映画と夜と音楽と...[450]躯は売っても心は売らない
── 十河 進 ──

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〈チェンジリング/真昼の死闘/ガントレット/許されざる者/ガルシアの首〉

●都合の悪いことを隠蔽する体質はどこの国も同じ

チェンジリング [Blu-ray]WOWOWで放映されたので改めて見たが、「チェンジリング」(2008年)はイーストウッド映画らしい素晴らしい出来だった。先日、発表になった2009年度キネマ旬報ベストテンでは「グラン・トリノ」(2008年)が一位、「チェンジリング」が三位だった。

グラン・トリノ [Blu-ray]昨年の春に「チェンジリング」が公開になり、ずいぶんテレビスポットが流れているなと思ったのだが、その数カ月後には「グラン・トリノ」が公開された。僕は連休中に見にいった。僕のような長年のイーストウッド・ファンにとっては、二本もの新作が見られた至福の一年だった。

僕はアンジェリーナ・ジョリーの派手な顔があまり好きではないので、「チェンジリング」でも最初は馬鹿な母親かと思いながら見ていたのだけれど、途中からスクリーンに釘付けになった。目が離せない。息子のために戦う母親の姿が素晴らしい。アンジェリーナ・ジョリーが途中からめざましく変身し、いい女じゃないか、と僕は椅子から身を起こした。

母親が徹底的に戦う決意をするまで追い込むのは、警察のあまりにひどい対応である。それは、愚かな権力者たちの責任逃れであり、隠蔽体質から起こっていることだ。自分たちに都合の悪いことを隠そうとする体質は、どこの国も同じなのか。実話をペースにしているという。1920年代のロスの警察は、かなり腐敗していたらしいから、信じられないような話だが、そんなこともあるのかと納得した。



有能な電話交換手でシングルマザーのクリスティン(アンジェリーナ・ジョリー)がいる。彼女の息子は8歳だ。ある日、帰宅すると息子がいない。警察に電話をするが、「そのうち帰ってきますよ」と、とりあってもらえない。翌日になって、ようやく警察がやってくる。何ヶ月かして、息子が見付かったと担当の警部から連絡がある。

母子の感動の再会を撮影しようと、新聞記者たちが集まっている。警察が知らせたのだ。ロス警察は自分たちの手柄を誇ろうとアピールする。クリスティンが列車から降りてきた少年を「息子じゃない」と言うと、「このくらいの子は数カ月も会わなければ変わるもんだ」と強引に息子だと言いくるめる。そう言われて、彼女は半信半疑で少年を連れ帰る。

しかし、彼女にはどうしても息子だとは思えない。風呂に入れて躯を拭こうとしたとき、少年が割礼されているのを知る。翌日、警察にいって「息子じゃない」と言うと、「この数カ月の間に何があったかわからない。それくらいのことで...」と警部は取り合わないが、その日、警察から医者が派遣されてくる。しかし、医者も「あなたが精神的におかしいのでは...」と言う。

彼女の味方は、ロス警察の腐敗を糾弾し続けているブリーグレブ牧師(ジョン・マルコビッチ、いつもながらうまい)だけである。牧師は「警察はどんなことをするかわからない」と彼女にアドバイスをする。案の定、しつこく警察に現れて抗議する彼女を警部は強制的に拘束し、精神病院に収容する。

ここからが凄い。ホントにこんなことがあったのか、と信じられない気持ちになるが、イーストウッド作品の説得力には感心する。権力はここまでひどいことをするのか、と観客を納得させてしまう。個人は弱い。警察が「精神的に問題があるので入院させた」と言えば、本人が「私は正常よ」と言っても誰も信用しない。「頭のおかしい女」にされてしまう。

●娼婦の心意気に感じたヒロインは彼女の言葉をリフレインする

強制的に収容された精神病院で、クリスティンは必死で医者を説得しようとする。だが、誰も「頭のおかしい女」のことなどまともに取り合わない。正体のわからない薬を飲まされ、反抗すると電気治療と称し電流を流される。拘束衣を着せられ、ベッドに縛り付けられる。食堂にいくと、薬か電気ショックかで従順にさせられた魂の抜け殻のような患者ばかりがいる。

