映画と夜と音楽と...[534]歴史の事実は変えられない
── 十河 進 ──

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〈てんやわんや/本日休診/花の生涯/台所太平記/夫婦善哉/早春/もず/鰯雲〉

●終戦後を知る人たちはまだまだ大勢生きている

「恩田陸、荻原浩、桜庭一樹、辻村深月、有川浩、木内昇...、さて、この中に何人女性作家がいるでしょうか?」というクイズを出したいくらい、最近の女性作家は男名前を付ける。昔、小説の主人公(男)と同じ名前にするために栗本薫と名乗った中島梓はいたけれど、それとはちょっと違う。もっとも、読み方は浩を「ヒロ」と読ませたり、昇を「ノボリ」と読ませたりする。

その木内昇さんの評判になっている「笑い三年、泣き三月。」を読んだ。「三月」は「みつき」と読まないと七五調にならない。終戦の翌年から朝鮮戦争が始まる頃までの数年間を背景にした小説だ。終戦後、ひと旗あげようと東京にやってくる萬歳芸人が、上野に着くところから物語が始まる。駅前に立った彼は、一面の焼け野原に息を呑む。

彼は根っからの善人で、自分の持っている革鞄の中の食料を狙う戦災孤児(彼は東京大空襲で親兄弟を失い、自分だけが生き残った後ろめたさを感じている)を「坊ちゃん」と呼んで可愛がる。彼らが出会う南洋からの復員兵は、悲惨な戦争のせいか、好きだった撮影所を首になったせいかわからないが、ひどいひねくれ者で毒舌ばかり吐く。この三人が浅草の芝居小屋に居着くことになる。

その芝居小屋を立ち上げたのは、PCL(東宝の前身)に長く助監督として勤めていた人物である。自分が作った戦意高揚映画を見て少年たちが予科練に入ったことを知り、好きな映画の世界をやめる。復員兵とは昔なじみだ。その小屋では、戦後初めて女性のヌードを見せた額縁ショーをヒントにして、肌を露出した踊り子たちが登場するショーを企画する。

その踊り子として応募してくるのが、戦前は白亜の豪邸に住んでいたという元財閥令嬢を名乗る「ふうこ」である。しかし、彼女は終戦直後に日本政府が「良家の婦女子の貞節を守る」名目で設立した、占領軍(進駐軍と呼んだ)兵士のための公的な売春宿(特殊慰安施設協会「略称RAA」ともっともらしい名前を付けた)にいたことを別の踊り子に暴露される。

その「ふうこ」の部屋で、萬歳芸人と戦災孤児と復員兵が同居することになる。窓を隔てた向かいの部屋に住むのが復員兵の昔なじみで、戦争中は従軍写真家として特攻隊員たちを撮影してきた男だ。彼は南洋でマラリヤに感染していて、時々、発作を起こす。彼の手引きで戦災孤児は写真の世界に興味を示す。




木内さんは四十代半ば、自分の知らない古い時代を詳しく調べたのだろう。こういう時代設定がむずかしいのは、その時代を知っている人がまだまだ多くいるからだ。時代小説なら多少の間違いは気付かなくても、自分が経験している時代なら「こんなことはなかったぞ」と言われてしまう。僕は生まれる前の話なので「よく調べているなあ」と感心しながら読んだ。

戦前の写真雑誌「光画」が紹介されたり、戦前のPCLの話が出てきたり、戦後の東宝争議が同時代の事件として話されたりする。その辺のことはよく知っているので間違っていれば気付くのだが、僕は自然にすらすらと読んだ。よくできた人情話で、ときどき涙ぐむ。僕の会社が戦前に出版した写真の技術書が登場するかと思ったが、残念ながら出てはこなかった。

「笑い三年、泣き三月。」を読んでいて思ったのは、主人公の復員兵や小屋主は黒澤明や成瀬巳喜男がいた頃に砧の撮影所で一緒に働いていたのだなあ、ということだった。池部良も東宝在籍のまま出征し、戦後、「青い山脈」(1949年)で人気が出る。そして「笑い三年、泣き三月。」の主人公たちが浅草でストリップショーを始めた頃、黒澤明監督の「酔ひどれ天使」(1948年)が公開された。

