映画と夜と音楽と...[539]一攫千金を狙う男たちの夢の跡
── 十河 進 ──

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〈ゴールドフィンガー/黄金の七人/ダイ・ハード3/縛り首の木/ペンチャー・ワゴン/ペイルライダー/黄金/現金に体を張れ/地下室のメロディー〉

●瀬戸内の直島製錬所では金塊を作っているらしい

朝日新聞GLOBEで「金の魅力と魔力」という特集を組んでいた。その中に「瀬戸内での金塊づくり」というタイトルの記事があったので読んでみると、「現代アートの島」として知られるようになった香川県の直島に、金塊を製錬する工場があるという内容だった。直島製錬所は鉛の製錬工場だと僕は思っていたが、今では金塊を作っているらしい。

僕が子供の頃、直島は禿げ山で有名だった。鉛害のせいだと囁かれていた。その頃、公害という言葉もなく、僕が小学校へ通う道沿いに流れる川は製紙工場の排水で濁り異様な色をしていたし、直島は製錬所が吐き出す煙で禿げ山になったのだと言われていた。四日市喘息や水俣病などの公害病、行徳の漁師たちが騒ぎ始めた中川上流の製紙工場が新聞ダネになるのは、それから何年も後のことである。

今はなくなったが、岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ国鉄宇高連絡船に乗り、宇野を離れるとすぐに直島が見える。圧倒的に岡山県の方が近いのに、そこが香川県だという理由が僕にはよくわからなかった。高松の築港桟橋から船で20分足らずの女木島、そこから少し岡山寄りの男木島は香川県で納得できたが、小豆島や直島が香川県だと言われてもピンとこなかった。

宇高連絡船は、宇野・高松間がちょうど一時間かかった。東京から高松に帰るとき、岡山で新幹線を降り宇野線に乗り換える。倉敷の近くを通り宇野に着く。連絡船が接続しているので、乗客はさっさと船に乗り込む。僕はいつもそのままデッキへいき、ベンチに荷物を置いてうどんの売店に並んだ。しかし、どんなに急いでいっても、一番乗りしたことはない。少なくても、すでに数人の客が並んでいた。




椎名誠さんもエッセイで書いていたけれど、宇高連絡船のデッキで食べる讃岐うどんは本当においしかった。季節のよい時期で晴れている昼間なら海風に吹かれながら、薄いナルト巻きのようなカマボコが一切れ浮いているだけのシンプルなかけうどんをすすった。「故郷に帰ってきた」気分になった。その頃には連絡船は宇野桟橋を離れ、高松に向かって少し進んでいる。ちょうど直島が見えてくる。

直島はそんな風に連絡船から何度も眺めたが、上陸したのは一度きりである。小学六年生のときの臨海学校が最初で最後の直島体験だ。二泊三日だったろうか、泊まったのは直島小学校の教室だった。男女一緒でドキドキした。好きな子がいたからだ。昼間は海で水泳の練習である。クラスの中で泳げない男子が数人いたが、僕もそのひとりだった。その夏の担任教師の特訓で、僕は少しだけ泳げるようになった。

最近になって直島が「現代アートの島」として有名になり、瀬戸内アートツアーの中心地になっていると聞き、一度、帰郷したときにまわってみようと思っているが未だに果たせない。瀬戸大橋の坂出側橋梁そばにある、東山魁夷せとうち美術館にいっただけだ。イサム・ノグチ庭園美術館はカミサンの実家からすぐなのに、予約が必要と聞いたので一度もいっていない。

直島を「現代アートの島」として世界的にアピールしようと、あの007シリーズのロケ地に立候補しているというニュースを数年前に耳にした。六代目ジェイムズ・ボンドとして、ダニエル・クレイグが登場した頃のことだ。実現したら面白いだろうな、と僕は思った。直島の金塊製錬所を狙う悪者とボンドの闘いという設定はいかがだろうか。

●最近の犯罪映画は経済用語ばかりが跋扈する

朝日新聞の記事にも出ていたが、今や金塊そのものを狙うというより、金の先物相場など世界的な経済状況をコントロールして、利ざやで莫大な資金を得ようとする方が現代的なのかもしれない。ヘッジファンド、ケイマン諸島、先物取引、ウンヌンカンヌン...、最近の犯罪映画は経済用語ばかりが跋扈する。莫大な資金があれば、金融操作で稼ぐのが効率的なのかもしれない。

