[2865] お前だけは信じていたのに...

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《ネットで俺のことが言われているような気がする》

■映画と夜と音楽と...[466]
 お前だけは信じていたのに...
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![119]
 狭い鬼門より入る
 GrowHair


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■映画と夜と音楽と...[466]お前だけは信じていたのに.../十河 進
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〈紅の拳銃/フェイク/ディパーテッド/インファナル・アフェア/インファナル・アフェアII 無間序曲/インファナル・アフェアIII 終極無間〉

●犯罪は悪というシンプルなモラルが支配的だった

子供の頃に父親に連れられてよく見ていた日活映画は、アウトロー(風来坊と呼ばれた)やヤクザ、殺し屋が主人公になることが多かった。彼らは金子信雄や西村晃がボスを演じる犯罪組織に雇われ、反社会的行為(当時の僕はそんな言葉は知らなかったが)を行う。子供というのは単純だから、なぜ犯罪者が主人公なのだろうと不思議に思った。

当時は、子供だけではなく、大人たちもそう思ったのかもしれない。昭和30年代のことだ。まだ、勧善懲悪が物語の主流だった。複雑なモラルではなく、犯罪は悪、というシンプルなモラルが支配的だったし、警察は正義を象徴していると信じられていた。だから、結局、最後には悪人は改心するし、ヤクザな主人公は警察に協力する。

そんな日活映画でよく使われたのが、「実は......だった」という手法である。殺し屋の振りをして犯罪組織に協力していたが、実は麻薬取締官(その頃は麻薬Gメンと言った)で潜入捜査をしていたのだ、というオチである。代表的なのは赤木圭一郎が主演した「紅の拳銃」(1961年)だ。公開当時、拳銃や殺し屋についての蘊蓄が評判になった作品である。

潜入捜査(最近は「アンダーカバー」と気取って言う人もいる)は、日本の警察では許されていない。潜入捜査が許可されているのは、厚生労働省管轄下の麻薬取締官だけだそうだ。これらの知識は、大沢在昌さんの作品をたくさん読んだので、かなり詳しくなった。大沢さんは、昔から麻取(麻薬取締官)を主人公にすることが多い。「新宿鮫」シリーズにも、麻取は印象的な役で登場する。

昨年暮れに出た上下2巻の長編「欧亜純白(ユーラシア・ホワイト)」も主人公は麻薬取締官で、潜入捜査でヤクザ組織に接近する。正体がばれれば死が待っている極限状態に主人公を置くことで、常に緊迫感が漂うからサスペンスにあふれた物語展開ができるのだ。もちろん、大沢さんほどの名手だから緊迫感を持続できるので、下手に使うとありふれた物語になってしまうこともある。

アメリカでは潜入捜査やおとり捜査がよく行われているらしく、小説や映画でも取り上げられることが多い。実在のFBI捜査官がマフィアに潜入した話を映画化したのが、ジョニー・デップが主演した「フェイク」(1997年)だった。僕は長大な原作も読んでいたので、家族を犠牲にし何年間も組織に潜入する捜査官の苦悩が手に取るようにわかった。

ジョニー・デップが演じた捜査官はマフィアに潜入し、ある幹部(アル・パチーノ)に信頼され、愛される。アル・パチーノはデップを息子のように可愛がり、自分の後継者にしようとさえする。デップもパチーノを父親のように慕う。だが、彼は最初からパチーノを裏切っているのだ。その相克が彼を襲い、デップの人格は分裂しそうになる。

結局、デップは仕事をまっとうし、マフィアに多大なダメージを与える。その結果、彼にはマフィアから莫大な懸賞金がかけられる。デップは職務をまっとうしただけだが、マフィアにとっては最大の裏切り者である。彼と家族は別の人間になり、証人保護プログラムに守られ、まったく知らない土地で暮らすことになる。

潜入捜査もので観客にサスペンスを感じさせるのは、いつ正体がばれるかということである。しかし、犯罪組織の中で友人ができたとき、その友人も裏切らなければならない葛藤に悩む主人公もよく描かれる。主人公は正義を行おうとしているのだが、友人を裏切るというモラルに反することをせざるを得ない矛盾...、それが主人公を苦しめる。

