映画と夜と音楽と...[482]人生はままならないもの...なのか?
── 十河 進 ──

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〈杳子/アンヴィル!夢を諦めきれない男たち〉

●「ハンダース」のメンバーたちのままならない現在の姿

「あの人は今...」といった企画が嫌いだ。しかし、世の中には昔の有名人の今を見たがる人が多いらしく、週刊誌やテレビでよくそんな企画を見かける。人々が期待するのは、今も成功している有名人ではなく、ままならない人生を送っている元有名人の姿である。先日も日曜の昼間にやっていたドキュメント番組で、「ハンダース」のメンバーたちが苦闘する現在の姿を追っていた。

「銀座NOW」という番組に、コメディアン志望の素人が登場するコーナーがあった。ラビット関根(現在の関根勤)も、その番組から出てきた人である。ハンダースは、そこで勝ち残った人たちで作ったグループだった。僕が社会人になった前後のことだから、もう30年以上昔のことである。小林まさひろ、清水アキラ、桜金造、アゴ勇、アパッチけん、鈴木末吉の6人で「半ダース」である。

そのドキュメント番組は、埼玉の地方都市にワンボックスカーを止めたアゴ勇が、派手な眼鏡に掛け直して、電気設備の訪問セールスをするシーンから始まった。住宅街のインターホンを押してセールスすると、ほとんどの家は「うちは、けっこうです」と断る。いわゆる玄関払いだ。それでも、アゴ勇はめげずに明るく次の家に向かう。

以前はアゴ勇であることを隠してセールスしていたが、今は営業トークに元タレントだったことを利用しているという。だから派手なフレームのメガネをかけるのだ。彼は、共働きの奥さんとふたり暮らしである。仲むつまじそうに食事をする場面もあったが、「今月、まだ家賃払ってないんだよね」と屈託なく口にした。

それは、視聴者へのサービス、あるいは番組制作者への迎合なのではないか、と僕は思った。落ちぶれた元芸能人、尾羽打ち枯らした売れっ子タレント、視聴者が期待する姿をことさらに演じていたのではないか。ディレクターなりプロデューサーが要望したからではないか、あるいはそんな彼らの期待をアゴ勇がくみ取ったのではないか、と僕は疑った。



番組のナレーションは、人気のあるフジテレビの女子アナだった。やさしい語り口だが、メンバーたちの今の苦境を容赦なく暴き出す。一時は「ものまね四天王」として人気を博した清水アキラは、箱根の温泉ホテル専属になって、湯治客たちが集まる宴席のステージで、鼻の頭にセロテープを貼って引っ張り、研ナオコに似せた顔で歌う芸をやっていた。

桜金造は、数年前、都知事選に出馬したことから極端に仕事が減ったという。小林まさひろは早くにタレントを引退し、ふぐ調理師の免許を取得して都心に料理店を開いたが、最近の不況で高級料理店は閑古鳥が鳴いている。小林末吉も飲食店を開いている。その5人が「ハンダース再結成」を企てる。

最後は箱根の温泉ホテルのステージで5人が揃って、かつてのヒット曲を歌うシーンだった。そろいの衣装で、彼らは楽しそうに歌っていた。30年前の人気絶頂だった頃のことを、甦らせているのだろうか。グループを解散した後、アゴ&金造として売れたこともあった。桜金造は演技者としても評価された。清水アキラは、一時期、お茶の間の人気者として毎日のようにものまね芸を見せていた。

ただひとり再結成に参加しなかった、アパッチけんは批判的な言葉を口にした。結局、それは昔を懐かしむだけ、過ぎ去った栄光にすがるだけ、そんなものは取り戻せないし、惨めになるだけじゃないか...、そこまでは言わなかったが、そんなニュアンスが伝わってきた。落ち目の姿を視聴者に見せ、同情されたり、憐れまれたり、「有名じゃないが俺の方がマシ」と優越感を持たれたり...。それでも、売れっ子だった時代を忘れられず、テレビに出たいのだろうか?

