死の接吻/深夜の歌声/拾った女/ワーロック/アラモ/馬上の二人/秘密諜報機関/ニュールンベルグ裁判/刑事マディガン/オリエント急行殺人事件
●手塚治虫キャラクターが登場するスターシステム
手塚治虫さんのマンガには、いろんなキャラクターが登場する。実に多彩だ。手塚さんは一種のスターシステムをとっていて、共通したキャラクターが様々な物語に別の役を振り当てられて出演する。初期の作品によく登場したクールな美少年ロック、陰険なアセチレン・ランプ、正義派のひげオヤジ、悪役専門のスカンク草井...、それにコメディリリーフ的な「ひょうたんつぎ」もいた。
手塚さんはヘンな顔の男たちが好きだったのかもしれないなと、それらのキャラクターの元になった映画スターたちを思い浮かべた。映画好きだった手塚さんは、映画スターたちをモデルにしてキャラクターを創った。それが、耳の上にランプのように火が燃えているアセチレン・ランプや、フランケンシュタインのモンスターのような顔をしたスカンク草井などだった。
●手塚治虫キャラクターが登場するスターシステム
手塚治虫さんのマンガには、いろんなキャラクターが登場する。実に多彩だ。手塚さんは一種のスターシステムをとっていて、共通したキャラクターが様々な物語に別の役を振り当てられて出演する。初期の作品によく登場したクールな美少年ロック、陰険なアセチレン・ランプ、正義派のひげオヤジ、悪役専門のスカンク草井...、それにコメディリリーフ的な「ひょうたんつぎ」もいた。
手塚さんはヘンな顔の男たちが好きだったのかもしれないなと、それらのキャラクターの元になった映画スターたちを思い浮かべた。映画好きだった手塚さんは、映画スターたちをモデルにしてキャラクターを創った。それが、耳の上にランプのように火が燃えているアセチレン・ランプや、フランケンシュタインのモンスターのような顔をしたスカンク草井などだった。
以前にも書いたけれど、アセチレン・ランプのモデルは我が愛するリノ・ヴァンチュラである。おそらく「彼奴を殺せ」(1959年)のリノ・ヴァンチュラがモデルだろう。この映画のモノクロの陰翳の中に現れるリノ・ヴァンチュラは、ライティングのせいかアセチレン・ランプにそっくりだ。ちなみにタイトルは「きゃつをけせ」と読んでください(いいですねぇ、この言語感覚)。
さて、スカンク草井のモデルは誰だと思いますか? 手塚さんは青年マンガを手掛けるようになった中期以降は、あまり共通キャラクターを出さなくなったから、わからない人も多いだろうなあ。それに、もう今ではモデルになった映画スター自体がわからない。50年代から60年代にかけて、よく登場していた人たちなのである。
リチャード・ウィドマーク。僕はこの俳優が大好きなのだが、あるとき「スカンク草井のモデルは、リチャード・ウィドマーク」と言われて、少しショックを受けた。そう言われてじっくり見ると、確かにリチャード・ウィドマークの特徴をよくつかんでいる。とびだした額、眉がなく三白眼の陰険な目、痩せているようだが妙にむくんだ顔である。
いくら何でも、こりゃウィドマークが可哀想だと思った。それに、アセチレン・ランプには妙なユーモアが漂っていて愛嬌もあったのだが、スカンク草井には愛嬌なんかこれっぽっちもなく、非情な殺し屋みたいな役ばかりだった。サディスト・キャラクターである。ネーミングだって、あんまりだと思う。当時、「スカンクくさい」と言われていじめに遭っていた小学生は、全国にけっこういたのではないだろうか。
リチャード・ウィドマークは、「死の接吻」(1947年)のクールでサディストの殺し屋役で注目された人だから、そのキャラクター・イメージを手塚さんはスカンク草井に付与したのだろう。その映画で、リチャード・ウィドマークは甲高い声で笑い、「ハイエナ・ラフィング」と名付けられ評判になった。怖い、狂気を秘めたキャラクターだった。「深夜の歌声」(1948年)でも、次第に狂的な本性を現していく敵役が怖かった。
しかし、その後、リチャード・ウィドマークは主演あるいは準主演作品が増える。サミュエル・フラー監督の「拾った女」(1953年)あたりでは、主役といっても電車の中のスリという半端な役(よく似合った)だったが、「ワーロック」(1959年)ではヘンリー・フォンダとアンソニー・クインをおさえ、後半になってからはリチャード・ウィドマークが真の主人公だったのがわかる。