考えてみれば007シリーズ三作目「ゴールドフィンガー」(1964年)など、現在から見れば牧歌的な犯罪計画だった。もっとも、金を偏愛するゴールドフィンガーはアメリカのフォートノックスで原爆を爆破させ、アメリカが保有する大量の金塊を放射能で汚染し、世界の金の価格を吊り上げようとしたのだから、現代の経済犯と似たような発想である。

当時のショーン・コネリーは30代前半で男っぽかったが、中学生の僕らの間では「あいつ、カツラらしいぞ」という噂が広まっていた。「ドクター・ノオ」(1962年)「危機一発(ロシアより愛をこめて)」(1963年)に続く三作目、「ゴールドフィンガー」は公開前から大評判になっていた。裸身に金粉を塗られてベッドに横たわる、金髪女性の看板が中学生の下半身を刺激した。

同じ頃に公開された金塊そのものを狙った映画は、「黄金の七人」(1965年)である。スイス銀行の金庫に保管されている7トンの金塊を盗み出す「泥棒映画」の傑作だ。直島で製錬される金塊は年間約40トン、現在一キロが約400万円相当だそうだから、7トンだと280億円になる。当時の時価ではいくらになるのかはわからないが、莫大な金額であるのは間違いない。

「黄金の七人」は、公開当時、大評判になった。映画雑誌でも大きく取り上げていたので、僕は高松で封切られるのを待ち望んだ。フィリップ・ルロワという細縁の眼鏡をかけたインテリ顔の俳優は知らなかったが、ボブカット風の髪に派手なメイクをしたロッサナ・ポデスタの露出の多いポスターが、やはり中学生の下半身を刺激した。

余談だが、当時はイタリアのセクシー女優たちの全盛期だった。大柄すぎて僕は苦手だったけれどソフィア・ローレンを筆頭に、クラウディア・カルディナーレ、ジーナ・ロロブリジーダ、シルヴァ・コシナ、ロッサナ・ポデスタといった女優たちがいた。みんな、ハリウッド映画に出演し、世界的にファンを獲得した。ロッサナ・ポデスタは、ロバート・ワイズ監督の「トロイのヘレン」(1955年)で人気が出た。

「黄金の七人」はホテルの部屋に陣取った教授と呼ばれる男(フィリップ・ルロワ)が実行部隊の男たちに指令を出し、着々と計画が進められていくところに面白さがあった。教授が連れている女がロッサナ・ポデスタで、肌を見せる衣装ばかり着て色気部門を担当した。46年前に一度見ただけだが、犯罪映画の王道をいく作品だった。大量の金塊を盗み出すのにベルトコンベアを使っていたはずだ。

●ニューヨーク連邦準備銀行の地下金庫には7000トンの金塊が...

「黄金の七人」の記憶が甦ったのは、「ダイ・ハード3」(1995年)を見ていたときである。ファーストシーン、ラブィン・スプーンフルの「サマー・イン・ザ・シティ」が流れて「おっ」と懐かしんだ瞬間、夏のニューヨークのデパートで爆発が起きる。観客を鷲づかみにするハリウッド流の幕開きだ。こんな仕掛けばかり考えているスタッフがいるんだろうなあ、と僕は感心した。

そういう脚本部のスタッフが何人もで知恵を絞ったのだろう、「ダイ・ハード3」のストーリーはどんでん返しに次ぐどんでん返しである。まず、ジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)が犯人に指名され、ハーレムの真ん中で「黒人が嫌いだ」と書いた看板を体の前後に提げさせられる。それを見て止めようとした商店主(サミュエル・L・ジャクソン)が事件に巻き込まれる。

犯人はニューヨーク中に爆弾を仕掛けたと通告し、なぞなぞのようなヒントをふたりに与える。ジョンと商店主は、ヒントを元にニューヨーク中を走りまわされる。サスペンスを盛り上げるために、「○時までに××しないと爆発する」というタイムリミットが設定されるのは定石通りである。車が疾走し、地下鉄が暴走する。そんなシーンが何度も繰り返され、ふたりの掛け合いで笑わせながら手に汗握るシーンが続く。

