映画と夜と音楽と...[532]カラードたちの優雅な生活
── 十河 進 ──

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〈ミシシッピー・バーニング/背信の日々/リリィ、はちみつ色の夏/夜の大捜査線〉


●「粋な負け犬」と形容されたジェームズ・ガーナー

ジェームズ・ガーナーについては、「きみに読む物語」(2004年)のときに書いた。「スペースカウボーイ」(2000年)で久しぶりに再会したとき、ずいぶん老けたと思ったが男っぽさはいつまでも変わらない。テレビシリーズ「ロックフォードの事件メモ」で一般的にも知られる俳優だが、今年84歳になるからもうスクリーンでは会えないだろう。

そう思っていたが、キネマ旬報2月上旬号で鬼塚大輔という人がジェームズ・ガーナーについて書いていた。そのコラムを読んで、「やっぱりね」と僕は膝を叩いた。我が意を得た思いである。コラムのタイトルは、「気骨のある『粋な負け犬』」となっていた。もちろん、それはジェームズ・ガーナーのことを指している。「粋だけど、負け犬ではないだろ」と僕は思った。

コラムでは、ジェームズ・ガーナーの自伝(翻訳は出ていないようだ)が紹介されている。ガーナーは1963年の「ワシントン大行進」に、シドニー・ポワチエ、バート・ランカスター、サム・ペキンパー、ポール・ニューマンとジョワン・ウッドワード、トニー・カーティス、リナ・ホーン、マーロン・ブランドなどと一緒に参加したのだという。

そのメンバーがいい。ニューマン夫妻はハリウッドのリベラル派代表みたいな存在だが、反動的でマッチョなイメージがあるサム・ペキンパーのリベラルさが証明されたようで、僕はうれしくなった。ガーナーはFBIや映画会社の幹部たちの恫喝にも屈せず、信念を持って「ワシントン大行進」に参加し、あの有名なキング牧師の演説「私には夢がある...」を聞く。

孫引きで恐縮だが、ガーナーは自伝の中で「あれほど力強い言葉を聞いたのは生涯で一度だけだ。私は歴史が作られるところを目撃していた」と書いているという。子供の頃、欠かさず見ていた西部劇「マーベリック」、「大脱走」(1963年)で目が見えなくなったドナルド・プリーザンスをかばって逃げるアメリカ兵を演じたジェームズ・ガーナーを、僕は改めて見直した。

「大脱走」が封切られたのは、1963年の夏休みだった。その夏休みが終わりに近づいた8月28日、人種差別に抗議する人々がワシントンに向かって大行進をした。リベラル派のハリウッド・スターたちは、自分たちが参加することで抗議行動がより注目されると信じた。ポワチエやリナ・ホーンなどのカラード(有色人種)と違い白人スターたちには相当に強い圧力がかかったに違いない。




当時、南部では公然とホワイトとカラード(当然、日本人も含まれる)を区別する法律が適用されていた。カラードは公共のバスでも専用席でないと座れなかった。州によっては、鉄道も黒人専用車両を指定していた。それに対し、黒人たちは公民権の適用を求めた。ジョン・F・ケネディが大統領になったことで、さらに公民権運動は盛り上がった。しかし、1963年11月22日、ケネディはダラスで暗殺される。

その日のことは、僕もよく憶えている。天気のよい秋の日だった。僕は、テレビでケネディ暗殺のニュースを見た。その後、60年代のアメリカはベトナム戦争と黒人差別問題で騒乱が続く。公民権は認められたもののキング牧師もマルコムXも暗殺され、より過激な黒人組織ブラック・パンサーが登場する。人種差別反対とベトナム反戦と学生たちの反乱が渾然一体となった時代だった。

●人種差別を告発する映画はたくさん作られてきたが...

公民権運動と聞くと、僕は「ミシシッピー・バーニング」(1988年)という映画を思い出す。1964年、ミシシッピ州で公民権活動家三人が行方不明になる。その実際の事件に基づいた映画だ。監督は、硬派のアラン・パーカー。その事件の調査にミシシッピを訪れるFBI捜査官を演じたのが、ジーン・ハックマンとウィレム・デフォーだった。

ジョン・F・ケネディ大統領の死後、跡を継いだ副大統領のリンドン・B・ジョンソンは公民権法の制定に積極的で、1964年7月2日、法案に署名し公民権法が制定される。しかし、法律ができたからといって、根強い黒人差別がなくなるわけではない。おそらく、根っからの差別主義者にとっては、公民権を振りかざす黒人は余計に腹立たしい存在だろう。いっそう怒りを募らせたに違いない。

1964年、日本が東京オリンピック開催に向かって盛り上がっている頃、アメリカ南部では公民権法を背景にして、権利を主張する黒人たちを憎む白人たちがいたのだ。「ミシシッピー・バーニング」を見ると、その頃の状況がよくわかる。FBI捜査官に対して警察も非協力的だし、クー・クラックス・クランなどの白人至上主義者たちは敵意を丸出しにする。

