映画と夜と音楽と...[488]うしろ指さされない生き方?
── 十河 進 ──

投稿:  著者:


〈仕立て屋の恋/アンナと過ごした4日間/早春/イースタン・プロミス〉

●どんな仕事にも影の部分はあるし負の要素はある

どんな仕事にも喜びはあるだろうが、雑誌の編集という仕事はときに人から羨まれることもある商売だ。大手出版社のように労働条件がよく、大部数の雑誌を豊富な経費を使って作れ、有名人にも会える(と思われている)編集職は今も大人気で、相変わらず少人数しか募集しないのに多くの応募者があるという。僕の勤める出版社も欠員募集をするたびに、数十倍の狭き門になっている。

その何十倍もの難関を通って編集者になったというのに、編集会議でろくに企画を出さない若いモンもいて、「何で編集者になろうと思ったのだろう」と訊ねたくなる。自分が企画し具体的なページに仕上げて、本の形になり、読者に手にとってもらえる特権的で創造的な仕事なのに、いつの間にかルーティーンワークに埋没し、そんな己を環境のせいにする。だから僕は「甘ったれるな、自分の牙は自分で磨け」と叱咤する。

僕の勤める会社は中小規模の専門誌出版社だから、大手出版社が出す一般誌や女性誌のような大部数は望めない。その分、制作費や経費はかけられないから、限られた予算の中でベストの記事を作る努力をしなければならない。若く未熟だということは、その辺が理解できないということなので、自分が夢見ていた編集の仕事とのギャップを感じてしまうのかもしれない。

どんな仕事にも、現実の壁は存在するのだ。テレビドラマで描かれるようなかっこいいだけの仕事など、この世の中にはどこにも存在しない。どんな仕事にも影の部分はあるし、負の要素はある。イヤだなあと思うこともある。僕も長い編集者生活でイヤな思いをしたことはいっぱいある。侮辱も受けたし、屈辱に耐えたこともある。悔し涙に暮れたことだって、何度もあるのだ。



先日、藤原伊織さんの「ネズミ焼きの贈りもの」という短編を読んでいたら、ジャズバーの印象的なウェイターが出てきて客の嘔吐をさっさと掃除し、最後に「あれは迷惑のうちに入らないですね。どんなことも仕事の一部だと割り切らないと、長続きってのはしないもんです」という教訓的な台詞を口にした。ごもっとも...と僕はうなずいたが、それはひとつの仕事を長く続けるための賢明な考え方だと思う。

僕は正確に言うと足かけ29年(いっそ30年と言いたいところだけど)編集者をやっていた。その間、いろいろなジャンルの編集部に在籍したから様々なことを学んだし、面白い体験もした。20代から制作進行と台割(雑誌の設計図みたいなもの)を担当したから、雑誌制作の全体像も早くに覚えたし、印刷会社との駆け引きも学んだ。

それでも未熟だった頃は、いろいろな失敗をした。月刊誌の進行担当になったばかりの28歳のとき、大日本印刷の営業担当者と電話で交渉していて、相手が業を煮やし「Hさんに代わってくれ」と言われた。Hさんは副編集長である。僕が異動でその編集部に移るまで、印刷会社との折衝はHさんが担当していたのだ。彼女は印刷工程を熟知していた。

僕は相手の意向を伝えて、Hさんに代わってもらった。Hさんが受話器を取り上げて耳に当て、「はい、お電話代わりました」と言うのを見ながら、なぜか僕はそのまま受話器を耳に当てていた。そのとき、相手はHさんに「駄目だよ。ソゴーさん、ナーンにもわかっちゃいない」と訴えた。僕はその言葉を聞いてしまったのである。

●僕の仕事に対する基本的なスタンスはうしろ指をさされないこと

僕の仕事に対する基本的なスタンスは、「うしろ指をさされない」ということである。それは編集者を始めた23歳の頃も、総務経理部に異動した52歳の頃も変わらない考え方だ。うしろ指をさされないためには、他人が自分の仕事をどう見るかと意識しなければならない。昔、「人に厳しく、己に甘く」と泉谷しげるが歌っていたが、人は他人の仕事には評価が厳しい。

元来、評価は他人がするものであり、自己評価は単に「自己満足」「ひとりよがり」でしかない。だから、どんなにいい特集ができたと思っても、「今度の特集はつまらん」と言われたら、その人にとっては「つまらない特集」なのである。もっとも、社内で評価の高い特集があまり売れず、「つまらない」と言われた特集が売れたりすることもあり、結局、雑誌の最終評価は実売部数で決まる。

さて、月刊誌に異動して初めて進行担当になり、いつも締め切りを守らない某氏のページをどのようなスケジュールで何とか印刷に間に合わせるにはどうするか、ということを印刷会社の担当者と相談していた途中で「駄目だよ。ソゴーさん、何もわかってない」と言われた僕はどうしたか? 

