映画と夜と音楽と...[468]記憶の中で生き続けるもの
── 十河 進 ──

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〈乱れ雲/あした来る人〉

●夫を轢き殺した男に妻の強い憎しみの視線が向けられる

妻の妊娠がわかり、通産官僚である夫のワシントン赴任が決まるという、二重の喜びをふたりで祝った日の夜、妻は夫が車にはねられて死んだことを知らされる。幸福の絶頂から、思いもしなかった不幸へ。はねられた夫の顔を見つめる妻は、おそらく現実感を失っているのだろう。こわばった顔で立ち尽くすだけだ。

官舎での葬儀。現役のエリート通産官僚の死である。多くの花輪が並び、弔問客が列を作る。その中をひとり若い男が進み出て焼香を終え妻の方を向き、「奥さんですか。このたびは...」と頭を下げる。妻の横にいた夫の父親が「おまえが、息子を殺したのか」と激高する。怒声をあげ、「何しにきた。出ていけ」と睨みつける。息子を失った悲しみを、事故の相手に向けるしかないのだ。

男に付き添ってきた上司がかばうように肩を抱き、男を連れ出そうとする。男が玄関で振り返ったとき、初めて妻の強い憎しみの目にぶつかる。妻は何も言わない。鋭い視線で男を見つめるだけだ。夫を殺した男、自分の幸福を奪った男...、憎しみは男に向かう。ほかに、どこへ向けられるというのか。

男は商社のエリート・ビジネスマンだった。反対はされているが、恋人は常務の娘だ。前途は洋々だった。しかし、取引相手の外国人の客を接待し、客とコールガールを同乗させて運転しているとき、前輪がパンクしてハンドルを取られ、通産官僚をはねてしまう。商社勤めの人間が通産官僚を殺したのだ。不可抗力とはいえ、社内での立場はない。

男は裁判では無罪になるが、賠償金は分割で支払うと申し出る。姉に付き添われて現れた通産官僚の妻は、終始、顔を背けている。男が賠償金の話を持ち出すと、「お金なんかいりません。夫を返してください」と言い募る。男は何も言えず、何も反応できない。そうやって、相手の妻に責められ続けるしかないことを、男は覚悟している。

アパートに帰ると、恋人が待っている。青森支社に左遷される男は、恋人に「一緒にいってくれないか」と言うが、恋人はそれには返事をせず、黙ってカーテンを閉める。その瞬間、男にはわかる。彼女は別れる決意でいるのだと...、最後に自分に抱かれるためにカーテンを閉めたのだと...。それは彼女の詫びなのだろう。

男は、ひとりで青森支社に赴任する。定年間近の所長、数人の営業マン、それに事務の女子社員がひとり。花形の商社マンとして活躍してきた男に、そこはどんな風に映ったのだろう。それでも、男は賠償金を支払うために仕事を続ける。

そんなとき、通産官僚の妻が男の前に現れる。お金はもう送らないでほしい、と彼女は言う。子供は流産し、夫の実家に迫られ籍を抜いて旧姓に戻った。実家が青森の十和田湖畔の旅館で、今は義姉が取り仕切っているが、そこで働くのだという。「あなたからお金をいただいていると、いつまでも過去に縛られるような気がして...」とつぶやく彼女に、「そうやって僕を責め続けるのですか」と男は答える。



●切なさと悲哀を観客の胸にかきたてる成瀬巳喜男作品

成瀬巳喜男監督の遺作になった「乱れ雲」(1967年)は、人を轢き殺してしまった商社マン(加山雄三)と、夫を轢き殺された妻(司葉子)の悲恋物語だった。加害者と被害者の妻の恋...。普通ならあり得ない話だが、名匠・成瀬巳喜男は、その物語に説得性を持たせ、切なさと悲哀を観客の胸にかきたてた。

女は、男の誠意を感じてはいる。だが、許すことはできない。愛する夫を殺した相手だ。だから、たまたま湖畔の旅館で酔った自分の姿を男に見られたとき、女は強い口調で「私の前からいなくなって。どこか遠くへいってしまってよ」と言い放つ。そのとき、女の心は揺れている。愛してはいけない男に惹かれている、自分の心に戸惑っているのだ。

女が「どこか遠くへいってしまって」と言う本当の気持ちは、これ以上、男が身近にいると、もっともっと惹かれてしまうからではないのか。そんな自分が怖いからではないのか。夫を殺した男を愛せるはずがない。そう言い聞かせながら、彼女は自分の気持ちの振れに気付いている。司葉子の演技は、観客にそんなことを伝えてくる。想像させる。

