)だった。車がほとんど走っていない青山通りが写っていた。
植木等の「無責任シリーズ」も当時の東京の近代的な風景を見せてくれる。どうも東宝という映画会社は、松竹の「下町の太陽」のようなプロレタリアートを描くことを放棄していたらしい。平均(たいら・ひとし)という植木が演じたキャラクターはサラリーマンで国民を代表する存在だったが、C調で、無責任であっても、主人公はあれよあれよという間に出世する。結局、資本主義社会で立身出世をするという価値観からは脱却できなかった。
東京オリンピックは、貧しかった昭和30年代に幕を引いた。翌年からは昭和40年が始まった。西暦で言えば60年代後半がスタートした。高校進学率も一気に上昇し、僕のクラスでも中卒で就職したのはたったひとりだった。全世界に注目され、成功裡に終わった東京オリンピックは日本人に自信を与え、高度成長を加速させた。オイルショックに襲われる1973年の秋まで、日本はフルスロットルで走り抜く。
当時の日本の底辺(東北の貧しい村から出稼ぎにきたオリンピック施設の建設に従事した人々。数百人に及ぶ彼らの死)に目を向けた奥田英郎さんの「オリンピックの身代金」は、今だからこそ書けた小説だ。そんな視点は、当時にはなかった。格差社会と言われる現在、奥田さんは1964年を舞台にして日本という国の矛盾を志高く描いたのだ。心に残る作品である。誰か「天国と地獄」を超える映画にしてくれないか。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
久しぶりに箱根にいく(仕事です)と、湯本の駅がきれいになっていました。5月下旬のしっとりと濡れた新緑が美しい環境の中にいたのに、いつも通りの討論、議論、激論、反論、異論…が続き、また独り相撲のような失敗をやってしまいました。いつものように反省の日々…。学習能力がないのかもしれないなあ、まったく。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
- 特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
- ちびちび、の愉悦!
- 「ぼやき」という名の愛
- 第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
- すばらしい本です。
by G-Tools , 2009/05/29