まず、相手に気付かれないように受話器を置き、Hさんがテキパキと打つ手を決めていくのをじっと見守った。もちろん、僕は自分がとても情けなかった。担当した仕事に対する知識はまったくなく、無知を晒してしまったのだ。しかし、そのときから僕の精進が始まる。それまですべてのページがひと続きになっていた台割を、16ページの台ごとに分けて表示して見やすくし、台ごとの進行を把握するシステムを作った。

その後、僕は別の編集部に異動するたびに、その台割と進行システムを広めていった。まるでキリスト教がジワジワと世界に広がるように、僕は旧弊な台割用紙を使っていた社内の守旧派を折伏したのである。そして、現在、一部の編集部(そこはキリスト教を拒否するイスラム圏のようだ)を除いて、16ページの台ごとの台割用紙に印刷の色数、用紙の銘柄と版型と斤量を記入したものを使用しているのである。そして、ついに僕は「進行宗教」というあだ名をつけられた。

そんな人間なので、「うしろ指をさされない」ことをもって尊し、という生き方をしてしまった。おまけにストイックでありたいとか、ガツガツするのはみっともないとも思っている。だから、今では変更不能の美意識が僕の中にドーンと確立してしまっているのだ。ときに変更したいと思うこともあるけれど、長く培ってきたものは、なかなか変えることはできない。

ところが、先日、ある人に「なるべく人に迷惑かけない、うしろ指さされない生き方をしてきたつもりなんだ。金の迷惑かけたことないし、女にもだらしなくないし、というか、元々、女性関係は存在さえしないし...」と言ったら、「つまらん人生だな」と一蹴されたうえ、「どんな人間だって多かれ少なかれ人に迷惑かけて生きてるんだ。うしろ指さされるのは、男の勲章だ」と言われ、その強烈な説得力に負けたのだった。

●まともに生きるだけではわからない何かが存在する

その映画は、不気味な始まり方を見せる。薄汚れた中年男が寒そうな道を歩いている、閑散とした道だ。背中を丸め、人と会うと卑屈に身を避け、視線を合わさない。どことなくおどおどしている。スーパーで金髪の女性を見かけると、ストーカーのように壁に隠れて盗み見る。彼はある建物の裏口から入り、ボイラー室のようなところにいく。そこで彼はゴミ箱から人間の片腕をつかみあげる。

男の風貌は異常者のように見えるし、動作がぎこちない。しかし、その部屋へ看護士が降りてきて「あの手はもう始末した?」と訊くところから、男が病院の雑役夫であることがわかる。火葬も担当しているのだろう、死体を扱うこともある。彼は院長室に呼ばれ、死体から指輪を盗んだと疑われる。院長との話の中で男は刑務所に入っていた前歴があり、院長が男を馘にしたがっていることがわかる。

彼は指輪のことは知らないと答え、帰宅する。祖母がいる。ふたりだけの生活だ。彼の家から看護士の寮が見える。金髪の女性が部屋にいる。アンナだ。彼は双眼鏡でじっと彼女を見つめる。まるで「仕立て屋の恋」(1989年)のようだな、と僕は思った。パリの仕立て屋は道を隔てた向かいの部屋の女性に恋をして、暗い自室の窓辺に佇み、カーテンに隠れてじっと女性を見つめ続けていた。そして、ある日、その女性が部屋にやってくる...

仕立て屋を演じたのは、20年近く後、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の名作「ギャング」(1966年)をアラン・コルノー監督がリメイクした「マルセイユの決着」(2007年)で、切れ者のブロ警視を演じるミシェル・ブランである。額から見事に禿げ上がり、髪はサイドにしか残っていない小太りの小男だったけれど、この病院の雑役夫の男よりはずっと見栄えがよかった。

イエジー・スコリモフスキー監督が十数年ぶりに作った「アンナと過ごした4日間」(2008年)で、主人公のレオンを演じたあるアルトゥール・ステランコという俳優はどういう人かは知らないが、みすぼらしい姿で異常者のような男を演じている。彼はレイプ犯として服役し、雑役夫をしながら犯した相手の看護士アンナを覗き見ているのである。

だが、男の記憶の中の映像のようにフラッシュカットでインサートされる、過去の場面で次第に明らかにされてゆき、男が濡れ衣でレイプ犯にされたことがわかってくる。雨を避けて入ったボート小屋で、レオンは殴られレイプされているアンナを目撃する。レイプ犯は逃げ、アンナは呆然と立つレオンを見上げる。そのとき、レオンはアンナを愛してしまったのだ。だから、今、彼の一日はアンナを見つめることで終わるのである。