「どこか遠くへいって」と言われた男は泥酔して下宿に戻り、息子を心配してやってきていた母親に、「あの人は僕を責め続ける」と涙を流す。彼は、女に惹かれている。詫びる気持ちが、女に幸せになってもらいたいと願う気持ちが、何度か逢ううちに恋慕へと変わっていったのだ。あの人を自分が幸せにしたっていいのだ、と思った。だが、女からは強い拒絶の言葉しか返ってこない。

男は、転勤願いを上司に出す。ある日、本社からやってきた元上司は、彼の赴任先を告げるが、それはたったひとりの駐在員しかいない海外支社だった。前任者が精神的におかしくなり、行方不明になったその後釜だという。誰もいきたがらない場所である。「3年経ったら呼び戻してやる」と、元上司はもっともらしく言う。

男は転勤の辞令を受ける。そんなある日、女とバスで乗り合わせ、男は転勤になることを告げ、最後に十和田湖を案内してくれないかと誘う。ふたりはボートに乗るが雨が降り出し、風邪気味だった男は熱を出す。女は、知り合いの旅館に頼んで部屋を取り、医者の往診を依頼する。医者は数時間ごとに解熱剤を飲ませるように指示して帰る。

熱でうなされる加山を看病する司葉子は、本当に美しい。流しで氷を砕く背中にさえ恋慕の情がにじみ出す。氷嚢を直す仕草に幸福感が漂う。熱のために歯を食いしばる加山の口に錠剤を入れ、水差しをくわえさせる表情が輝く。そして、とうとう「手を握ってくれ」と言う加山の望みを叶えてやる。いや、司葉子は加山の手を握り返すのだ。その瞬間、彼女は自分が男を愛していることを、明確に自覚したに違いない。

しかし、眠らないまま翌朝帰宅し、男と旅館で一夜を過ごしたことを知った義姉(森光子)とその愛人(加東大介)に「どんな間柄なのよ」と冷やかされると、「夫を殺した相手よ。そんな人を私が愛せるはずがないじゃないの」と激しい口調で明かす。それは、男を愛してしまった己に言い聞かす言葉だ。そんな気持ちが伝わってくる。

苦しい。苦しくてたまらない。切ない。切なくてやりきれない。胸がかきむしられる。胸の奥から鳩尾にかけて絞られるような...淋しさが募る。悲しみが湧き起こる。痛いほどの悲しみ、胸に穴が開くような痛み...。躯の裡から何かを希求するような、そんな切実な思いが、司葉子の姿から、表情から、仕草から、気持ちとは裏腹に口を衝いて出る言葉から、立ち上ってくる。

●抑制のきいた大人の恋の禁欲が美しく輝いて見える

僕は「恋する相手とは寝ないことをもって尊しとする」人間だから、「乱れ雲」を見ると、ふたりの禁欲的なところが美しく輝いて見える。抑制のきいた大人の恋...。昔の恋愛小説や恋愛映画は、恋愛感情が芽生え、育っていくことに主眼をおいていた。そんな物語では、ふたりが愛を確認し、手を握り合う、あるいはくちづけを交わすことは、ほとんど物語の終焉を意味した。

たとえば、井上靖の小説である。僕は彼の小説の愛読者であるが、その中でも川島雄三監督によって映画化された「あした来る人」(1955年)は、昔読んで深く印象に残っている。その物語には何組かの男女が登場するけれど、彼らのほとんどは手さえ握らない関係のまま終わる。

「乱れ雲」は2時間たらずの映画だが、彼らが初めてくちづけを交わしたとき、すでに1時間半が過ぎていた。風邪から回復した男が十和田湖へ女を訪ね、山菜採りをしている女を驚かし、初めて愛を告白する。男は「海外の転勤先に一緒にいってくれませんか」と、決断を迫るように抱きしめる。抱きしめられたとき、女はあらがい一度は身を離す。しかし、自らの思慕の念を確認するように、改めて身をゆだね唇を重ねる。

──僕たちに、今、必要なのは、過去にとらわれることじゃない。
──私たちから、過去を消すことなんかできやしないわ。

結局、女は愛した夫の思い出から逃れられない。青森に帰ったばかりの彼女が、夫との旅の思い出を甦らせるシーンがある。おそらく、それは繰り返し繰り返し、彼女の中に浮かぶ思い出だ。傷付けた者にはわからない。愛する者を失った女は、いつまでも思い出を消すことはできない。

思い出の中で、死者は永遠に年をとらず、美しい記憶だけになっていく。忘れることなどできはしない。逝ってしまった人間は、いつまでも昔の姿で、薄れゆく記憶の中からときに鮮明に甦る。しかし、愛した人の記憶を抱えて生きていくことは、生きている者のつとめだと僕は思う。生者の記憶の中に、死者は生き続ける。

●大勢の弔問客の間に波紋のように広がった囁き──何しにきた! 帰れ!

