映画と夜と音楽と...[464]諸行無常の響きが聞こえる
── 十河 進 ──

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〈めぐり逢えたら/ユー・ガット・メール/ゴッドファーザー/ゴッドファーザーPARTII/ゴッドファーザーPARTIII〉

●アメリカ人にとって「ゴッドファーザー」は古典なのかも?

ノーラ・エフロンの脚本・監督、メグ・ライアンとトム・ハンクスのゴールデン・コンビの主演と言えば、主人公たちがすれ違ってばかりで、最後にようやくエンパイヤステート・ビルの屋上で出逢う恋愛映画の快作「めぐり逢えたら」(1993年)が有名だが、この三人は「ユー・ガット・メール」(1998年)で再びチームを組んでいる。

ヒロインのメグ・ライアンはニューヨークで小さな専門書店を開いていて、ある日、近くに大型書店がオープンする。その書店チェーンの経営者がトム・ハンクスである。彼と彼女は商売敵なのだが、ふたりは以前からネットで知り合ったメール友だちなのだ。

しかし、ハンドルネームなので互いに相手の正体は知らない。現実の世界ではケンカをしているふたりが、互いに相手の悪口をメル友に発信する。昔のハリウッドのラブ・コメディを思い出させる、粋なシチュエーション・コメディだった。

その「ユー・ガット・メール」の中で、トム・ハンクスが「ゴッドファーザー」(1972年)のセリフをしきりに引用していた。まるで、イギリス人が日常会話の中にシェークスピアを引用するような感じだった。つまり、アメリカ人にとって「ゴッドファーザー」は、日本人の歌舞伎やイギリス人のシェークスピア劇のような存在になっているのだろうか。そんなことを感じた。

昔、日本人のほとんどが知っているフレーズがあった。それは浪曲だったり、歌舞伎だったり、大衆演劇のセリフだったりした。そうしたフレーズは映画化されて、さらに広がった。たとえば「旅ゆけば、駿河の国に茶の香り」「寿司食いねえ、神田の生まれだってねぇ」とか、「こいつぁ春から縁起がいいわい」「しがねぇ恋の情けが仇」とか、「せめて見てもらう駒形の土俵入りでござんす」などである。



同じようにイギリスでは、シェークスピアのフレーズがよく引用される。「我らが不満の冬も去り」とか「尼寺へいけ」とか、イギリス人なら知っているフレーズはいっぱいあるようだ。最も有名なのはハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」だとは思うけど、海外の小説を読んでいると自然な流れでシェークスピアが引用されていたりする。

歌舞伎やシェークスピアやラシーヌなどの古典演劇を持たない新興国アメリカでは、ハリウッド映画がその役割を果たしているのかもしれない。「ゴッドファーザー」は1972年の第一作の後、二年後に「ゴッドファーザーPARTII」が公開になった。それから「ゴッドファーザーPARTIII」(1990年)が制作され、結局、二十年近くかかって壮大なサーガが幕を下ろした。

少し前のことだが、「キネマ旬報」が映画史上のベストテンを発表したという囲み記事が朝日新聞に載った。外国映画部門のベストワンは、「ゴッドファーザー」だった。三十年ほど昔に、やはりキネマ旬報が映画史上のベストテンを特集したときには「2001年宇宙の旅」が洋画部門の一位だったから、ずいぶんと変わったものである。

●コッポラ・ファミリーの「ゴッドファーザー」シリーズ

「ゴッドファーザー」はコルレオーネ家の物語だが、その映画制作に関してはコッポラ一族の物語でもある。「ゴッドファーザー」シリーズには、コッポラ監督の妹タリア・シャイア、父親カーマイン・コッポラ、娘ソフィア・コッポラが協力した。また「PARTIII」でアンディ・ガルシアが演じた役は、最初はコッポラ監督の甥のニコラス・ケイジが演じる予定だったという。

タリア・シャイアは「ゴッドファーザー」第一作では暴力的な夫を持った末娘役であまり目立たないのだが、PARTII、PARTIIIと歳を重ねて重要な存在感を示すし、一作目のラストシーンで洗礼を受ける赤ん坊で出演したソフィア・コッポラは、PARTIIIでは従兄弟と恋に落ちるマイケル・コルレオーネの娘を演じ、重要な役を担った。

マリオ・プーゾォの「ゴッドファーザー」は、アメリカのベストセラーリストの上位に長くとどまった。やがて早川書房から分厚いハードカバーの翻訳本が出て、その映画化作品は完成する前から話題になっていた。完成するとマーロン・ブランドの老け役のメイクや、マフィアの残虐な殺しの場面などが話題になり、日本公開前からテレビでは様々なシーンが紹介された。