ジョン・ウエインが自ら制作し監督した西部劇大作「アラモ」(1960年)では二番目に名前がクレジットされ、ナイフ使いの名人でテキサスの英雄ジム・ボウイを演じている。僕は、小学生のときに「アラモ」を見て、ヘンな顔のヒーロー、リチャード・ウィドマークのファンになった。ヘンな顔の男たちが好きという僕の癖は、どうも昔からのことらしい。
●アリステア・マクリーン原作の最初の映画化作品
アリステア・マクリーンは、60年代に矢継ぎ早に質の高い冒険小説を発表し続けたイギリスの作家で、当時は愛読者も多く、出す小説が次々に映画化された。最初にヒットした映画は「ナバロンの要塞」(1961年)だが、初めて映画化された小説が「最後の国境線」であることは、あまり知られていない。邦題が「秘密諜報機関」(1961年)だったからかもしれない。
この映画をリチャード・ウィドマークは自ら制作し、主演している。僕はマクリーンの小説の中では、冷戦時代の緊張感にあふれた「最後の国境線」が最も好きで、登場人物が語る「最後の国境線は...人間のこころ」というフレーズには、いたく感銘した。さすがマクリーンは、元教師だと思った。「秘密諜報機関」は、リチャード・ウィドマークのフィルモグラフィの中では珍しいスパイものである。
同じ年、リチャード・ウィドマークは代表作になる二本の映画に出ている。ジョン・フォードは「アラモ」を監督するジョン・ウエインに頼まれて、現場でアドバイスしたという話だが、そのときにウィドマークが気に入ったのだろうか。「馬上の二人」(1961年)でリチャード・ウィドマークをジェームス・スチュアートと組ませた。
また、社会派監督スタンリー・クレイマーの「ニュールンベルグ裁判」に連合軍側の検事として出演し、実力派の性格俳優としての地位を固めた。この映画で目立ったのはリチャード・ウィドマークと、ドイツ側の弁護士を演じたマクシミリアン・シェルだった。スペンサー・トレイシーの判事、告発されるドイツの教育者バート・ランカスターなど、オールスター・キャストの中でリチャード・ウィドマークは演技的に高い評価を得たのだ。
リチャード・ウィドマークは善人役も悪人役もこなせる映画スターになり、複雑なキャラクターも演じられるようになった。「ニュールンベルグ裁判」の検事役では、自己の権力欲も見せながらナチス・ドイツの残虐さを暴いていく役だった。ときには卑怯なテクニックを駆使し、卑劣な罠も仕掛ける。あるときは正義派であり、あるときは被告に同情する真摯な姿を見せる。
リチャード・ウィドマークの映画で僕が最も思い入れがあるのは、「刑事マディガン」(1967年)だ。中高生の頃、ウィドマーク・ファンだった僕は、彼の映画は欠かさず見にいっていた。「シャイアン」(1964年)「アルバレス・ケリー」(1966年)などである。その中で僕は「刑事マディガン」に出合ったのだ。それは、またドン・シーゲル監督との出合いでもあった。
●ベテラン刑事の哀愁が漂うリチャード・ウィドマーク
「刑事マディガン」は拳銃を奪われた刑事が執念で犯人を追うストーリーで、黒澤明の「野良犬」(1949年)の影響を指摘する人もいる。黒澤映画は世界中の映画人に影響を与えているから、おそらくドン・シーゲルも意識したのは間違いないだろう。ただし、刑事が拳銃を奪われる設定だけが同じで、黒澤映画とはまったく違うテイストの作品だ。
もう若くはないマディガンは、相棒の刑事とふたりで犯人逮捕に出かけ、部屋に踏み込むが一瞬の油断につけ込まれて銃を奪われ、犯人を取り逃がす。刑事が主人公の映画としては間抜けな話で、これはウィドマークだからやれる設定である。彼は刑事という仕事に疲れ、ある部分では嫌気がさしている。ベテランといわれる歳で、いつものように片づければいいと思っていた簡単な仕事をしくじるのだ。
この仕事に疲れているベテランの刑事、という哀愁が漂うリチャード・ウィドマークがいい。彼の家庭生活も描かれるが、万年刑事の貧乏さを感じさせているのもいい。ベテランの刑事が貧乏なのは、彼がワイロを一銭も受け取っていないからだ。刑事という仕事に倦んでいても、彼はかつて自分が理想を抱いて就いた警察官の仕事に誇りを持っているのがわかる。
彼は執念に突き動かされるように、犯人を追う。その姿から次第に悲壮感が伝わってくる。悲劇の予兆が漂い始める。何かが起こるのではないか、と物語の圧倒的なドライブ感に浸りながら、どこかギリシャ悲劇を見ているような気分にさえなってくる。同時並行で描かれる警察機構の頂点にいる総監(ヘンリー・フォンダ)の物語と、どこで交わるのかという興味も湧く。
