映画と夜と音楽と...[469]悲哀に充ちた無様な男たちの人生
── 十河 進 ──

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〈フィクサー/ナチュラル〉

●バーナード・マラマッドと聞くと若く未熟だった青年を思い出す

NHKの「ブックレビュー」を見ていたら、ある若い女性作家がバーナード・マラマッドの短編集を薦めていた。版元はスイッチ・パブリッシングで、翻訳は柴田元幸さんが担当している。柴田さんと言えば、当代随一の翻訳者として高名な人だ。マラマッドの旧作を新しく訳したのだろう。柴田さんの翻訳で、もう一度読み返してみようか。

バーナード・マラマッド...その名前を聞くと、40年以上も昔の若く未熟だった青年を思い出す。彼は170センチの身長で50キロしか体重がなく、27インチのジーンズを穿き、張り出したエラを長く伸ばした髪で隠し、晩秋から早春までは安物の紺のダッフルコートに身を包み、ショルダーバッグを肩にかけ、ポケットに両手を入れて、いつもうつむいて歩いた。そのくせ、時々、顔を上げ「おまえらは、みんなバカだ」という視線を周囲の人間に向けた。

彼は、自分のポジションがつかめなかったのだ。不安が去らなかった。いつも、頭のどこかに彼を居心地悪くさせる何かが潜んでいた。将来に対する不安だったのだろうか。おそらく、自分が何者になるのか、どんな人生を送るのか、そんな不安を抱き、充たされない何かを抱えて、鬱屈した心をもてあましていた。金はなく、いつも腹を空かしていたが、食事の代わりにハイライトをふかした。

晩秋から早春にかけて以外のときに彼が何を着ていたかというと、春先から梅雨時までは、やはり安物のサファリジャケットだった。ウエストの部分にベルトが付いたショートコートだ。薄地で、袖はまくり上げられるようになっていた。両手を入れるとポケットが膨らむので、いつの間にかシルエットは崩れていた。友人たちに「象狩りにいくのか?」と、しつこく冷やかされた。

梅雨明けから初秋にかけては、ほとんどTシャツで過ごした。Tシャツの袖からガリガリに痩せた両腕と筋張った首が出ていた。少し開いた襟からは、骨張った鎖骨が覗くこともあった。今から考えると驚いてしまうが、未熟だった彼はエンジや薄いピンク、それにオレンジ色などのTシャツを着ていたのだ。小心なくせに、目立ちたがり屋だった。




東京に出てきたばかりの18歳の彼は、自信がないくせに生意気で、気弱で物怖じするくせに大胆に見せようと力み、田舎者のくせに洗練された物腰を気取ろうとした。大した知識もないのに文学や映画の話をまくしたて、ときに論争し、相手を完膚なきまでにたたきつぶそうとして、逆につぶされた。そんな頃に彼が読んでいたのが、バーナード・マラマッドの小説だった。

高校生の頃、大江健三郎の「個人的な体験」を読んで心酔し、友人たちに「あれは、いいよ。凄い」と言い散らしていたら、ある男に「あれはジョン・アップダイクの『走れウサギ』を換骨奪胎したものだ」と言われ、アップダイクも「走れウサギ」も知らなかった彼は、「知らない」とは口が裂けても言えず、「そんなことは知ったうえで、言ってるんだ」とうそぶいた。

その日の帰宅途中、彼は本屋に飛び込んで「走れウサギ」を買い、深夜までかかって読んだが、主人公を「ウサギ」と呼ぶこと(「個人的な体験」の主人公は鳥〈バード〉と呼ばれる)、奥さんの元を出て愛人のところにいくことなど、いくつか共通するものを感じたが、どこが換骨奪胎なのかはわからなかった。

しかし、そのおかげで彼はアメリカのユダヤ人文学と括られる一群の作家たちと出会えたのだった。アップダイクの小説の巻末解説を読み、彼は少しずつ触手を伸ばした。ノーマン・メイラー「裸者と死者」、ソール・ベロウ「宙ぶらりんの男」、フィリップ・ロス「さようならコロンバス」、J・D・サリンジャー「九つの物語」...、そして、彼はバーナード・マラマッドの小説に出会う。

