映画と夜と音楽と...[446]人生は悔いるだけのものなのか
── 十河 進 ──

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〈列車に乗った男/アメリカ、家族のいる風景〉

●自分の人生を全面的に肯定できない人々

彼は地方の小さな街の由緒ある家に生まれ、人生のほとんどを古い屋敷で過ごしてきた。屋敷は階段の途中の壁に、先祖たちの肖像画がかけられているような館だ。彼は高校の国語教師として職をまっとうし、今はリタイアしている。母親の遺産が入ったときに羽目を外そうとパリにいったが、結局、映画を見続けただけで帰ってきた。結婚はしなかったし、子供はいない。書物に取り囲まれて生きているが、初老になった今でも自宅に呼ぶ愛人はいる。

その週末、彼は心臓の手術をする予定になっていた。死ぬことは怖くないが、何かが彼の心残りになっている。自分の人生を全面的に肯定できないでいるからだ。これでよかった、と自分の人生を振り返れないのである。充たされない何かが、彼の中にある。このままでは死んでも死にきれない、と思うほどのやり切れなさではない。自分が憧れていた何か、実現できなかった何かが彼を後悔させる。

平穏無事であり、何の起伏もなかった長い長い時間、そんな人生がここへきて彼を歯がみさせる。金の苦労をしたわけではない。命がけの恋愛はしたこともない。教え子たちに何かを託そうとしたのではなく、ただ、自分の仕事として彼らに詩を教えてきた。だいたい、彼らは、自分のことなど忘れてしまっているに違いない。



そんな彼がひとりの男に会った。その男は列車から降りたのだろう、鞄を提げて薬局にきてアスピリンを買った。髪は短く刈り上げているが、もみあげが長く、あごひげと口ひげを生やしていた。目が鷲のように鋭い。頬がそげ、荒れた肌が男の過酷だった人生を顕わにしているかのようだ。彼は、その男に興味を惹かれ、思わず「薬を飲むのに水がいるね」と声をかけ自宅に案内する。

男は水をもらってアスピリンを飲むと出ていったが、観光シーズンしかホテルが営業していないので戻ってくる。彼は内心、男が戻るのを期待していたのかもしれない。男を部屋に案内し、西部劇のヒーローの真似をする。彼は自分の夢を語る。西部劇のヒーローのようになりたかったと...。無口な男は「映画の見過ぎだ」と短く反応する。そう、彼はその男のようになりたかったのだ。

一方、男は彼の古い部屋を見渡し「ここには過去がある」と口にする。翌朝、男は彼に「部屋履きを履きたい」と言う。部屋履きを履いたことがないのだ。その男の部屋履きを履いたことがない人生を彼は想像する。家に籠もっている間、彼はいつも部屋履きを履いている。彼とは、対極のような人生だったのではないだろうか。

もう初老といってもいい男ふたりが、古い屋敷で共同生活のように暮らしている。彼が夕食を作り、男がバゲットを買いに出る。バルコニーで星を見上げ、会話をする。彼と男は次第に親友のようになる。男は彼の落ち着いた生活に、いつの間にか憧れを感じているのだろう。

彼は、男が拳銃を持っているのに気付く。ある夜、一緒に食事をしワインを飲んでいるときに「この街にいる目的は?」と訊くが、男は「わかってるんだろ」と言う。もちろん彼にはわかっていた。「手伝おうか?」とまで言い出す。彼は銀行強盗をするのが夢だったと男に言う。そして、あることを男にねだる。

彼がねだったのは、男が持っている自動拳銃を撃つことだった。彼は廃屋で空き缶を並べて拳銃を撃つ。男が簡単にアドバイスする。そのとき、男がある詩のフレーズを暗唱する。それは、彼が夕食のときに男に教えた詩だった。男は続きが知りたくて、調べたという。男は、彼の人生を羨んでいる。落ち着いた人生に惹かれているのだ。

