●"何か"があるんだ。サムシング・エルスがな
僕の文章をよく読んでもらっている方にはおなじみかもしれないが、僕は「純粋で美しい何か」とか「長い時間が奪い去った何か」とか「失われてしまった何か」という言い方をする。的確な言葉を探せないことも理由だが、「何か」は言葉で表せないものなので、ついついそういう使い方をする。
村上春樹さんは、よく「何かが永遠に失われてしまったのだ」といった文章を書く。もしかしたら僕は少しそれにも影響されているのかもしれない。そういう使い方をする時に頭に浮かんでいるのが英語の「something else」である。サムシン(グ)・エルス......


まあ、世の中には言葉で言い表せないことが多いから、絵画やアートがあり、音楽があり映像がある。僕はどちらかといえば、そういったものから感じた「何か」を言葉で的確に把握しようとあがいている。その「何か」のコアのようなものを明確につかんだと思える言葉、あるいは言語表現を手にしたと実感した時に僕の心は浮き立つ。しかし、そんな経験はほとんどない。
ずっと原稿を書き続けてきたけれど、言葉で何らかの思いを表現するのはとてもむずかしいことだ。心の奥底に響く、あるいは伝わる文章を書くことが、どれほど難しいか、僕はいつも思い知らされている。しかし、僕が愛読してきた作家たちは、みんなそんなことを軽々と実現しているように思える。

「夕べの雲」は、四人家族である小説家の一家の日常を淡々と描いているだけなのだが、そこから何かが立ち上がり、僕の心をわしづかみにしたのだ。それは、一体何だったのだろう。その何かを僕は明確に言葉にはできない。しかし、その何かは明確に僕の生き方に影響を与えた。それは間違いない。
●物語全体から伝わってくる何かが読者の心を震わせる
僕は「第三の新人」と言われた作家はほとんど読んでいて、吉行淳之介、安岡章太郎、小島信夫の著作は読み尽くし、庄野潤三、遠藤周作の小説もかなり読破した。登場した頃、彼らは、その問題意識の狭さや小ささを批判され、個人的な世界を描いているだけと言われたが、それぞれに独自の世界を開拓し掘り下げ、揃って戦後日本文学界の大家になった。
「第三の新人」という日本文学史上の命名は、野間宏などの「第一次戦後派」がいて次に「第二次戦後派」が登場し、それに続いて登場した新人作家たちに付けられたネーミングだった。「第三の新人」の後に登場した黒井千次や古井由吉や坂上弘などは「内向の世代」と呼ばれた。だが、その前に登場した石原慎太郎、大江健三郎、開高健などは何というネーミングで括られたのだろう。

