〈レスラー/ダイナー/ランブルフィッシュ/白いドレスの女/1941/ナインハーフ/イヤー・オブ・ザ・ドラゴン〉
●「ナインハーフ」で知名度が高まったミッキー・ローク
一年前のことだ。第81回アカデミー賞の授賞式が始まり、主演男優賞にノミネートされた俳優たちが紹介された。何人めかに「ミッキー・ローク」と紹介された男が立ち上がった。まさか...、と僕は思った。別人だった。まったくの別人にしか見えなかった。
続いて、彼の主演作「レスラー」(2008年)のワンシーンが流れた。長い金髪を垂らし、しわだらけの崩れた顔の男がタイツをはいてリングに立っていた。やはり、別人としか思えなかった。しかし、マリサ・トメイとの会話シーンが映り、マリサを見つめる目がミッキー・ロークだった。どんなに人相が変わっても、目は変わらないのかもしれない。
ミッキー・ロークが紹介された後、コダックシアターにいた全員が立ち上がった。「ミルク」(2008年)で主演男優賞候補になっているショーン・ペンは、真っ先に立ち上がって拍手をしていた。ショーン・ペンが若くやんちゃだった頃、もしかしたら「ダイナー」(1982年)や「ランブルフィッシュ」(1983年)のミッキー・ロークに憧れたのだろうか。
●「ナインハーフ」で知名度が高まったミッキー・ローク
一年前のことだ。第81回アカデミー賞の授賞式が始まり、主演男優賞にノミネートされた俳優たちが紹介された。何人めかに「ミッキー・ローク」と紹介された男が立ち上がった。まさか...、と僕は思った。別人だった。まったくの別人にしか見えなかった。
続いて、彼の主演作「レスラー」(2008年)のワンシーンが流れた。長い金髪を垂らし、しわだらけの崩れた顔の男がタイツをはいてリングに立っていた。やはり、別人としか思えなかった。しかし、マリサ・トメイとの会話シーンが映り、マリサを見つめる目がミッキー・ロークだった。どんなに人相が変わっても、目は変わらないのかもしれない。
ミッキー・ロークが紹介された後、コダックシアターにいた全員が立ち上がった。「ミルク」(2008年)で主演男優賞候補になっているショーン・ペンは、真っ先に立ち上がって拍手をしていた。ショーン・ペンが若くやんちゃだった頃、もしかしたら「ダイナー」(1982年)や「ランブルフィッシュ」(1983年)のミッキー・ロークに憧れたのだろうか。
アカデミー賞でスタンディング・オベイションの栄誉を受けられるのは、ひとにぎりの人たちだけである。長いキャリアを持ち映画界に貢献した人たちだけが、スタンディング・オベイションでリスペクトを受けることができるのだ。その夜、ミッキー・ロークは、その数少ないひとりだった。彼は、とても嬉しそうだった。
僕がミッキー・ロークを初めて記憶に留めたのは、「白いドレスの女」(1981年)だった。ワンシークェンスの出演だったが、主人公の弁護士が愛人の夫を殺害するために訪ねる爆弾魔という印象的な役だった。もっとも、変態的でクレイジーな感じがして、あまり好感のもてる役ではなかった。「あぶない男」を感じさせ、それはそれでうまいのだろうと思ったことを憶えている。
ミッキー・ロークの映画デビューは、スティーヴン・スピルバーグ監督のコメディ「1941」(1979年)だというから、僕はその映画で彼を見ているはずなのだけれど、まったく記憶にない。「1941」は、珍しくスピルバーグの失敗作と言われた作品で、僕は日本軍の潜水艦の艦長役だった三船敏郎しか憶えていない。
ミッキー・ロークが深く印象に残ったのは、「ダイナー」だった。後に「レインマン」(1988年)を作るバリー・レヴィンソン監督の作品である。日本では「ダイナー」公開の数カ月前、フランシス・フォード・コッポラ監督作品「ランブルフィッシュ」が公開された。1984年、日本でミッキー・ロークの人気が高まった年である。
「ランブルフィッシュ」ではティーンエイジャーの役だったし、「ダイナー」は田舎町の軽食堂を根城にした若者たちの話だった。どちらも青春群像を描く作品で、若い観客に支持された。当時、僕はすでに30をいくつか過ぎ、ふたりめの子どもが生まれようとしていたが、それでも「ダイナー」を見て過ぎ去った青春の日々を懐かしく、切なく思い出した。