同じ頃、小津監督も名作を作り続けていたが、残念ながら成瀬巳喜男監督はまだ戦後の名作群を作っていない。戦前の名匠も鬱々として楽しまない日々が続いていたのか、その頃「ヤルセナキオ」と呼ばれた。先日、亡くなった淡島千景さんも当時は、宝塚の人気スターとして活躍中だ。そして、成瀬が淡島千景を主演に作品を撮るのは十数年後のことだった。

●映画の世界で半世紀以上生きてきた女優としての歴史

人気作家だった獅子文六の新聞連載小説を渋谷実が監督した「てんやわんや」(1950年)で松竹からデビューしたとき、淡島千景はすでに二十代も半ばを過ぎていた。しかし、その鮮烈なデビューぶりは有名だ。冒頭、セパレーツの水着を身に着け、ビルの屋上で日光浴をしているのである。彼女は、戦後の女性像を作った。明るく、活動的で、ドライ(死語ですね)なアプレガールである。

しかし、僕が記憶している最初の淡島千景は、NHK大河ドラマ第一作目「花の生涯」(1963年)のたか女である。人気作家だった舟橋聖一の原作で、井伊直弼を尾上松緑、その参謀役になる長野主膳を佐田啓二(中井貴一のお父さん)が演じ、ふたりの男に愛される村山たかを淡島千景が演じた。それは映画版「花の生涯」(1953年)のたか女を気に入った原作者が強く推薦したからだった。

「花の生涯」が放映されていたときに公開になったのが、谷崎潤一郎原作の「台所太平記」(1963年)だ。これは谷崎家に勤めた女中さんたちを描いたもので、文豪役を森繁久爾が演じ、その妻の役が淡島千景だった。「花の生涯」のたか女はもちろん着物しか身に付けないが、この映画でもずっと和服姿だった気がする。僕にとって淡島千景は、和服の似合う女優だった。

僕も初期の「本日休診」(1952年)などは見ているが、淡島千景という女優に関しては着物姿の年上の女というイメージが強い。森繁久爾と共演した代表作「夫婦善哉」(1955年)でも、ずっと着物姿だったと思う。元芸者の役だし、時代設定から言って不思議ではない。セパレーツの水着姿のアプレガール役という方が、僕には想像できなかった。

だからだろうか、小津安二郎監督の「早春」(1956年)で洋装のサラリーマンの奥さん役で出てきたときには、ひどく新鮮な感じがした。主人公の池部良が演じるのは、蒲田から丸の内に通っているサラリーマンである。その妻が淡島千景だった。結婚して八年、子供もいない夫婦の間にはすきま風が吹いている。いわゆる倦怠期である。

池部良には、通勤電車の中で知り合った遊び仲間がいる。須賀不二夫や高橋貞二などだ。会社が終わると麻雀をしたり、休日にはみんなでハイキングに出かけたりする。その仲間のひとりにキンギョと呼ばれる、岸恵子が演じるOL(当時はそんな言葉はなくて、女事務員か?)がいる。ちょっと不良っぽいところがあり、ある日、池部良は岸恵子と深い仲になる。

池部良とキンギョの仲が、妻である淡島千景に知られる。妻は家を出て、友人のところに寄宿する。夫は苦悩し、キンギョと別れ、生活を変えるために地方転勤の話を受ける。ある日、地方の旧家に下宿している池部良が帰ると、二階の部屋から何も言わず妻が姿を現す。このシーンの淡島千景の表情が忘れられない。再び夫と一緒に生きていこうと決めた穏やかな顔をしている。

●明るく振る舞う中に浮かび上がる哀しみや切なさ

「夫婦善哉」もそうだが、女にだらしなく甲斐性もない夫を許し、暖かく包み込む優しさが淡島千景が演じる女性像にはあった。勝ち気で、気っぷがよく、啖呵を切るように早口で喋る、頼りがいのある女性像。しかし、一方で、だらしないところもある女という印象がある。そのだらしなさの中から、彼女が抱えた哀しみや切なさが浮かび上がってくる。

「もず」(1961年)という映画がある。淡島千景は、有馬稲子の母親を演じている。しかし、実際には淡島千景は有馬稲子より八年早く生まれただけだ。このとき、淡島千景は、まだ四十にもなっていなかった。それでも、結婚に失敗して上京してきた二十年ぶりに会う娘(有馬稲子)に戸惑う母親を演じて味わいがあった。