彼がまっとうな人間であればあるほど、自分を信じてくれる人間を裏切ることのつらさが、彼を襲うのだ。友を裏切らない、自分を信じてくれる人間を裏切らない。それは、僕にとっては、犯罪を摘発することより、ずっと大切な基本的モラルである。そのモラルを持たない人間は、人からの信頼は得られない。

●いつの間にか自分が何者なのかわからなくなり始める

その若者は正義感の強い人間だった。子供の頃からのあこがれだった警察官になれたときは、一生、その仕事をまっとうしようと思ったに違いない。しかし、警察官として優秀だった故に、彼は運命を狂わされてしまう。警察学校で抜群の成績を誇った若者は、教官と警察幹部に目を付けられる。潜入捜査官にならないか、という誘いを夢に燃えていた彼は承諾する。それが、職務であり、正義だと信じたからだ。

しかし、若者は汚名を着て警察学校を放校になる。警察官失格の烙印を押される。真実を知るのは教官と、ひとりの警視しかいない。彼は自分を放り出した警察学校、その閉じられたままの扉を振り返る。正義の側に立って犯罪を取り締まることを夢見ていた若者は、もうそこにはいない。若者は夢やぶれて自暴自棄になり、街のチンピラになったのだ。

それから10年。若者は、彼を兄貴と慕う弟分がいる黒社会の一員になっている。組織では信頼の厚い幹部だ。ボスは、彼に様々なことを相談する。彼は、常に緊張を強いられ、自分の正体を自覚しながら、いつの間にか自分が何者なのかわからなくなり始めている。犯罪組織の中で信頼を得るために、様々な違法行為を犯したし、時には喧嘩相手を気が狂ったように痛め付けたこともある。だが、それは信頼を得るためにしている行為なのか、自らが主体的に行っていることなのかが、今はもうわからない。

彼は、連絡で会う警視に「10年だ。もうやめさせてくれ」と訴えるが、優秀な潜入捜査官を警視は簡単に手放さない。「3年だと言ったじゃないか。3年経ったら、もう3年と言う...」と彼は詰る。警察学校の教官が死に、今では彼の正体を知るのは警視しかいない。その警視は「おれが記録を消せば、おまえは一生ヤクザ者だ」と恫喝する。そんな警視に怒りを感じながらも、彼は警視に対する信頼と友情は抱いているのだ。

彼は、眠っている間にも寝言で何かを言わないか、と気が休まるときがない。彼が安心して眠れるのは、美しい精神分析医の部屋の長椅子だけだ。それは、彼に安眠を提供してくれる。そこでは、女医に「おれは警官だ...」と話すことができるからだ。しかし、女医は本気にしない。嘘と真実...、それらが彼には判別できなくなっている。彼は、いつまで正気を保っていられるのだろうか。

一方、街のチンピラだったひとりの男がいる。彼は誓いを立てて、黒社会の一員になる。しかし、ボスから命じられたミッションは、意外にも「警察学校に入れ」というものだった。彼は優秀な成績で卒業し、10年経った今、エリート捜査官になっている。ある日、大きな麻薬取引があると警察に情報が入る。それは、潜入捜査官がもたらせたものらしい。

彼は、ボスに警察が情報をつかんでいることを報告する。しかし、取引は予定通り行われ、彼は警察内部から援護する。結局、潜入捜査官によって麻薬取引は失敗するが、警察に潜入したスパイである彼によって警察も組織を摘発できない。警察は内部にスパイがいることを感知し、組織も内部に「もぐら」がいることを知る。皮肉にも彼は「内務調査課」に異動を命じられ、警察内部のスパイを捜すことを命じられる。

●悪の仮面をかぶった善人と善の仮面をかぶった悪人

「インファナル・アフェア」(2002年)は公開された途端に香港で大ヒットし、ハリウッド資本がリメイク権を高額で入手した。4年後、ハリウッドはマーチン・スコセッシという実力派監督を起用し「ディパーテッド」(2006年)のタイトルで公開。「ディパーテッド」は、初めてマーチン・スコセッシにアカデミー監督賞をもたらせ、作品賞まで獲得した。「ディパーテッド」がよくできていたのは、やはり「インファナル・アフェア」の着想がぬきんでていたからである。

