映画と夜と音楽と...[474]楽な生き方・得な生き方
── 十河 進 ──

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〈妻たちの性体験 夫の目の前で、今.../セーラー服と機関銃/キル・ビル〉

●「つらくない? そんな生き方」という囁きが耳に残った

僕が月刊「コマーシャル・フォト」編集部にいた頃のことだから、もう15年前になる。当時、まだ電通のクリエイティブ部門にいた岡康道さんが手がけた「サントリー・モルツ」のCMを取材したことがある。岡さんは「モルツ球団」というプロ野球チームを結成し、彼らをキャラクターにシリーズCMを作った。

モルツ球団は大澤親分が監督で、ランディ・バース、山本浩二、張本勲など、往年の名選手を集め、夢のようなラインナップを組んだ。特にアメリカからバースを呼んだのが話題になっていた。僕は岡さんに電話取材したのだが、その時は「あれだけのメンバーを集めたんだから、成功させなきゃね」と、少しプレッシャーを感じている印象だった。

おそらく、それに続く「モルツ」のCMだと思うのだが、原田芳雄が盛りを過ぎた中年投手で登場するものがあった。もっとも、原田芳雄は他のビール会社のCM(松田優作、宇崎龍童と共演し、鈴木清順が監督したCMもあった)にも出ていたから、もしかしたら僕の記憶違いかもしれないけれど...。

そのCMには、おそらくチームの問題児であろうと思われるキャラクターの中年投手が登場する。彼は、間違いなく剛速球一筋で勝負するようなタイプだ。とっくに引退する歳を過ぎたのに、意地で現役を続けている。監督とも衝突を繰り返す。だが、彼は未だに現役なのだ。彼は自分のルールで行動し、自分の信念と意地にしたがって生きている。



そんな彼が、遠征先のホテルに戻り、ベッドの上でひとり静かに缶ビールを飲む。そこへ電話がかかってくる。女性だ。おそらく成熟した、酸いも甘いもかみ分ける粋な大人の女に違いない。その女性が「つらくない? そんな生き方」と、耳元で囁くように言う。40代になったばかりの僕は、そのCMを見てゾクッとしたことを憶えている。

僕が、そのCMを岡康道さんの作品だと思うのは、その設定、ニュアンスとトーン、それに「つらくない? そんな生き方」という決めのコピーが、彼以外の誰にも出せないテイストだと思うからだ。ドラマのワンシーンのような設定をし、そこにロマンティシズムを盛り込むのが岡康道という人が作るCMの特徴だった。

当時、原田芳雄はすでに50代半ばだったが、若々しく(といっても盛りの過ぎた40代の投手という印象だけれど)ワイルドで、鍛えた肉体も見事だった。試合のシーンと、ひとり静かにビールを飲むホテルのシーンの落差が、人生の深さまで感じさせたのは、原田芳雄の演技力と存在感があったからだと思う。女性の「つらくない? そんな生き方」という囁きも強く耳に残った。

「コマーシャル・フォト」は、紹介したCMの制作スタッフとキャストを必ず載せている。そのスタッフ表を集めて原稿にする作業をしていた編集部員のKが「ソゴーさん、あの声、誰だと思います?」と、頓狂な声をあげた。「誰?」と訊くと、「ソゴーさん、絶対、好きだと思うな」と思わせぶりに言う。「誰だよ」と聞き返すと、Kは強調するように言った。

──風祭ゆき

●メジャーな角川映画で知られるようになったロマンポルノ女優

風祭ゆきという女優さんは、日活ロマンポルノの歴史の中では中期以降に登場してきたという印象がある。スリムで胸もさほど大きくなく、肉感的でもなかったが、どうも僕はそういう人の方が好きらしい。彼女を初めて見たのは、「妻たちの性体験 夫の目の前で、今...」(1980年)という映画だった。

その映画は、かなり話題になり、「キネマ旬報」でも詳しく取り上げられたと思う。そのため、風祭ゆきもロマンポルノの新星として有名になった。しかし、ねっちりタイプの小沼勝監督の耽美的な描写は僕には合わなかったらしく、正直に言うと、もう一度見たい映画ではない。

その映画の後、風祭ゆきは5、6本のロマンポルノ作品に出て、翌年の暮れに公開されたメジャーな角川映画「セーラー服と機関銃」(1981年)で、一般にも知られるようになる。ヒロインの星泉(薬師丸ひろ子)、目高組代貸の佐久間(渡瀬恒彦)に次ぐ3番目に重要なキャスティングだった。

彼女が演じたのは、泉の父親が死んだ後、留守の間に部屋に上がり込むフーテンのような若い女の役である。ラストに、実は...という重要などんでん返しがあるのだが、それはここでは言わないでおこう。彼女はマユミと名乗り、泉の父親とはずっと愛人関係だった。その父親に「もし死んだら娘のことを見守ってほしい」と言われたという。

