映画と夜と音楽と...[519]死に臨んで望むこと
── 十河 進 ──

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〈戦争と平和/アンナ・カレーニナ/終着駅・トルストイ最後の旅〉


●「この本は読めん」と判断した「戦争と平和」

僕の手元に河出書房から出版されたキャンパス版・世界の文学「戦争と平和」の一巻と二巻がある。一巻が1967年12月20日、二巻が1968年1月20日の出版になっている。三巻は2月に出たのだろうが、僕は持っていない。全三巻だったのに、二巻まで買ってやめてしまったのだ。その理由は、たぶん「この本は読めん」と判断したからだろう。

定価290円でも、その当時の僕にとっては大きな出費だった。高校二年生である。財力はないし、その長大な小説を読む根気もなかったのだ。それでも、その本を買ったのは、リュドミラ・サベーリエワのナターシャが口絵の数ページに掲載されていたからだ。1965年から67年まで、3年間にわたって旧ソ連で制作された超大作「戦争と平和」のヒロインだった。14歳から17歳までの3年間、僕は毎年「戦争と平和」を見ていた記憶がある。

日本で第一部が公開されたのは、1966年7月である。中学三年生の夏休みだった。文部省推薦の割引券を持って僕は映画館に並んだ。オードリー・ヘップヴァーンがナターシャを演じた「戦争と平和」(1956年)は、テレビでズタズタにカットされたトリミング版を見たことがあったが、ソ連版は原作の完全映画化を謳い、結果的に7時間を超える大作になった。

主要な登場人物がアンドレイとピエールだというのは知っていた。オードリー版ではアンドレイはヘンリー・フォンダ、ピエールをメル・ファーラーが演じた。撮影当時、メル・ファーラーはオードリーと結婚していた。いや、僕が「戦争と平和」を見た頃、まだふたりは夫婦だった。僕は、メル・ファーラーの変な顔を見て「なんで?」と思った。僕は美女は美男子と結ばれるべきだと信じていたのである。




ソ連版「戦争と平和」でもアンドレイはキリッとしたいい男が演じていたが、懐疑的なインテリ青年のピエールは監督自身(セルゲイ・ボンダルチュク)が演じ、かっこいいところはどこにもなかった。丸い眼鏡をかけ、太り気味のピエールは思索的ではあったが、まったく行動的ではなく、うじうじと悩み続けるだけの男だった。10代半ばの少年が共感できる人物ではなかった。

キャンパス版・世界の文学「戦争と平和」が出た1968年の暮れ、ソ連版「戦争と平和は」すでに物語の半分以上は公開されていたと思う。公開作は、冒頭にそれまでの物語のダイジェストがまとめられていて、前作を見ていなくてもとりあえずわかるようになっていた。公開までの間が開いていたので、それは助かった。ダイジェストを見ると、それまでの物語が甦った。ダイジェストを見て「一部の頃のナターシャは、本当にまだ少女だったのだ」と僕は思った。

当時のソ連のことは五木寛之さんの「さらばモスクワ愚連隊」などを読んで想像していたが、依然として東西対立は続いていたし、ベトナム戦争を始めとして共産主義と資本主義の代理戦争は世界中で起こっていた。そんな時代だったから、僕はソ連が「戦争と平和」を制作したことや、それが日本で公開されることに何となく違和感を感じてもいた。

ソ連の女優であるリュドミラ・サベーリエワが日本でも人気が出て、映画雑誌のグラビアに登場したときは、さらに違和感を強くした。社会主義国の女優をアイドルのように扱ってよいのか、という奇妙に真面目な思いを抱いた。ハリウッド女優のような憧れの対象とすることに心理的なブレーキがかかったのだ。それでも、僕は清純なナターシャの澄んだ瞳が忘れられず、キャンパス版・世界の文学「戦争と平和」を二巻まで買ったのだった。

●冒頭の文章だけは多くの人が知っている「アンナ・カレーニナ」

「アンナ・カレーニナ」の冒頭の文章「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」(望月哲男訳・光文社古典新訳文庫)はあまりに有名で、僕もその部分は早くから知っていたが、実際に「アンナ・カレーニナ」を読んだのはずいぶん後だった。

