映画と夜と音楽と…[432]「名をこそ惜しめ」とギュは言った ギャング、マルセイユの決着(おとしまえ)
── 十河 進 ──

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●「ギャング」42年ぶりのリメイク「マルセイユの決着」

マルセイユの決着(おとしまえ) [DVD]ジャン=ピエール・メルヴィル監督の「ギャング」(1966年)を42年ぶりにアラン・コルノー監督がリメイクした「マルセイユの決着(おとしまえ)」(2007年)が公開されたのは、昨年の暮れだった。渋谷の単館での公開で、集客をそれほど期待していない感じだった。当然、ハリウッド映画のような扱いにはならないだろうが、もう少し何とかならないものか。

メナース [DVD]アラン・コルノー監督といえば、イブ・モンタン主演の「真夜中の刑事」(1976年)で日本デビューを飾り、同じくモンタンを使って「メナース」(1977年)を作った。大型トラックが墜落するシーンのテレビスポットが頻繁に流れたのを憶えている。その後の日本公開作品は少ないが、「インド夜想曲」(1988年)は注目された作品だった。

「真夜中の刑事」は原題が「パイソン357」という拳銃の名前で、イブ・モンタンの役にはどこかメルヴィル監督作品「仁義」に登場する刑事くずれでアル中のスナイパー(イブ・モンタン)に対するオマージュが感じられた。公開当時、この監督はメルヴィルが好きなんだろうなあ、と思ったことを僕は憶えている。

そのアラン・コルノーが「ギャング」をリメイクしたと聞いて、僕は早くからパンフレットを入手して部屋の壁に貼ってあった。ネットで予告編を見ると、全体がアンバー系の色調で統一され、なかなかいい雰囲気だった。ちょっとゾクゾクする映像で、「これはいいかも」と期待した。男ばかり出てくる映画で、マヌーシュ役のモニカ・ベルッチひとりが目立っていた。



パンフレットには「ジャン=ピエール・メルヴィルは、いいよ。暗黒街の映画ばっかり撮ってるんだけど、要するに間抜けなアメリカ映画への反発なんだろうね」というビートたけしのコメントが載っていた。10年ほど前に「人生を構成する三つの要素」という文章で、僕は「北野武監督はメルヴィルの影響を受けているのではないか」と指摘したので、何だか嬉しい。

リスボン特急 【プレミアム・ベスト・コレクション\1800】 [DVD]その文章のタイトルは「人生は三つの要素で出来上がっていて、その三つとは愛と友情と裏切りである」というメルヴィルの言葉からとったのだが、それは40年近く前、読売新聞の映画記者だった河原畑寧さんのメルヴィル論(キネマ旬報社刊「世界の映画作家」シリーズ「犯罪・暗黒映画の名手たち」)で読んだものだ。河原畑さんはパリのメルヴィルのスタジオで、「リスボン特急」(1972年)の試写を見ながらインタビューをしている。

2年前、その河原畑さんを紹介してもらったことがある。日本冒険小説協会公認酒場「深夜+1」でのことだった。いつものように映画と本の話を喋り散らしていると、年輩の紳士が入ってきた。その紳士がスツールに腰を降ろした後、カウンターの中にいた冒険小説協会会長こと内藤陳さんが、「ソゴーさん、河原畑寧さんだよ」と紹介してくれた。

そこから後のことは、いつものようにあまりよく憶えていないのだが、僕は河原畑さんにいろいろなことを質問したようだった。もちろん、メルヴィルにインタビューしたときのことも詳しく訊ねた。瞬く間に時は過ぎ、深夜になって腰を上げるとき、河原畑さんには「今夜は楽しかったですよ」とおっしゃていただいた。

しかし、40年近く前に書いた文章を詳細に憶えていて、その中のメルヴィルの言葉を暗唱する読者を前にして、河原畑さんは戸惑ったかもしれないなあと、翌日、酒がすっかり抜けた僕は冷静になって反省したものである。僕の本を送るべきところだったが、河原畑さんに読まれることを想像すると気後れしてしまった。素面になると、途端に情けなくなるのである。