●「ジャニーズ」のリーダーだった真家ひろみの出演映画

「ジャニーズ」というグループがあった。あおい輝彦や飯野おさみなど、4人のグループだった。リーダーだったのは、真家ひろみ(真家宏満)である。背の高いすらりとした、今で言うイケメンだった。しかし、数年間の華やかで派手な活動の後、ジャニーズは60年代末にグループを解散した。

僕が真家宏満を見たのは、1977年10月22日のこと。北の丸公園の科学技術館地下一階サイエンスホールだった。会社の先輩だった日比野幸子女史が制作した「杳子」(1977年)公開のときである。「杳子」を演じたのは、その後、「必殺シリーズ」で中村主人の憧れの茶屋娘を演じることになる石原初音だったが、そのときはまだ無名の少女だった。

16ミリで制作する自主映画である。予算なんかない。出演料だって、払ったかどうかわからない。だが、出演者に有名人を入れないと客は呼べない。主人公は自主映画界でしか名を知られていなかった(大島渚の「東京戦争戦後秘話」に出ているけれど)後藤和夫であり、ヒロインは新人だった。

そこで、制作者の日比野さんは、かつての有名人である真家宏満に出演を依頼した。さらに、東洋人の神秘的な魅力でパリ・コレのモデルをしていた山口小夜子を、杳子の姉にキャスティングした。主要な役である杳子の姉の役は別にして、真家宏満がやった役はほとんど印象に残らず、出番も少なかった。客寄せパンダ的な存在だった。

その当時でさえ、真家宏満は忘れられたアイドルだった。その日、舞台挨拶に立った真家宏満を、人々は「ほらほら、昔、ジャニーズのリーダーだった、あの人」と指さした。彼にとっては、配給もままならない16ミリ制作の自主映画に出演したことが、よかったのかどうかはわからない。元アイドルが仕事がなくなり、とうとうマイナーな映画に...という印象の方が強かったかもしれない。

売れっ子だった山口小夜子には、そんな印象はなかった。高いギャラを取っていた日本を代表するファッション・モデルである。たぶん、誰か仲のいい人に頼まれて、ボランティアで出演したのだろう、という好意的な見方をする人が多かった。結局、それは現役として売れているかいないかだけの差だったのだ。

まだ20代だった僕は、真家宏満という元アイドルの姿に目を背けたくなった。みじめさだけを感じた。なぜ、そんな舞台に出てきたのか、わからなかった。あれほど華やかな姿でテレビに出ていた人間の、落ちぶれた(そのときの僕はそう思った)姿を見たくなかったのだ。僕は若く、寛容ではなかった。

その年、真家宏満は久しぶりの映画出演を果たしていた。日活ロマンポルノ「東京チャタレー夫人」(1977年)である。そのことも、僕を不寛容にしていた理由かもしれない。落ち目の元アイドルを出演させ、それだけで客を呼ぼうとする映画に、僕は志を感じられなかったのである。そんな映画に出る元アイドルには、浅ましささえ感じていた。

人は、生きていかなければならない。どんなにみじめでも、屈辱的な人生であっても、死ねない限り生き続けなければならない。生き恥を晒すような生き方であっても、生き続けねばならないのだ。毎日、メシを食わねばならないし、家賃を払い、洋服を買わねばならない。時には酒も飲みたくなる。だから、懸命に生きている人を責めるな...。そんなことを僕が悟るのは、ずっとずっと後のことである。

「杳子」は、古井由吉の芥川賞受賞作だった。古井さんの作品群の中でも、最も読者に愛された作品である。多くの人が映画化を望んだ。その映画化権を、どうして僕と机を並べていた日比野さんがもらえたのか、未だに謎である。彼女は、普通の出版社勤めの編集者だった。映画制作に金を使ってしまい、ガス・水道を止められるのは、少し後のエピソードである。

