映画と夜と音楽と...[487]破滅に向かう人間の弱さ
── 十河 進 ──

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〈白昼堂々/軍旗はためく下に/昭和枯れすすき/不良少年/夜の終る時/殺人者はバッヂをつけていた/裏切りの明日〉

●村上春樹さんがペンネームをリュウにしようと思った話

この間、村上春樹さんとロス・マクドナルドに関する話を書いたすぐ後、新聞広告に「するめ映画館」(文藝春秋)という吉本由美さんの本が出ていたので買ってみた。村上春樹、都築響一、吉本由美の三人で作るユニットが「東京するめくらぶ」だ。彼らは「地球のはぐれ方」という本を出している。ちなみに「するめ映画」とは、何度でも味わえるという意味らしい。

その「するめ映画館」の中で、村上春樹さんがロス・マクドナルドの話をしていた。座談会のメンバーは、村上さんと吉本さん、そこに和田誠さんが加わっている。フィルム・ノアールをテーマにした回で、村上さんはやはり「動く標的」(1966年)を推薦しており、楽しそうに盛り上がっている。そこに、こんなやりとりが出てきたので思わず笑った。

──和田 主人公の私立探偵、リュウ・アーチャーの名前にちなんで、ペンネームをリュウにしようと思ったという話は本当ですか?
──村上 本当です。村上龍というのはいいなあと思ったら、先に出ちゃった(笑)。

村上さんは、本当にロス・マクドナルドが好きみたいだなあ。初めて読んだペイパーバックがロス・マクのものだったという。僕もロス・マク好きだが、日本には彼の影響を受けた作家が、もうひとりいる。ずいぶん以前に亡くなってしまったけれど、結城昌治さんである。文学的な香気漂うミステリを書く人で、玄人筋の受けがいい作家だった。

結城さんはロス・マクドナルドを高く評価しながらも、「ウィーチャリー家の女」の基本トリックには欠点があると指摘して、自分でも私立探偵・真木シリーズを書き始めた。「暗い落日」「公園には誰もいない」「炎の終り」の長編三作があり、何十年か前に僕は続けて読んだのだけど、その小説の静かで深い味わいは今も印象深く残っている。

日本のハードボイルド作品で、後期ロス・マクドナルド作品に登場するリュウ・アーチャーのような思索的な雰囲気を持つ探偵に匹敵するのは、真木しかいないだろう。大沢在昌さんの「雪蛍」「心では重すぎる」の佐久間公にも僕はアーチャーの面影を感じるのだが、彼にはディック・フランシスが創造した魅力的な調査員シッド・ハレーのDNAも引き継がれている気がする。



この原稿を書くので、結城昌治作品で映像化されたものを調べてみたのだが、数多くのテレビドラマで使われていて、何と真木シリーズもテレビドラマになっていた。「暗い落日」(1977年)は石堂淑朗が脚本を書き、単発ドラマとして放映された。高橋幸治の主演だ。高橋幸治の真木だったら、見たかったなあ。真木を演じる高橋幸治の声が聞こえる気がする。

「暗い落日」(1983年)は日本テレビの火曜サスペンス劇場の一本としてもう一度ドラマ化されていて、高橋悦史が真木を演じているらしい。同じ高橋だが、幸治とはずいぶんイメージが違う。もっとも、高橋悦史も僕の好きな俳優で、彼が主演した連続テレビ時代劇「鳴門秘帖」(見返りお綱は扇千景だったと記憶している)の頃からひいきにしていた。

●ミステリだけでなく多彩なジャンルの作品を書いた結城昌治さん

結城昌治さんは多彩なジャンルの作品を書いた人で、初期には「ひげのある男たち」というユーモア・ミステリを書き、倒叙もの、ハードボイルド私立探偵小説、悪徳警官ものなど日本では珍しいミステリ分野を開拓していたが、直木賞は「軍旗はためく下に」という非ミステリ作品で取った。落語好きで「志ん生一代」という評伝もある。

僕は結城昌治原作の映画は名作である、というセオリーを唱えていて、今までにも「不良少年」(1980年/「映画がなければ...」第一巻455頁)や「昭和枯れすすき」(1975年/「映画がなければ...」第三巻388頁)などを紹介したけれど、今回、映画化された作品を調べてみたら、四割しか見ていなかった。なので、僕が見た結城昌治原作の映画は名作だった、と訂正しておきます。

「白昼堂々」(1968年)は、後に「昭和枯れすすき」を作る野村芳太郎監督の作品だ。「フーテンの寅さん」になる直前の渥美清が主演した犯罪映画である。泥棒集団のリーダーが渥美清。万引きの常習犯が「さくら」になる前の若く美しい倍賞千恵子。倍賞千恵子が妖艶な役をやっていて、渥美清を色仕掛けで騙そうとするシーンもある。

「軍旗はためく下に」(1972年)は、「仁義なき戦い」(1973年)を作る直前の深作欣二監督作品である。直木賞受賞で話題になった原作を、深作欣二が真っ正面から映画化し、高い評価を受けた。片方で「人斬り与太」(1972年)シリーズを作りながら、深作欣二は日本軍の暗部を告発する硬派の映画を作っていたのだ。