●マラマッドの主人公たちはアンチ・クライマックスな人物ばかり

「ブックレビュー」で紹介されたマラマッドの「喋る馬」という作品集をアマゾンで調べたら、昨年の秋に出版されていた。収録されている短編のタイトルが並んでいたので、昔買った新潮文庫版「マラマッド短編集」を持ち出して照合すると、ほとんどが重なっていた。しかし、未読のものが数編ある。マラマッドは寡作な作家だから、短編もそれほど遺してはいない。

改めて本棚を捜したら、短編集以外に長編が7冊出てきた。「修理屋(フィクサー)」を買ったのは、ジョン・フランケンハイマー監督が映画化した作品が話題になった頃だったので、1969年のことになる。帝政ロシアに住むユダヤ人の修理屋が冤罪で逮捕されるが、主人公は決して罪を認めず、牢獄でスピノザの著作を読んで果敢に生き抜き、解放の日を迎える。

主人公を演じたのは、アラン・ベイツ。主人公の理解者になる取調官がダーク・ボガードだった。その他に、エリザベス・ハートマンなど、懐かしい名前が浮かぶ。音楽が重厚だったが、当時、多くの映画音楽を担当していたモーリス・ジャールだった。「ドクトル・ジバゴ」(1965年)で映画音楽史上、最も美しい曲「ラーラのテーマ」を作曲した、あのモーリス・ジャールだ。

彼は、まず映画の「フィクサー」(1968年)を見た。しかし、それは実にマラマッドらしくない物語だった。マラマッドの主人公は、みんなアンチ・クライマックスな人物たちだった。簡単に言うと、カッコ悪いのである。無様でみっともない。権力に屈せず、果敢に生き抜く力強いアラン・ベイツは、映画のできは別にして(よくできた映画だった)、彼に違和感を残した。こんな人物を、マラマッドが描くはずがない。

彼は、早川書房から出ていたハードカバーの原作を無理して買った。それは、全米図書賞とピューリッツア賞を受賞した、折り紙付きの名作だった。子供の死体が見付かり、主人公ヤーコフが戦々恐々とするところから物語が始まった。もちろんヤーコフは犯人ではない。ただ、帝政ロシア時代の寒村に住むユダヤ人は、いつ災難がふりかかってくるかわからない恐怖を抱いて生きていた。

ヤーコフは小心で、おどおどし、勇気がなく、卑屈で、身を隠して生きているような男だった。そうだよ、これがマラマッドだ、と彼は思った。そして、物語は映画と同じように進んだが、ヤーコフの内面が描かれるために、主人公の卑小さが伝わってくる。それは等身大の人間に思えた。ヒーローなんかじゃない。おどおどと物怖じをする彼と同じような人間なのだ。彼は、何となく安心したものだった。

●人生の時間をダラダラとでも生きていかなければならない

新潮社版「新しい生活」と河出書房新社「今日の海外小説」シリーズの一冊だった「フィデルマンの絵」は1970年の購入だ。どちらも単行本だが、「フィデルマンの絵」は古本屋の値札が貼ってある。680円が550円になっただけだから、大して安くはない。文庫本が100円で買えた時代だ。大阪万博の年、彼は上京したばかりの浪人生で、もちろん金はなかったけれど、それだけの金を出す価値をマラマッドに認めていた。

「フィデルマンの絵」は、連作短編である。その最初の一編「最後のモヒカン」が、彼が初めて読んだバーナード・マラマッドの小説だった。雑誌名は忘れてしまったが、ある文芸誌が海外文学特集をやり数編の短編を掲載したことがある。その中に「最後のモヒカン」が入っていた。その短編は、高校生だった彼を打ちのめし、こんな小説が書けたらいいな、と思わせた。