日比野さんが古井由吉さんの馬事公苑近くのマンションにまで押しかけた話は、聞いたことがある。当時、古井由吉エッセイ全集三巻が作品社から出版されていた。ある日、日比野さんが作品社で古井さんと会うと聞いた僕は、エッセイ集三巻を購入するから古井さんのサインをもらってほしい、と彼女に頼んだ。

僕は「先導獣の話」以来の熱烈な古井由吉ファンだった。愛読者ではなく、追随者だった。当時の僕の小説らしき書き物を見ると文体は古井さんそっくりだし、30枚ほどまで書いた「古井由吉論」も残っている。もちろん、「古井由吉」とサインが入ったエッセイ集は、今も本棚に並んでいる。

●「あしたのジョー」になれなかった人々を取材した

真家宏満が、もう一度、瞬間的に脚光を浴びるのは、80年代半ばだっただろうか。ジャニーズのリーダーだった元アイドルが、タクシー運転手として糊口をしのいでいたことが話題になったのだ。「ハンダース」の番組と同じように、そのことがテレビ・ドキュメントで取り上げられたからである。

悪趣味だ、と僕は思った。そこには、他人の不幸を覗きたい大衆に迎合する、テレビ局の商業主義がうかがえた。不遇な人生を晒しものにし、視聴率を稼ごうとする下品な狙いが感じられた。「どんなにテレビで売れたって、こんな人生なら俺の人生の方がマシだ」と、元アイドルがタクシーを運転する映像を見ながら、視聴者は思うのかもしれない。だが、それは作り手がそんな視点で編集していたからだった。

真家宏満をきちんと取材し、彼の言葉を再現したノンフィクションを読んだのは、テレビ番組の少し後のことだと思う。その本もなくし、誰の著作だったかもわからなくなっていたが、ネットで調べてみると猪瀬直樹の「あさってのジョー」という本のようである。1986年末に「ミカドの肖像」が出版された後、僕は猪瀬直樹の本を集中して読んだから、その頃のことかもしれない。

「あしたのジョーにもなれなくて...」と歌うのは三上寛の「夢は夜ひらく」だが、僕らの世代は「あしたのジョー」に何かを託す癖があり、猪瀬直樹の「あさってのジョー」も「あしたのジョー」になれなかった人々を取材したノンフィクション集である。そのひとりとして、真家宏満が取り上げられていた。

読後の印象は、彼は彼なりにきちんと生きているのだということだった。ほとんど、彼の語りで構成されていたと思う。若くしてアイドルとしてデビューし、華やかな芸能界で数年を送り、グループ解散後は自分で事務所を起こしたりしたがうまくいかず、生活のためにタクシーの運転手を始めた。だが、そこには自己卑下はなく、タクシー運転手という職業に対する誇りが感じられた。

「昔はアイドルだったんだぜ」という意識から離れられず、タクシー運転手として働く自分を卑下したり、「今にカムバックするからな」みたいに語っていたら、僕はきっと嫌になったに違いない。だが、そこにはアイドル時代はアイドルとして生き、その後の不遇の時代も懸命に生き、今はタクシー運転手としての仕事にプロの誇りを持って生きている、ひとりの男の人生があった。

10年前、真家宏満の死が報じられた。心筋梗塞だった。53歳の若さである。30数年前に一度、その姿を見かけ、その後、テレビのドキュメント番組を見て、取材された文章を読んだだけだったが、僕にとっては気になる存在だったのだ。その小さな記事を僕は目に止め、冥福を祈った。

●50を過ぎ肉体労働しながら自分たちの音楽が認められることを夢見る

昨年、「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」(2009年)というドキュメンタリー映画を見た。70年代に結成されたメタル・バンド「アンヴィル」を追った作品である。僕の音楽体験は70年代がすっぽり抜けているので、アンヴィルというグループを知らなかったが、ロック史では80年代初頭に他のバンドにも影響を与えた存在だったという。