大学生の頃にロシア文学を読もうと思い集中して読んだことがあり、おそらくそのとき一緒に読んだのだ。プーシキン、ツルゲーネフ、ドストエフスキー、ゴーゴリ、チェーホフ、それにトルストイである。トルストイについては、とうとう「戦争と平和」が読めなかったという負い目が僕にはあった。だから「アンナ・カレーニナ」を読み始めたらやめられなくなり、一気に読み切ったとき、僕は達成感を感じたものだった。

同時に「アンナ・カレーニナ」の素晴らしさが身に沁みた。読了後の印象は、今でも鮮やかだ。世界を見る眼が確実に変化した。「嵐が丘」「アンナ・カレーニナ」「白痴」「フラニーとズーイー」「情事の終わり」「個人的な体験」「海辺の光景」「枯木灘」「忘却の河」...、そんな経験をさせてくれた本は、アト・ランダムに挙げてもそんなには浮かばない。

書物によって精神的に成長するということがよく言われるが、「アンナ・カレーニナ」を読み終わった僕はそれを実感した。僕は「アンナ・カレーニナ」を読むことで、読む以前の僕とは確実に違う人間になった。どう違うかは具体的に説明できないが、それは精神の深い部分での体験だったのである。「ドストエフスキー体験」とはよく耳にするが、同じように「トルストイ体験」もあるのだと思う。

「アンナ・カレーニナ」は長大な小説だから、映画化されるときにはアンナとヴロンスキーの不倫物語を中心に描かれることが多い。しかし、「アンナ・カレーニナ」はアンナとヴロンスキーの物語であると同時に、理想主義者である青年地方地主リョーヴィンと純情な美女キチイの物語でもある。キチイに振られたリョーヴィンが領地に戻り、小作人たちと農作業に励んで心の傷を癒そうとするシーンは、今思い出しても鮮やかだ。

「アンナ・カレーニナ」はヴィヴィアン・リー版(1947年)とソフィー・マルソー版(1997年)を見たことがある。改めて調べると、制作時期に半世紀の隔たりがあった。ヴィヴィアン・リーの「アンナ・カレニナ」(公開時のタイトル)は、ラストの鉄道自殺のシーンをよく憶えているが、ソフィー・マルソーの「アンナ・カレーニナ」はヴロンスキーと一緒に暮らしている何でもないシーンが浮かんでくる。

ヴィヴィアン・リーもソフィー・マルソーも時代を代表する美女だが、タイプはずいぶん違う。スカーレット・オハラの印象が強く、ヴィヴィアン・リーにはどうしても「激しい情熱」を感じる。アンナのイメージとしては、ソフィー・マルソーの方が近いと思うけれど、映画を見たときの印象では高貴さが足りなかった。そのため、ダメ男ヴロンスキーを愛してしまったアンナの精神的な悲劇が、下世話な痴話話になってしまった。

●トルストイの葬儀には一万人もの人が集まったという

「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」と世界的な名作を書いたトルストイについては、ほとんど知識がなかった。生年も死亡した年月日も知らなかったし、漠然と昔の作家だと思っていた。ただ、80を過ぎて家出をし、駅で死んだことは知っていた。悪妻に愛想を尽かしたのだと、誰かが書いていた記憶がある。だから、僕は世界的作家トルストイは、最期に野垂れ死んだのだと思っていた。

それは、まったくの誤解だったと「終着駅・トルストイ最後の旅」(2009年)を見てわかった。調べてみると、当時のトルストイは世界的な思想家であり、ロシアの人々からは聖人と慕われるような存在だったらしい。多くの崇拝者がいて、非暴力と平等や禁欲を提唱するトルストイ主義に共鳴する人も多かった。彼の葬儀には一万人もの人が集まったという。

有名人の葬儀には多くの人が参集する。石原裕次郎の葬儀のときの弔問客の多さを記憶していたので、調べてみたら3万数千人だったという。最近の記録では、ある自殺したミュージシャンのときには5五万人を超える人が弔問に訪れたという。情報があふれ、簡単に移動できる交通機関が発達した現在だからこその数字だ。鉄道は通っていたが、100年前の広大なロシアである。一万人もの人がトルストイの死を悼んで集まったのは、崇拝、尊敬といった気持ちからだったのだろう。