監督のドン・シーゲルは、この作品の前に快作「殺人者たち」(1964年)があり、「刑事マディガン」の次にクリント・イーストウッドとの「マンハッタン無宿」(1968年)「真昼の死闘」(1970年)を撮り、不滅の刑事映画「ダーティハリー」(1970年)に到達する。「ダーティハリー」の原型は「刑事マディガン」にあると僕は思う。
「刑事マディガン」のオープニングタイトルの背景に流れる夜のニューヨークは美しい。「ダーティハリー」では銃弾を浴びて飛び散る赤や青のネオンを美しいシーンにしてみせたドン・シーゲルだが、その原点はここにあったのだ、と思わせる美しいオープニングシーンだった。
「刑事マディガン」でもう一本の代表作を得たリチャード・ウィドマークは、その後、大物ゲストスター的な存在になってゆく。たとえば、往年の大物スターたちが顔を揃えた「オリエント急行殺人事件」(1972年)では、殺される富豪の役を演じた。
この映画、「一体、出演料はいくらかかった」と思うほどの顔ぶれだったけれど、雪で閉ざされたオリエント急行の車内だけでほとんどすんでしまうので、セットにあまりお金はかからなかったのかもしれない。しかし、そんな顔ぶれと一緒に出演するほどリチャード・ウィドマークは大物扱いなのだと、殺される役とはいえ僕は少し嬉しかったのを憶えている。
リチャード・ウィドマークは、その後も様々な映画に出演し、昨年春に93歳で亡くなった。大往生である。日本の俳優で言えば、森繁久彌より一歳年下である。若い頃のハイエナ・ラフィングから中年期の「ニュールンベルグ裁判」「刑事マディガン」、老年になってからの大統領役などを続けて見ると、男の顔の変遷がよくわかる。実に味のある顔だ。悪党面でも、こんな風に歳を重ねたいと思う。
歳を重ねたときの顔は、自分で責任をとらなければならない。長い年月が老人の顔には顕れる、と僕は若い頃から思っていた。それは顔の造作の問題ではなく、表情に何が顕れるかということだ。卑しい顔にだけはなりたくない。いわゆる悪相になるのはイヤだ。喜怒哀楽を出すのはいいけれど、そこには品のよさが存在し、穏やかな心根と落ち着いた感情をうかがわせる顔でありたい。
リチャード・ウィドマーク以外に僕が好きになったヘンな顔の男たちは、「穴」(1960年)「ラ・スクムーン」(1972年)のミッシェル・コンスタンタン、「火の接吻」(1949年)「いぬ」(1963年)「冒険者たち」(1967年)のセルジュ・レジアーニ、「ストリート・オブ・ファイヤー」(1984年)のウィレム・デフォー、「レザボアドッグス」(1991年)「ファーゴ」(1996年)のスティーブ・ブシェミなどである。
ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、ハンフリー・ボガート、リー・マーヴィン、ハーヴェイ・カイテルなどはヘンな顔というより「シブい顔」と言うべきなのだろうなあ。いや、リー・マーヴィンは「ヘンな顔の男たち」にジャンル分けしても文句は出ない気がする。「キャット・バルー」(1965年)でアカデミー主演男優賞を獲得したが、あのときの酔っ払いガンマン役が一番ヘンな顔だった。世の中には、案外、ヘンな顔好きの人が多いのかもしれない。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
暮れに発売予定の三巻目「映画がなければ生きていけない2007-2009」の初校が出て、休日に校正しています。すでにデジクリに書いたもので、何度も読み返しているのですが、やはり筆が入ります。今年の連載分もすべて書き終えて出版社に渡したので、休日の原稿書きは少し休めるのですが、自分で書いたとはいえ、三年二ヶ月分の原稿の多さにまいってます。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
>
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
- 特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
- ちびちび、の愉悦!
- 「ぼやき」という名の愛
- 第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
- すばらしい本です。
by G-Tools , 2009/11/06