映画と夜と音楽と...[458]クレオパトラの夢・リズの夢
── 十河 進 ──

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〈クレオパトラ/バージニア・ウルフなんかこわくない/ジャイアンツ/陽のあたる場所〉

●クラビノーバでジャズ・ピアノに挑戦した

子どもたちが大きくなって使わなくなった、クラビノーバ(電子ピアノ)がリビングで邪魔になっていた。誰も使わないのならやってみるか、と思って自分の部屋に運び込んだのは、もう10年以上前のことだった。それから「5分で弾けるお父さんのためのピアノ・レッスン」という本を買ってきた。何色かのシールが付いていて、それを鍵盤に貼るのである。

楽譜を見ると各音符の下に、その色が印刷されていた。その色のシールを貼った鍵盤を叩けば弾けるという仕掛けだが、右手の人差し指でメロディーを弾くのが精一杯だった。片手でコードを弾きながら、片手が流麗なメロディーを奏でている自分のイメージが浮かびはしたが、それが現実になるとは到底思えなかった。それでも「ムーン・リバー」のメロディーになったときは、ちょっと感激した。

しかし、それで諦めたわけではなくジャズ・ピアノをやりたくなって、懲りずに入門書を買ってきた。練習曲はバド・パウエルの「クレオパトラの夢」だった。案外、簡単な曲なのかもしれないなと思った。ジャズ・ピアノ独特のボイジングのやり方も載っていて、自在に「クレオパトラの夢」を奏でる己の姿が浮かんだが、やはり指は言うことを聞いてくれなかった。いや、まったく動かなかった。

バード [DVD]クリント・イーストウッドはハイスクールの頃に、バーでジャズ・ピアノを弾いて金を稼いでいたという。その頃にチャーリー・パーカーの演奏を生で見た。その凄さに驚き、深く印象に残ったのだろう、イーストウッドは何10年か後にチャーリー・パーカーの映画「バード」(1988年)を作る。暗いけれど、とても印象的な映画だった。



センチメンタル・アドベンチャー [DVD]イーストウッドの息子カイルは父親の影響を受けて、ジャズ・ベーシストになった。「硫黄島」二部作(2006年)では音楽を担当し「グラン・トリノ」(2008年)でも父親と一緒に曲を作っている。イーストウッド自身も「グラン・トリノ」のラストでピアノの弾き語りを披露した。「センチメンタル・アドベンチャー」(1982年)では、このふたりの共演が見られるし、歌手役のイーストウッドはカントリーソングを披露する。

イーストウッドはハンサムでかっこよく、映画監督として頂点を極めたうえ、さらにピアノまで弾けるのだ。これは、まことに不公平だと言わざるを得ない。僕は歌えば音程を大きく外すし、楽譜は読めず、楽器など何もできない。クラビノーバを前に、僕はそんなことを思っていた。その後、サックスなら運指を覚え、タンギングなどをマスターすれば何とかなるかもしれないと思って、アルトサックスを購入し週末に河原で練習したが、人様に聴かせられるほどには上達しなかった。

考えてみれば、僕はやはりジャズ・ピアノが弾きたかったのだ。少し前に読んだ奥泉光さんの「鳥類学者のファンタジア」という小説は、女性ジャズ・ピアニストがヒロイン(僕は大西順子さんを連想した)の面白い小説だが、音楽理論などが詳しく書き込まれていて、ますますジャズ・ピアノを自在に弾いてみたくなる。自分で弾くのはとうてい無理だとは思うけれど、バド・パウエルの弾く「クレオパトラの夢」が頭の中に響き渡るのだった。

●クレオパトラはどんな夢を見たのだろうか

クレオパトラの夢「クレオパトラの夢」は、謎の曲である。クレオパトラが見た夢なのか、夢の中にクレオパトラが出てきたのか、日本語でははっきりしない。原題から推察すると、クレオパトラが見た夢だと思うけれど、その夢は「こうありたいと彼女が願ったのか」または「単に眠って見た夢」なのかはわからない。

「夢」と言うとき、僕は人生で「こうありたいと願うこと」を連想する。寝て見る夢もいいけれど、人が抱く夢は「こんな人生でありたい」と思うことではないのだろうか。人はどんなにささやかでも「夢」を持っていなければ、生きてはいけない。それは言いかえれば「希望」であり、明日も生きていこうと思う原動力である。夢や希望がなくなれば、人は生きていけない。

