映画と夜と音楽と...[467]外面のやわらかさと内面の強さ
── 十河 進 ──

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〈濡れた二人/青空娘/からっ風野郎/好色一代男/卍/赤い天使/女は二度生まれる/しとやかな獣〉

●白戸家の犬のお父さんを産んだのは若尾文子?

7年前にみすず書房から出た「映画女優 若尾文子」(四方田犬彦・斉藤綾子編著)を見付けたとき、読んでみようと思ったのは、最近、若尾文子を時々見かけるようになったからだ。一時期は、まったく出ていなかった。妻夫木君と竹内結子の「春の雪」(2005年)で久しぶりに映画出演し、夫の黒川紀章が都知事選に出馬したときには、応援のために人前に姿を現した。

驚いたのは、最近、若尾文子がテレビコマーシャルに出てきたことである。ソフトバンクの白戸家の犬のお父さん(声は北大路欣也)が実家に帰ると、玄関に出てきたのは若尾文子の母親である。あの独特の声は、まったく変わっていなかった。僕は、北大路欣也が若尾文子と共演した増村保造監督の「濡れた二人」(1968年)を思い出し、ふたりは一体いくつ年の差があるのだろうと考えた。

それにしても、「濡れた二人」とは、ずいぶん思わせぶりなタイトルだ。大映の経営が苦しくなり始めた頃の映画だから、内容は別にして当時のタイトルにはそういうものが多い。その後、大映はやはり経営が苦しい日活と組み、ダイニチ映配として系列館へのプログラムを配給し続けたが、それも一時しのぎで、結局、1971年の秋に倒産してしまう。

大映が倒産した後、若尾文子は大映に殉じるように映画出演をやめ、テレビと舞台の世界に移る。僕は、若尾文子と言えばテレビドラマ「クラクラ日記」の印象が強く、その頃に彼女が出演したシリーズドラマだと思っていたが、調べてみると放映は1968年の1月から3月だった。若尾文子と藤岡琢也が演じる小説家の夫婦の話である。

坂口三千代のエッセイをベースにしたシリーズドラマで、主人公は坂口勘吾と名を変えていたが、もちろん坂口安吾である。しかし、そのドラマを見ていたとき、僕は(高校二年生だったわけだが)坂口安吾という小説家を知らなかった。そのドラマを見て初めて、そういう有名な小説家がいるのだと知り、高松の宮脇書店で世評の高い「堕落論」の文庫本を手に取った。

ということで、僕は若尾文子の映画をほとんど同時代的には見ていない。僕が封切りで見た若尾文子出演作は「男はつらいよ 純情篇」(1971年)だけだ。大映が倒産した頃、僕は毎日のように名画座巡りをし、様々な映画を見ていた。しかし、その作品群では若尾文子には出逢わなかった。理由はわかっている。その頃の僕が増村保造監督の凄さを理解できなかったからだ。



当時の僕は、監督の名前で映画を見にいった。だから僕は、渥美マリ主演のまるでポルノ映画のようなタイトルを持つ「でんきくらげ」(1970年)を、増村保造が監督だからという理由で銀座並木座へ見にいった。それは、僕が初めて意識して見ようとした増村作品だったのに、僕には「でんきくらげ」は単なるエロ映画にしか思えなかった。僕は増村作品を見るのをやめた。

僕が増村保造監督の斬新さに目覚めたのは、処女作「くちづけ」を見たときだ。それは増村監督が若尾文子に出逢う以前の映画である。「くちづけ」を見た僕は、増村作品を改めて見直した。その結果、「青空娘」(1957年)、「からっ風野郎」(1960年)、「好色一代男」(1961年)、「卍」(1964年)、「赤い天使」(1966年)など、若尾文子と組んだ増村監督作品の面白さが、ようやく僕にもわかったのだった。

「映画女優 若尾文子」の文章の多くが若尾文子論ではなく、ほとんど増村保造論になっていることで「やっぱり、そうか」と思ったが、若尾文子を語ることは増村保造を語ることに他ならない。それは、小津安二郎と原節子、成瀬巳喜男と高峰秀子という関係に匹敵する監督と女優の名コンビだった。

しかし、大映倒産当時に戻ると、僕にとって若尾文子は未知の女優だった。しかし、僕は名作の誉れ高い「幕末太陽傳」(1957年)を名画座で見て、その面白さに驚き、川島雄三監督作品を追いかけることになる。その中で、僕はやがて若尾文子の代表作「しとやかな獣」(1962年)に出合ったのだ。

●花ニ嵐ノタトエモアルゾ、サヨナラダケガ人生ダ

僕の手元に「川島雄三、サヨナラだけが人生だ」という藤本義一が書いた本がある。藤本義一は東宝時代の川島雄三監督に弟子入りし、「暖簾」(1958年)や「貸間あり」(1959年)の脚本に加わった。後に川島監督が大映に移ったときも一緒に移籍したのか、田宮二郎主演「犬」シリーズなどのシナリオを手がけ、小説を書き始め、11PMの司会で有名になり、直木賞を受賞する。