しかし、ミッキー・ロークの名が広く知れ渡るのは、「ナインハーフ」(1985年)が大ヒットしてからである。逆光ライティングで浮かび上がらせた、美しいキム・ベイシンガーの裸の背中にアイスキューブを伝わらせるといった、エロチックなシーンを売り物にしたラブ・ストーリーだった。日本公開は1986年である。
その年に公開された大森一樹監督の「恋する女たち」(1986年)は、斉藤由貴主演のアイドル映画だが、その中で高校生のヒロインが「ナインハーフ」を見にいくシーンがある。彼女が「ナインハーフ」を見終わって出てくると、隣の映画館でアニメを見ていた野球部員のクラスメイト(柳葉敏郎)と出逢う。彼女は彼に恋をしているのに、彼はニヤニヤ笑いながら冷やかす。
----おまえ、こんな映画見るんか。
----あんたの方は、半分たりないのよ。
柳葉敏郎が見ていたのは、あだち充原作の野球マンガ「ナイン」のアニメだったのである。つまり「ナイン」と「ナインハーフ」だから「半分足りないのよ」というセリフで笑えるのだ。ふたつの映画の看板をことさらアップで見せなくても、そのギャグが観客に通じるくらい「ナインハーフ」は誰でも知っているヒット作品だった。
●試合後の控え室でポツンとパイプ椅子に座るタイツ姿の男
昨年、日本公開になった「レスラー」を見ながら、僕は「老いる」ことについて考えた。ミッキー・ロークは僕より5歳ほど若いらしいから、その映画を撮っているときの実年齢は50をいくつか過ぎたばかりだっただろう。それでも、崩れた顔はひどく年老いて見えた。若い頃、セクシーだと女たちを騒がせた甘い顔の俳優だったから、余計に無惨さが募った。
ランディ"ザ・ラム"ロビンソンは、「ラム・ジャム」という必殺技を持つ人気レスラーだった。80年代に活躍する彼の新聞記事がタイトルバックに映り、リングアナウンサーが独特の喋り方で試合の中継をする。それは彼の人生の絶頂期だったのだ。ある悪役レスラーとの死闘は、プロレス・ファンに語り継がれる伝説になった。
しかし、物語は20年後から始まる。試合後の控え室で、ポツンとパイプ椅子に座るタイツ姿の男の背中がファーストシーンだ。広角レンズで、ローアングルから撮ったショットである。画面の手前は、床しか映っていない。画面左上のあたりに、長い金髪を裸の背中に垂らしたレスラーが座っているだけだ。彼は咳き込んでいる。
画面右からプロモーターらしき男が入ってくる。ランディに声をかけ、「ギャラだ」とあまり多くはなさそうな札を渡す。「客も満足だ」という男に、ランディは「すまん、入りが悪くて」と淋しげにつぶやく。着替えをすませたランディが控え室から出ていくと、若者がサインを求める。彼は気さくに応じて帰宅するが、トレーラー・パークに入れてもらえない。
翌朝、車の中で寝ていたランディは、フロントガラスを叩く子どもたちに起こされる。彼はトレーラーハウス住まいで、トレーラー・パークに支払う家賃を溜めているので閉め出されたのだ。ランディはパートタイムで働くスーパーへいき「もっと働かせてくれないか」と頼み込むが、店長は「週末の仕事しかないぞ。週末は乱闘で忙しいんだろ」と冷笑を浴びせる。
週末、彼は試合に出かける。控え室にレスラーたちがひしめいている。誰も彼もランディよりは若い。しかし、彼らは伝説のレスラーだったランディに敬意を払う。ひとりで試合前の準備をするランディ。そこへ試合相手の若いレスラーが挨拶にやってきて、打ち合わせをする。「きみの試合を見たよ。才能ある。がんばれ」と彼は励ます。
老いたとはいえ、ランディの試合は凄まじい。血がほとばしり、巨大な肉体が宙を飛ぶ。椅子が振り上げられ、脳天に振り下ろされる。リングの四隅の柱に額を叩きつけられる。事前に打ち合わせをしているとしても、そんな試合を何10年も続けてきたのだ。ランディの躯はボロボロになっている。
試合後、ランディは疲れた顔を鏡に映し、じっと見つめる。それからストリップ・バーへいき、なじみのパム(マリサ・トメイ)と会うが、彼女は若い客からはおばさん扱いされるストリッパーである。そのパムにランディは、躯の傷のひとつひとつを見せながら説明する。これは伝説の死闘を演じたときの傷、これはロープ最上段から落とされ鎖骨を折ったときの傷跡...
