●「ああ、死んでしまいたい」と感傷に充ちた夜が更けていく
全編に流れる「暗い日曜日」の旋律が胸の奥の何かを掻き立てる。哀愁に充ちたマイナーなメロディが過ぎ去った過去を甦らせる。叶わなかった恋を、忘れてしまったはずの悲しい記憶を思い出させる。この世の儚さが今さらのように身に迫ってくる。ああ、死んでしまいたい、と感傷に充ちた夜が更けていく。
その曲を聴いて自殺者が続出したという。わかるような気がした。哀切で、感傷を呼びさます旋律は、失ってしまった何かを思い出させる。かつて自分が持っていて今は失ってしまったもの、かけがえのないもの、そんなものへの懐かしさがあふれ、喪失感に浸る。失ったものは戻ってはこない、という寂寥感が胸に広がる。遠くをぼんやり見つめる。訳もなく涙が流れる。
その旋律は、人々を捉えずにはおかなかった。僕も「自殺の聖歌」として、昔、タイトルを知った。1936年、ダミアがフランス語で歌ったので、ずっとシャンソンなのだと思っていた。1933年、ハンガリーのピアニストが作曲したことを、映画「暗い日曜日」(1999年)を見て初めて知った。もちろん、映画は全編にわたって「暗い日曜日」の旋律が流れる。
ブタペストの俯瞰から映画は始まるのだが、そこに写っている大きな河はドナウだろう。ドナウにかかる大きな橋が印象的だ。そのブタペストの古くからあるレストランに、VIP待遇のドイツ人実業家がドイツ大使に案内されてやってくるところから物語は始まる。
レストランの支配人が実業家を迎える。彼は80歳の誕生日を、この思い出のレストランで迎えようというのだ。実業家は「昔、このレストランのオーナーとは友人だった」と言う。「先代のサボーですね」と支配人が答える。テーブルについた実業家は、「あの曲を」とリクエストする。楽団が「暗い日曜日」を演奏する。
しかし、食事をしていた実業家が、突然、苦しそうに立ち上がる。心臓発作。床にくずおれた実業家を見ながら、支配人は「呪いだ。この女に捧げられた曲の呪いだ」と、ピアノの上に飾られた女性の写真を指さして言う。そこにはモノクロームの古い写真が飾られている。写っているのは、若く美しい女である。
よくある導入部のように、この映画も回想形式なのかと思わせるオープニングだが、回想する主体であろうと思われる人物がいきなり死んでしまうのが意表を突く。これからどんな回想が始まるのか、そして、最初に登場した実業家は過去の物語でどの人物に当たるのか、そんな謎が観客の興味を惹く。実業家の名前は伏せられている。回想形式を逆手にとったうまい語り口だ。
モノクロームの女性ポートレートがアップになり、物語は半世紀以上も遡る。写真の中の女性がカラーの世界で動き出す。溌剌とした美しい女性だ。レストランのオープン準備が進められている。「イロナ」と彼女を呼ぶのは、恋人のラズロ・サボーだ。彼らはピアニストの面接を始める。
年輩のピアニストの採用を決めた後、ひとりの痩せたみすぼらしい青年がピアニストに応募してくる。「もう決まった」というラズロに、イロナは「聴いてあげて」と頼み込む。青年のピアノは繊細でロマンチックだ。ふたりはすっかり気に入り、アンドラーシュというそのピアニストを雇うことにする。
●実際の「暗い日曜日」の作曲者も自殺したという伝説
イロナはレストランのスタッフ全員に愛されている。客もイロナを目当てにやってくる。だが、イロナにはラズロという恋人がいる。ラズロがユダヤ人であることが早い段階で観客に知らされる。ドイツでナチスが台頭している時代だ。ハンガリーのユダヤ人にどんな運命が待ち受けているのか、観客にはすでにラズロの運命が見えている。
イロナの誕生日。アンドラーシュは「僕にはあげるものが何もない」と言い、自作の曲を捧げる。「暗い日曜日」──美しく悲しい旋律である。そこには、アンドラーシュのイロナへの想いが込められていた。ラズロは、それに気付く。その日、イロナ目当てに通ってきていたドイツ人青年ハンスも誕生日で、イロナにプロポーズする。