「フィデルマンの絵」の第一話「最後のモヒカン」は、こんな風に始まる。──フィデルマンは、画家としては落第であることをみずから認めて、ジォットー研究の準備をするためにイタリアへやってきた。その最初の章の原稿は、彼がいま汗ばんだ片方の手にしっかり握っている、新しい豚皮の書類かばんに入れられて、はるばる海を渡ってきたのである。(西田実訳)

フィデルマンは、いきなり挫折した男として登場する。フィデルマンの夢は画家になることだった。しかし、物語の冒頭で「落第であることをみずから認め」た男として紹介されるのだ。しかも、画家の夢を諦めても、その周辺で名を成そうという未練たらしい男なのだ。フィデルマンは、その論文に自信を持ちながらも、不意に自信をなくし、弱気になる。

この後、フィデルマンはススキンドという胡散臭い男に「ガイドはいらないか」と声をかけられ、その男と妙なかかわりを持つことになる。そして、ある日、フィデルマンは原稿の入ったかばんをなくしてしまうのだ。その皮肉な展開と結末が、彼を魅了した。実際、彼は「最後のモヒカン」に影響を受けた短編を書いたのだ。高校2年だった。もしかしたら初めて書いた小説かもしれない。

角川文庫から出た鈴木武樹訳「汚れた白球─自然の大器」と繁尾久訳「アシスタント」は、1972年にまとめて買っている。「汚れた白球─自然の大器」はマラマッドの処女作で、「アシスタント」は代表作と言われる長編だった。翻訳は1970年秋に「汚れた白球─自然の大器」が出て、1971年春に「アシスタント」が出た。彼は、評判の高かった「アシスタント」が出たのがうれしかった。

それから10年近く、彼は「フィデルマンの絵」や「マラマッド短編集」を読み返しながら、マラマッドの新作を待ち続けた。彼は就職し、結婚し、広いマンションに引っ越し、スチル製の大きな本棚を3本も買い込んだ。本当は自分の部屋の壁に造りつけの本棚を作りたかったのだが、見積額を聞いて諦めた。就職したといっても、若くして結婚し、35年のローンを組んだ男には、そんな余裕はなかった。

その頃の彼は30を間近にして、惑うことばかりだった。生活も荒れた。きっかけはあったが、彼が荒れた原因は、30を目前にして湧き起こってきた何かだった。焦燥だろうか。いや、それは強烈な力で彼を鷲づかみにし、引きずりまわすような何かだった。正体不明の荒ぶる魂が、突然、彼を捉えたのだ。

「30以上を信じるな」と言っていた青年は、30を前にしてジタバタした。ひどいときには、酔いつぶれて路上で目覚め、そのまま会社に出た。大して強くない酒を飲み続け、深夜に帰宅し、玄関で洋服のまま寝込んだ。ときに、自傷癖も出た。素面になって怖くなり、刃物類を自分で隠したこともあった。今から思うと、ひどい時代だった。よく生き延びてきたものだ。

そんなとき、彼はバーナード・マラマッドの新刊を見付けた。「ドゥービン氏の冬」は、1980年の暮れに白水社から出て、彼の年末年始休暇を充実したものにしてくれた。彼は宝物を開くようにハードカバーをめくり、ゆっくり読み始めた。上下二段で420頁近くあった。吟味し、じっくり味合うように彼は読み進めた。

ドゥービンは、伝記作家である。何冊か著作があり、今はD・H・ロレンスの伝記に取りかかっている。もう初老といってもよい男だが、「年齢を重ねることで枯れる」という心境からはほど遠い。ある日、若い女と知り合い、性的な関心を呼び覚まされる。その女を何とか口説き、妻に嘘を付いてヨーロッパへの取材旅行に同行する。

マラマッドの作品らしいのは、取材旅行中、女に振りまわされるドゥービンの情けなさ、無様さが強調されることだ。いい歳なのだけど、相変わらず主人公はカッコ悪いのである。ある夜、今夜こそはセックスできるぞと期待してホテルの部屋に帰ると、突然、女の気分が悪くなり、ドゥービンは女が垂れ流した汚物を掃除する羽目になる。