「もず」は、彼女がデビューした「てんやわんや」と同じ渋谷実監督である。小津安二郎や木下恵介ばかりが騒がれるが、松竹には同時期に渋谷実監督もいたのだ。渋谷実作品は軽妙なコメディという印象があるけれど、「もず」はシリアスな作品で、母と娘の複雑な葛藤を描いている。娘に嫉妬する母親を演じた淡島千景が印象に残る作品だ。

僕は昔から憂いを秘めた泣き顔の女優(松原智恵子とか酒井和歌子)が好きで、有馬稲子はその代表格である。しかし、憂いや哀しみを湛えた泣き顔ではなく、どちらかというと暗さばかりが目立つ印象がある。小津安二郎監督の「東京暮色」(1957年)では妊娠して自殺する役だったこともあるが、終始、暗い表情ですぐにも泣き出しそうだった。

「もず」でも、有馬稲子の表情は暗い。二十年ぶりに別れていた母親を訪ねるが、母親は料理屋の仲居(酌婦という言葉が似合う)として長年暮らしていて、その世界にどっぷりと浸かっている。その夜、母親のなじみ客(永井智雄)がやってきて、その客と座敷で二人きりになった母親をうかがう有馬稲子の表情は本当に暗い。世の中の不幸をすべて背負った顔をしている。

逆に、久しぶりに店にきたなじみ客に嬌声をあげて甘える淡島千景のだらしなさと、その姿態からにじみ出る悲しみが忘れられない。淡島千景は明るい(あるいは明るく振る舞う)役が多かったが、それとは裏腹なさみしさをにじみ出す。「もず」でも男に媚態を示しながら、一方で娘の目を気にする。そこに人生の深い味わいが漂うのだ。

●成瀬巳喜男と淡島千景が作った昭和33年の厚木の話

さて、戦前、松竹からPCLに移り評価の高い作品を作った成瀬巳喜男監督は、戦後も五年を過ぎた頃から活発に作品を発表する。1945年から1949年までは年に一作だったが、1950年(昭和25年)には四作品、翌年には「銀座化粧」「舞姫」「めし」と名作が続いた。「笑い三年、泣き三月。」の登場人物たちがそれぞれの道を歩き始めた頃である。戦後も落ち着いてきたのだろう。

その後、朝鮮戦争によって日本は好景気になる。そんなことも、もしかしたら影響しているのだろうか。その後の数年間に成瀬巳喜男監督は十数本の作品を作り、すべてが成瀬調の名作傑作ばかりである。制作本数が落ち着くのは、1957年(昭和32年)からだ。この後、ほぼ年一本のペースが数年続く。そして、1958年に公開されたのが淡島千景主演の「鰯雲」だった。

1958年(昭和33年)は、「ALWAYS 三丁目の夕日」(2005年)が舞台に選択した時代だ。その年は、日本が国連安保理事会の非常任理事国になったニュースから始まった。国民の多くが国際社会への復帰を実感したことだろう。同じ1月1日、「東京通信工業」は社名を「ソニー」に変更した。

2月には日劇で第一回「ウエスタン・カーニバル」が開催され、女性ファンが熱狂し失神者が出る。KRTテレビ(現在のTBS)で「月光仮面」の放映が始まり、4月からの売春禁止法の実施に向け赤線業者の転業や廃業が始まった。3月には関門トンネルが開通し、東京では国立競技場が落成式を行った。

4月、長嶋茂雄が巨人軍選手としてデビューし、金田正一投手によって4打席4三振に仕留められた。NHKは「事件記者」と「バス通り裏」の放映を始め、南極観測船「宗谷」が帰還した。6月、阿蘇山が噴火し、7月には横井英樹が狙撃され、安藤組組長の安藤昇が逃亡生活に入った。そして、12月23日、東京タワーの落成式が行われ、翌日、数え切れない人々が展望台をめざして列を作った。

そんな年だったが、まだまだ戦争が与えた傷は深かった。「鰯雲」の中で、淡島千景は東京近郊の農家の戦争未亡人を演じている。短い結婚生活で長男を生むが夫は戦死し、戦後の農地改革を経て少なくなった農地を女手ひとつで支え、姑にイヤミを言われながら戦後を生きている。そんな彼女のところに新聞記者が農家の生活を取材にきているシーンから映画は始まる。