イロナはハンスのプロポーズを相手にしない。彼女はアンドラーシュを愛していることに気付いたのだ。その夜、イロナはアンドラーシュを選び、彼の部屋へいく。残されたラズロは、失恋しドナウに飛び込んだハンスを助けて連れ帰る。美しい金髪の、いかにもアーリア人という外見のハンスは、ユダヤ人のラズロを「僕の生涯の友人」と呼ぶ。
ラズロは「きみを失うより、半分で我慢する」とイロナに訴え、イロナとアンドラーシュとラズロは「突然炎のごとく」(1961年)のジュールとジムとカトリーヌのような三角関係(昔は「聖三角形」などと言われた)を築く。イロナを真ん中にして両側に横たわるラズロとアンドラーシュの姿が象徴的だ。
ある夜、レストランにきたレコード会社の重役にラズロが「暗い日曜日」を売り込む。ラズロの交渉で印税率も高い契約が結ばれ、ラジオで流れた「暗い日曜日」は大ヒットする。だが、レストランに「暗い日曜日」を聴きにきた富豪の令嬢が帰宅して「暗い日曜日」のレコードを聴きながら自殺し、それを皮切りに何人かの自殺が続く。
アンドラーシュは自分の作った曲で人が死んだことにショックを受け、深く傷つく。また、彼はイロナに対してラズロのようには割り切れない。イロナもラズロも愛しているが、イロナがラズロと愛し合うことにこだわりがないと言えば嘘になる。彼は、ラズロとイロナが愛し合っている部屋の窓を見つめて一晩中、ラズロのアパートの前で膝を抱える。
そんな頃、ハンスがナチスの将校になってブタペストに戻ってくる。ハンスはレストランにナチスの制服で入ってくる。だが、ラズロへの友情は失っていない。しかし、「あの曲を弾け」とアンドラーシュに居丈高に命じる。アンドラーシュは反発する。彼の精神状態は限界にまできていたのだ。アンドラーシュはナチス将校のために「暗い日曜日」を弾き終えると、ハンスの銃で自殺する。
実際の「暗い日曜日」の作曲者も自殺したという。確かに「暗い日曜日」は死の伝説に彩られた曲なのだ。だからこそ魅力的であり、どこかロマンチックなのだろう。その伝説をベースにして、ドイツ映画「暗い日曜日」はロマネスクな物語を構築した。
●ナチス・ドイツがヨーロッパを絶望に導いた頃
ナチス・ドイツはヨーロッパを席巻した。ポーランド、ハンガリー、チェコ、オーストリアなど周辺諸国はもちろん、フランスも占領しイタリアとは同盟を結んだ。軟弱なイタリアがすぐに降伏しそうになると、ムッソリーニを救出しイタリアも支配下に置いた。フランスを占領しヴィシー政権を樹立。ドゴール率いるフランス軍はダンケルクから撤退する。
ヨーロッパ全域をほとんど手中にしたナチス・ドイツの敵は、ドーヴァー海峡を隔てたイングランドであり、北はソビエト連邦だった。そして、最大の敵はアメリカ合衆国だった。ナチス・ドイツのヨーロッパ支配は1939年から1945年まで、6年近くにわたって続いたのである。
僕らは1945年にナチス・ドイツが崩壊し、ヒトラーはエヴァ・ブラウンと共に毒をあおって死ぬことを知ってはいるが、当時の人々はいつまでナチス・ドイツの支配が続くかはわからなかった。たとえばナチス・ドイツが全盛を誇っていた1939年からの数年間、その支配下にあった人々はナチスの天下が永遠に続くと思えたかもしれない。
エルンスト・ルビッチ監督の伝説的名作「生きるべきか死ぬべきか」は、1942年の制作だ。またチャーリー・チャップリンの名作「独裁者」は1940年の作品である。どちらもナチス・ドイツとヒットラーを徹底的に批判し、コケにした映画だ。しかし、それらの映画はアメリカやイギリスなど、ナチスに占領されていない国でしか公開されなかった。
チャップリンの自伝によれば、当時はアメリカでもナチスの支持者は多くいて、「独裁者」は様々な批判を受けたという。制作中からナチス支持者による妨害があったし、ドイツとの関係を配慮する国家権力からの干渉もあった。特に最後の長い演説シーンについては、コミュニストの主張だという批判が巻き起こった。後にチャップリンが赤狩りに遭い、アメリカを追放される原因のひとつになった。