映画は、トルストイの秘書になった青年ワレンチンの視点で語られる。彼は後に作家になり1960年代半ばに亡くなったと映画の最後でクレジットされる。23歳の彼はトルストイに心酔し、禁欲的で非暴力主義である。彼はトルストイ主義を広めようとしているトルストイの盟友チェルトコフによって面接を受けるが、そのときチェルトコフはトルストイの妻ソフィアの言動をメモしておくことを命じる。ワレンチノは、モスクワからトルストイ伯爵の領地へ向かう。

ワレンチンを演じているのは、ジェームス・マカヴォイだ。「つぐない」(2007年)で魅力的な演技を見せた繊細な俳優である。ワレンチノはトルストイ主義に共鳴する理想家肌の青年だから、禁欲を実践しまだ女性を知らない。シャイで理知的で、世間知らずで...といった役だから、ジェームス・マカヴォイにはぴったりだった。とまどいや一瞬のためらいといった、細かい感情を視線の演技で表現する。

トルストイの領地には、トルストイ主義に呼応した人たちがコミューンを形成し、そこで農作業に従事している。しかし、宿舎の監督官は堅物で、その堅物をからかう奔放な元教師の美女マーシャがいる。マーシャは到着早々のワレンチノを誘惑し、その禁欲主義を嗤う。コミューンの主宰者チェルトコフや宿舎の監督官は、どちらかといえば教条的にトルストイ主義を信奉する頭の堅い人々のように描かれる。

●トラップ大佐とエリザベス女王が演じたトルストイ夫妻

「終着駅・トルストイ最後の旅」というタイトル通り、映画は最晩年のトルストイを描く。演じるのは「サウンド・オブ・ミュージック」(1964年)のトラップ大佐ことクリストファー・プラマーだ。新潮文庫の「アンナ・カレーニナ」のカバーはトルストイの写真が使われているが、そっくりにメーキャップしている。白く長いあごひげ、禿げた額、それだけで似てはくるのだが、キャリアの長いプラマーには大作家の趣がある。

世界三大悪妻と言われている妻のソフィア(他の二人はソクラテスの妻とモーツァルトの妻)は、エリザベス女王を演じてアカデミー主演女優賞を獲得したヘレン・ミレンである。この映画、ヘレン・ミレンが主役のように目立っている。ヒステリックで、暴力的で、ときに可愛さを丸出しにして甘え「あなたのために13人の子供を産んであげたのよ」と感情的になったり、父親に味方する末娘には「兄の代わりにあなたが死ねばよかったんだわ」とまで激高する。

ソフィアはトルストイ協会の幹部であるチェルトコフにそそのかされたトルストイが、財産や自作の著作権を放棄するのを怖れている。チェルトコフはトルストイ作品は民衆のものだと主張し、世界中にトルストイ主義を広めようとしているのだ。チェルトコフをあしざまに言うソフィアに「彼は大切な友人だ」とトルストイは諭す。しかし、ソフィアは「あなたは私たちを貧窮の底に落とそうとしている」と喚きたて、トルストイの遺産を守るために取り巻きたちを排除しようとする。

元来、トルストイは伯爵で広大な領地を持ち、多くの小作人(農奴)を使用していた。私有財産を否定するトルストイは彼らの待遇を向上させたり、小作人に農地を分け与えたりしてきた。平等と博愛主義をトルストイは実践してきたのだ。そして、死に臨んで財産や自作の著作権を放棄しようとしている。その頃のトルストイは、小説家以上のものになっていたのだろう。思想家であり、宗教家であり、トルストイ教の教祖だったのかもしれない。

そんなトルストイとソフィアを、ワレンチノは冷静に見ている。彼はマーシャと寝ることで柔軟性を獲得し、トルストイ主義一辺倒だった石頭ではなくなったのだ。だから、彼の目にはトルストイの言動の過激さも、チェルトコフの打算や政治的な行動も、悪妻呼ばわりされるソフィアの悲しみも見えるのだ。ワレンチノという視点を設けたことで、ソフィアは悪妻と言われるだけの存在ではない奥深さを獲得した。ソフィアの人間らしさが描かれる。