やがて祖母が死に、彼はついに一線を越える。アンナの部屋のコーヒーに睡眠薬を粉にしたものを混ぜ、それを飲んで深い眠りに落ちたアンナの部屋に忍び込む。これはもう、異常者であり、変態と非難されても仕方のない行為である。僕は男だからレオンの行動のコアにある溢れるほどの愛を感じたが、女性の観客はどう感じるだろうと気になりながら見守っていた。

レオンは、ベッドで眠るアンナの姿を間近でじっと見つめる。その肌に触ろうとする。レオンの行動は、次第にエスカレートする。彼は看護士の制服のボタンが取れそうなのを見付け、ボタン付けをする。壊れた鳩時計を修理する。まるで、老夫婦の靴屋に夜中に現れ、靴を修理してくれる童話のこびとたちのように、レオンは様々な世話をする。

ある日、レオンはとうとう病院を馘になり、もらった退職金で指輪を買う。その夜は、アンナの誕生日だった。友人たちが集まってお祝いをしているのをレオンは見つめる。やがて酔って寝たアンナの部屋に、レオンはフォーマルスーツ姿で指輪を持って忍び込む。散らかったテーブルを片付け、食器を洗い、アンナの指に指輪を入れようとする。

彼の行為がばれたら、人々からうしろ指をさされ、「変態だ」「異常者だ」と言われるだろう。そう、彼の行動は異常だし、常識からは逸脱している。だが、そんな男からピュアな愛がにじみ出す。悲しみが漂う。切なさがつたわってくる。まともに生きるだけではわからない何か、が存在するのではないか。そんな思いが僕の中に湧き起こってきた。

●常軌を逸した異常行為を繰り返す主人公に感動する

ポーランドの才人監督イエジー・スコリモフスキーの名を記憶したのは、大学時代のことだった。今でも僕は「イエジー・スコリモフスキー研究号」と表紙に刷られた「映画評論」1972年7月号を持っている。「早春」(1970年)が公開されたときの号である。当時、映画会社は主演のジョン・モルダー・ブラウンを、美少年スターとして売り出そうとした。

イエジー・スコリモフスキーは、ロマン・ポランスキー監督のポーランド時代の出世作「水の中のナイフ」(1962年)の脚本を担当して日本でも名が知られたのだろう。最近では映画出演の方が多く、デヴィッド・クローネンバーグ監督の「イースタン・プロミス」(2007年)のナオミ・ワッツの叔父を演じていた。ロシア語のわかる叔父で、事件の鍵を解くノートを翻訳する。

そのイエジー・スコリモフスキーが祖国ポーランドで撮影したのであろう「アンナと過ごした4日間」は、僕を深く考え込ませる映画だった。常に「それは美しいか否か」「潔いか否か」を行動の規範にしたいと願い、うしろ指をさされないことを心がけて生きてきたつもりだが、そんなこととは対極にある常軌を逸した異常行為を繰り返す主人公に感動する己を僕は発見したのだ。

もちろん、それは映画だからだろう。それも男の側から描いている作品だ。これが現実の事件なら、男は異常者として逮捕され収監される。そして、僕らはそんな事件を新聞で読み、テレビニュースで見て、「気持ち悪いなあ」などと言うだろう。しかし、現実に心の奥の核の部分に深い愛を抱いて、そんな異常行為を働く男が現実にもいるのかもしれない。

まともに生きる。うしろ指を指されないように生きる。人に迷惑をかけずに生きる。潔く生きる。抑制して生きる。禁欲的に生きる。僕は、そんな生き方に美しさを感じてきた。そうありたいと願いながら、現実には潔くなく、禁欲もできず、人に迷惑をかけても気付かず、多くの人からうしろ指をさされてきたのかもしれないが、少なくともそれを規範にはしてきたのだ。

だが、抑えきれない愛があふれ、愛する対象に近付きたいがために異常行為を犯すレオンに共感する己がいたことは、何となくうれしい気がする。だが、この映画、女性はどう見るのだろう。すべてが明らかになったとき、アンナが放った言葉はどういう意味だったのか。そして、彼女がレオンを見る視線には何があったのか。今も、謎は残る。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>
街路樹が紅葉で美しく彩られています。晴天の休日、落ち葉が舞い散る駐車場から車を出して午前中に少しドライブしてきました。久しぶりに田園風景の中を走ると、心が穏やかになっていくのがわかります。飲むと、仕事や会社のことで喧嘩ばかりしているので、こういうのがないと保ちません。やれやれ。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/
>