「インファナル・アフェア」の斬新さは、潜入捜査官に対して警察に潜入した黒社会のスパイを設定したことである。ふたりの人生は交差し、善と悪を照射する。悪の仮面をかぶった善人、善の仮面をかぶった悪人。ふたりは、それと知らずに知り合い、互いに好感を抱き、別れていく。後半、それぞれが潜入捜査官と黒社会のスパイだと知って邂逅するとき、彼らは互いに相手の中に己を見ている。まるで、鏡を見るようだったのかもしれない。

しかし、黒社会に潜入し、正体がばれれば死が待っている潜入捜査官ヤン(トニー・レオン)の緊迫した状況に比べ、黒社会の一員だが警察官となり、日常的には警察の仕事で優秀な結果を残してきたラウ(アンディ・ラウ)は、もし正体が判明したとしても命を奪われることはない。その安心感が、ラウの場面を見るときには漂う。彼はエリートであり、婚約者と豪華なマンションに住んでいる。

彼は、次第にその幸福な生活になじんでいく。黒社会のボスから携帯電話が入ると、彼はあまり心楽しそうではない。一方、彼は、警察の仕事を楽しんでこなしているように見える。善を行うのは、悪を行うよりはずっと楽だ。精神的な負担もない。不安が湧き起こることもない。正義の側に立っていると思えるとき、人は安心していられるのかもしれない。

彼は、黒社会に内通し、そのことによってヤンの正体を知る唯ひとりの警視の死を招く。ボスが警視を殺す命令を出すとは思っていなかった彼は、ひどく動揺する。いつの間にか、彼は警察官のような感じ方をするようになっている。婚約者も、警察官である彼を愛しているのだ。ある日、彼は自分がどちらを選ぶのかを迫られる。黒社会の一員として生きるのか、警察官として生きるのか...。

もちろん、彼は楽な方を選ぶ。不安と背徳の中で生きることを拒否したのだ。そのことによって、彼は再び警察内で絶大な称賛を受け、信頼感を得る。警察組織の中で、彼は信頼される存在になる。だが、ラウが「善人として生きる」ことを決意したとき、潜入捜査官のヤンは彼が警察に潜り込んだ「モグラ」であることに気付くのだ。それぞれに組織の信頼を得ているふたりは、たがいに相手の組織からは信用されないのである。

そう、ヤンがラウを人質にして「おれは警官だ」といくら叫んでも、彼らに拳銃を向けた刑事は「まず課長を解放しろ」と、彼の言葉には耳を貸さない。犯罪組織で優秀であったヤンは、まごうことなき犯罪者であり、警察でエリートだったラウは、間違いなく優秀な警官なのである。人は信頼を得るために努力するのだが、信頼されたためにヤンは犯罪者であり続けねばならないし、ラウはスパイであることを疑われもしない。

●僕が努力してきたのは相手に信頼されることだった

人は、何のために努力をするのか。もちろん、個人的な努力は、様々な目的のために行われるだろう。自分の夢の実現のために、人は努力する。だが、人は他者との関係の中で生きる存在だ。人はひとりでは存在しない。生まれたときから両親という他者がいる。学校という社会で同級生という他者と共存し、社会に出てからも、何らかの形で他者と関係を持って生きている。

僕は、大学を卒業以来、35にわたってひとつの組織に所属してきた。50人ほどの規模の専門誌の出版社だ。その間、様々な人と仕事を通じて知り合った。編集者時代は筆者だったり、写真家だったり、デザイナーだったり、印刷会社の営業マンだったり、企業の広報担当者だったりした。

そんな社外の人間、社内の人間を問わず、僕が努力してきたのは、結局のところ、相手に信頼されることだったと思う。いや、それほど大げさではなく、「あいつはダメだと思われないようにしよう」という程度だったかもしれない。そのために、約束したことは守った。相手にとってよかれと思うことは、積極的に提言した。その結果、付き合いがなくなってもう10年近くにもなるのに、未だに僕のことを編集者として評価してくれる人たちが何人かはいる。

僕は「男を磨く」とは、人から信頼される人間になることだと考えている。「あいつにまかせておけば大丈夫」と思われることは、最大の評価だ。だから、僕は逆のことをする人を信用できない。約束を守らない人、仕事がいい加減な人、自分の専門分野のことを確信を持って説明できない人...、要するにプロフェッショナルでない人、そんな人たちを僕は「いい加減な奴だなあ」と思う。