エジプトの女王だったクレオパトラは、政治的なせめぎ合いの中で、強大なローマ帝国と渡り合わなければならなかった。彼女が絶世の美女だったばかりに、アントニーやらシーザーやらブルータスといった連中を相手に女の武器を使い、手練手管を駆使して男たちを手玉に取らなければならなかった。それは、もしかしたら心ならずもだったのかもしれない。彼女にも「本当の夢」があったのではないだろうか。

クレオパトラ (3枚組特別編) [DVD]単純だけどクレオパトラと聞けば、僕はエリザベス(リズ)・テイラーを連想する。歴史上の絶世の美女を演じるには、現代の絶世の美女でなければならないと、映画会社のお偉方も考えたのだろう。20世紀フォックス制作「クレオパトラ」(1963年)に出演したとき、エリザベス・テイラーは30歳を越えたばかりで、女としての全盛期を迎えていた。

当時、ロクに映画を見ない大正生まれの僕の母親さえ、「エリザベス・テイラー=世界一の美女」だと認識していた。大げさに言えば、それはハリウッド映画が公開されている地域では共通認識であり、常識にさえなっていたのだ。だから、エリザベス・テイラー自身も、まるで自らが女王であるかのように振る舞った。

──「クレオパトラ」の彼女の出演料はなんと100万ドルという破格のもの。その他日常の必要経費として週3,000ドル、夫のエディ・フィッシャーの仕事のために週1,500ドル(彼の"仕事"とは妻を時間通りに仕事につかせることだった!)を彼女は要求した。フォックスはすべての彼女の要求をのんだばかりか、ビルのまるまる一つを彼女のドレス・ルームとして用意し、撮影所への送迎には運転手つきのロールスロイスを用意した...

これは川本三郎さんの「ハリウッドの神話学」(中公文庫)のエリザベス・テイラーの項で書かれていることだ。超大作「クレオパトラ」という映画を制作するために20世紀フォックスは湯水のように経費を使い、会社が傾きかけたのは有名な話だが、その元凶はエリザベス・テイラーだったのもしれない。ハリウッドの映画会社を潰しかけた女...、それがリズについた勲章だった。

●あの美しく気高いレズリーはどこへいったのだ?

バージニア・ウルフなんかこわくない [DVD]僕が初めてスクリーンで見たエリザベス・テイラーは、汚い言葉を吐き散らすアル中気味の女だった。倦怠期を迎えた中年のインテリ夫婦。エドワード・オールビーのヒット戯曲を映画化した「バージニア・ウルフなんかこわくない」(1966年)は、「クレオパトラ」で恋仲になり結婚したリチャード・バートンとの共演作で、絶世の美女であるはずだったリズは、夫を罵る鬼の形相をした妻だった。

ジャイアンツ [DVD]「ああ、あの美しく気高いレズリーはどこへいったのだ?」と、僕は死んでしまったジェームス・ディーンになりかわって嘆いた。その数年前にテレビで見た「ジャイアンツ」(1956年)で、テキサスの牧場主(ロック・ハドソン)と結婚した東部の令嬢レズリーは、高潔な精神と優しい心根で貧しい青年だったジェット・リンク(ジェームス・ディーン)を魅了した。

陽のあたる場所 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]さらに、僕はテレビのカット版で見た「陽のあたる場所」(1951年)の可憐な美少女を思い出していた。モンゴメリー・クリフト主演の貧しい青年の物語だ。金持ちの美少女アンジェラ(エリザベス・テイラー)は、優しい性格で金持ちぶらず、主人公に思いを寄せる。その美しさは、確かにただごとではなかった。そのとき、彼女はまだ20歳にもなっていなかった。

それが、30半ばだというのに「バージニア・ウルフなんかこわくない」では、髪を振り乱し、酔っ払って卑語をわめき散らす女に変わっていたのである。しかし、その熱演が評判になり、彼女は「バタフィールド8」(1960年)に続いて、二度目のアカデミー主演女優賞を獲得する。なるほど、ああいう演技が受けるのね、と映画を見始めたばかりの少年は思ったものだった。

エリザベス・テイラーは、生粋のハリウッド育ちである。生まれはイギリスだが、7歳でアメリカに移住。ヴァイオレットの瞳を持つ少女は、その美しさを認められ10歳になるかならない頃に映画デビューする。「緑園の天使」(1945年)「若草物語」(1949年)などの少女スターとして人気を博し、スペンサー・トレイシーの娘役を演じた「花嫁の父」(1950年)がヒットする。その翌年に出演したのが「陽のあたる場所」だった。

エリザベス・テイラーは、幼い頃から撮影所内の学校に通いながら映画に出る生活を送ってきた。彼女は、ハリウッド的価値観に染まっていたに違いない。そんな世界にいれば、人はスポイルされ、傲慢で、汚い言葉を吐き、他人は自分を利用して金儲けを企んでいるとしか思えなくなるのかもしれない。しかし、エリザベス・テイラーは、「陽のあたる場所」で、モンゴメリー・クリフトという知的で優しい男と出逢う。