現在の小説家で「言葉で直接的には表現できない何か、伝わらない何か」を読者の感性の深いところに響かせることができるのは、村上春樹さんである。深い悲しみ、何かを永遠に失った喪失感...、村上さんの小説があれほど売れるのは、その物語全体から伝わってくる何かが読者の心を震わせるからだ。リアリズムを超越した不思議な物語は多くの人々を魅了し、物語が伝えてくる「気分」や「ニュアンス」や「心にダイレクトに響いてくるもの」を読者は受け取る。
このコラムを10年以上にわたって書いてはいるけれど才能の乏しい僕などは、自分が伝えたいものをどう書けばいいのかと壁にぶつかることばかりだ。喪失感、寂寥感、言いようのない淋しさ、救いようのない深い悲しみ...、そんなものはストレートな文章では表現できない。文章によって描かれるものの中から立ち上がってくるもの、それが読者に伝わるかどうかが大切なのだ。
しかし、ビジュアルの力は強い。たとえば、絵画。絵を見て伝わってくる何かは、文章では書き表せない。才能ある作家が書けば伝わるのかもしれないが、たとえばモディリアーニの絵を見たときにダイレクトに受け取るものとは微妙に異なる気もする。首が長く、瞳がないブルーグレイの目を持ち、白く大きな帽子をかぶっているジャンヌ・エビュテルヌの肖像を見たときに伝わってくる何かとは、やはり言葉では言い表せないものではないか。
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●超能力者の悲しみを描いたセンチメンタルな物語
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罪を犯し、毎月、保護司(泉屋しげる)のところに出向かなければならない少年(小池徹平)と青年(玉木宏)がいる。青年は暴力的で、ケンカばかりしてトラブルを起こす。少年は心優しく、まるで女の子のようだ。ある日、青年は数人の若者たちとケンカをして傷つくが、少年に手を触れられて自分の傷が治っていることに気付く。
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少年はかつて母親が父親を包丁で刺した現場に帰宅し、その場のなりゆきで母親を包丁で刺した。そのため、保護観察の身の上だ。青年は父親に虐待されて乱暴な人間に育ち、傷害事件を起こし保護観察になっている。もうひとりの主要な登場人物は、クラスメイトに虐められ唇に醜い傷跡が残ったために、マスクが外せない少女(栗山千明)である。少女はダイナーで働き、そこに食事にくるふたりと知り合う。
物語は、少年が他人の傷を自分の躯や他の人間に移せる能力を持っていたことから動き出す。ある夜、青年は父親に虐待された子供の頃の話をし、父親にアイロンを押しつけられてできた肩の火傷跡のことを告げる。その直後、少年は青年の肩に触れ、その火傷跡を自分の肩に移す。それに気付いた青年は怒り、火傷跡を寝たきりになって痛みを感じない自分の父親に移させようとする。
少年と青年は、ある日、保護司から少女が無惨な虐めに遭った過去を聞く。青年は少女を虐め傷つけたクラスメイトたちを、「俺が叩きのめしてやる」と直情的に反応する。そして、少年に向かって「彼女の唇の傷は、絶対にとるな」と諭す。だが、少年は少女に愛を告白し、口づけをして少女の唇の醜い傷跡を自分の唇に移してしまうのだ。
僕は、今までに数え切れないほどの愛の告白場面を見てきた。だが、どんなに稚拙な映画であっても、どんなにあざといお涙ちょうだい映画であっても、ある人物が他の人物に向かって「愛している」と表明する瞬間の崇高さは、どんな映画も同じではないかと、「KIDS」の小池徹平と栗山千明のおずおずとしたくちづけシーンを見て考えた。
ひとりの人間が何ものにも代えがたく他の人間を思っている、つまり自分以上に大切な人間ができたことを告白するシーンは、それがどんなに映画的表現として稚拙であっても、そこには何らかの感動が存在するし、こんな映画を見て泣くわけねぇじぇねぇか、と思いながら気が付くと頬を涙が流れていることがある。やはり、映像の力だ。
ある日、少年は刑務所にいる母親に面会にいき、徹底的に傷つけられる。実の母親に「おまえを生まなければよかった。私がこんな目に遭っているのは、全部おまえのせい」と存在を否定されるのである。これほどの絶望はない。少年はその帰途、悲惨な交通事故に遭遇し、多くの怪我人の傷を自分で引き受けようとする。それは、自らを殺そうとする少年の意志の顕れである。
他人の肉体的な痛みを見過ごしにできず、少年は相手の致命的な傷さえ自らの肉体に移そうとする。それに気付いた青年は事故現場にやってきて、少年を止めようとする。そのうえ、少年が引き受けた傷(「KIDS」は「傷」を重ねている)を「半分、俺に寄こせ!」と叫ぶ。そのときの青年の悲痛な思いが胸を打つ。珍しく荒々しい青年を演じる玉木宏がいい。
青年は乱暴な言葉遣いしかできず、暴力的で、寝たきりになった自分の父親に憎悪をぶつける言動をする。しかし、その内面には深い悲しみを抱え、少年をかけがえのない友として愛している。彼は優しすぎる少年に対して、保護者のような気持ちと深い友情を抱いているのだ。その言葉にはできない気持ちが、「おまえが引き受けた傷を、俺に半分寄こせ!」と乱暴に怒鳴ることで伝わってくる。
映像と音、演じる役者たちの表情、言葉の発せられるニュアンスなど、それらを総合した表現から何かが伝わってくる。映画は総合芸術と言われるが、世界をそのままに再現できる強力な表現方法を持っているのだ。だから、その強力な表現方法を生かし切っていない作品を見ると、僕も少し苛立つ。
言葉だけしか表現方法を持たない僕から見れば、宝の山へいってゴミを拾ってきた(昔、上司から仕事の評価としてよく言われた)ようなものだ。それでも、どんな映画にも何かしら見るべきもの、学ぶものはある。言葉では伝わらないもの...がある。そう期待しながら、僕は映画を見続けている。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
秋晴れの下、久しぶりのゴルフ。職種が変わった関係で50を過ぎて始めたゴルフだが、「他人に迷惑をかけないことだけを考えなさい」とある先達に言われた。ゴルフは下手だと、一緒にまわる人に迷惑をかける。僕など、迷惑をかけたくないばかりに一時期、必死に練習した。ここ2年ばかりは少しマシになったと思っていたが...。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
ちびちび、の愉悦!
「ぼやき」という名の愛
第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
すばらしい本です。
by G-Tools , 2009/10/30