〈悲愁/雨の朝巴里に死す/華麗なるギャツビー/ラスト・タイクーン/ベンジャミン・バトン 数奇な人生〉
●大根役者と言われたグレゴリー・ペックが演じた小説家
フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドは、20世紀を迎える数年前の1896年9月にアメリカの中西部で生まれ、ヒットラー率いるナチスドイツがヨーロッパを席巻している最中に死んだ。1940年の暮れだった。44歳。当時としても早死にだった。未完を含む5編の長編小説と、多くの短編とわずかばかりの戯曲を遺した。
1920年、まだ24歳だったフィッツジェラルドは、「楽園のこちら側」という長編小説を発表し、華々しいデビューを飾った。彼自身にとっても、ローリング・トゥエンティーズの始まりである。1920年代、好景気にアメリカ中が浮かれ、人々はチャールストンを踊り狂った。フィッツジェラルドも美しい妻ゼルダを伴って、連夜、遊びまわり、湯水のように金を使った。
しかし、1929年、大恐慌によってアメリカが長い不況に陥ったのと同じように、フィッツジェラルドも若き日の栄光を失い、長い不遇の日々を送ることになる。妻ゼルダは精神に異常をきたして病院に入り、彼自身は力を込めて書き上げた長篇小説「夜はやさし」の不評に耐えながら、「昔は売れた作家」として自己憐憫に浸って生きることになった。
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フィッツジェラルドの晩年は、愛人シーラ・グレアムが彼の死後に出版した手記によって描かれ、ハリウッドが得意とするメロドラマとして映画化された。ヘンリー・キング監督の「悲愁」(1959年)である。フィッツジェラルドをグレゴリー・ペックが演じ、コラムニストとして成功するシーラ・グレアムを知性派女優デボラ・カーが演じた。
●大根役者と言われたグレゴリー・ペックが演じた小説家
フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドは、20世紀を迎える数年前の1896年9月にアメリカの中西部で生まれ、ヒットラー率いるナチスドイツがヨーロッパを席巻している最中に死んだ。1940年の暮れだった。44歳。当時としても早死にだった。未完を含む5編の長編小説と、多くの短編とわずかばかりの戯曲を遺した。
1920年、まだ24歳だったフィッツジェラルドは、「楽園のこちら側」という長編小説を発表し、華々しいデビューを飾った。彼自身にとっても、ローリング・トゥエンティーズの始まりである。1920年代、好景気にアメリカ中が浮かれ、人々はチャールストンを踊り狂った。フィッツジェラルドも美しい妻ゼルダを伴って、連夜、遊びまわり、湯水のように金を使った。
しかし、1929年、大恐慌によってアメリカが長い不況に陥ったのと同じように、フィッツジェラルドも若き日の栄光を失い、長い不遇の日々を送ることになる。妻ゼルダは精神に異常をきたして病院に入り、彼自身は力を込めて書き上げた長篇小説「夜はやさし」の不評に耐えながら、「昔は売れた作家」として自己憐憫に浸って生きることになった。
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「悲愁」はデボラ・カーの視点で描かれた。もちろん原作がシーラ・グレアムだったのだから、その映画の主役は彼女である。経歴を詐称してアメリカの新聞社に入ったシーラ・グレアムが、やがてコラムニストとして有名になり、晩年のフィッツジェラルドと知り合い、愛人関係になる。そして、彼女の部屋でフィッツジェラルドが死んで映画は終わる。
「悲愁」では、フィッツジェラルドが過去の作家であることが、しつこいくらいに描かれた。旅行先でシーラ・グレアムに自著をプレゼントしようと思い立ったフィッツジェラルドが書店に入ると自分の本はなく、書店主に「昔はいい小説を書いた作家だったけどね」と言われる。
また、新聞を見て自作が劇場で上演されることを知り、ふたりで正装して出かけるが、それは大劇場に付随する小さなホールで上演される学生たちの公演だった。フィッツジェラルドは学生に声をかけるが、誰も彼を知らず、女子学生は「あの人、誰?」と友人に問いかける。「昔、売れた作家だったらしいよ」と友人は答え、それをフィッツジェラルドは耳にする。
そんなエピソードのたびにフィッツジェラルドは傷つき、グレゴリー・ペックは何度も失意の表情をしなければならない。次第に彼はアルコールに浸るようになり、酔っ払ってシーラ・グレアムの仕事先に現れ、彼女を困らせるようになる。「悲愁」を見たとき、僕は「フイッツジェラルドは、こんな困った奴だった」ことを描きたかったのかと思ったものだ。
●60年代半ばにフィッツジェラルドの小説を読んだ少年

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昨年の暮れ、四国高松生まれの少年だった男は、書店で兵庫県育ちの少年だった作家が翻訳したフィッツジェラルド作品集「冬の夢」が新刊で出たのを知り、読もうか読むまいか迷った挙げ句、先日、とうとうそれを読み始めた。そして、16歳のときと同じように、その一編は深く深く男の胸に沁みわたった。「ああ、なんて素晴らしい小説なんだ」と深い溜息をついた。
フィッツジェラルドを翻訳した世界的作家は、もちろん村上春樹さんであり、同じ頃に瀬戸内海を挟んで育った少年は僕である。僕が村上さんの「冬の夢」を読むことを躊躇したのは、以前の翻訳が躯にしみこんでいたからだ。「冬の夢」という短編を、僕はこの40年間に何度読み返したかわからない。その小説は、村上さんにとっての「グレート・ギャツビー」と同じ位置を、僕の中で占めているのだ。