ストーリーを明かしてしまうと未見の人の楽しみを奪うので詳しくは書かないが、この映画で僕は初めてニューヨーク連邦準備銀行の外観を見た。内部の撮影はセットだとしても、入口のセキュリティシステムなどは本物と同じにしているのだろう。地下金庫が現実の金庫と同じかどうかはわからない。ハリウッド映画を国の誇りにしているアメリカだから、特別に許可してセット・デザイナーに見学させたのかもしれない。

朝日新聞によると、「ニューヨーク連邦準備銀行の地下金庫には7000トンの金塊が眠る。入り口の壁には『金の魅力には抗しがたい』との言葉が刻まれている」そうだが、それも映ったのだろうか。記憶にない。ニューヨーク連邦準備銀行のシーンでは狭いエレベータの中での撃ち合いと、敵方のボス(ジェレミー・アイアンズ)に忠実な女殺し屋の不気味さが印象に残った。

日本は、金の輸出国である。朝日新聞の記事によると、昨年の金の輸出量は123トンだという。「いま政府・日銀の保有する金は、米ニューヨーク連邦準備銀行や東京の日銀本店の地下金庫にある。公開はされておらず、日銀職員でさえも『目撃』した人は少ない」らしい。東京で貴金属店が密集し金の売買が集中するのは、御徒町近辺だ。山手線に乗っていると「貴金属買い取ります」という看板がやたらに目立つので、以前から気になっていた。

●金鉱石1トンあたり金は平均14グラムしか含まれていない

金を取り出すには手間がかかる。金鉱で金の成分を含む鉱石を採掘し、そこから金を抽出する。金鉱石1トンあたり平均14グラムしか含まれていないという。だから、鉱石そのものは金色ではない。現在、金を抽出するには破砕機で微粒にしたものを、遠心分離器や薬品を使って選別するという。昔はどうやっていたのだろうか。日本には佐渡の金山があり、400年近くにわたって採掘されていた。

アメリカには、「ゴールドラッシュ」という言葉がある。西部劇を見て覚えた。アメリカン・フットボールの人気チームに、スーパースターのジョー・モンタナがいた「サンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)」がある。あのチーム名はゴールドラッシュに湧いた1849年、一攫千金を夢見てカリフォルニアにやってきた人たちをそう呼んだことに由来している。

ゴールドラッシュ時代を背景にした西部劇はいくつもある。「縛り首の木」(1959年)という映画は、ゲイリー・クーパーが演じる流れ者の医者を主人公にした異色の西部劇だった。冒頭、彼がやってくるのはゴールドラッシュに湧く新興の町だ。金を求めて男たちが集まり、町ができる。金が掘り尽くされれば人々は去り、町は廃れる。主人公の医者は、そうやって町から町へさすらっている。

ゴールドラッシュ時代をミュージカルで描いたのは、「ペンチャー・ワゴン」(1969年)だった。金鉱探しに集まるのは男ばかり。その男たちのために、町には酒場ができ売春宿ができる。女性が圧倒的に不足していたのは間違いないが、「ペンチャー・ワゴン」は夫をふたり持つ女性の物語である。リー・マーヴィンとクリント・イーストウッドを夫にするのは、ジーン・セバーグである。

「ペンチャー・ワゴン」はブロードウェイ・ミュージカルを映画化した西部劇なのだが、大がかりなセットを派手に破壊してくれる割には映画としては少し物足りない。ただし、カリフォルニアのゴールドラッシュは、こんな感じだったのだろうと想像できた。どんな風に男たちが集まり、どんな風に女たちがやってきたか、町がどのようにできていったか、実感できたのである。

●黄金であっても札束であっても「サム・マネー」で充分ではないか

現実のフォーティーナイナーズはこんなものだったのかも...と思わせるのは、クリント・イーストウッド監督主演作「ペイルライダー」(1985年)である。映画はいきなり、10数人の男たちが馬を疾駆させているシーンから始まる。蹄の音、男たちの息遣いが聞こえる。異様なことが始まる予兆がする。川で砂金を探している男たちが、近づいてくる蹄の音に立ち上がる。不審げな表情で、何かが起こることを予感して身構える。

馬を駆る男たちは、スピードを緩めない。岩山を駆け抜け、草原を疾駆する。砂金堀りたちの集落が見えてくる。粗末な丸太小屋が散財する。中にはテントで暮らす人たちもいる。彼らは金を求めて移動するから、テント住まいの方が便利なのだろう。馬を駆る男たちは、砂金堀りの集落に突き進み、空に向けて拳銃を撃ち威嚇する。テントを引き倒し、洗濯物を蹴散らす。家畜を殺し、少女の小犬まで撃ち殺す。