「ミシシッピー・バーニング」を見たのは、1989年の春のことだった。その数ヶ月前の冬、僕は「背信の日々」(1988年)という映画を見ている。デブラ・ウィンガーとトム・ベレンジャーという、当時、人気のあった美人女優と男優を起用した、ラブ・ロマンスの振りをした人種差別糾弾映画だった。監督は硬派で、政治的な作品を多く作ったコスタ=ガブラスである。

ほんの数ヶ月のうちに「ミシシッピー・バーニング」と「背信の日々」を見た僕は、その二本をセットのように記憶している。「ミシシッピー・バーニング」を思い出すと、同時に「背信の日々」を思い出すわけだ。どちらも南部の白人たちの血に埋め込まれたような、根っからの人種偏見を描いている。その二本を見ると、彼らにとって黒人は人間ではなく、家畜同然なのだとしか思えない。

それは、やはり奴隷制度の名残りなのだろうか。白人至上主義者たちは黒人を殺し、平然としている。牛や豚やニワトリを殺しても良心の呵責を感じないのと同じで、彼らは黒人を殺しても何の後ろめたさも持たない。「ミシシッピー・バーニング」にも「背信の日々」にも、そんな醜い白人たちが出てくる。

それでも「ミシシッピー・バーニング」は制作時から20数年前の設定だったが、「背信の日々」は映画が作られた同時期の話である。デブラ・ウィンガーはFBI捜査官で、ある事件のために南部の町に身分を偽って潜入する。そこでトム・ベレンジャーの農場主と知り合い、愛し合うようになる。だが、やがてトム・ベレンジャーが白人至上主義者たちが作る秘密結社の一員だと判明する。

トム・ベレンジャーたちは、銃器に異常な偏愛を示す。森の中に黒人を追い込み、ライフルを抱えて全員で駆り立てていく。それは獲物を追うハンターと同じだ。獲物は黒人であり、彼らは人間ではない。現在もワシントンでの強力な圧力団体として存在する全米ライフル協会は、トム・ベレンジャーが演じたような男たちによって支持されているのだろう。

人種による差別、偏見...、自分と違うというだけで他者を排斥してしまう人間たち。何と愚かしい存在であることか。そんな愚かな人間の姿を描いてくれたという意味で「ミシシッピー・バーニング」と「背信の日々」は、僕にとって忘れられない映画になった。

●1964年7月1日から始まる14歳の白人少女の物語

ジョンソン大統領が公民権法の文書にサインしてから44年後、一本の映画が制作された。「ミツバチの秘密の生活/The Secret Life of Bees」という、全米ベストセラー小説を映画化した「リリィ、はちみつ色の夏」(2008年)である。原作が出版されたのは2002年、日本語の翻訳が世界文化社から出たのは2005年のことだった。

映画は、ショッキングなモノローグで始まる。「4歳のとき、私は母を殺した」というナレーションである。クローゼットらしい暗がりの中に幼い女の子が潜んでいる。かいま見える部屋の中では、男女が争っている。やがて、少女の前に拳銃が落ちてくる。母親らしい女が「それを渡して」というように近付く。そのとき、銃声が聞こえる。

それから10年、リリィは拳銃の暴発で母を殺してしまったことを深い心の傷として生きてきた。記憶が曖昧で「もしかしたら私のせいじゃないかもしれない」という一縷の希望を抱いていたリリィに、父親のT・レイは「おまえが拳銃を拾って暴発した。おまえのせいだ」とあえて傷付けるように言う。ひどい父親だ。そんなリリィの味方は、黒人の家政婦ロザリンだけである。

「リリィ、はちみつ色の夏」は、1964年7月1日から始まる。7月4日の独立記念日が迫っている。その前に黒人たちは、重大な7月2日を迎える。ジョンソン大統領が公民権法に調印するのである。ロザリンはテレビ中継される調印式の様子を、食い入るように見つめる。公民権法が成立し、ロザリンは選挙権の登録をするために町に行こうとする。

──いやな予感が私の胸に沈んだ。きのうの夜だって、ミシシッピ州の黒人男性が登録しようとして殺された、とテレビで言っていた。私自身が耳にしたのは、協会の執事をしているバシーさんがT・レイに言ったことである。「大丈夫だよ。完全な筆記体で書かなきゃだめってことにするのさ。iに点が打ってないとか、yの最後を丸めてないとかケチをつけて、用紙をわたさないだけのことだ」(小川高義訳)

ロザリンと一緒に町に出かけたリリィは、案の定トラブルに巻き込まれる。黒人が選挙権の登録にいこうとするのを邪魔する白人たちに行く手を阻まれ、その白人のブーツに咬みタバコの汁を吐きかけたロザリンは逮捕されるが、隙を見てリリィはロザリンを連れて逃げ出す。もちろん家には帰れない。リリィは、母が遺した小さな手がかりを頼りに、母の過去を探ろうとティブロンという町に向かう。

1960年に発行(映画化は62年)され大ベストセラーになった「アラバマ物語」がスカウトが30年前の少女時代を回想するのと同じように、「リリィ、はちみつ色の夏」もリリィが14歳の夏を回想する。しかし、同じ南部の黒人差別を描いても、舞台になった時代に30年の差がある。そのせいか、「リリィ、はちみつ色の夏」は、ファンタジィのような楽しさや美しさがある物語になった。

