死の接吻/深夜の歌声/拾った女/ワーロック/アラモ/馬上の二人/秘密諜報機関/ニュールンベルグ裁判/刑事マディガン/オリエント急行殺人事件
●手塚治虫キャラクターが登場するスターシステム
![(手塚治虫)マスコット根付 ヒョウタンツギ](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41jJQMz8rmL._SL160_.jpg)
手塚治虫さんのマンガには、いろんなキャラクターが登場する。実に多彩だ。手塚さんは一種のスターシステムをとっていて、共通したキャラクターが様々な物語に別の役を振り当てられて出演する。初期の作品によく登場したクールな美少年ロック、陰険なアセチレン・ランプ、正義派のひげオヤジ、悪役専門のスカンク草井...、それにコメディリリーフ的な「ひょうたんつぎ」もいた。
![アセチレン・ランプの夜 (河出文庫―手塚治虫漫画劇場)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51BZGBHA0PL._SL160_.jpg)
手塚さんはヘンな顔の男たちが好きだったのかもしれないなと、それらのキャラクターの元になった映画スターたちを思い浮かべた。映画好きだった手塚さんは、映画スターたちをモデルにしてキャラクターを創った。それが、耳の上にランプのように火が燃えているアセチレン・ランプや、フランケンシュタインのモンスターのような顔をしたスカンク草井などだった。
●手塚治虫キャラクターが登場するスターシステム
![(手塚治虫)マスコット根付 ヒョウタンツギ](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41jJQMz8rmL._SL160_.jpg)
![アセチレン・ランプの夜 (河出文庫―手塚治虫漫画劇場)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51BZGBHA0PL._SL160_.jpg)
以前にも書いたけれど、アセチレン・ランプのモデルは我が愛するリノ・ヴァンチュラである。おそらく「彼奴を殺せ」(1959年)のリノ・ヴァンチュラがモデルだろう。この映画のモノクロの陰翳の中に現れるリノ・ヴァンチュラは、ライティングのせいかアセチレン・ランプにそっくりだ。ちなみにタイトルは「きゃつをけせ」と読んでください(いいですねぇ、この言語感覚)。
さて、スカンク草井のモデルは誰だと思いますか? 手塚さんは青年マンガを手掛けるようになった中期以降は、あまり共通キャラクターを出さなくなったから、わからない人も多いだろうなあ。それに、もう今ではモデルになった映画スター自体がわからない。50年代から60年代にかけて、よく登場していた人たちなのである。
リチャード・ウィドマーク。僕はこの俳優が大好きなのだが、あるとき「スカンク草井のモデルは、リチャード・ウィドマーク」と言われて、少しショックを受けた。そう言われてじっくり見ると、確かにリチャード・ウィドマークの特徴をよくつかんでいる。とびだした額、眉がなく三白眼の陰険な目、痩せているようだが妙にむくんだ顔である。
いくら何でも、こりゃウィドマークが可哀想だと思った。それに、アセチレン・ランプには妙なユーモアが漂っていて愛嬌もあったのだが、スカンク草井には愛嬌なんかこれっぽっちもなく、非情な殺し屋みたいな役ばかりだった。サディスト・キャラクターである。ネーミングだって、あんまりだと思う。当時、「スカンクくさい」と言われていじめに遭っていた小学生は、全国にけっこういたのではないだろうか。
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●アリステア・マクリーン原作の最初の映画化作品
この映画をリチャード・ウィドマークは自ら制作し、主演している。僕はマクリーンの小説の中では、冷戦時代の緊張感にあふれた「最後の国境線」が最も好きで、登場人物が語る「最後の国境線は...人間のこころ」というフレーズには、いたく感銘した。さすがマクリーンは、元教師だと思った。「秘密諜報機関」は、リチャード・ウィドマークのフィルモグラフィの中では珍しいスパイものである。
同じ年、リチャード・ウィドマークは代表作になる二本の映画に出ている。ジョン・フォードは「アラモ」を監督するジョン・ウエインに頼まれて、現場でアドバイスしたという話だが、そのときにウィドマークが気に入ったのだろうか。「馬上の二人」(1961年)でリチャード・ウィドマークをジェームス・スチュアートと組ませた。
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リチャード・ウィドマークは善人役も悪人役もこなせる映画スターになり、複雑なキャラクターも演じられるようになった。「ニュールンベルグ裁判」の検事役では、自己の権力欲も見せながらナチス・ドイツの残虐さを暴いていく役だった。ときには卑怯なテクニックを駆使し、卑劣な罠も仕掛ける。あるときは正義派であり、あるときは被告に同情する真摯な姿を見せる。
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●ベテラン刑事の哀愁が漂うリチャード・ウィドマーク