川島雄三監督は「花ニ嵐ノタトエモアルゾ、サヨナラダケガ人生ダ」が口癖だったと言われ、この本もそれをタイトルにした。元々は唐の詩人干武陵の「勧酒」を井伏鱒二が訳したものである。井伏鱒二原作の「貸間あり」の中では、この詩が使われている。川島雄三監督は、よほどこのフレーズが好きだったのだろう。

さて、その本の表紙には川島雄三監督本人の写真が使われている。シナリオハンティングで同行したときにでも、藤本義一本人が撮影したプライベート・スナップなのかもしれない。川島雄三監督は首を少しかしげ、ズボンのポケットに両手を突っ込み、口をとがらすようにへの字につぐみ、「早く撮れよ」という声が聞こえてきそうな表情をしている。「日本軽佻派」を名乗り、諧謔にとんだ人だったと聞くが、その目元からは照れたような様子もうかがえる。シャイな感じの人である。

口が悪く、自己韜晦的であり、辛らつな皮肉を口にし、諧謔的な性格の人に多いのは、非情に照れ屋でシャイだということだ。川島雄三監督は、筋萎縮症という病気を抱えて多くの作品を作ったが、様々な人が語る川島雄三のエピソードを読むと、自身の命の限界を自覚しながらことさら明るく振る舞っていたような印象がある。実際、彼は40半ば、映画監督としてはこれから...という時に死んでしまう。

──五年を経ずして、監督は鬼籍の人となった。昭和三十八年六月十一日、誰に声かけるともなく逝った。東京都観察医務院の死体検案書には、直接の死因「肺性心」とあり、両側の肺に気腫が生じ、空気を詰めた風船を上下左右から圧力かけた結果の死のように詳しく書き込まれている。遺書はない。生き急ぐ者に遺書はない。(藤本義一「生きいそぎの記」)

40半ばで逝った監督としては、その作品数は多い。織田作之助との交友から生まれた「還って来た男」(1944年)でデビューし、城山三郎原作「イチかバチか」(1963年)まで、ほぼ20年間で50本の作品を遺した。松竹で小津安二郎や木下恵介らの助監督としてスタートし、日活、東宝、大映と映画会社を渡り歩いた。

日活時代には「州崎パラダイス 赤信号」(1956年)、「幕末太陽傳」という日本映画史に残る作品を生み出し、東宝では「貸間あり」を作った。そして、大映で若尾文子と出逢う。その結果、「女は二度生まれる」(1961年)、「雁の寺」(1962年)、「しとやかな獣」が生まれた。

●若尾文子は「女は二度生まれる」を懐かしそうに口にする

──川島雄三さん、あの方はね、楽しかった。面白かったですよ。小津先生が文化人って言ったでしょう。『女は二度生まれる』でもそうでしたけど、川島さんというのはひとくちで言うと銀座人なの。なんとなくそういう匂いのする人で。映画監督のなかでは、そういう、どことなくね。一緒に仕事をしてて、なかなか楽しい方でしたね。(「映画女優 若尾文子」中のインタビューより)

2002年秋の段階で、若尾文子が懐かしそうに語る川島雄三監督は、すでに亡くなって40年近くになっていた。「女は二度生まれる」の撮影からだと、41年が過ぎていた。それでも若尾文子は「女は二度生まれる」というタイトルを、懐かしそうに口にしている。初めて川島雄三監督と組んだ作品だ。「とに角、若尾クンを、オンナにしてお目にかけます」と制作準備会の席上で監督は断言したという。

「女は二度生まれる」は、ミズテン芸者(枕芸者の方がわかりやすい?)の話である。客に呼ばれて一夜の妻となる芸者であり、開巻からそんなシーンで始まる。金持ちらしい中年男(山村聡)が布団に寝ころんでたばこを吸っている。「お待ちどうさま」などと言いながら入ってきた芸者の小えん(若尾文子)は、いきなり帯を解き始める。最初に見たとき、僕はそんな役をよく承知したなと思った。何しろ、大映の看板スターだった頃の映画だ。

先日、亡くなった井上ひさしさんが高校生の頃、同じ仙台に住む有名な美少女がいて、それが女高生の若尾文子だったという話は有名だ。井上さんのその頃の自伝的小説が「青葉繁れる」で、岡本喜八監督によって映画化(1974年)された。その物語に登場するヒロインは若尾文子をモデルにしたと言われている。僕はずっと、その役は竹下景子が演じたと記憶していたが、調べると秋吉久美子だった。

そんな風に憧れていた美少女が映画界に入り、「十代の性典」(1953年)というキワモノ映画で人気が出たことは井上さんにとってショックだったろうが、大スターになっても金で買われる芸者役を平気で引き受けることもショックだったのではあるまいか。もっとも、大スターになっても、性的な役を平気で引き受けたのが若尾文子の凄いところだった。たとえば増村保造監督の「赤い天使」では、兵士を癒すために自ら体を開く従軍看護婦の役だった。