●黒人のマリア像というアイコンが映画を象徴している

ティブロンという町の食料品店でリリィは偶然、黒人のマリア像をラベルにしたハチミツの瓶詰めを見付ける。それは、母の遺品の中にあった黒人のマリア像の絵と同じものだった。リリィはそれが町外れの黒人の養蜂家が納めている商品だと聞き、ロザリンと共にその家を訪ねる。そこは外壁を派手なピンク色に塗った、不思議な家だった。

その家には黒人の三姉妹が住んでいる。でっぷりとしたオーガスト(8月)は長女で養蜂家、スリムな次女のジューン(6月)は黒人学校の教師、三女のメイ(5月)が家事を担当している。そして、その家の居間には黒人のマリア像が置かれていた。リリィは何かを感じ、嘘を付いてロザリンとその家に住み込むことにする。彼女たちが泊まるのはハチミツ小屋。集めたハチミツを加工するための作業場である。

オーガストを演じるクィーン・ラティファがいい。天才子役と言われた頃から比べると成長した、リリィ役のダコタ・ファニングも思春期の少女の心の揺れを繊細に演じるけれど、その少女のガラスのような心を見守るクィーン・ラティファは包容力にあふれ、こんな人にハグされたらそれだけで安心できるだろうなあ、と思う。固太りだが、柔らかそうな丸い体型が頼もしく見えてくる。

印象に残るキャラクターが、三女のメイである。彼女には双子のエイプリル(4月)がいたのだが、エイプリルは町で黒人であることで差別され、ひどく傷ついて鬱病になり、15歳のときに猟銃で自殺する。己の半身のような存在を喪ったメイは、オーガストに言わせれば「世界と双子になったように」おかしくなる。世界中の悲しみに反応し、精神的にひどく不安定になるのだ。

──たとえばね、リリィ、あたしたちは外の世界の悲しいことを聞くと、そのときは悲しいと思うけれど、すっかり動揺するわけじゃないでしょう。心の中に防衛機能がそなわっていて、つらさに打ちのめされずに済んでいる。でも、メイはね、そういうのがないの。何もかもまともに受け止めて、世の中の苦しみが、みんな自分の身に突き刺さったように思うのよ。区別ができないの(小川高義訳)

メイは「嘆きの壁」を作っている。悲しいニュースを聞いて情緒不安定になったメイは、紙にその悲しい出来事を書き付けて、石を積み重ねて作った壁の間に埋めるのだ。そこは彼女の祈りの場であり、そうすることでメイは何とか悲しみから回復できるのである。しかし、特別に大きな悲しみに襲われると、メイは自分自身が生きていけないほどにふさぎ込む。

広い養蜂場で、リリィの夏が穏やかに過ぎていく。リリィの周囲には黒人しかいない。白人の少女はひどく目立つはずだが、誰もそんなことは気にしない。リリィは、生まれて初めて安らぎの場を得る。オーガストと共にミツバチの巣箱を見てまわり、作業を手伝う。巣箱の中のミツバチたちの羽音に耳を澄ませる。ハチミツ作りの作業を手伝っている、ハンサムな黒人少年ザックにほのかな恋心さえ抱く。

だが、ある日、ザックと共にトラックで町に納品に出かけたリリィは、白人たちの注目を浴びる。黒人と白人が並んでトラックに乗っているだけで、奇異な目を向けられる時代だ。ハンサムな黒人の少年と白人の少女のふたりは、町中の関心の的になる。怪しまれ、ザックは白人たちに憎しみの視線を向けられる。穏やかだった世界に、邪悪なものが紛れ込み始める...

「リリィ、はちみつ色の夏」は、今だから作ることができた映画だ。人種差別が激しい時代だったら、「夜の大走査線」(1967年)のように現実を鋭く描き出す映画になる。フィラデルフィアの殺人課刑事バージル・ティッブスは、南部の田舎町の駅で黒人で大金を持っていたために逮捕されるし、町の権力者である農園主を殴り返すと、農園主は同行した署長に「撃ち殺せ」と命令する。白人たちは東部の刑事と知りながら、ティッブスをリンチしようと襲う。

僕が「夜の大捜査線」を見た頃、前述のようにアメリカは人種差別反対、ベトナム戦争反対などを叫ぶ黒人や学生たちの熱気で坩堝のように沸き立っていた。あの熱い時代から半世紀近くが過ぎた。あれから、何かが変わったのだろうか。変わった、と僕は思いたい。黒人たちの優雅な世界を、黒人と白人の親密な関係を、「リリィ、はちみつ色の夏」のように描ける時代になったのだから...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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内藤陳さんのお別れの会が開かれる椿山荘に向かって、目白駅からブラブラと目白通りを歩いていたらとんでもなく遠いのが判明。それでも村上春樹さんの短編「螢」(後に「ノルウェイの森」第二章になった)に出てくる学生寮「和敬塾」、講談社が持っている「野間記念館」、「目白御殿」こと田中邸、田中角栄の相続税を物納した「目白台運動公園(旧田中邸の庭)」などを発見したので、得した気分だった。寒かったけど......。

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