現在、僕は社員の勤務状況を管理する立場にいる。僕が信頼している人間が一か月の残業を50時間と申請してきたら、「いろいろあって忙しかったんだろう」と思うが、そうでない人間が同じ時間を申請してきたら「仕事のやり方がまずいんじゃないか」と疑う。そんなことを考えると、ゆるぎない絶対的な信頼を得るのは大変だと思う。

「インファナル・アフェア」のヤンもラウも組織内での信頼を得たために、本来の組織から疑われるという矛盾に晒される。しかし、信頼される人間でなければ、潜入者にはなれないのだ。彼の一番の使命は、その組織に信頼されることなのである。だが、あらかじめ裏切ることを想定した信頼関係は、潜入者に強い葛藤を強いる。その葛藤を克服できない人間には、潜入捜査は無理である。

もっとも、僕らは潜入捜査に従事しているわけではない。日常の人間関係の中で、自分の所属する組織の中で、信頼されることを行動原則にすれば、どんな場合も間違いはないと僕は思っている。しかし、信頼を得るには長い時間と努力が必要だが、一瞬で信頼を失うこともある。割に合わない話だが、誰にも「お前だけは信じていたのに...」と言われないようにしたいものだ。

ちなみに「インファナル・アフェア」はヒットしたおかげで、翌年すぐに第二部「インファナル・アフェアII 無間序曲」、第三部「インファナル・アフェアIII 終極無間」が作られた。3編を通してみると、10年にわたる壮大な悲劇が展開され、深い感動が得られる。全編を貫くテーマは「善と悪」であり、ジャン・ピエール・メルヴィル監督が言ったように、世の中を構成する要素は「愛と友情と裏切り」なのだとわかる。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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久しぶりに表参道の青山ブックセンターに寄った。広々としていて、本を探しやすいし、アート系の雑誌や書籍の充実ぶりはやはり凄い。映画の本のコーナーに僕の「映画がなければ生きていけない2007-2009」も並んでいた。隣は川本三郎さんの本だった。その横に上島春彦さんの黒澤明論「血の玉座」が平積みになっていた。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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●30年ぶりの鬼門

人形を撮影するのにいい感じの古い建物がある、と教えてもらっても、そこに行くのは気が進まなかった。昔、狭すぎて入れてもらえなかった門、はっきり言って、落ちた大学だ。以来、30年近くにわたって一度も近づいていない、鬼門である。

そんなところに今さら用事ができるわけがなく、自分から近づかない限り、一生行くことはあるまいと思っていた。けど、なんだかんだ言って、結局そこで撮ることになった。まったく思ってもみないところから用事って発生するもんである。運命っておそろしい。いやな思い出がよみがえってくる。

そこは一浪して受けた、本命の大学。現役のときは別の大学を落ちてるわけだけど、そっちはいいのである。負け惜しみでもなんでもなく、落ちるつもりで受けて落ちたのだから。高校時代、勉強しなかった。なんか、このまま受かるレベルのとこを受けてするっと進学しちゃうと、一生、すべきことから逃げ回る姿勢で生きていくことになりそうな気がした。

一年間ぐらいは、本気で勉強に専念してみたい。そう思って、最初っから浪人するつもりで、受かる見込みのない大学をひとつだけ受けて、落ちたのである。で、予定通り、駿台予備校市谷校舎へ。市谷校舎は本来、医学部進学希望者の通うところで、数学を専攻したいと決めていた私は御茶ノ水校舎に通うべきところなのだが、数学の秋山仁先生や、物理の坂間先生に教わることのできる市谷を迷わず選ぶ。

あの一年間は、今振り返っても、貴重な一年間だった。気力が充実していた。けっこうちゃんと真面目に勉強した。あこがれの倉田まり子と握手することができて、ラッキーでもあった。クラス編成はおろか、席順まで模試の成績順で決まるので、座っている位置で学力レベルの位置まで丸見えというシビアなシステムであったが、模試のたびにぐんぐん順位を上げ、最後はトップクラスのケツぐらいにはひっついていた。