彼らにも、レコードが売れた栄光の時代はあったのだ。しかし、50を過ぎた今、彼らは肉体労働をしながら生活を支え、再び自分たちの音楽が認められることを夢見て、飽くなき挑戦を続けている。その諦めない父親の姿を子供たちは誇りに思い、妻は「夢を持ち続けること」を肯定し、夫を支える。親兄弟も彼らを応援する。

彼らは新しいマネージャーと契約し、ヨーロッパにツアーに出る。小さなライブスタジオ、ほんの少ししかいない客。おまけに、トラブルがあって出演料を払ってもらえない。その交渉シーンを延々見せる。彼らは、自分たちの音楽に誇りを持っている。自分たちの音楽は、いつか理解されると確信を抱いているのだ。

新曲を作り、スタジオで録音しCD発売を計画する。昔、一緒に仕事をした敏腕プロデューサーに連絡すると、一緒にやってもいいと言う。しかし、レコード会社はどこも否定的だ。残るのは自主製作である。しかし、そのためには、まとまった金が必要だ。その金はない。

家族や支援してくれる人たちのおかげで、何とか自主製作のCDができあがる。しかし、レコード会社に持ち込んでも「時代遅れだ。今の時代には合わない」と突っ返される。彼らは、自分たちでCDを販売する。ネットでの販売も始める。彼らにも世界中にコアなファンがいるのだ。

監督は、10代の頃にアンヴィルに夢中になった人物だという。アンヴィルのツアーにも参加したことがある。だからだろうか、アンヴィルのふたりは何も隠さず、悪戦苦闘をそのまま晒し、カメラに向かって気取らずに本音を吐く。喧嘩沙汰も写すし、ときに絶望して自棄になる姿もありのままに見せる。

「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」を見ていて、僕が感じたのは人が懸命に生きる姿の美しさだ。彼らは自分の人生を肯定し、目標を持ち、過去の栄光にすがらず、現在の状況を卑下せず、まっすぐに視線を上げ、未来を見て生きている。昔のことを思えば気の毒に...という他者の視線を気にせず、金がないことを隠さず、己の生き方に誇りを持っている。

それが、彼らをみじめに感じさせない。過去の華やかさが忘れられず、失われて二度と戻ってこない栄光にすがっているわけではない。彼らは、かつての栄光を求めているのではない。もう一度、あの華やかだった時代に戻りたいと思っているのではない。彼らは、自分たちの音楽を認めさせたいのだ。自分たちの音楽を支持してもらいたい。そのために、自分たちが考える新曲を作り、努力をする。

そして、日本のファンに呼ばれ、彼らは幕張メッセにやってくる。広い会場だ。客で埋まるかどうか、心配で仕方がない。ヨーロッパでは、客が数人ということもあった。だが、懸命に生きる彼らに神様は、素敵なプレゼントを与える。そのシーンでは、僕も頬を濡らした。「よかったね」と、スクリーンに語りかけたくなった。

それは一瞬の幸福かもしれないが、人生なんてそんなことの繰り返しである。成功することもあれば、何もかもがうまくいかないこともある。しかし、生活のためにどんな仕事も厭わず、懸命に生き、家族を愛し、ささやかでもいいから夢や希望を棄てず、努力する人間でなければ、そんな一瞬の幸福さえもやってはこない。

人生はままならない、と諦めるな。過去にすがって生きるな。失われたものは、二度と戻ってはこないのだ。何かがほしければ、これからやってくる時間に向かって進むしかない。それを、人は「夢」や「希望」と呼ぶ。少なくとも、そこには「可能性」がある。そう、僕も死ぬまで「夢を諦めきれない男たち」でありたい。そう願う。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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来年、還暦だというのに、また、青臭いことを書いてしまいました。もっとも、先日、還暦の兄貴分と深夜まで飲み歩き、自宅には帰らず都内某所で目覚め、そのまま会社に出勤しました。若い頃ならいくらでも経験はありますが、アラ還男のやることじゃありませんね。さすがに、翌日は飲まずに帰りました。36時間ぶりの帰宅?

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