しかし、泉は自分の父親が、そんなだらしないフーテンのような女と関係していたなどと信じたくない。マユミによるとヤクと酒と男でボロボロになっていた自分を、泉の父親が救ってくれたのだという。しかし、泉は父親を名前で呼ぶマユミに気が許せない。そんなふしだらで汚れた女と父親が愛し合っていたなんて、不潔だ、と反発する。泉は、まだイノセントな処女なのだ。

同じマンションで暮らしていたある日、「また、好きな人ができちゃった」と書き置きしてマユミがいなくなる。いろんないきさつから高校生でありながら目高組組長を引き受けた泉が代貸の佐久間の家を訪ねたとき、泉は男女の激しい息遣いを耳にし、おそるおそる二階へ上がる。そこでは、佐久間とマユミが激しくもつれ合っている。

少女が初めて、男女のセックスを目の当たりにする場面だった。歳の離れた大人だが、泉は佐久間に憧れている。その男が、父親の愛人だった女とセックスしていた。しかし、泉はただ反発するのではなく、大人の男女の機微を知ろうとする。泉は佐久間にマユミとの出逢いを聞き、生きる切なさを知る。

「セーラー服と機関銃」は、イノセントな少女が大人の女に成長する物語である。その成長を促すふたりが佐久間とマユミだ。泉はラストシーンで佐久間にくちづけをした後、真っ赤なルージュを塗り、赤いハイヒールを履き、街の真ん中で空想の機関銃を連射する。赤いルージュとハイヒールは、泉が精神的に大人の女になった証である。

大人の悲しみを教えたのも、人生にはどうしょうもない切なさがあることを教えたのもマユミだった。ギターをつまびき「カスバの女」を口ずさむマユミに、「あなたのようにはならない」と言い放ってバーを出た泉は、外壁にもたれて同じように「カスバの女」を歌う。ふたりの女優の対比が見事だった。当時、風祭ゆきは20代半ばだったが、すでに成熟した大人の女だった。

日本映画が大好きなクエンティン・タランティーノは、おそらく日活ロマンポルノも「セーラー服と機関銃」も見ていたに違いない。「キル・ビル」(2003年)の料理屋の女将役で風祭ゆきが登場したとき、僕はそう確信した。遙か遠く、太平洋を越えたアメリカで生まれ育った映画オタクにも、風祭ゆきは強い印象を与えた女優だったのだろう。

●男を深く理解しているからこそ出てきたフレーズ

「つらくない? そんな生き方」と囁くのが風祭ゆきだと知った僕は、そのキャスティングの的確さに感心した。言葉だけとはいえ、いや言葉だけだからこそ、原田芳雄に拮抗できる女優を起用したのだろう。セクシーであり、倦怠感を感じさせ、女としての成熟を想像させる声とニュアンス...、風祭ゆきの起用は、成功だった。

あのCMの頃、彼女は30代半ば...、そんな成熟した女性に「つらくない? そんな生き方」と言われてみたいと、僕は痛切に願った。そこには、そんな風にしか生きていけない男への愛情と...、いたわりと...、そして理解があった。彼女のひと言は、男を深く理解しているからこそ出てきたフレーズだ。そんな風に言われたいというのは、そんな風に理解されたいということだ。

しかし、その言葉を言ってもらえるような「そんな生き方」を僕はしているのか、という自問が湧く。僕は、楽な生き方をしているのではないか、だとすれば言ってもらえる資格はない。しかし、楽な生き方ってものが存在するのだろうか。さらに、ふっと疑問が浮かんだ。「そんな生き方」は「損な生き方」なのか...。もしかしたらダブルミーニングか?

いやいや、違う。あの言葉のニュアンスは、間違いなく原田芳雄が演じる中年投手の生き方を指す言葉であり、「あなたのような生き方」という意味であることは間違いない。しかし、一度浮かんだ「損な生き方」という字が頭を離れない。「損な生き方」の対語は「得な生き方」である。では、生き方に損得があるのだろうか。

昔、ある人に「僕は、損だと思う方をあえて選択する人が好きですね」と言ったことがある。その人は「僕もそうです」と答えた。その人の2人目の幼い子が亡くなった直後のことだ。2人目の子がダウン症だとわかったとき、その人は3人目の子をつくろうと決意し、ダウン症の子をはさんで3人の子の父親になった。だが、心臓手術がうまくいかず、その子は亡くなった。

僕がその人に初めて会ったのは、出版労連の業種別共闘会議の事務局長をしているときだった。30のとき、僕はなり手のいなかった労働組合の執行委員長を引き受けることになり、「1年だけだよ」と言っていたのが、結局、3年も続けてしまった。それが終わって1年経つと、今度は「出版労連の業種別共闘会議の事務局長に」という要請がきた。