弔問客の中から、怒声がとんだ。うなだれるように頭を下げた男が、何も言えず斎場の入り口で肩を落としている。付き添いの男が、その横でじっと正面を見つめていた。肩を怒らせ、虚勢を張るように、じっと立っている。正面には献花台が設けられ、大きく引き延ばされたKさんの写真がかけられていた。何の不安も感じていないような、幸せな笑顔だった。

男を取り巻くように囲んだ大勢の弔問客の間に、水面に小石が投げ込まれて立つ波紋のように「轢いた相手だって...」という囁きが広がった。4月の早朝、強い雨が降っている中、Kさんは横断歩道を渡ろうとして車にはねられた。即死だったらしい。車を運転していたのは飲食店主で、築地に仕入れにいく途中だったと聞いた。

その男が、おそらく身内だろう別の男と一緒に、自分が殺してしまった若い女性の通夜の席に姿を現したのだ。Kさんの父親は男が姿を現したことに怒りを顕わにし、男が警察に拘留されていないことに不審を募らせた。「帰れ」と、さらに鋭く言い放った。弔問客たちも、多くは男を責める目で見つめていた。

ただ、僕は一緒になってその男を責める気にはなれなかった。その夜、僕が悲しくなかったわけではない。それどころか、献花をした後から涙が止まらなくなった。しかし、その男だって、とんでもなく大きなものを背負ってしまったのだ。人を殺した、その罪の意識もあるだろうし、悔やんでも悔やみきれない何かを抱えたに違いない。罵られるのがわかっていて、自分がはねた相手の通夜にやってくる辛さや気後れを僕は想像した。

Kさんが転職で僕の編集部に入ってきたのは、もう19年前のことになる。彼女は予定されていた配属部署が、入社直前になって急に変更になり、僕が編集長をやっていた季刊のビデオ雑誌に配属になったのだ。そのことを彼女は気にしていたし、自分がビデオのことなど何も知らないのになぜ、と不思議がってもいた。

配属部署が急に変更になった理由は社内の人事的な事情だったのだが、そんなことがあったので、僕は何となく彼女に対しては申し訳ないような気持ちを抱いていた。それに、彼女と仕事をしてみて編集センスが抜群だとわかったし、アート、音楽、文学などの世界に造詣が深いことを知った。その結果、自分の担当する雑誌ではあったけれど「ビデオの本じゃあ、もったいないな」と僕は口にするようになった。

結局、1年が過ぎた頃、イラストレーションという雑誌の編集部に異動できる機会があり、僕は彼女に「きみには、そちらの方が向いているよ」と話をした。しかし、彼女は僕に気を遣ったのか、「もう少し今の編集部で...」と返事を留保した。「確かにアート系の雑誌をやりたかったのですが、今、異動すると中途半端になるようで...」と彼女は続けた。

しかし、その後、彼女はイラストレーション編集部に移り、水を得た魚のように生き生きと活躍し始めた。異動して1年ほどが過ぎたとき、「ずいぶん楽しそうに仕事してるようだね。よかった」と声をかけると、「おかげさまで、ありがとうござました」と頭を下げられた。通夜のとき、僕はそんなことも思い出し、拭っても拭っても涙は止まらなかった。

あれから...長く果てしない時間が流れた。しかし、今でも、僕の記憶の中では、30になるかならぬ姿で彼女は生き続けている。笑いかける。問い詰める表情もする。それは違います、編集長、という顔もする。彼女の取材原稿を誉めたときにとてもうれしそうにしたのを、今でもよく思い出す。僕に早川義夫のCDを貸してくれたときの照れたような仕草も...。

僕にとってKさんは、非常に強い印象を残した女性だった。生きていれば、彼女も40半ばになる。結婚して、子供が生まれていたかもしれない。作曲の才能が花開いたかもしれない。あれだけの文章が書けた人だ。音楽評論家として、世に出ていたかもしれない。そんなことを、ときに夢想する。

そんなとき、自分が轢き殺してしまった若い女性の通夜に現れ、罵声を浴びた男の心になぜか僕は思いを馳せる。あの通夜のシーンが、僕の脳裏を去らないのだ。いつまでも記憶に残っている。もしかしたら、司葉子の憎しみに充ちた視線に黙って耐えていた、「乱れ雲」の加山雄三の姿を連想するからかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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ユーチューブで、みなみらんぼうを見付けて「途上」と「少年の夏」を繰り返し聴いている。それらが入ったLPは持っているのだが、レコードがかけられない。テープにダビングしたものを車の中で聴いていたが、今の車はハードディスクタイプになっている。もうすぐCDも聴けなくなるかもしれない。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
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●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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