その奇妙な物語が、彼を癒した。そこには、人生のコアのようなものがあった。人は与えられた人生の時間をダラダラと...であっても、とにかく生きていかなければならないのだ、という諦めのようなものが伝わってきた。彼は久しぶりに「フィデルマンの絵」の第6話「ヴェニスのガラス工」のラスト・フレーズを思い浮かべた。

──アメリカへ帰ってから、彼は、ガラス職人として働き、男や女を愛した。

好きな一行だった。まるで、人生そのものを一行で表しているみたいだ。画家になる夢を諦めた男は、ガラス職人になって男や女を愛し、やがて死んだのだろう。夢は破れるものだし、人は死ぬ。そんなことを感じさせるフレーズだった。

●「汚れた白球─自然の大器」は32年経って映画化された

1984年、彼は書店で「奇跡のルーキー」という新刊の文庫本を見付けた。作者はマラマッドだ。「汚れた白球─自然の大器」の新訳だった。原題は「ナチュラル」、解説では「自然児」と訳していた。そのカバーにはハンサムなハリウッド俳優の顔が印刷されていた。映画「ナチュラル」の原作...と帯に書かれていた。

「汚れた白球─自然の大器」は原作が出てから32年も経って映画化されたのか、ロバート・レッドフォード主演で...、と彼は感慨にふけった。マラマッドの小説は、映画化には向いていない。「汚れた白球─自然の大器」のラストだって、八百長事件に巻き込まれた主人公は、ファンの少年に「これ、うそだって言って、ロイ」と声をかけられ、さめざめと涙を流して泣くのである。

その年の夏、「ナチュラル」(1984年)は公開された。ダーレン・マクギャビン、バーバラ・ハーシー、グレン・クローズ、ロバート・デュバルなど、彼の好きな俳優たちが出ていた。マラマッド原作かどうかは別にして、アメリカの野球映画に駄作はない。「ナチュラル」は、彼もとても好きな映画だ。ハリウッド的脚色は、実に素晴らしいハイライトシーンやハッピーエンドを作り出した。

主人公ロイ・ハブスが白球を思い切り叩くと、ボールの縫い目が破れ、芯だけが場外へと消えていく。その瞬間、一天にわかにかき曇り(講談みたいだが)、雷鳴がとどろき、稲妻が光る。あるいは、ホームランボールがカクテル光源の照明灯を直撃し、宝石のような光が降り注ぐ中、ロイはスローモーションでダイヤモンドをまわる。

ロイが打席で追い込まれる。そのとき、幼なじみの女性(グレン・クローズ)が祈るように観客席で立ち上がる。白いコスチュームに幅広の帽子をかぶっている。夕日が帽子の縁を浮かび上がらせ、まるで頭にリングをのせた勝利の女神だ。そして、ロイを誘惑するふたりの美女(バーバラ・ハーシーとキム・ベイシンガー)は、いつも悪魔のように黒い服を身に着けている。神話的な野球映画だった。

「ナチュラル」が公開された年の晩秋、マラマッドの新作「コーンの孤島」が翻訳された。バーナード・マラマッドは、その2年後、1986年に死んでしまったから、最後の長編になった。「コーンの孤島」は、珍しく空想的な小説だった。原題も「神の恩寵」という形而上的なものだ。彼は戸惑い、マラマッドで唯一読み通せなかった小説になった。いずれ、引退後の楽しみに...と、彼は言い訳をする。そんな穏やかな時間を迎えられるのだと、今の彼は信じているらしい。

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ここ数年は、毎年、7月上旬に四国へ帰郷している。今年も帰る予定で、2ヶ月前に早割の航空チケットを購入したが、早すぎていつから帰るのか問われると即答できない。プリントアウトしたeチケットを見ないとわからないのだ。eチケットも、携帯電話に送っておけば出力しなくてもいいのだけど...。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
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