スキャンダラスな話題としては、落ち目の歌手がゴッドファーザーに「あの役をとれればカムバックできる」と泣きつき、マフィアの弁護士が映画プロデューサーに話にいくエピソードが紹介された。プロデューサーは、けんもほろろに歌手の出演を断る。すると、翌朝、プロデューサーが目覚めると、切断された愛馬のクビがベッドの足元に投げ込まれているのだ。

テレビの情報番組の司会者たちは、「あれは、フランク・シナトラがモデルなんですよ」と得意そうに言ったものだ。もっとも、その映画が1953年に制作された「地上より永遠に」(「ここよりとわに」と読みましょう)であり、アメリカの代表的な戦後文学を原作とした作品であることなどは語られなかった。シナトラはこの映画でアカデミー助演男優賞を獲得して復活し、その後、大スターとして生涯をまっとうした。

そんな風に、「ゴッドファーザー」は公開前から多くのメディアで露出され、僕はマーロン・ブランドが含み綿をしているというドーデモいい情報と共に、ストーリーもほとんど知ったうえで「ゴッドファーザー」を見に出かけた。大学二年の夏休みのことだった。オイルショックが起きる一年前の夏、日本はまだ高度成長の中にあった。

ちなみに、「ゴッドファーザー」の大ヒットを受けて、東映では「日本版ゴッドファーザーを作ろやないか」という気運が盛り上がった。彼らは「ゴッドファーザー」はマフィアの殺しのシーンがリアルに描かれていることや、物語が事実に基づいていることなどが、大ヒットしたファクターだと考えたのだ。

それを日本でやるとしたら、「ヤクザの実録もんや!」と大物プロデューサーは叫んだ。そして、当時、週刊誌連載中だった飯干晃一の「仁義なき戦い」に白羽の矢が立った。その結果、大急ぎで制作された「仁義なき戦い」は「ゴッドファーザー」とは似ても似つかぬものになったけれど、翌年の正月映画として公開され大ヒットした。

前述の「キネマ旬報」映画史上ベストテンの邦画部門で、「仁義なき戦い」は五位に入っている。イタリア・マフィアの抗争を描いた映画と、その映画に影響されヒロシマ・ヤクザの血なまぐさい権力闘争を描いた映画が、映画史上で高く評価されていることが僕には納得できる。映画は、その始めからアウトローたちを描き続けてきた。そして、アウトローを描くことで、人間そのものを描いてきたからだ。

●マイケル・コルレオーネの人生がすべて描かれた

「ゴッドファーザー」シリーズを見ると、三代にわたるコルレオーネ家の歴史が描かれるのだが、その中心にいるのはマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)である。彼の人生がすべて描かれていると言ってもいい。ヴィトー・コルレオーネは偉大なドンとして登場し、PARTIIでは少年期からのいきさつが描かれるが、ヴィトーの人生は第一部で終わっていた。

もっとも、ヴィトー・コルレオーネの前史としてPARTIIで描かれた部分も印象深い。僕は幼いヴィトーが父と兄を殺したドンの手を逃れて移民船に乗ってアメリカへ向かい、その船上で自由の女神を初めて見るシーン、エリス島の移民局で隔離室に入れられ、その窓から遠くに小さく自由の女神が見えるシーンなど、見返すたびに込み上げてくるものがある。

「ゴッドファーザーPARTIII」が愛娘の死を嘆きながら年老いて死んでいくマイケル・コルレオーネの姿で終わり、それ以降、作られていないのはマイケルの死によって、物語が完結したからだ。甥のビンセント(アンディ・ガルシア)にドンを譲ったマイケルは、落ち着いた心休まる日々を望んでいたのだろう。しかし、彼には最大の悲劇が待っていたし、そのことを悔いながら死を迎えるしかなかった。

最初、マイケル・コルレオーネは、若き戦争の英雄として登場する。純粋な青年である。クリスマスも間近な日、恋人ケイ(ダイアン・キートン)と肩を寄せ合ってニューヨークの街角を歩いている。そのとき、新聞スタンドを見て父親のヴィトーが襲われ、何発もの銃弾を浴びて重体で病院に運び込まれたことを知る。そこから、彼の人生が狂い始める。

コルレオーネ家には長男ソニー、次男フレドー、三男マイケル、末娘のコニー、それに兄弟同様に育った弁護士のトム・ヘイゲンがいる。しかし、ドンである父親が襲撃される非常事態の中、勇気があり、考え深く冷静で、決断力があるマイケルが次第に組織を担うことになる。彼は家族を愛していたが、組織のドンを継ぐつもりはなかった。それが、父親の報復のために自ら警官を含めたふたりを射殺し、コルシカ島に逃げる。

そこで見初め結婚した娘は、マイケルを狙って車に仕掛けられた爆弾によって死ぬ。彼は、否応なくマフィアの抗争に巻き込まれたのだが、やがて自ら望んで父親の跡を継ぐことを決意する。ニューヨークに戻ったマイケルは組織のドンとして、非情で恐ろしい顔を見せるようになる。再会したケイと結婚するが、ケイは夫のマフィアのドンとしての顔になじめない。