いきなり13もの組合(組合員も300人以上いた)が集まる組織の事務局長はつらいなと思ったが、「事務局次長なら3年、事務局長なら2年でいい」と言われて引き受けることにした。結局、それも空手形になり、事務局長として3年つとめ、その後、出版労連の本部役員を2期つとめた。

その人は、僕の数年後に出版労連の業種別共闘会議の議長をつとめた人だった。僕はその人にダウン症の子がいることも知らず、その子の病気が悪化していることも知らなかった。それでも、その人は時間を取られる議長を引き受けたのだ。僕は、その人の子が亡くなって初めて事情を知った。そのとき、僕は「損な選択をする人が好きだ」と言い、そこに「あなたのような生き方をする人を尊敬する」というメッセージを込めた。

●「適当にやればいいんですよ。何の得にもならないし...」

団地の管理組合の理事が順番でまわってきたことがある。最初の会合に出かけると、案の定、理事長などの役割が決まらない。出版社に勤めているので...と前置きして僕は広報担当に手を挙げ、リーダーが必要だというのでリーダーも引き受けた。ところが、その後の新旧理事の懇親会で前任者に「適当にやればいいんですよ。何の得にもならないし...」と耳打ちされ、こういう人もいるんだな、と改めて顔を見た。

僕は30代の10年間、相当な時間を組合活動に費やした。金銭的には、まったく得にはならなかった。会議後の呑み会の多さを考えれば、持ち出しだった。しかし、賃上げ要求をするくせに、組合活動を担っているのは「金がほしくてやってんじゃない」という人たちばかりだった。僕は、そんな人たちから多くのことを学び、大切なものを得た。人脈もできたし、生涯つきあう友人もできた。男も磨いた。

どういういきさつだろうが、なった以上は一生懸命やる。手を抜かない。それが、僕の最低限の信条だ。そうすれば、何かが得られるはずだと信じている。適当にやれば何も得られないし、適当にやっている自分が許せない。見返りなど必要ない。人はパンのみにて生きているのではない。僕だけではない。多くの人は、そう思っているのではないか。

団地の理事をやったときも、献身的な人を何人か知った。施設担当理事のリーダーになった僕より若い人は、水まわりや電気設備などのトラブルで夜中に呼び出されることも度々あったが、嫌な顔をせずきちんと誠実に対応していた。そんな人たちがいる一方、会合にさえ一度も出てこない人がいた。僕が驚いたのは、1年経って、再び新旧理事の交代の会合があったときのことだ。

任期を終えた理事には1万円の商品券を配布することになっている、と旧理事長が説明した。今回も人数分用意して配布した。一度も出てこなかった人も対象だから、部屋まで持っていったところ、誰も断らなかった。受け取った...という。僕は唖然とした。本当に、そんな人たちがいるのか。

僕は夜中に起こされても嫌な顔をせず、トラブル処理に出かける人が「損な生き方」で、1年間何もせず名目だけの理事で通し謝礼は受け取る人が「得な生き方」だとは思わない。そんなのは、「みっともない生き方」「浅ましい生き方」「恥ずかしい生き方」だ。ときには、進んで何かの犠牲になる。人のために働く。それができない人は、おそらく人生で何も学ばない。本当の意味で、人を愛せない。

ところで、僕は原田芳雄が演じる投手のことを「自分のルールで行動し、自分の信念と意地にしたがって生きている」と書いた。「やせ我慢」と言われても、自分の生き方のスタイルは崩さない。だが、彼は自分の生き方を貫こうとするときに起こる、衝突やあつれきも引き受けざるを得ない。その強さがなければ、自分の生き方を貫くのはつらい。だから、彼を理解する女性は「つらくない?そんな生き方」と心配する。

自分の生き方を貫くのは理想だが、多くの人は現実の壁にぶつかり、自らに言い訳をしながら、ときに妥協する。楽な方に流れる。挫折する。だからといって、それを「楽な生き方」とは言えないのではないか。自分の生き方を貫けなかった、忸怩たる思いが残る。妥協し、楽な方に流れた自分の弱さを、責めながら生きる...。悔いを抱えて生きていく。

楽に生きているように見える人も、それぞれ「つらさ」を抱えているのかもしれない。つらくない生き方なんて...ないんだ、きっと。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951
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会社の外壁ガラスの交換工事で土曜日に出社。足場を組んでの作業で、僕はその足場に乗せてもらった。子供の頃から職人の父親の現場に行って手伝っていたから、足場になじみがあるし、バイトもそっち系をやることが多かった。昔、足場に立ってビルの窓ふきをしたこともある。高所恐怖症だけど、なぜか足場なら平気なのだ。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
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●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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