しかし、それらは長い間に一字一句が身にしみこんでいて、翻訳者による微妙な語句の違いが違和感を生む。だから、僕はチャンドラーの「待っている」が新訳で出たけれど、敬遠した。特にフィッツジェラルドの「冬の夢」のラスト・フレーズは僕を捉え、ほとんど暗記するほど読み込んだ。それくらい思い入れが強いものだから、僕は村上訳に二の足を踏んだのだった。
──「ずっと以前」と、彼は言った。「遠いむかし、ぼくの中には何かがあった。だがそれも今はなくなったのだ。去ってしまった以上、それはもうないんだ。おれは泣くこともできない。気にかけることもできない。それはもう二度と戻ってはこないだろう」(飯島淳秀訳・角川文庫版)
──「ずっと昔」と彼は言った、「ずっと昔、僕の中には何かがあった。でもそれは消えてしまった。それはどこかへ消え去った。どこかに失われてしまった。僕には泣くこともできない。思いを寄せることもできない。それはもう二度と再び戻ってはこないものなのだ」(村上春樹訳・中央公論新社刊)
●フィッツジェラルドを読むきっかけは「雨の朝巴里に死す」
僕がフィッツジェラルドの作品集を手にしたきっかけは、ハリウッドのメロドラマ「雨の朝巴里に死す」(1954年)だった。フィッツジェラルドが描くヒロインは、妻ゼルダがモデルなのだろうが、常に派手で遊び好きで奔放である。女王のように振る舞い、男たちを惹きつける。かしずかせる。この映画では、そんなヒロインをエリザベス・テイラーが演じた。

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物語は原作と同じように回想として語られるが、原題はなぜか「私がパリを見た最後のとき」と変えられていた。「バビロン再訪」では意味がわからない、とプロデューサーが言ったのかもしれない。もちろん「享楽の都バビロン」は、象徴的な意味で使われている。
「雨の朝巴里に死す」は、フィッツジェラルドの死後14年経っての映画化だった。フィッツジェラルドは、晩年をハリウッドのライターとして糊口を凌いだが、彼自身の作品の映画化はほとんどが死後のことだ。代表作「グレート・ギャツビー」は彼の死の9年後に映画化され、日本では「暗黒街の巨頭」(1949年)というミもフタもないタイトルで公開された。
フィッツジェラルドも多くの芸術家と同じように、死んだ後に評価が高まったのかもしれない。彼自身を描いた「悲愁」が19年後に公開され、その2年後には同じヘンリー・キング監督が「夜は帰って来ない」(1961年)という映画を作っている。僕は未見だが、原作は「夜はやさし」なのだろうか。
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僕の手元には今も、ギャツビー(ロバート・レッドフォード)とデイジー(ミア・ファーロー)がハレーションを起こしたような光あふれる緑の中を、当時、話題になったクラシック・ファッションに身を包み、手をつないで歩いている映画のワンシーンを使ったカバーの新潮文庫版「華麗なるギャツビー」がある。
しかし、そのカバーを外すと「グレート・ギャツビー」というタイトルが現れるのだ。訳者の名前は野崎孝となっている。野崎さんは後書きで「かなり改訂した」と書いてはあったが、それは僕が16歳のときに「偉大なギャツビー」として読んだ集英社世界文学全集版と同じだった。
●読者の心に住み着き永遠に立ち去ることのない哀しみ

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それと知って見ると、ある種の切なさが漂うのは、フィッツジェラルドの原作を使っているからかもしれない。監督のデビッド・フィンチャーは、本質的には殺伐とした映画を撮る人だから、こんな抒情感は表現できないだろう。主人公が老人の顔をした赤ん坊として生まれ、歳を重ねると若返っていくのも人生の悲しみを描くための設定であり、SF的には描いていない。
主人公(ブラッド・ピット)には、愛している女性(ケイト・ブランシェット)がいる。だが、彼女は年をとり、自分はどんどん若返っていく。彼らの年齢と外見が一致するのは互いに40を過ぎたときだ。いわゆる、人生の折り返し点である。だが、主人公の若返りは止まらない。やがて、主人公は彼女の前から姿を消し、老人になった彼女の前に認知症の少年(!)として現れる。
フィッツジェラルドは人が生きることの切なさを、見事なまでに描ける作家だった。それを僕は16歳のときに読んだ「冬の夢」で知った。心を捉えられた。鷲づかみにされた。最後のフレーズを、時々、ぼくはつぶやく。主人公のデクスターがそれをどんな気持ちで言っているのか、フィッツジェラルドが僕の心の奥底に刻印のように焼きつけていったからだ。
──人の魂が一度は辿らなくてはならない痛切な道程を、実に美しく描ききっている。そこには優れた文学にしかつくり出すことのできない、奥行きのある哀しみがある。読者の心に一度住み着いてしまったら、そこから永遠に立ち去ることのない哀しみだ。気がついたときには、心はその色に染められてしまっている。(村上春樹「冬の夢」のためのノートより)
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
酔っ払って怪我をしたときにメガネを紛失した。そこで、傷跡を隠せる黒縁メガネを買いにいったのに、買ったのはフレームのないスリーポイントのメガネ。そう言えば、10年少し前にもスリーポイントのメガネをしていたが、あれは帰郷して酔っ払い灌漑用水に落ちたときになくしてしまった。

< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/
>

- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
ちびちび、の愉悦!
「ぼやき」という名の愛
第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
すばらしい本です。
by G-Tools , 2010/03/19