●刑務所に入っていた異色の作家の原作を映画化した

「ギャング」の映画紹介を、僕はTBSが朝に放送していた若者向け情報番組の「ヤング720」で見た記憶がある。映画や音楽の情報を朝からやっていて、それを見てから登校するのが、中学高校のときの僕の日課だった。僕が「ギャング」に注目したのは、それがジョゼ・ジョバンニの原作だったからだ。

中学生の頃に海外ミステリを読みまくっていた僕は、フランスでは暗黒街小説のジョゼ・ジョバンニがひいきだった。刑務所に入っていた異色の作家である。だから「ギャング」はリノ・ヴァンチュラという地味な俳優が主演だったが、どうしても見たくなった。僕はまだ「冒険者たち」(1967年)に出逢っていなかった。リノ・ヴァンチュラは、小太りの中年男にしか思えなかった

サムライ [DVD]ジャン=ピエール・メルヴィルが日本で一般的に知られるようになるのは、アラン・ドロンという人気者を主演にした「サムライ」(1967年)からだ。寡黙で孤独な一匹狼の殺し屋を演じたアラン・ドロンは話題になり、ジャン=ピエール・メルヴィルの名も知られるようになった。そして、「影の軍隊」(1969年)「仁義」(1970年)「リスボン特急」と続く3本は、僕のような熱烈なジャン=ピエール・メルヴィル支持者を作り出した。

初公開のとき「ギャング」は、あまりヒットしなかった。地味だったし、短縮版だったのだ。複雑な物語が、それで余計にわかりにくくなった。後に完全版を見て、僕はようやくストーリーを理解した。アラン・コルノーの「マルセイユの決着」は、さらにわかりやすくするためだろう、説明的なセリフを増やしていた。そのせいか、映画の筋はよくわかる。

シーンを前後させ入れ替えた部分はあるが、「マルセイユの決着」は「ギャング」を忠実にリメイクしていた。60年代の雰囲気もよく出していたし、アンバーを基調にした色彩設計もいいし、主演のダニエル・オートゥイユは僕の大好きな俳優である。ある人は「期待はずれ」と言ったけれど、僕は「よくできてるじゃないか」と素直に感心した。

ただ、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の域には達してはいない。アラン・コルノー監督は、ついつい説明してしまうのだ。それは、どうしてもセリフやカット割りに出る。冒頭から映像的なテクニックを使い、不必要にスローモーションを多用する。さらに、音楽で盛り上げようとする。改めて、僕はジャン=ピエール・メルヴィルの凄さに気付いた。

観客に物語や登場人物の感情を理解させるのは、表現者としては大切なことだ。だが、セリフ、映像的な技法、音楽などを極限まで削ぎ落としたところにジャン=ピエール・メルヴィル作品はあった。それは、表現者として勇気がいることである。よほどの確信や信念がないとできないことだ。迷いを棄て、不要だと思うものを棄てる。そこに、独自の映像世界が立ち上がる。一般的には受けないかもしれないが、熱烈な支持者を生む。

●「仲間を売った」卑劣な行為は死に価することである

「ギャング」あるいは「マルセイユの決着」が描いているのは、昔気質のギャングであるギュの個人的なオトシマエである。物語は錯綜していて整理するのが難しいのだが、暗黒街で有名なギャングであるギュが10数年ぶりに脱獄するところから映画は始まる。

ギュはもう「年寄り」と呼ばれる歳だ。そうはいっても、まだ50前だと思う。血気盛んな時期が戦争にぶつかり、ナチスに対するレジスタンスに参加したが、戦後も銃を棄てたくなかった世代というのがフランスにはいるらしい。彼らは戦後、暗黒街に棲息するようになる。しかし、戦後20年になろうかという頃になると、時代遅れの人種になっていた。

ギュは、そんな世代のひとりなのだ。10数年ぶりに脱獄してシャバに戻ると、汚い奴らがボス面してのさばり、チンピラ共が見境なく金のために人を脅している。昔なじみのマヌーシュの部屋を訪ねると、チンピラ共が拳銃を手にして彼女に迫っていた。ギュの昔なじみであり、マヌーシュを守ることを生き甲斐にしている拳銃の名手アルマンもチンピラに襲われ気絶していた。

ギュは苛立つ。いつの間に、こんなチンピラ共に大きな顔をさせるようになったのだ。彼はふたりのチンピラを彼らの車に乗せ、その中でボスの名前を吐かせると、ひとりに二発ずつの銃弾を撃ち込む。腕は鈍ってはいない。しかし、パリ警視庁のブロ警視は、チンピラの死体を見てすぐにギュの仕業だと見抜く。プロはプロの仕事を理解するのだ。

