●殺伐としたシーンに重なる抒情的なメロディー
先日、会社の先輩が上海旅行に出かけ、JTBの旅行代が異常に安かったという話で酒の場が盛り上がった。話を聞くと、宿泊先はクリントンも宿泊した一流ホテルなのに、飛行機代を入れてもホントに安い。食事も料金の中に入っていて、有名な高級飯店での食事だったという。

「上海帰りのリル」は、子供の頃によく父親が歌っていたので、いつの間にか耳から憶えたのだろう。僕の父親だから間違いなく音痴なのだが、「上海帰りのリル」だけはきちんと歌っていた気がする。父は15歳で満蒙開拓団に参加して満州にわたり、おそらく徴兵されたのだろう、20歳のときに上海で終戦を迎えたと聞いた。


もうひとつの忘れられない「上海帰りのリル」は、青江三奈バージョンである。日活映画「『無頼』より 大幹部」(1968年)のラスト、ナイトクラブで青江三奈が「上海帰りのリル」を歌い始めてしばらくすると、悪玉の組長(青木義郎)が手洗いに立つ。そこに人斬り五郎(渡哲也)が現れる。組長が顔を引きつらせて逃げる。五郎がドスを握りしめる。
組長が逃げる。子分たちが五郎の前に立ちふさがる。子分たちを蹴散らし、五郎は楽屋に逃げ込んだ組長を追う。楽屋が散乱し、踊り子たちが逃げまどう。相手の組の幹部(深江章喜)が、狭い廊下をふさぐようにドスを構えて立つ。五郎のドスが幹部の腹をえぐる。組長は裏口から路地に逃げる。酒場裏の路地、背景に見える映画の看板に「汚れてしまった悲しみ」と書かれている。
顔に滴るのは涙と血だ。五郎は顔中をクシャクシャにして組長を追う。彼も傷を負っている。返り血か自分の血か、もうわからない。水たまりを蹴散らして、五郎が組長を追う。追う。追いつめる。恐怖に顔をゆがめた組長の顔がアップになる。深い悲しみと怒りに充ちた五郎の瞳が光る。五郎は両手でドスを握りしめ、全身の力で組長の躯を貫く。
その間、阿鼻叫喚も罵りもなく、ドスとドスが火花を散らす音もなく、ただ青江三奈の「上海帰りのリル」が流れているだけである。
●僕の父も大陸から引き揚げてきた人間だった
「上海帰りのリル」が耳について離れなくなった僕は、ユーチューブで検索をしてみた。何と新東宝映画「上海帰りのリル」(1952年)の映像が、オリジナルの曲(津村謙という人が歌っている)と一緒にアップされていた。昭和27年、戦後7年目に封切られた映画である。
「上海帰りのリル」は戦前の上海で知り合った男女が、戦争の混乱で生き別れになり、戦後の日本に引き揚げてきたけれど、ずっと逢えないままでいることを歌っている。「誰かリルを知らないか」と男はリルのことを気にかけ、探しているのである。「ハマの酒場にいた」と聞けば尋ねてゆき、「のぞみ棄てるなリル」と逢えない恋人に呼びかけるのである。
僕の父も大陸から引き揚げてきた人間だった。生き別れになった人もいただろうし、亡くなった人もいただろう。だが、帰国した日本で若い頃の友人や、もしかしたら憧れていた女性に逢いたかったのかもしれない。おそらく、戦後の日本にはそんな人がいっぱいいた。だから世相を反映した「上海帰りのリル」がヒットし、甘美で感傷的でロマンチックな物語を人々に想像させたのだ。
映画版でリルを演じていたのは、デビューしたばかりの香川京子だった。昭和27年といえば、同じ年に彼女は成瀬巳喜男監督の「おかあさん」に出演している。そちらではまだ少女のような役を演じていたが、リルは立派な大人の女の役だった。僕は元の映画を見てはいないのだが、ユーチューブの歌の背景に流れる3分半ほどの映像だけで物語は把握できた。
上海の高級飯店でリルはヤクザの親分らしき男に絡まれるが、それを助けたのが水島道太郎だ。彼の親友は森繁久彌で、森繁は楽団でドラムスを叩いている。リルと二人の男は楽しく上海で暮らしていたが、ある夜、ヤクザたちに襲われ、リルは水島道太郎をかばって撃たれる。そのとき空襲があって、そのまま別れ別れになる。リルの生死はわからない。
戦後の日本に映像が変わると、水島道太郎は闇屋になっている。ある日、彼はリルによく似た女を見かけて追いかけるが、見失ってしまう。ナイトクラブに出かけたとき、彼は楽団の指揮をやっている森繁と再会する。そして、リルとそっくりな女が彼の前に現れる...。
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しかし、森繁は、そのときすでに40近くになっている。大陸から引き揚げてきた森繁は、戦後、映画に出始め「腰抜け二刀流」(1951年)で初主演を果たす。翌年の昭和27年、日本が講和条約を結びアメリカの占領が終わった年であり、僕が生まれたばかりの頃のことだが、森繁は「三等重役」(1952年)で人気を博し、年間に10本以上の映画に出演していた。「上海帰りのリル」もその中の一本だった。
●森繁節と言われた独特の歌い方を初めて聴いた