現役で落ちた大学には楽勝で受かりそうな判定で、もう1ランク上の大学でもじゅうぶん行けそうだった。なんか、あの空気を吸っていたら、自分はいい大学に行って、学問の世界に生きていく以外の人生は考えられないのだという気になっていた。現役のときは、自分にはけっして手の届かない高望みのようなイメージの大学に、もう入ったようなつもりになっていたのだから、いい気なもんである。

2浪はしないと決めていた。一年間、ずっと気を張っていて、いっぱいいっぱいの生き方をしてきたので、これをもう一回では、気力がもたず、かえって成績が縮むと思った。それに、がんばっているのに何の前進もなく、同じループを回っているという状態に、精神が耐えられそうもないとも思った。それで、ぜったい合格の思いで受けたわけだけど、それが過度の緊張を呼び、本番で実力が十分に発揮できなかった気がする。

まあ、そういうわけで、落ちた。なんか、誇張でなく、人生終わった。JR(当時は国鉄だけど)の駅まで魂の抜けたようにふらふらと歩いてきて、脇の川にかかる橋から飛び降りちゃおうかとも思って下を覗き込んでみたが、臭かったので思いとどまった。結局、すべり止めに受けた私立に行くのだが、同じ高校の出で、駿台では大きく水を空けてたやつにばったり会っちゃって、にやにや笑いながら「あれ? なんで居るの?」とか言われたときには、ああやっぱりあのとき飛び込んでおくべきだったと思ったものである。

5月29日(土)、土谷寛枇(かんび)さんに案内されて、鬼門へ。病院のほうから入ってもよかったのだが、嫌がらせにと、色の名前のついた門から入ってくれる。つ〜ち〜や〜、ありがとよー。おや? 人でごった返している。あ、学園祭の真っ最中じゃん。今は6月だけど、行ったときの月の名前がついた学園祭だ。模擬店で陽気にに人を呼び寄せているにいちゃんとも目を合わせたくない俺のコンプレックスの根は深い。

ひとつ予定していた撮影ポイントは、両性具有の人形を据えて撮るには人が多すぎるのであきらめ、奥へ。すぐに人影がまばらになる。夏目漱石の小説の名前のついた池のほとりを回り込んで、アインシュタインも来たことがあるという理学部へ。あ、この景色、見覚えあるぞ。ぜんぜん変わってねーなー。あーなんか吐きそう。

もうひとつの撮影ポイントへ。ぜんぜん人がいない。こっ、こっ、これはっ!古いにもほどがある。芸術的に錆びた鉄管、散らばるガラスの破片。すばらしい。歴史の蓄積が感じられる。うん、ここはいい。こういうのはずっと保存しとかなきゃ、だめだ。今年落ちた人が、30年後に戻ってきて同じ目にあうよう、呪いをかけておこう。

●The Other Side 〜拘束と解放〜

翌日、5月30日(日)は都内のスタジオで枝里さんと橘明さんの人形を撮影。翌週末、6月5日(土)は同じスタジオで土谷さんと由良瓏砂さんの人形を撮影。6月6日(日)は同じスタジオで櫻井紅子さんの人形を撮影。自慢するほどのことでもないけれど、これほど多くの人形に、撮影の順番待ちの列に並ばれたという経験をもつ人は、そうなかなかいないのではあるまいか。人形の行列ができるカメコ。なんじゃそりゃ。

怒涛の撮影も一段落ついて、あと一週間で展示だ。6月18日(金)から7月5日(月)まで、浅草橋の「パラボリカ・ビス」にて。この画廊を主宰するのは今野裕一さん。雑誌「夜想」の編集長である。かつては、寺山修司の率いる劇団「天井桟敷」で演出を手がけてもいた。人様にものを見せるということに関して、たいへん前向きで、実験的なチャレンジ精神にあふれ、かつ、厳しい姿勢をお持ちという印象を私は受けている。打合せで「よそでも見られるような展示をウチではやらないでくださいね」と言われた、その言葉が重くのしかかっている。