ギュはマルセイユに隠れるが、国外に逃げるために最後の仕事をしようと決意する。そんなとき、昔なじみの信頼できるポールが大仕事を企んでいることを知る。彼は、そのプラチナ強奪に加わる。護衛の警官を射殺し、強奪は成功するが、ギュはブロ警視の罠にはまって逮捕され、仲間であるポールの名前を口にしてしまう。

陥れられたとはいえ、ポールの名を口にしてしまったギュは、警察署の壁に頭を叩きつけて自殺を図る。彼にとって「仲間を売った」ことは、死に価することなのだ。さらに、彼はマルセイユ警察の署長が新聞に「ギュが仲間の名前を自白した」と発表したことが許せない。ギュを信頼するアルマンやマヌーシュは「警察の陰謀さ」と取り合わないが、強奪仲間たちはギュを疑う。

自分が「仲間を売った」と疑われていることさえもギュには耐えられない。ギュは病院から脱出し、署長を襲い「新聞に発表したことは嘘であり、ギュは自供していない」という文書を手帖に書かせた上で射殺する。そのときに使用した銃はチンピラたちを殺し、警官を殺した銃である。彼は、自分が犯人であることを隠そうとしない。彼は死にたがっている。破滅に向かって疾走する。

「ギャング」を最初に見た10代半ばの僕は、ギュのこだわりが理解できなかった。その後、メリメの「マテオ・ファルコーネ」を読んで、命より名誉や誇りを重んじるコルシカ人の血を知った。逃げてきた男を匿った息子が、追ってきた兵士たちの甘言につられ男を裏切り隠れた場所を教える。男を売ったことで、父親は幼い息子を処刑する。父親にとってファルコーネ家の名誉は、息子の命より重かったのだ。

あれから40年以上の月日が流れ、改めて「マルセイユの決着」を見ると、ギュのこだわりが僕にはよく理解できた。それは、同年代のダニエル・オートゥイユがギュを演じていたからかもしれない。髭を生やしたダニエル・オートゥイユは、リノ・ヴァンチュラによく似ていた。60近くなったダニエル・オートゥイユは、リノ・ヴァンチュラが「ギャング」に出たときよりも年上かもしれない。

歳を重ね先が見えてくると、生きることにしがみつかなくてもいいや、という思いが強くなる。死が身近になる。もちろん、残す人間に何らかの想いはあるだろう。ギュにもマヌーシュがいた。しかし、彼らは彼らで生きていく。そんなしがらみや未練より、「名をこそ惜しめ」という言葉が重みを持ってくる。名誉、などという輝かしいものにこだわるのではない。己の美意識に従うだけのことだ。

仲間を売るのは汚い卑劣な人間のすること、という美意識がギュにはある。大金を得るという自分の欲のために警官を躊躇なく射殺する冷酷さを持つギュは、「仲間を売った」と疑われるだけで生きていけない男である。彼は、新聞に嘘を流した署長を「卑劣な奴だ」と情け容赦なく射殺する。矛盾したキャラクターだが、彼は自分が卑劣で汚い男と思われるのが耐えられない。

名誉が汚されるよりは、死を選ぶ。暗黒街の犯罪者ではない僕はそんな選択を迫られることはなかったが、精神的に似たような状態に追い込まれたことはあった。若く、守るべきもの(家族や生活だ)を多く抱えているときにそんな選択を迫られると、僕は名誉が汚されることを甘受した。死は選べない。「名をこそ惜しめ」と、下唇を噛んで屈辱に耐えるしかなかった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
水曜社が3巻目の「映画がなければ生きていけない2007-2009」を出してくれることになり、原稿整理を始めました。大沢在昌さんとの対談の再録を光文社の方を経由してお願いし、大沢さんに「喜んで」と了承していただきました。何だかプレッシャーがかかります。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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映画がなければ生きていけない 1999‐2002
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
star特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 重犯罪特捜班 / ザ・セブン・アップス [DVD] 仁義 [DVD] ハリーとトント [DVD] 狼は天使の匂い [DVD]

by G-Tools , 2009/09/11