男たちが去り、砂金掘りの人々が呆然と立ちすくんでいる。少女が小犬を抱いて森に入り、墓を作るシーンが続く。その墓に向かって祈る言葉が悲しい。彼女は神に祈り、救いを求める。「一度でいいですから奇跡を...」と願う。そのシーンに重なるように、少女の祈りに呼応するように、山脈の彼方から馬に乗ったひとりの男が姿を現す。

「ペイルライダー」は高圧で噴き出す水を金鉱に吹き付け、大量に金を採取しようとする町のボスと、川の水をザルで丹念に掬って砂金を探す砂金掘りたちの対立を中心にした作品だ。ボスは砂金掘りたちを追い出すために、部下に集落を襲わせる。町に買い物にきた砂金掘りにも、彼らは嫌がらせをする。砂金掘りを救うのは、蒼ざめた馬に乗る男(クリント・イーストウッド)である。

「ペイルライダー」で気になったのは、ボスの側が実行している大仕掛けな金の採掘法だ。高いところから細いパイプに大量の水を送り込み、対面の山肌に凄い勢いで水を浴びせ続け、それで金を取り出そうとしている。おそらく金鉱石を掘り出すのではなく、その水を大量に掬い砂金を抽出するのだろうと僕は理解した。しかし、あれで金が採取できるのだろうか。

●黄金は人々を魅了し狂わせる魅力と魔力を持っている

ハンフリー・ボガートの代表作に、ズバリ「黄金」(1948年)というタイトルの映画がある。原題は「シェラマドレの財宝」だが、映画会社が「黄金」と邦題をつけたのはよくわかる。黄金は人々を魅了し、欲に狂わせ、やがて虚しさを教えてくれる。象徴的なタイトルだ。監督のジョン・ヒューストンはデビュー作「マルタの鷹」(1941年)でも財宝を巡る人間たちの欲望を描いたが、「黄金」はさらにそのテーマを突き詰めている。

メキシコに流れつき落ちぶれて浮浪者のように暮らしていた男ドブス(ハンフリー・ボガート)は、シェラマドレ山脈にある金鉱の話を聞きつけ、仲間たちと山に登る。もちろん、男たちは黄金を見付ける。革袋に砂金を詰める男たち。どん底の人生から、一攫千金の夢を実現したのだ。それだけの黄金があれば、(古い言い方だけど)栄耀栄華は思うままである。

しかし、人間の欲望は果てしない。富を得れば、さらに富が欲しくなる。彼らは互いに疑心暗鬼になる。相手がいつ自分を殺し砂金を奪うか、心配で夜も眠れない。こういう心理的な演技をさせたら、ハンフリー・ボガートはうまい。「孤独な場所で」(1950年)ではカッとなったら何をするかわからない性格のシナリオライターを演じ、「ケイン号の叛乱」(1954年)では偏執狂の艦長を演じた。そんな演技の原点は、この「黄金」にある。

疑心暗鬼にとらわれ、目つきが変わるボギーは本当に怖い。だが、彼も自滅する。ラストシーン、シェラマドレの荒野に風で砂煙のように吹き飛ばされる砂金は、人間たちの愚かさを象徴している。欲に駆られ、争い、殺し合い、黄金を独り占めにしても、結局は虚しさが残るだけだ。「ライムライト」(1952年)でチャップリンが言ったように、僕たちの人生には「勇気」と「想像力」、そして「サム・マネー(いくらかのお金)」があれば充分だと思う。

ちなみに、競馬場の売上金を強奪する犯罪映画の傑作「現金に体を張れ」(1956年)のラストシーンでは、空港の荷物運搬車から大きなバッグが落ちて蓋が開き、札束が突風に舞い上がる。ジャン・ギャバンとアラン・ドロン共演の「地下室のメロディー」(1963年)のラストシーンでは、カジノの売上金を強奪したもののプールの底に隠したバッグの口が開き、プール一面に札束が浮かぶ。それらの原点は「黄金」に違いない。一攫千金を狙った男たちの夢の跡...を象徴するシーンである。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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