ある日、食堂でモジャモジャ髪の女が小さな声で話しかけてくる。彼女によると、警察に都合の悪い女たちを何人もその精神病院に収容しているらしい。彼女は娼婦だったのだが、ある日、客にひどく乱暴され警察に通報したところ、その客が警察官だったのがわかった。警察は、都合の悪いことを言い触らさせないために、彼女を強制的に精神病院に送り込んだのだ。

そんな頃、牧師が警察に現れ、クリスティンをどうしたのかと警部を問い詰める。そのせいか、クリスティンは医者に呼ばれ、「この書類にサインしたら退院できる」と告げられる。しかし、その書類には「息子が別人だと主張しないこと。警察が精神病院に入れた処置に同意したことを認める」と書かれてある。彼女は、医者に向かって「くそ食らえ。くたばるがいい(ファック・ユー)」と言い放つ。

その時代、「ファック」という言葉をまともな女性が口にすることはなかった。それは、クリスティンの戦闘宣言なのである。彼女は、権力の言うがままに従うことを拒否したのだ。戦うことを決意した。それは、彼女を身をもって守ってくれた、もう若くはない娼婦の心意気に感じたからである。その娼婦の言葉を、彼女はリフレインしたのだ。

その少し前、反抗的な態度を示したクリスティンを医者と看護婦たちが押さえ込み、正体のわからない薬を飲まそうとする事件があった。それを見た娼婦が彼女を救おうと、医者を殴り、看護婦に体当たりをした。しかし、逆に娼婦は捕らえられ、ベッドに縛り付けられ電圧を上げた電気治療を施される。娼婦は悲鳴を挙げる。しばられたままベッドに横たわる娼婦の部屋を訪れたクリスティンは、こんな会話を交わす。

──医者を殴るなんて...。
──殴りたかったの。気分よかったわ。もぐりの医者の手で二度、子供を堕ろしたわ...、仕方なく。子供のために戦えなかった。あなたは戦える。あきらめないで...。
──もちろんよ。
──くそ食らえ、奴ら、くたばるがいい。
──女性の言葉ではないわ。
──いいのよ、時には使うべき言葉を使わなくては。
──そう?
──失うものがないときにね。

そうなのだ。クリスティンは娼婦の友情に応えて、医者に「くそ食らえ。くたばるがいい」と宣言したのだ。医者がぎょっとする。その時点で、彼女には精神病院を脱出できる希望は何もない。しかし、医者が出してきた交換条件を蹴り、戦うことを決意したのだ。彼女は言う。──もう失うものは何もない。

●イーストウッドは娼婦たちをやさしい視線で描き続けてきた

「チェンジリング」で僕が一番好きになったキャラクターは、精神病院の中でクリスティンを支える娼婦だった。なぜ娼婦だったのかは、関係ない。喰っていくためには、躯を売らなきゃならないこともある。しかし、心まで売ることはない。彼女は、きっと戦ったのだ。暴力を振るった客が警察官だとわかっても、告訴を取り下げないと孤独に戦ったに違いない。

だから、業を煮やしたロス警察は厄介払いのために、彼女を「狂った女」として精神病院に強制収容した。だが、彼女は諦めていなかった。警察が捜し出した子を自分の子ではないと主張し、警察にとって都合の悪い女が、自分と同じように収容されてきたとき、彼女はシンパシーを感じたに違いない。

彼女は、二度、妊娠した。子供は欲しかった。しかし、彼女には選択の余地はなかった。字幕では「仕方なく」と訳されていたが、彼女が子供を二度も堕ろしたのは、「ノーチョイス」だったのだ。だから、自分の子を取り戻すために戦っているクリスティンに、彼女は「感情入った」のだ。厳しい体罰を受けるのもかまわず、彼女は医者を殴りクリスティンを救おうとした。

真昼の死闘【ユニバーサル・セレクション1500円キャンペーン/2009年第4弾:初回生産限定】 [DVD]思えば、クリント・イーストウッドほど娼婦に共感を抱き、彼女たちをやさしい視線で描き続けてきた男はいない。ドン・シーゲル監督と組んだ「真昼の死闘」(1971年)で、イーストウッドが礼を尽くして守った修道女は、目的地に着くといきなり服を脱ぎ捨て娼婦に戻る。シャーリー・マクレーンの修道女から娼婦への変身が鮮やかだった。