しかし、トルストイは妻に愛想を尽かし家出をする。といっても荷物を拵え、娘も秘書も主治医も一緒だ。そして、途中の駅で具合が悪くなり肺炎を起こし、駅長室を借りて寝付く。「トルストイ倒れる」の報は世界に発信され、多くの記者たちがやってくる。その駅長室で一週間、病の床につき、そのまま臨終を迎えるのだが、そこへやってきたソフィアを取り巻きたちが会わせようとしない。ソフィアが自分に都合のよい遺言を引き出すことを怖れているのだ。

●著作権を受け継いだ数年後にソフィアも死んでしまう

やれやれ大変だな、と僕は思った。これで心穏やかな死をトルストイは迎えられるのだろうかと思って見ていたが、最後にはソフィアに看取られて息を引き取る。さすがに、最後の息をし始めたトルストイに妻を会わせないわけにはいかなかったのだろう。トルストイの死に取り乱すソフィア。長く連れ添った夫婦には、ふたりだけの心のふれあいがあり、感情のもつれがある。

映画のラストに出るクレジットで、結局、著作権はトルストイの死の数年後、ソフィアが受け継いだことが知らされる。死んでいく本人に財産は必要ないが、生き続ける人間にとっては財産はあればあるほど役に立つ。だから、ソフィアは固執した。しかし、著作権を受け継いだ数年後にソフィア自身も死んでしまう。死に臨んで彼女は何を望んだのだろうか。

おそらく、財産がある人間が死ぬときには、似たような話が古来からずっと続いてきたのだろう。古今東西のミステリを分類したわけではないが、遺産争いを動機にした殺人事件はかなりの数が書かれているのではないか。「犬神家の一族」を始め、横溝正史の小説はほとんどがそうだ。もっとも、大した財産もなさそうな人が死んでも相続争いは起こる。

僕は、遺産を当てにするような人間にだけはなりたくないと思ってきた。大学を出るまでは多少の仕送りはしてもらったが、もう40年、自分で稼いだ金だけで生きてきたし、多少の蓄えも作った。くれるという遺産を拒否するつもりはないけれど、それは宝くじのようなものだ。当てにしていなければ、固執することもない。そう思うようにしている。

一方、中途半端な子供たちの生き方を見ていると、危うさばかりを感じる。最近、僕が死んだらこの子たちはどうするのだろう、としみじみと顔を見ることが増えた。順当にいけばまだ半世紀は生きる息子と娘は、今のような半端な生き方をしていると泣きを見ることになるのではないか、と心配になる。そう考える反面、もういい大人なんだから放っておけという声がする。死に臨んで僕が望むことは、子供たちが安心させてくれることだが、それは叶わぬ望みかもしれない。

トルストイは死に臨んで何を望んだのだろう。世界人類の幸せか。トルストイ主義の浸透か。世界から争いがなくなり、格差がなくなり、人々が平等に暮らせる世界の実現だろうか。家族のことは考えなかったのだろうか。1910年11月20日、トルストイは82歳で永眠した。駅長室で死んだ世界的大作家は珍しいが、その駅は今では「トルストイ駅」と命名されているらしい。共産党独裁のソ連時代でも、トルストイの評価は高かったのだ。

トルストイの家出と駅での客死を思うと、「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」というフレーズは、トルストイの身につまされた感懐だったのかもしれない。莫大な財産があっても、トルストイは不幸だった...、そんなことも連想する。トルストイの死から6年後の大正5年、夏目漱石が49歳で永眠した。40歳ほどの差はあるが、トルストイと漱石は同時代を生きたのだ。漱石の妻、夏目鏡子にも悪妻説がある。やれやれ、偉大な作家たちの妻は大変だ。

ちなみに「戦争と平和」第一部で澄んだ瞳と(月並みな形容ですが)妖精のような儚さで僕を魅了したリュドミラ・サベーリエワは、数年後、イタリア映画「ひまわり」(1970年)に出演し、ロシア女性の加齢による宿命的な変化には例外がないことを証明した。要するに、10代の儚そうな妖精時代は過ぎ、肉が付き始めていたのである。もちろん、まだ充分に美しかったけれど...

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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僕の住む地域は有名なホットスポットで、高い計測値が出ている。その中でも、近くの公園の芝生から市内で最高値が出たらしい。仕方ねぇや...と老い先短い僕は気にしないが、周囲は騒がしい。小さな子がいる人は気になるだろうし、これから子供を産む人も気が気じゃないだろう。放射能雨が降り続ける「ブレードランナー」的世界が現実になろうとは...

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