●人生の黄昏を迎えたふたりの男を描いて秀逸

髪結いの亭主 デジタル・リマスター版 [DVD]フランスのパトリス・ルコント監督は、僕と同じで「人生は苦い派」だと分類しているのだが、その割りには作品には甘美な救いがあって、それだからファンが多いのだと思う。日本では官能的な映像が評判になった「髪結いの亭主」(1990年)が公開され、その後、一作前の「仕立屋の恋」(1989年)も封切りになった。その後の作品を見ると「耽美派」「官能派」と呼ぶのがふさわしいかもしれない。

橋の上の娘 [DVD]「橋の上の娘」(1999年)は、ナイフ投げ芸人(ダニエル・オートゥイユ)とその標的になる娘(バネッサ・パラディ)のナイフを通しての官能的な関係を描く映画だったし、「歓楽通り」(2002年)は娼婦の館で育った男の官能に充ちた物語だったが、それはパトリス・ルコント独特のカムフラージュではないか。彼は、間違いなく「人生は苦い派」のひとりだと僕は思っている。

「髪結いの亭主」は、髪を切られる官能的な快感を映画にしてしまった奇妙な作品だったけれど、その結末はひどく苦い。少年時代に女性の理容師に髪を切られているときの快感は僕にも理解できたが、その夢を抱いたまま大人になり美容師と結婚し、人生に満足していた男は最後に手ひどく裏切られるのである。彼はせっかく手に入れた幸福を、失ってしまうのである。

ハーフ・ア・チャンス [DVD]パトリス・ルコントの本音は「ハーフ・ア・チャンス」(1998年)にあるのではないだろうか。歳を重ねたアラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドのふたりを引っ張り出して、懐かしいアクション映画を作ってしまったところに彼の嗜好がうかがえる。彼は少年の頃に、ふたりの映画を見て夢中になったに違いない。ベルモンドの「リオの男」(1963年)そっくりなシーンまで用意する傾倒ぶりである。

列車に乗った男 [DVD]そんなパトリス・ルコントの「列車に乗った男」(2002年)は、人生の黄昏を迎えたふたりの男を描いて秀逸だ。小さな街の高校教師として生きてきた男、無頼の世界で犯罪者として生きてきた男、そのふたりが出会ったときに何が起きるのか、パトリス・ルコントはそれを描こうとした。それぞれに悔恨の念を抱いている。教師だった男は、もっと波瀾万丈の人生を送りたかったのだ。犯罪者として生きてきた男は、落ち着いた人生に強い憧れを抱いている。

元教師を演じたのは「髪結いの亭主」のジャン・ロシュフォール、犯罪者役はフレンチ・ロックの帝王(日本で言えば内田裕也?)ジョニー・アリディである。40数年前、僕は「アイドルを探せ」をヒットさせたシルビー・ヴァルタンの夫としてジョニー・ハリディ(昔はこう表記された。フランス語独特の無音のHを知らなかったのだろう)を知ったが、その当時でもフランスでは彼の方がビッグネームだったらしい。

そのふたりが出演した「列車に乗った男」を見ると、人生の黄昏を迎え、誰もが己の人生を悔いているように見える。元教師の男は手術の前に姉に会いにいき、「姉さん、もう言ってもいいんじゃないか。『私の亭主は最低だった』って」と促し、姉はとうとうその言葉を口にする。それは、長い結婚生活を完全に否定することだが、その言葉を口にすることで彼女は解放される。新しい人生が拓くような気分になる。

そして、元教師の男もレストランでうるさく騒いでいる若い男たちとケンカになるのを覚悟して注意することで、今までの自分ではない何かになろうとする。彼は、60年以上生きてきた己を否定するのである。彼にとっては、60年以上つき合ってきた自分は、否定されるべき存在なのだ。誰もが、自分の人生には満足していない。しかし、人生は悔いるだけのものなのだろうか。

●人生が思い通りになると思うほど彼は若くない

もうひとり、己の人生を悔いている男を思い出した。彼は人気のなくなった映画スターだ。かつては西部劇スターとして、どこへいっても女が群がった。それが、今は砂漠の真ん中でB級映画のロケに参加している。彼は、今の状況に嫌気がさしているのだ。何もかも放り出したい。そんな衝動が撮影中に起こった。彼はローンレンジャーのような衣装で、馬に乗ったまま撮影現場から逃げ出す。何もかもがどうでもいい。