このあたりまで見て、僕は期待感でゾクゾクし始めた。ミッキー・ロークの老いて、尾羽打ち枯らした感じがいい。たまらない...という気分になる。鏡に映るしわだらけの顔を、じっと見つめる表情がいい。若い客に「俺の母親と同じくらいかい」とバカにされているパムを救い出し、「商売の邪魔をしないでよ」と言われ傷つく視線がいい。彼は老いて、みじめで、孤独なのだ。
●誰もが自分が歳を重ねて初めて人間が老いることを知る
30数年前のミッキー・ロークは、ハンサムで颯爽と歩いた。「白いドレスの女」や「ナインハーフ」で見せた、どこか変態的であぶない感じは影をひそめ、狂気を感じさせるものの溌剌としたヒーローとして「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(1985年)に登場した。「ディア・ハンター」(1978年)のマイケル・チミノ監督作品だったから、僕は公開を待ちかねて見にいったものだ。
その映画では、チャイニーズ・マフィアの若きボスとして登場したジョン・ローンに人気が集中したが、ミッキー・ロークは健闘していたと思う。甘いだけだった顔にも、30近くになった年齢による深みが出ていた。その後、1987年には立て続けに「バーフライ」「死にゆく者への祈り」「エンゼル・ハート」と、男を感じさせるヒーローを演じた。
しかし、その頃から僕はミッキー・ロークの出演作をほとんど見ていない。つまり、「レスラー」のミッキー・ロークは「エンゼル・ハート」の私立探偵が突然、50過ぎの男になって現れた感じだったのだ。20年以上の年月が流れ去ったのだ。人は、別人のように変わることだってある。僕だって、ひどく変わっているのかもしれない。外見も内面も...。
「レスラー」のランディは、様々なクスリを飲んでいる。ジムに通ってバーベルを持ち上げる。自慢の躯を維持するためだ。しかし、耳が遠くなり補聴器を外せない。文字を読むときには老眼鏡をかける。背中は年齢を隠せない。老いが漂う。歩き方だって、全然、颯爽としていない。そして、ある日、心臓発作を起こし、バイパス手術をする。医者から「プロレスを続けたら命の保証はできない」と宣告される。
彼は孤独を噛みしめる。ひとりに耐えられなくなって、パムを訪ねる。彼女は家族の大切さを訴え、ランディに娘に会いにいくことを勧めるが、「娘はおれを嫌っている」とランディは二の足を踏む。それでも孤独が耐えられないランディは棄てた娘に会いにいき、「今更、何しにきたの。手術したからって私を頼る気? 私を棄てたくせに」と激しい拒絶に遭う。
彼は、自分の人生のツケを払わされているのだろうか。家族を棄てた。娘との思い出は幼かった頃のことだけだ。試合が終われば仲間たちと酒を飲み、女と寝た。面白おかしく生きてきたのだ。どこへいっても人々は熱狂し、女たちはベッドに誘う。そんな時代はいつの間にか過ぎ去ってしまったのに、彼だけは変われない。今も、彼はランディ"ザ・ラム"ロビンソンなのだ。
しかし、彼はついに引退を決意し、プロモーターたちに連絡をする。スーパーの店長に頭を下げ、週末にフルタイムで働くことにする。総菜売り場の担当だ。しかし、ある日、客のひとりが気付く。「あんた、老けてるが、ランディ"ザ・ラム"ロビンソンじゃないのか」と。
誰もが年をとる。老いる。しかし、誰もが自分が歳を重ねてみて、初めて人間が老いることを知るのだ。老いが自分の身に起きるまで、誰も老いを想像しない。しかし、人は突然老いるわけではない。気が付けば、自分が年をとっている。躯も無理が利かない。目がかすみ、時々、耳たぶに掌をかぶせて人の言葉を聞き返している自分がいる。
しかし、死が訪れるまで人は生きていかなければならない。そのためには、かつてアメリカのヒーローとまで言われ人気絶頂だったレスラーでも、スーパーの総菜売り場で客の小うるさい注文に応えなければならない。彼と20年前に伝説の死闘を繰り広げた相手は、中古車ディーラーとして成功しているというのに、彼はハムをスライスしたり、サラダをパックに詰めたりしているのだ。
そんな彼に、20年前の死闘の相手との再戦話が持ち上がる。中古車ディーラーをしている相手も、リングに復帰するという。しかし、激しい動きをすれば、ランディの心臓はもたないかもしれない。だからといって、スーパーの総菜売り場でみじめに生きていくのは、もううんざりだ。彼は、みじめに生きるより誇り高く死ぬことを選ぶのだろうか。
老いて、自分の人生を悔いることはしたくない。老いて、孤独にさいなまれるようにはなりたくない。しかし、多くの場合、人は自分の生き方を振り返って後悔し、孤独にさいなまれる晩年を迎える。老いるとは、そういうことだ。誰も生きてきたようにしか、生きてくることはできなかったのに、人は悔いる。年老いて、孤独はさらに深くなる。
老いて自分の人生を悔やむことは、若かった頃の自分に対する裏切りではないのか。僕なら、そう自分に言い聞かす。孤独とみじめさの果てに、ランディも思う。自分は自分が生きてきたようにしか生きられなかったのだと...。だから、その生き方に殉じようとする。しかし、現実の僕たちは誇り高い死を望んでも叶わない。みじめにならないように努力しながら...、孤独と折り合いながら...生き続けるしかないのだろう。
【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
就職難らしい。我が家の息子と娘を見ていても感じる。そんなとき、会社で人材募集をした。人事採用担当でもあるので、今まで何百人という人の面接に立ち合ってきた。そのつど、どんな人も何らかの期待を抱かせる。就職難だといっても、若者が希望を持てる職に就けない社会は疲弊すると思う。
●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/
>
- 映画がなければ生きていけない 1999‐2002
- 水曜社 2006-12-23
- おすすめ平均
- 特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
- ちびちび、の愉悦!
- 「ぼやき」という名の愛
- 第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
- すばらしい本です。
by G-Tools , 2010/04/16