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もう若くはないマディガンは、相棒の刑事とふたりで犯人逮捕に出かけ、部屋に踏み込むが一瞬の油断につけ込まれて銃を奪われ、犯人を取り逃がす。刑事が主人公の映画としては間抜けな話で、これはウィドマークだからやれる設定である。彼は刑事という仕事に疲れ、ある部分では嫌気がさしている。ベテランといわれる歳で、いつものように片づければいいと思っていた簡単な仕事をしくじるのだ。
この仕事に疲れているベテランの刑事、という哀愁が漂うリチャード・ウィドマークがいい。彼の家庭生活も描かれるが、万年刑事の貧乏さを感じさせているのもいい。ベテランの刑事が貧乏なのは、彼がワイロを一銭も受け取っていないからだ。刑事という仕事に倦んでいても、彼はかつて自分が理想を抱いて就いた警察官の仕事に誇りを持っているのがわかる。
彼は執念に突き動かされるように、犯人を追う。その姿から次第に悲壮感が伝わってくる。悲劇の予兆が漂い始める。何かが起こるのではないか、と物語の圧倒的なドライブ感に浸りながら、どこかギリシャ悲劇を見ているような気分にさえなってくる。同時並行で描かれる警察機構の頂点にいる総監(ヘンリー・フォンダ)の物語と、どこで交わるのかという興味も湧く。
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「刑事マディガン」のオープニングタイトルの背景に流れる夜のニューヨークは美しい。「ダーティハリー」では銃弾を浴びて飛び散る赤や青のネオンを美しいシーンにしてみせたドン・シーゲルだが、その原点はここにあったのだ、と思わせる美しいオープニングシーンだった。
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この映画、「一体、出演料はいくらかかった」と思うほどの顔ぶれだったけれど、雪で閉ざされたオリエント急行の車内だけでほとんどすんでしまうので、セットにあまりお金はかからなかったのかもしれない。しかし、そんな顔ぶれと一緒に出演するほどリチャード・ウィドマークは大物扱いなのだと、殺される役とはいえ僕は少し嬉しかったのを憶えている。
リチャード・ウィドマークは、その後も様々な映画に出演し、昨年春に93歳で亡くなった。大往生である。日本の俳優で言えば、森繁久彌より一歳年下である。若い頃のハイエナ・ラフィングから中年期の「ニュールンベルグ裁判」「刑事マディガン」、老年になってからの大統領役などを続けて見ると、男の顔の変遷がよくわかる。実に味のある顔だ。悪党面でも、こんな風に歳を重ねたいと思う。
歳を重ねたときの顔は、自分で責任をとらなければならない。長い年月が老人の顔には顕れる、と僕は若い頃から思っていた。それは顔の造作の問題ではなく、表情に何が顕れるかということだ。卑しい顔にだけはなりたくない。いわゆる悪相になるのはイヤだ。喜怒哀楽を出すのはいいけれど、そこには品のよさが存在し、穏やかな心根と落ち着いた感情をうかがわせる顔でありたい。
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ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、ハンフリー・ボガート、リー・マーヴィン、ハーヴェイ・カイテルなどはヘンな顔というより「シブい顔」と言うべきなのだろうなあ。いや、リー・マーヴィンは「ヘンな顔の男たち」にジャンル分けしても文句は出ない気がする。「キャット・バルー」(1965年)でアカデミー主演男優賞を獲得したが、あのときの酔っ払いガンマン役が一番ヘンな顔だった。世の中には、案外、ヘンな顔好きの人が多いのかもしれない。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
暮れに発売予定の三巻目「映画がなければ生きていけない2007-2009」の初校が出て、休日に校正しています。すでにデジクリに書いたもので、何度も読み返しているのですが、やはり筆が入ります。今年の連載分もすべて書き終えて出版社に渡したので、休日の原稿書きは少し休めるのですが、自分で書いたとはいえ、三年二ヶ月分の原稿の多さにまいってます。
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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![photo](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41XGYOfgs2L._SL160_.jpg)
- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
ちびちび、の愉悦!
「ぼやき」という名の愛
第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
すばらしい本です。
by G-Tools , 2009/11/06