しかし、鬼才・川島雄三監督を招聘した大映は若尾文子主演作品を依頼し、初めて彼女自身が作品選定会議から出席し、監督と意見を交わし、さらに3本あった候補作品から富田常雄原作の「小えん日記」を選んだという。へぇー、と僕は思った。若尾文子の選択も意外だったが、「姿三四郎」で有名な富田常雄が、ミズテン芸者の男性遍歴を描いた小説を出していたことも意外だったからだ。

●娼婦の世界を多く描いてきた川島雄三監督

川島雄三監督にとって娼婦の世界を描くのは、得意だったのかもしれない。「幕末太陽傳」は品川遊郭が舞台だし、「州崎パラダイス 赤信号」は戦後の赤線の話である。そういう意味では、「女は二度生まれる」の世界は、川島雄三監督にとっては、自家薬籠中のものだったのかもしれない。

「女は二度生まれる」を見て僕が驚いたのは、小えんがいる置屋が靖国神社の近くだったことだ。開巻の山村聡との会話で、それがわかる。靖国神社近くの旅館に彼女は呼ばれたのである。僕の友人に東京の三業地に詳しく、「東京 花街・粋な街」「花街・色街・艶な街 色街編」という本を上梓した男がいる。今度、彼に確認してみようと思うが、昭和30年頃までは、靖国神社の近くにも色街があったのかもしれない。

さて、小えんは芸者とはいえ、客と枕を重ねるミズテン芸者だ。置屋に帰ると仲間たちがいて、「最近じゃあ、新宿のキャバレーの方が実入りがいいわよ」などと話している。小えんも誘われてキャバレーに移り、そこでサラリーマンに口説かれたりする。客に連れていかれた寿司屋ですし職人(フランキー堺)と知り合い、心を惹かれる。

ある夜、座敷に呼ばれていくと、ひいき客に連れてこられたすし職人がいて、その夜は彼の相手をする。しかし、彼女は勤めを辞めないし、その後、様々な男たちが彼女と関わりを持つ。キャバレーで再会した山村聡(彼は建築家だった)に囲われたり、彼が死ぬと本妻に遺産目当てだと言われ憤慨する。結局、何も受け取らず、再び置屋に戻りミズテン芸者に復帰する。また、街で知り合った少年のような工員に貢いだり、何かとめまぐるしい。

おそらく、彼女は男たちの誘いを拒否できないのだ。だらしないところもあるし、無知なところもある。男にだまされることもあれば、男を裏切ることだってある。しかし、僕は小えんの男性遍歴を見ながら、その映画の面白さにはまってしまった。なぜ面白いのか自分でもわからないのに、面白いのだった。

別に潔癖ぶるわけではないが、僕は「女を買う」という行為が嫌いだ。先日、内田樹さんのエッセイを読んでいたら、内田さんが「女性を商品として扱う」ことを哲学的に考察し批判していたが、それを読みながら僕自身の心理も理解できたのだけれど、世の中には「性」を商品化したものがあふれている。最も直截的なのが女性そのものの商品化である。

しかし、「女は二度生まれる」を見ていると、自分の肉体を商品として生きるヒロインを生き生きと描いている面白さが伝わってくる。昭和30年代の考え方で生きているヒロインだから、現在の尺度で測っても意味はない。彼女は戦災孤児であり、生き抜くために己の肉体を武器にしただけだ。いつしか、それが当たり前になり、誰にでも帯を解くようになった。

彼女は、生き抜くために戦っているのだ。したたかであり、しぶとくもある。男たちになぶられてもめげず、殴られても毅然とにらみ返す。本妻に「遺産目当ての二号」と言われたら、「何もいりません」と言い返す自尊心は持っている。躯は売っても...というプライドは持っているのだ。彼女は自分で稼ぎ、自分で生き延びてきた。そのことに特別の気負いはないが、誇りを失ったわけではない。

僕は自立する女性、強い女性に惹かれる傾向があるのだけれど、強さとは表に顕れるものではないのだと「女は二度生まれる」で教えられたような気がする。ふんわりとしたしゃべり方で、もしかしたら少し頭が弱いのではないかと思うようなヒロインとして登場した小えんは、男たちとの関係の中で、芯を持った強い女として生まれ変わる。あくまで男に優しい小えんは、精神的強さを確立したのである。そんなやわらかい外面と強い内面を持つ存在として、若尾文子ほど最適な女優はいなかった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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会社で購入するのでiPadの3Gタイプ64GBの予約にいった。法人契約でも2台までと制限がついている。デモ用のものはいろいろさわってみたけれど、実際につかってみなければわからないだろうなあ。それにしても、ヨドバシカメラの秋葉館は広すぎる。

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< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
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