「昭和枯れすすき」は高橋英樹の刑事、やくざな妹の秋吉久美子という兄妹映画の傑作である。身内が犯罪と関わったとき、警察組織の中の自分と肉親の情がせめぎ合う。ドラマチックな感情が高まる。それを淡々と描き出し、当時、ヒットした「昭和枯れすすき」の哀愁を帯びたメロディに乗せながらも、感傷に堕さなかった野村芳太郎の手腕は大したものだった。

「不良少年」を名作と呼ぶのは少しはばかられるのだが、僕にとっては好きな映画である。当時、30を前にして、僕は自分の青春時代の終わりをひしひしと感じていた。就職し結婚して5年が過ぎようとしていた。今さら「青春時代の終わり」などと甘ったれたことを言う年でもなかったが、とにかく僕は何かに追い立てられるような気分だったのだ。

そんなとき、後藤幸一監督を紹介してくれたのは、会社の先輩のH女史だったと思う。後藤監督は丸山健二原作の「正午なり」(1978年)でデビューし、なかなか次作が作れなかったのだが、結城昌治の原作を得て2年ぶりに新作を作った。当時の僕は、苦労しながらも映画を作ることにこだわっている人に、強いコンプレックスがあった。

それは、経済的な安定を求めて、自分が志と違うことをやっているという意識が強かったからだ。僕は、夢を諦めた人間だと己を規定していた。月刊の8ミリ専門誌の編集という、一見、自由に見える仕事をしていただけに、よけいに自分の夢を意識したのかもしれない。僕は好きな映画の周辺にいることで、自分を納得させようとしていた。

その当時、僕が会った若き映画人たちは、大森一樹、森田祥光、石井聰互、長崎俊一など、後に映画監督として世に出る人たちだったが、その頃はまだ8ミリで自主映画を撮っている大学生だったのだ。彼らは明確な夢を持ち、映画を作るという目的のために、実にストレートに生きていた。すでに監督デビューしていたが、後藤監督もそんな一人だった。

僕は支援するような意識もあって「不良少年」を見にいき、主演の金田賢一が口癖のように言う「感情入ったよ」というセリフを心に留めた。彼は少女に「好きだ」と言う代わりに「感情入ったよ」と照れたように口にする。その少女を演じたのは、新人の熊谷美由紀である。後に松田優作と結婚して松田美由紀になり、龍平、翔太という男の子を産む。

●やはり結城さんの死後に残るとしたら悪徳警官ものか

結城昌治さんが亡くなったのは1996年、すでに14年が過ぎた。エンターテインメント系の作品は、作家が亡くなるとなかなか入手できなくなる。結城さんの本も、最近ではあまり見かけなくなった。それでも、3年ほど前に2時間のテレビドラマとして「夜の終る時」(2007年)が放映された。岸谷五朗の主演である。

ああ、やはり結城さんの死後に残るとしたら悪徳警官ものか、と僕は何となく納得した。「夜の終る時」は、日本推理作家協会賞を受賞した結城昌治の代表作である。日本では珍しかった悪徳刑事を主人公にしたクライム・ノヴェルだ。人間の弱さを晒し、堕ちていくベテラン刑事役は、岸谷五朗のようなアクの強い俳優がやると似合う。

昔、やはり2時間ドラマになり、アクの強い俳優が同じ悪徳刑事を演じた。彼は東映の悪役専門の俳優だったが、深作欣二の映画で注目され、倉本聰の連続ドラマ「前略おふくろ様」でとび職の頭を演じて一般的にも顔を知られるようになった。その後、人気者になった川谷拓三とコンビを組んで洋酒のテレビコマーシャルにも出るようになったが、彼が主演した「夜の終る時」(1979年11月17日)が放映されたのは、そんな頃だった。

手塚治虫さんが創造したキャラクターに、スカンク草井という悪役がいる。ハリウッドスターのリチャード・ウィドマークをモデルにしたということだが、このスカンク草井を見ると、僕はその俳優を連想する。大きな躯に腫れぼったい顔、独特の落ち窪んだ目が悪役の雰囲気を漂わせる。悪徳刑事役だから、彼にオファーがいったのだろう。

その室田日出男が主演した「夜の終る時」を僕は一度見ただけなのだけれど、今も鮮明に憶えている。犯罪者へと堕ちていくベテラン刑事、彼の人間的な弱さや悲しみが、その物語から伝わってきた。彼が堕ちていくきっかけになる女を演じたのは、倍賞美津子だった。犯罪の影にいる女...、当時の倍賞美津子のはまり役だった。

結城昌治が日本では珍しかった悪徳警官ものに手を染めるきっかけになったのは、やはりアメリカのミステリを読んだからだと思う。結核の療養所で福永武彦と知り合った結城昌治は、福永からミステリを勧められて読み始め、やがて自分でも書き始める。やがてエラリィ・クィーンズ・ミステリマガジンのコンテストに入賞する。当時から翻訳ミステリは、かなり読んでいたのだろう。