小学生だった僕の目にも「社長」シリーズや「駅前」シリーズは、バカバカしいものに見えた。ストーリーはいつも同じで、浮気者の森繁社長がいて怖い奥さん(久慈あさみ)がいる。浮気相手は淡路恵子が担当することが多く、芸者やホステスなどの役だった。社長秘書は堅物の小林桂樹で、何かというと「パーッといきましょう」と言う三木のり平の宴会部長がいた。
そんな時期に、僕はテレビドラマの「七人の孫」に出合った。今や向田邦子伝説に彩られたドラマになったが、当時は単なるホームドラマだった。お手伝いさん役の悠木千帆が、後に名女優・樹木希林になるとは誰にもわからなかった。僕は長男(長谷川哲夫)の妻役の稲垣美穂子が好きだった。彼女は日活で、葉山良二や赤木圭一郎を相手にヒロインを演じた人だった。

森繁節と言われた、あの独特の歌い方を僕は「七人の孫」の主題歌で初めて聴いた。「社長漫遊記」や「駅前旅館」に主演していた中年のコメディアンが歌を唄うなどとは、僕は想像もしていなかったのだ。しかし、「七人の孫」の森繁節は僕をとらえ、塾の帰りに夜道を自転車で飛ばしながらよく口にしたものだった。
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その頃の森繁映画では「台所太平記」(1963年)が印象に残っている。名前は変えてあるが、森繁は文豪・谷崎潤一郎の役である。足フェチだった谷崎らしいシーンもあるし、文豪の日常を演じて風格があった。森繁は50になったばかりだったが、重厚さと軽妙さを併せ持ち、飄々とした演技を見せた。
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しかし、敗戦。森繁も一年以上、ソ連軍に身柄を拘束されたようだが、何とか帰国を果たす。その翌年から映画に出始めている。小林信彦さんの著作には、当時の森繁の面白さについて繰り返し書かれている。スタートは遅かったが、それだけに基礎は完成していたのだろう。前述の「上海帰りのリル」の短い映像でも、森繁のうまさは感じられる。
僕は森繁節で「上海帰りのリル」を聴きたいと思っている。それを聴くと、50年前、父が歌っていた「上海帰りのリル」を思い出せる気がする。父が歌う「上海帰りのリル」には、どこか哀愁があった。深い思い入れを込めているのがわかった。父にも、もう一度逢いたかった上海時代の恋人がいたのかもしれない。そんな想像をさせたものだった。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
この不景気はいつまで続くのかと、最近、溜息をつくことが多くなった。出版不況などと言われ、新聞の一面の記事になったりする。出版はずっと業界全体の売上が落ちているのだが、ある書籍編集者に訊くと、一年前から本が売れなくなったと嘆く。売れるのは村上、宮部、東野...、本当に限られた作家だけのようです。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均

特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
ちびちび、の愉悦!
「ぼやき」という名の愛
第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
すばらしい本です。
by G-Tools , 2009/10/09