やがて時期がきたと判断したマイケルは、かつての敵たち、裏切った身内たちを殺し始める。もちろん、もう自らの手は汚さない。手下たちに命じるだけだ。敵たちは容赦なく殺され、マイケルは妹の夫さえ裏切り者として処刑する。それを知ったコニーは泣き叫ぶが、マイケルの表情は冷たく変わらない。そんな血にまみれた手で生まれたばかりの娘を抱き、マイケルは洗礼式に出る。

●どんな人の人生にも孤独や愛や悲しみや苦悩は訪れる

「ゴッドファーザー」シリーズは、基本的に同じ構成をとる。祝祭シーンから始まり、そのパーティの裏側で生々しい訴えや取引が描かれる。組織間の抗争、裏切りや襲撃があり、ラストシーンは再び祝祭である。そのラストの祝祭シーンの間に、様々な殺戮がインサートされる。洗礼を受ける赤ん坊の次に、マッサージを受けているマフィアのボスの眼鏡を砕いて眼球に銃弾が撃ち込まれるシーンが描かれるといった具合だ。

PARTIIも、マイケルの授章式のパーティから始まる。湖岸の屋外パーティだ。マイケルは実業家として、政財界の重鎮たちとも深く付き合っている。しかし、その夜、マイケルとケイの寝室に機関銃弾が撃ち込まれる。誰が裏切り者なのか。マイケルは絶対権力者の顔を見せて、部下たちを叱りつけ、真相を探らせる。容赦なく殺しを命じる。彼は、冷酷な男になっている。ケイはそんな夫に「化け物」という言葉を投げつけ、家を出ていく。

マイケルは、裏切り者が誰だったのかを知る。次兄のフレドーである。長男ソニーは、抗争相手のマフィアの殺し屋たちに車ごと蜂の巣にされて死んでいった。たったひとり残った兄フレドー。マイケルは一度は許す。しかし、根に持つタイプのマイケルは、結局、部下に命じてフレドーを殺させる。フレドーに懐いていたマイケルの息子アンソニーは何も知らず、「叔父さんはどこ?」と無邪気に尋ねる。

1990年代に入り、コルレオーネ・ファミリーは巨大コングロマリットになり、コルレオーネ財団を設立する。その財団の理事長に娘メアリーを据えたマイケルは、大パーティを催し一族が集まってくる。その中には招待されなかった、ソニーが愛人に生ませた息子ビンセントがいた。やがてメアリーはビンセントと恋仲になる。

マイケルが、後に法皇になるヴァチカンの司教に告解をするシーンがある。マイケルは多くの人を殺させたことを告白し、さらに「愛する父の息子、愛する母の息子である、兄のフレドーを殺させた」と口にする。マイケルは初めて、何かから解き放たれたような表情になる。

それはフレドーを殺した銃声が遠く湖の上から聞こえてきたのを、湖畔の屋敷の窓越しにじっと耳をすますかのように凝視していたマイケルの姿からは、遠く離れたものだった。権力者の孤独...、多くの人を殺し、自分の目的を実現し、恐怖で支配し、権力を手にした男の深い孤独が、あのときのマイケルからは漂っていた。

しかし、兄殺しを告解する年老いたマイケルからは、自分がその地位にいたからそのように生きてこなければならなかったのだという悲哀と悔い、そして諦念が漂う。自分がマフィアのドンの息子ではなかったら、こんな生き方はしなくてすんだのではないか。糖尿を患い、躯もひどく弱っている。ドンの地位も甥に譲るつもりだ。

心穏やかに暮らすことが、おそらく彼の唯一の願いである。しかし、悲劇が彼を襲う。その悲しみを抱えたままマイケルは年をとり、父親のヴィトーと同じように、枯れ木に残っていた最後の生命の灯が消えるように死んでいく。風が吹く。彼には何も残っていない。その長い長い物語の果ての死を見たとき、僕は「平家物語」の冒頭のフレーズを思い浮かべた。

  祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり
  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕わす

マイケル・コルレオーネの人生は特殊なものだ。しかし、彼が抱えた孤独や愛や悲しみや苦悩は、どんな人の人生にも訪れる。生涯抱えるような罪の意識も、誰かを怨み続けるような想いも、深い悔恨も...、どんな人もそんな重荷を抱えて生きている。そんな人生のコアが描かれているから、「ゴッドファーザー」に多くの人々が魅せられるのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951
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久しぶりに大規模なジンマシンが出て、翌日、医者で注射をしてもらったが、ひどく眠くなっただけで、一週間経ってもジンマシンが引かない。あちこち場所を変えて出没する。どうやら慢性になってしまったのか。看護婦さんに「疲れてるのよ。仕事、大変なの?」と訊かれたのが印象的だった。

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