記者を演じるのは、「七人の侍」や「野良犬」など黒澤明作品でおなじみの木村功だ。彼は農家の主婦だがテキパキと受け答えする、女学校出の元地主の娘である淡島千景に好意を持つ。木村功は自転車で取材に来ていたのだがパンクしてしまい、淡島千景の自転車で町まで送ってもらうことになる。木村功を後ろに乗せて農道を力強く自転車を走らせる淡島千景がたくましい。

農道の周囲は、見渡す限りの田園風景だ。高い建物など何もない。一体、どこの田舎だと思っていたが、淡島千景の自転車が着いた場所は、ある新聞社の「厚木通信部」と看板が下がった事務所である。「厚木かい」と、思わず僕は口にした。今では都内へ通勤する人々が暮らす町である。昭和33年、あんな田園風景が広がっていたのだ。

この映画でも、淡島千景は洋装になることはない。普段は和服姿であり、農地を耕したり田植えをするときはもんぺ姿である。厚木だと思って見ると、田植風景のシーンで奥を走り抜けるのは確かに小田急電車である。ロマンスカーらしき電車も写っているが、四両編成である。テッチャンたちにとっては、貴重な資料映像なのかもしれない。

●古い映画を現在の視点で見るのは仕方がないこと

「鰯雲」は戦後の農村の様々な問題を描いていて、なるほど当時はそれが大問題だったんだろうなあ、と歴史的感慨を伴って見てしまう。戦前の地主の家から嫁いだ淡島千景は姑問題を抱え、本家を継いだ兄(中村雁治郎)は戦後の新憲法や農地改革に戸惑う。その長男(小林桂樹)は嫁取り問題があり、商業学校を出て厚木で銀行に勤める次男(太刀川洋一)は従姉妹(水野久美)と深い関係になり、三男(大塚国夫)は東京で自動車修理工の学校へ通うと言い出す。

そんな五十年以上前の作品に、改めて映像の力を感じた。淡島千景は四十歳の姿を留めているし、厚木駅は木造の駅である。厚木駅前には小さな食堂がポツンとあるだけだ。しかし、登場人物たちにとって「町」と言えば、厚木なのである。そこで小料理屋を営んでいるのが淡島千景の女学校時代の同級生(新珠三千代)であり、彼女のパトロンは儲かるらしいと聞いて自動車教習所を開こうとしている。

僕の世代だと、そんな時代の雰囲気をまだ受容できるし、ある意味では懐かしい風景なのだが、若い人が見るとこの映画はどんな風に見えるのだろう。僕が明治の頃の記録映像を見るような感じなのだろうか。それでも、ノスタルジーを掻きたてるように美化され再現された「ALWAYS 三丁目の夕日」の光景とは違って、実際の光景を見ることができるのだ。貴重だと思う。

最後は、東京本社に転勤になった木村功を見送るシーンだ。わびしい田舎駅のホームで、小林桂樹と嫁(司葉子)が「どうしたのかしら?」などと言っている。淡島千景がこないのをいぶかしんでいるのだ。カットが変わると淡島千景は、ひとりで田植えを終えた田んぼで農作業を黙々とこなしている。男への想いを断ち切るような表情がせつない。それほど当時の厚木と東京は遠かったのだろう。

「鰯雲」の世界は、すでに歴史の領域に入っている。そこには厚木付近の農家の当時の深刻な問題が描かれているけれど、今の僕は彼らが農地を宅地として売り、土地成金になったことを知っている。いくら、昔気質の中村雁治郎が土地を売る悲しさを演じても、一方で「もう少しして宅地ブームになれば、いい目に遭うから」とツッコミを入れている己がいる。

古い映画を見るときに、どうしても現在の目で見ることになるのは仕方がない。日本がどう復興し、厚木がどう発展するのか、僕たちは知っているし、中村雁治郎や杉村春子、小林桂樹がいくつまで生きたか、そして淡島千景が2012年2月16日に87歳で死ぬこともわかっている。それでも、物語に浸れるのは、その作品がすぐれている証左だと思う。

ところで、「笑い三年、泣き三月。」のように現在の作家が昔を書くと、どこかにその視点(歴史の結果を知っていること)が入ってしまうのも仕方がないことだ。登場人物は何が起こるかわからないが、作者も読者も知っている。逆に、作家はそれを利用する。たとえば、登場人物が昭和20年8月6日のヒロシマにいる設定の物語が、過去、数え切れないほど描かれてきたように...。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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