はっきり言って、敷居が高い。けど、だからこそ、みんながんばっている。無理して背伸びする必要はぜんぜんない。奇抜なことをやって驚かそうとする必要もぜんぜんない。みんながもっているそれぞれの力を、のびのびと発揮すれば、それでいい。表現したいことを表現したいように表現する。それでぜったいにうまくいく。ここが正念場で、内情はてんやわんやのしっちゃかめっちゃかの戦場のような騒ぎだけど、ちゃんとゴールに向かって、まっしぐらに突き進んでいる。ぜったいにうまくいく。

さて、その騒ぎをちょっと離れ、今回テーマとして掲げている「The OtherSide 〜拘束と解放〜」について、自分なりに語ってみたい。みんなで話し合って決めたテーマだが、その解釈までは限定せず、各自に委ねている。そうしないと、テーマが各作家さんの作風を曲げてしまってはおかしなことになるし、完全に表現の方向性がそろっていては画一的になってかえって退屈だ。

そういうわけで極めて私的な論であり、人形作家さんたちとは解釈を異にするのだが、このタイトルから喚起された想念は、こうだ。都市は、自身をも人をも分裂に追い込む。秩序、利便性、快適性、清潔感、好印象、人工の美。これらはすべて「表の顔」という名の、ひとつの側面にすぎない。どんなに緻密な設計をもって環境をきれいに整備し、細心の注意をもって保全したところで、人の心がそれに適応して、おのずから浄化されていくものでもあるまい。都市にも裏があれば、人にも裏がある。それが、The Other Side。

都市のことを言ったが、アートにも、陽のアートと陰のアートがあると思う。広告もひとつのアートだ。それは、以前に齋藤浩さんがうまいこと言ってたのを拝借しちゃえば、「ラブレターの代筆」だ。ラブレターである以上、受け手に好印象をもたらさなければ、失敗だ。宣伝対象の商品が売れることをもって評価されるアート。かけたコスト以上に売り上げの伸びがなければ存在意義のないアート。

それが、悪いとか浅いとか言っているのでは、決してない。広告の制作がそんな甘っちょろいものではないことは、身をもって関わったことはないながら、感じとしてなんとなく分かる。すぐれた広告を制作する力量はきっとハンパではない。ただ、消費者の側からみたとき、われわれはそういうタイプのアートばかりに囲まれすぎている。「好印象をもたらすもの」と「美しいもの」とはちょっと違う。好印象とは別のところでなにか訴えるものがあり、うーんとしばらく考えてから、あ、そうかこれもまた別の次元の「美」が宿っているじゃないか、と気づかせてくれる、そんな隙間のアートがあると思う。

小ぎれいな都市において、裏は何かの拍子に表の場に出てきたりしないよう、鉄の檻に入れられ、厳重に拘束されている。試しにちょっと解放してみたらどういうことになるか。そんなことはとっくの昔から誰かがやっていて、みんな知っている。公道を裸で走る輩がたまにいたとしても、それに誘発されて「ええじゃないか、ええじゃないか」と集団で裸になっちゃうという動きには決してならない。馬鹿の見本として、世にさらされる。かくて、表の圧力はますます強化され、裏はますます奥へと封じ込められていく。が、消えてなくなりはしない。底流で都市の病が進行していくだけ。

誰にでも開放されていながら、外の世界から遮断された閉鎖空間でもあるアートという場。外の世界の価値観とは別の次元で、互いに分かり合える何かを共有する者たちの寄り合う秘密結社のような狭っこさももつ空間。拘束は、そういう場で初めて解放へと向かい、息苦しさを逃れていく。抑圧されてきた TheOther Side はただ暗く汚く醜いだけなのか。

プラトンのイデアのように、先鋭化された美意識に忠実な姿勢で制作したとみえる作品がある。逆に、人形と人形でないものの境界付近を狙ったとみえる、既存の固定観念に強烈なけたぐりを食らわすかのような作品がある。それはそれで相反する拘束指向と解放指向のようにもみえるが、実はどの作品も両方の側面を兼ね備え、ただ、どちらが前面に現れたかの違いでしかない。

いずれにせよ、大量生産・大量消費の流通機構の中に位置づけられる大量伝達の媒体に必須な分かりやすい好印象というカテゴリには納まらないために、一般の人々の間へは情報が流通していかず、超有名になることは決してないタイプのアート。けど、制作姿勢はみな真剣だし、作品としての完成度は高く、なによりも見ていて面白い。私はそういうアートが好きで、どんなに絶賛してもし足りない。大人気を博する必要はまったくない。いとおしむ人が一人また一人と増えていってくれれば。