しかし、チャップリンもルビッチも同時代に徹底的にヒットラーを茶化す作品を残したことによって、どんな政治家やジャーナリストより見事な先見性を持っていたことを証明した。彼らはナチス・ドイツが隣国に攻め入る頃に、あるいは全盛期の頃にすでにその残虐性や全体主義、ゲシュタポによる暗黒支配を批判しているのである。だが、後年、チャップリンはこんなことを言っている。
──もしあのナチス強制収容所の実態を知っていたら、あるいは「独裁者」はできていなかったかもしれないし、またナチどもの殺人狂を笑いものにする勇気も出なかったかもしれない。
ハンガリーもナチス・ドイツの支配下になる。ブタペストのユダヤ人たちが収容所へと送られる。ラズロはハンスにユダヤ人たちが国外へ出ることの許可証発行を依頼し、ハンスは高額な謝礼と引き換えに国外退去の許可を与える。だが、それは実業家をめざすハンスの私腹を肥やすだけだった。国外退去の許可証を出してくれと言うラズロに「きみは僕がいる限り特別待遇にするよ」とハンスは確約する。
あの時代、ユダヤ人たちは強制収容所で行われていたことを知っていたのだろうか。ある日、ラズロが逮捕される。アウシュビッツへ送られるという。イロナはハンスのオフィスにいき「ラズロを助けて」と懇願する。ハンスは交換条件としてイロナにセックスを強要する。それは、かつてプロポーズを断ったイロナへの復讐なのだろうか。
後の人間である僕らは歴史としてのナチス・ドイツを知っている。彼らが強制収容所で何をしていたのか。彼らはいつ滅んだのか。だから、「暗い日曜日」の登場人物たちの運命について、強いサスペンスを感じてしまうのだ。いつか決定的に悲惨な運命になるのではないか、いつか殺されてしまうのではないか、そんなことを予感する。
「暗い日曜日」の主要な登場人物は4人。美しいイロナと、彼女を愛した3人の男たちである。ひとりは「暗い日曜日」を作曲し、自殺する。ひとりはユダヤ人で収容所に送られる。たったひとり生き残った男は、戦争中に蓄財しユダヤ人に恩を売り人脈を作る。戦後のドイツ復興の波に乗り、実業家として大成功をおさめる。
そして、現代、80歳の誕生日を思い出のレストランで祝うためにブタペストにやってくる、しかし…。「暗い日曜日」には、ある種のどんでん返しがある。最後の最後に、心が晴れるようなリベンジが行われる。すっきりした気分になる。因果応報。悪が栄えたためしなし。「うまい」と、僕は思わずスクリーンに向かって声を出した。
ちなみに「暗い日曜日」の原題は「GLOOMY SUNDAY」である。どちらかと言えば「憂鬱な日曜日」と訳すべきだろう。子供の頃、僕は日曜の夜が憂鬱だった。武田薬品提供の「隠密剣士」が終わり、アニメの「ポパイ」でポパイがほうれん草の缶詰を食べる頃には、悲しいほど切なくなった。
今も日曜の夜になると憂鬱になる「サザエさん症候群」と呼ばれる症状が、子どもたちはおろか大人にも広がっているという。僕も同じだった。明日からまた学校へいかなければならないのだ、という強迫感に押し潰されそうだった。子供心にも死にたくなったものである。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
久しぶりに部屋(書斎?)の模様替えをした。結局、ベッドの置き方は二種類しかなく、定期的に変更しているだけだ。デジクリ原稿書き用の古いマックと、ネット用のXPプロフェッショナル、それにXPノートを効率的に使う配置を探しているのだが、狭い部屋だからレイアウトは限られてしまう。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 十河 進
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
- 特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
- ちびちび、の愉悦!
- 「ぼやき」という名の愛
- 第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
- すばらしい本です。
by G-Tools , 2009/06/12