ガントレット [Blu-ray]ソンドラ・ロックはイーストウッドの愛人であり、一時期、彼のミューズ(創造の女神)だった。そんな蜜月時代のソンドラ・ロックをヒロインに起用した「ガントレット」(1977年)も、娼婦のやさしさを描いていた。警察のコミッショナーの秘密を握る娼婦を護送することになった主人公の刑事は、全警官を敵にまわし孤立無援の戦いに追い込まれる。

ガルシアの首 [DVD]「ガントレット」でソンドラ・ロックが演じた娼婦は、ならず者たちに襲われボロボロにされたイーストウッドを救うために、「あんたたち、男かい。殴るしかできないのかい。こっちを見な」と自ら服を脱ぎ捨て白い胸を晒す。彼女は自らの躯を使って、愛する男を救おうとする。そんな素晴らしい女は、サム・ペキンパー監督作品「ガルシアの首」(1974年)のイセラ・ヴェガしか僕には思い出せない。

許されざる者 [Blu-ray]また、イーストウッドにアカデミー賞をもたらせた「許されざる者」(1992年)は、娼婦がカウボーイに顔を切り刻まれたことから物語が始まる。娼婦たちは金を出し合い、カウボーイふたりに賞金をかけるのだ。その娼婦のリーダーを演じたのは、フランシス・フィッシャーだった。その後、何人めかのイーストウッド夫人になる。いかにも、イーストウッド好みの女優さんだった。

ペイルライダー [Blu-ray]フランシス・フィッシャーによく似ているのが、「ペイルライダー」(1985年)のヒロインを演じたキャリー・スノッドグレスだ。美人ではないし、骨っぽい(日本語の「骨っぽい」という意味ではなく、頬骨が目立ち何となくガリガリで骨を感じさせる感じの)人なのだが、妙な色気がある。僕は、間違いなくイーストウッドが好きな女性のタイプなのだと思う。

カポーティ コレクターズ・エディション [DVD]「チェンジリング」で精神病院に強制収容された娼婦を演じた女優も、彼女たちによく似たタイプである。きっと、イーストウッド自らがオーディションで選んだのだろう。ネットで調べてみると、エイミー・ライアンという女優さんだと判明した。娼婦キャロル・デクスターの役である。「カポーティ」(2005年)や「その土曜日、7時58分」(2007年)にも出ていたらしいが、僕はまったく憶えていない。

「チェンジリング」で彼女が演じた娼婦は、クリスティンにシンパシーを感じ、電気ショックの懲罰的な治療を施されるとしても、体を張って彼女をかばおうとした。誰かのために自らを犠牲にする...そんな行為ができる人間は、ほんのささやかなことであっても、僕を感動させる。ほほに涙を伝わらせる。この映画の彼女を、僕は決して忘れない。エイミー・ライアンという名を、僕は永久記憶ボードに刻みつけた。

それにしても、イーストウッドがうまいのは、クリスティンが警察に勝利することだ。それによって、観客にきちんとカタルシスを与える。牧師によって精神病院から救い出されたクリスティンは、警察によって強制的に精神病院に入れられていた人たちを解放させる司法命令を勝ち取る。

クリスティンを躯を張って助けた娼婦も解放され、ふたりは病院の門で視線をかわし、うなずきあう。だが、それだけで別れる。言葉を交わす必要はないのだ。彼女たちは通じ合っている。理解し合っている。そのシーンがいい。女同士の...、ちょっとハードボイルドな雰囲気だ。

ところで、日本で娼婦を共感を込めて描いたのは、加藤泰監督や森崎東監督だった。男はアウトロー(ヤクザ)、女は娼婦。それは加藤泰監督の映画でも、森崎東監督の映画でも、同じだ。彼らは、底辺に生きる男女に共感する視線で、社会を見ることができる映画作家だった。

僕が彼らの作品を偏愛するのは、そんなところに共通点があるのかもしれない。もちろん、今やハリウッドの大御所になったクリント・イーストウッドも彼らと同じく、弱い者に共感できる監督である。でなければ、あんなに娼婦に肩入れするはずがない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

仕事も実生活も多難なスタートを切った年だったが、早くも一ヶ月が過ぎてしまった。相変わらず、飲んだくれの日々。まったく、この情動は一体何なのだろう。ストレス発散という単純なものではないと思う。心穏やかに暮らしたいものです。ツイッター始めました。sogo1951です。

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