週末イベントもお薦め。6月26日(土)のMONT★SUCHTと7月4日(日)の電氣猫フレーメンは、まず何をおいても私がぜひ見たいという前提があった上で、ダークで耽美な世界を指向する方々にはぜひぜひご覧いただければという願いがこもっている。ここまで来るまでには、ちょっとした連絡ミスなどで揉めたこともあったのだが、みんなそれを乗り越えた上で、与えられた条件の下で最高のパフォーマンスを見せることができるようにと、真剣に準備に励んでいる。

それと、いらしていただけた方にもれなく差し上げる小冊子もご覧になってみてください。10人の人形作家の作品の写真をそれぞれ1点ずつピックアップした写真集になっています。最初は、入場料をいただくのは心苦しいのでおまけをつけることで許していただけたら、という動機だったのですが、そこに紙面があればついついがんばっちゃうのがクリエイターの性なのか、この冊子だけでもお得なんじゃないかってぐらいの気合いの乗った仕上がりになってます。

会期:6月18日(金)〜7月5日(日)月〜金/13:00〜20:00 土日祝/12:00〜
19:00 スペシャルイベント開催日は17時に閉館 水曜休館
入場料:500円、ミニ写真集付き(併催の宮西計三・個展「見世物小屋」或は「舞臺裏」と共通)
会場:parabolica bis[パラボリカ・ビス]2F/Galleria Yaso mattina
闇に囚われしもの...
深い森に棲むもの...
〜止まった時間を生きるもの。

写真家GrowHairと人形作家10人が織りなす、もうひとつの世界
枝里、櫻井紅子、赤色メトロ、橘明、土谷寛枇、七衣紋、林美登利、八裕沙、由良瓏砂、吉村眸
写真:GrowHair

◇6月19日(土)7月3日(土)黒澤潤監督作品「猫耳」上映+薔薇絵トーク
ゲスト:由良瓏砂 司会:清水真理
◇6月20日(日)宮西計三 作家自身による作品解説 ゲスト:有間凡
◇6月26日(土)MONT★SUCHTパフォーマンス「St. Elmo's dance」
出演:由良瓏砂、神崎悠雅、有栖川ソワレ、もえぎ子、Mars Medicis Mephistopher(Solomon Grandy)、Kyoco Lunaire Marionnette(Solomon Grandy)
音楽:]k[
◇6月27日(日)宮西計三Onnaライブ
◇7月4日(日)電氣猫フレーメンパフォーマンスライブ「ロメオとジュリエット あるいは純愛の不幸」
出演:永井幽蘭/由良瓏砂/大島朋恵

週末イベント全て open /19:00 start/19:30 \2,000(展示会入場料込)
メールでのご予約・お問合はHPの[お問合せフォーム]より
お名前、お電話番号、ご希望イベント名と日付、枚数をお知らせ下さい。前日17時まで承ります。会場の広さに限りがありますので、ご予約はお早めにどうぞ。パラボリカ・ビス 東京都台東区柳橋2-18-11 TEL.03-5835-1180
会場:parabolica bis[パラボリカ・ビス]2F/Costad'Eva
< http://www.yaso-peyotl.com/
>

アクセス:「浅草橋」JR駅東口徒歩6分/都営浅草線 A6出口徒歩4分
江戸通りを浅草方面に進み、吉野家の角を右に曲がる。2本目の小道を左、ト字路を右に入る。目印の吉野家は5月31日をもって閉店しているので、ご注意!