●エリザベス・テイラーが真に愛したモンゴメリー・クリフト

エリザベス・テイラーについて語られるとき、多くの人々は彼女の数多い結婚歴を言い募る。何しろ8度結婚し、7回離婚したのだ。そのうち2回はリチャード・バートンとだった。プロデューサーのマイク・トッドは飛行機事故で死んだので、正確には死別だが、どちらにしろ結婚歴の多さはエリザベス・テイラーという女優のイメージを形作っている。

彼女が初めて結婚するのは18歳の時だ。相手はホテル王コンラッド・ヒルトンの御曹司で22歳だった。しかし、その結婚は一年も続かなかった。その頃だろうか、彼女は「陽のあたる場所」の撮影に入る。シオドア・ドライザーの小説「アメリカの悲劇」の二度目の映画化だった。

貧しく、そこそこの野心を抱く青年ジョージ(モンゴメリー・クリフト)は、叔父の工場で順調に出世するが、同僚の娘アリス(シェリー・ウィンタース)と関係し、つきまとわれている。ある日、パーティで金持ちの家にいき、その家の娘アンジェラと知り合う。

僕は、パーティの賑わいを逃れて広い邸宅をさまよい、たったひとりで部屋にいるモンゴメリー・クリフトを、フッと廊下を通りかかったエリザベス・テイラーが気にとめるシーンを今もよく憶えている。あのとき、彼女は18か19だったのだ。金髪が主流だったハリウッドで、彼女の髪はブルネットで知的な輝きがあった。

ジョージとアンジェラは愛し合う。だが、アリスがジョージの心変わりをなじり、妊娠したと告げる。ある日、ジョージはアリスと湖にボートで出ていき、明確な殺意もないまま、事故のようにアリスは湖に落ちて溺死する。ジョージは逮捕され、殺人罪で起訴される。そのジョージを、変わらぬ愛情を抱いた瞳でアンジェラは見つめていた...。

この映画をきっかけにして、エリザベス・テイラーとモンゴメリー・クリフトは、その仲を噂されるようになったという。結婚も近い、と書いたゴシップ誌もあった。しかし、彼らが結ばれることはなかった。後に、モンゴメリー・クリフトはホモ・セクシャルだったことが明らかになった。

多くの伝記で、エリザベス・テイラーが真に愛した男はモンゴメリー・クリフトだと指摘されているが、彼女が愛した男はホモ・セクシャルだったのだ。もうずいぶん昔のことになるが、ロック・ハドソンがエイズで死んだ直後のアカデミー授賞式にエリザベス・テイラーが登場し、エイズ撲滅を訴えたのを見たことがある。「ジャイアンツ」で共演したロック・ハドソンもゲイだった。

1956年5月、エリザベス・テイラー邸でのパーティを出て帰ろうとしたモンゴメリー・クリフトは、運転する車を大木に激突させた。事故現場に駆けつけたエリザベス・テイラーはドレスに血が染み込むのもかまわず、救急車がくるまで重体のモンゴメリー・クリフトを抱き続けた。彼女は写真を撮ろうとする輩に向かって、「撮らないで!」とモンゴメリー・クリフトをかばった。

モンゴメリー・クリフトは命を取り留めたが、整形手術によっても以前の甘いマスクは戻らなかった。事故を境にして仕事は減り、やがて不遇のままニューヨークで孤独に死んだ。その死を知ったエリザベス・テイラーは、こう言ったという。

──私はショックで気が動転しています。私は彼を愛していました。彼は私の兄でした。私のいちばん愛した人でした。(「ハリウッドの神話学」川本三郎・中公文庫)

昨年、エリザベス・テイラーは友人だったマイケル・ジャクソンの葬儀に姿を現した。すでに、70半ばを過ぎている彼女は、友人たちの多くを喪った。彼女の夫たちの多くは、鬼籍に入っている。エリザベス・テイラーという人生を生きるとは、一体どんなものなのだろう。僕には想像もつかない。しかし、若い頃、彼女がどんな夢を見ていたのか、気になることはある。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951
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ダイナー熱海で行われた第28回日本冒険小説協会全国大会に参加してきました。日本軍大賞は平山夢明さんの「ダイナー」でした。平山さんとお会いするのは2年ぶりくらいでしょうか。怖い小説を書く人ですが、ご家族で参加していてよいお父さんぶりを発揮していました。

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by G-Tools , 2010/04/02