放埒な生活を送ってきた。無軌道と言われても仕方がない。映画スターという特権的な人生だったのだ。女たちを抱き、酒を浴びるように飲み、やりたい放題だった。だが、次第に人気が翳り、彼を見た通行人たちは「どこかで見た顔ね」という反応しかしなくなった。そのことは、もちろん腹立たしい。だが、人生が思い通りになると思うほど、彼は若くない。それなりに歳を重ね、経験も積んできたのだ。

彼は30年ぶりに故郷の母を訪ねる。ずっと音信不通のようになっていた。何の連絡もせず、母親を棄てていたのだ。だが、母親はまるで変わらない。息子として彼を迎えてくれた。彼のことを心配し、暖かく迎え入れてくれた。おまけに三十年近く前にかかってきた女の電話のことを憶えていて、彼に子供がいるらしいことを告げる。その女は彼の子供を妊娠したのだと、母親に伝言を頼んだのだった。

彼は忘れていた。女は大勢いた。ひと晩だけの関係を入れれば、一体何人いたのかわからない。しかし、彼は三十年の記憶を探る。その記憶を探る中で、彼は自らの人生を振り返らずにはいられない。そこにあるのは、深い悔恨ばかりだ。悔いるしかない人生だったことを、今さらのように彼は気付かされる。愚かだった。なぜ、そんな風に生きてきてしまったのか。だが、取り返しはつかない。

彼の記憶の中に、ひとりの女が浮かぶ。ある街でロケをして長く滞在したときに関係ができた女だ。彼は、その小さな街に女を探しにいく。女はいた。昔と同じように酒場のウェイトレスだ。その酒場には、彼がロケのときに書いたサインが飾られていた。二十数年前のことだ。人気絶頂の時代だった。その頃、彼の前に女たちは進んで身を投げ出した。だが、そのひとりだったウェイトレスは、自分の子供を生んでいた。

アメリカ、家族のいる風景 [DVD]ヴィム・ヴェンダース監督が「パリ、テキサス」(1984年)以来、二十年ぶりにサム・シェパードと組んだ「アメリカ,家族のいる風景」(2005年)は、アメリカの乾いた風景が美しく捉えられた映画だ。乾いた空気がスクリーンの外に漂う。その風景の中で、人生を虚しく費やした男の深い悔いが伝わってきた。彼は自分の子供という存在に戸惑い、それでも自分の人生は無駄ではなかったのではないかと思い始める。少なくとも、自分には子供がいた...。

だが、彼は単純に父親であったことの幸せを噛みしめるという風にはならない。子供がいることもまた、人生にとっては悔いになる要素だと思う。子供を持っても持たなくても、おそらく人は悔いる。子供を育てた人間は、ときに子供がいなかったらどんな人生だっただろうと後悔し、子供がいない人生を送った人間は、老いた悲しみの中で子供がいたら人生はどう変わっていただろうと悔いるのだ。

それは、あり得なかった人生を望む、人間の性かもしれない。もちろん、僕も振り返って後悔することは多い。だが、それは日々変化する。あるときは結婚したことを悔い、あるときには家族がいたことを感謝する。そのたびに、あのとき別の選択をしていたら...と空想する。もちろん、そんなことは意味がない。意味がないが、そう思うことで、人は本当に救いのない後悔から逃れられているのではないだろうか。悔いながらも、人は生き続けるしかないのだ。悔いることも...、人生の一部なのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
いつもの病院にいったら「基礎疾患があるので新型インフルエンザの予防接種は優先されます。受けますか」と訊かれ、しばらく迷ったが受けることにした。予防接種は初めてだからというので、医者は注射をした後「異常が出ないか、30分は待合室で様子を見てください」と言う。異常はなかったが、頭がくらくらした。二日酔いだった。

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