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。ネットで俺のことが言われているような気がするのは、自意識過剰から来る勘違いだろうか。

・セーラー服着たおじいちゃんとかいた。あそこまで気持ちいいくらいのコス久しぶりにみたなw
・私は会えなかったけどセーラー服のおじいちゃん見たかった〜
・セーラー服に髭三つ編みのこの御仁は仲間の作家さん達と12ブースぶっ通しの「妖怪横丁」をやってました! どうどうとした出で立ちに感服。
・デザインフェスタで見かけたセーラー服を着た男性...世の中まだまだ色んな人がいるものですね
・途中でセーラー服のおじぃさんに出会いました。(写真)このおじぃさん、こういう趣味の方ではなく、普段はちゃんとした写真家さんです。妖怪横丁というブースに展示されていましたが人形のお写真は素敵でした。
・なんかセーラー服のオッサンがいた。横に並んでパチリ!! もちろん無断です。
・セーラー服を着た爺さんとすれ違ったときは衝撃でした
・妖怪横丁のセーラー服お爺ちゃん
・セーラー服を着た白髪のお爺さんがいた。悲しい気持ちになった。
・そして衝撃的なセーラー服のおじ様や、緑色の小人兄弟も目撃。
・今回のMVP。セーラー服仙人様です。可愛い!!! ホントに可愛い!!!
・刺激をうけた! セーラー服着たルンペンみたいなおじいさん
・今回の最凶インパクト大賞。大人気。一緒に写真撮ってください!!みたいな。さすがにこれは「モテ」ではないことはわかるw 珍獣扱いww 話してみると意外に若い感じでした。
・仙人みたいなおじいちゃんがセーラー服を着てうろうろ。
・会場を見渡せばファッションもみんな個性的で、白髪・あご髭はみつ編み・セーラー服にルーズソックスなお爺サマまで歩いていました。いや、今や東京って世界一おしゃれな街なんじゃないかって思います。
・個人的にインパクトでかかったのは、長い髭を二つに分けて三つ編みにして、セーラー服を着てルーズソックス履いてたお爺ちゃん
・他の方から撮影を頼まれていましたね。セーラー服を着たおじいさんです。アートなのか趣味なのかコスプレなのかは不明。
・デザフェスじゃなかったら通報したほうがいいかんじの人がいました。セーラー服...おじいちゃん...ひげがみつあみだった...。

もし、考えすぎではなく、これらが全部俺のことを言っているのだとしたら、......アイドルとしての自覚を新たにしたほうがいいのかも。今、高校時代を振り返ると、倉田まり子にあこがれてたって、対象としてではなくて、自分のなりたい姿としてだったような。んで、現実とのギャップに悩んでた。こういうのは青春特有の悩みであって、いまはもう悩んでいない。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/xUfqJL#5479305623743101234
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■編集後記(6/11)

・自称「奇兵隊内閣」だという。「菅政権を象徴するキーワードは」との問いに、菅首相は待ってましたとばかりに答えた。自分を高杉晋作気取りだ。おそらく何10年も前から、いずれ内閣を率いるときに名乗ろうと用意していたのだろう。しかし、自分を歴史上の人物や組織に見立てるのはおこがましいし、不用心でもある。実在したそれには表もあれば裏もある。いいところだけでなく、悪いところもあり、敵対する者、快く思わぬ者がそれを援用すれば菅首相は突っ込まれ放題になる。あちこちでボロクソに言われているだろうが、それは自業自得だ。それにしても現体制である内閣を、幕末に体制崩壊を目指した組織、しかも軍隊になぞらえる神経はわからない。軍隊と言えば、民主党には自称「人民解放軍の野戦軍司令官」がいて、今年の9月が(内部抗争の)本番だと息巻いているようだ。9月って3か月後だ。高杉晋作は藩内部抗争による事件の責任を負って、わずか3か月で奇兵隊総督を解任されている。高杉・菅はそんな史実も当然ご存知だと思うが。司馬遼太郎「世に棲む日日」の後半が高杉晋作だったが、昔読んだときは幕末事情もよく知らなかったため、退屈で、ストーリーもほとんど覚えていない。あらためて挑戦することにした。(柴田)

・ナナオから宅配便。何だろう? と開けると、クリーニングキット。保証書の記載ミスがあったとかで、差し替え願いがあった。クリーニングキットはお詫びなんだって。太っ腹すぎる......。見ると20年6月になっていて、平成22年との間違いなのかと思ったら、新しいものは'10年6月になっていた。保証期間は5年、かつ30,000時間以内。一日平均16時間として、1,875日。365で割ると5.13。なるほど妥当な計算だ。/DTP Booster 014は電子出版特集。5時間超。興味をお持ちの方は、早めに申し込んでおくほうがいいかも。UST中継はないよん。(hammer.mule)
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