その頃、ウィリアム・P・マッギヴァーンやヒラリー・ウォーといった作家が警察小説を手がけており、悪徳警官ものも書いている。ハリウッド映画では「殺人者はバッヂをつけていた」(1954年)が悪徳刑事ものとして有名で、この原作はトマス・ウォルシュだった。僕は中学生の頃に創元推理文庫で買って読んだ。犯罪者が強奪した金を、刑事が奪おうとするストーリーに衝撃を受けた。

「殺人者はバッヂをつけていた」の主演は、日本でも人気のあったテレビドラマ「パパ大好き」のフレッド・マクマレーである。彼は、仲間の刑事たちと銀行強盗犯の情婦の部屋を張り込む。情婦役は、デビューしたばかりのセクシーなキム・ノヴァクだった。彼女が主人公のファム・ファタール(運命の女)である。金髪の美女のために刑事は殺人を犯し金を奪い、破滅へと向かうのだ。

この映画には「三つ数えろ」(1946年)でデビューした妖艶なドロシー・マローンも出ていて、昔のハリウッドには「男を犯罪に誘う女─ファム・ファタール」を演じる女優がいっぱいいたものだと改めて思う。山田宏一さん言うところの「映画的な、あまりに映画的な美女と犯罪」なのである。

●人間的な、あまりに人間的な破滅していく姿

悪徳警官ものに僕が惹かれる理由は、彼らが破滅に向かって疾走するからだ。犯罪を取り締まる人間が、金や女がほしいという欲望に負けて犯罪者となり、破滅していく姿に「人間的な、あまりに人間的な」弱さを見るからだ。破滅に向かっていることを彼らは知りながら、それでも欲望に負け、懸命に走り続ける。途中で降りることはできない。追いつめられ、彼はあがく。陥穽に落ち、這い上がろうともがく。その姿から人間の弱さと愚かさが浮かび上がる。

そんな男と女の姿が今も甦るのは、「裏切りの明日」(1975年1月31日〜3月28日放映)である。忘れがたい結城昌治原作の一本。室田日出男主演の「夜の終る時」の放映から遡ること4年、やはり悪徳警官ものだった。原作は「穽」というタイトルだったのだが、テレビ化されたときのタイトルが気に入ったのだろう、結城さんは小説も「裏切りの明日」と改題した。

スタッフ・キャストの顔ぶれを見ると、実に贅沢だ。脚本は早坂暁が担当している。おそらく「裏切りの明日」と付けたのは早坂さんだろう。主演の確信犯的な悪徳刑事役は原田芳雄、相手役は倍賞美津子だった。地井武男、高橋幸治、西村晃、有川博といった顔ぶれが脇を固めた。詐欺や経済犯罪が描かれていて、当時、手形の意味もわからなかった僕は内容をうまく理解できなかったけれど、主人公が一直線に破滅に向かう姿に手に汗を握った。

僕の記憶では、そのドラマを見ていたのは会社勤めを始めた後だと思っていたのだが、放映開始は僕が就職する前である。僕は卒業前の2月12日から勤めたので、勤め始める直前にドラマは放映が始まり、卒業式の3日後に終了したことになる。そのドラマを見ていた記憶は鮮明だが、その頃、自分が何をしていたのか、何を考えていたのかは思い出せない。

「反逆のメロディー」(1970年)を見て以来、熱烈な原田芳雄ファンになっていた僕は、そのドラマを欠かさず見ていたつもりだが、何回かは見逃しているかもしれない。物語の細かい部分はほとんど忘れたが、後半になって大金を掴んだ原田芳雄の演技がどんどんパセティックになっていった印象がある。それは、追いつめられていく主人公の心情と重なっていたのかもしれない。

その10年後、原田芳雄と倍賞美津子が主演した森崎東監督の「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」(1985年)を見た僕は、「逢いたいよう、逢いたいよう」とつぶやく倍賞美津子と「裏切りの明日」のヒロインを重ねた。「裏切りの明日」を見ていた頃、僕は破滅に向かう男の悲しみと女のしたたかさに共感していたのだろう。文字通り「感情入った」状態だったのだ。

「裏切りの明日」(1990年)は、オリジナルビデオ作品としてリメイクされた。萩原健一と夏樹陽子の主演である。監督は逆光使いの映像派である工藤栄一。伝説のドラマ「傷だらけの天使」のゴールデン・コンビではないか。未見だが、見てみたい。工藤監督作品なら、僕が見た結城昌治原作の映像作品はすべて名作だ、というセオリーが崩れることはないだろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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土曜日、会社のエアコン交換工事でいつもより一時間早く会社へ出た。僕が交換するわけではないが、汚れ仕事なのでジーンズと革ジャンでいった。このところスーツにネクタイばかりだったので、ジーンズに革ジャンで出社するのは20数年ぶりだ。電車の中でアダモ(越路吹雪でも可)の「ブルージーンに革ジャンパー」を口ずさんでいたのは、ご愛敬です。

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