映画と夜と音楽と...[551]売れない作家たちの見果てぬ夢
── 十河 進 ──

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〈大いなる野望/アビエイター/ネバダ・スミス/ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男〉

●スキャンダラスな物語を次々に繰り広げていけば一丁上がり?

ハロルド・ロビンズというベストセラー作家がいた。60年代に活躍し、凄い部数を売った。70年代にベストセラー作家になったシドニィ・シェルドンほどは売れなかったが似たような作風で、アメリカにおいてベストセラー作家になるにはどんな小説(メロドラマ)を書けばいいのか、最初に僕に教えてくれたのがハロルド・ロビンズだった。

華やかなセレブリティたちの世界を舞台にセックスと権力を描き、スキャンダラスな物語をあざといほど次々に繰り広げていけば一丁上がりなのだが、そんな通俗的な小説だってもちろん簡単には書けない。昔、「ダラス」というソープオペラがあったけれど、一般大衆が想像する金持ちたちの世界のイメージを裏切らず、なおかつ興味を持たせ続けるのは、それなりに高度な職人的テクニックが必要なのだ。

早川書房から出ていた頃のシドニィ・シェルドンはよく読んでいたが、あるとき新作「天使の怒り」を読んで、あまりのあざとさに僕は驚いた。ヒロインは駆け出しの女性検事として登場するものの、彼女のミスでマフィアの大物を有罪にできなくなる。失職したヒロインはダウンタウンのうらぶれた弁護士事務所に職を得るのだが、苦境に陥った彼女に救いの手をさしのべてくれたエリートの男と恋に落ちる。

一方、彼女のミスで有罪を免れたマフィアの大物はファミリーのトップの座につき、有能な弁護士として活躍していたヒロインを組織に引き抜き愛人にする。やがて、ヒロインのかつての恋人は大統領候補となり、次期大統領と目される。彼が大統領になるのを阻止しようと、マフィアのボスは暗殺を企てる。ヒロインは、かつての恋人とマフィアのボスとの板挟みになる。

なんと凄いメロドラマだと僕は思ったが、「天使の怒り」を途中でやめることはできなかった。分厚いハードカバー二段組みの本を僕はひと晩で読み切った。もちろん徹夜である。あの頃、シドニィ・シェルドンの新作は、休日の前夜にしか手を出してはいけない禁断の書だったのだ。ハロルド・ロビンズは、そのシェルドン先生より前に同じようなベストセラー小説を書いていたのである。




ハロルド・ロビンズという名前を初めて知ったのは、「大いなる野望」(1964年)の原作者としてであった。「大いなる野望」は、「ティファニーで朝食を」(1961年)でオードリー・ヘップバーンの相手役をつとめて人気が出たジョージ・ペパードの主演作である。当時、ハリウッドを代表する二枚目スターだったジョージ・ペパードを、ハロルド・ロビンズのベストセラー小説の主役に据えたのである。

監督はエドワード・ドミトリク、音楽をエルマー・バーンスタインが担当している。少し老けたアラン・ラッドを脇に配置し、キャロル・ベイカー、エリザベス・アシュレイといった女優たちが出ている。僕の大好きな性格俳優マーティン・バルサムも出ていて大作の風格である。日本公開当時、スキャンダラスな意味で話題になった映画だ。

なぜ、スキャンダラスだったかというと、謎の大富豪ハワード・ヒューズをモデルにしているというウリだったからである。原作小説がハワード・ヒューズに訴えられているという話も聞こえてきた。しかし、そのことによってかえって話題になり、さらに売れ行きが伸びた。訴えるくらいだからヒューズの実像に近いのではないかという憶測が、大衆の好奇心を煽ったのである。

●伝説の大富豪ハワード・ヒューズは様々な映画になった

ハワード・ヒューズと言えば、18歳で莫大な利益を上げる石油事業を相続し、航空業界や映画業界に進出し、自ら映画を制作してジーン・ハーロウなど多くのハリウッド女優と浮き名を流し、自ら飛行機を操縦して当時の飛行記録を次々に塗り替えた事業家である。操縦する飛行機が墜落して大けがを負い、それが原因だったのか身体と神経を病んで引きこもり、誰にも会わない謎の大富豪になった。

「大いなる野望」が公開された頃、すでにハワード・ヒューズは伝説の存在だった。実際には、それから10年以上生存していたのだが、まったく誰とも会わず、人との接触を断ち、自ら買収したラスベガスのホテルの最上階に籠もって暮らした。当時、僕はハワード・ヒューズが映画会社RKOのオーナーだったことを知り、「『キング・コング』を作った会社だな」と思った。

マーチン・スコセッシが監督しレオナルド・ディカプリオがハワード・ヒューズを演じた「アビエイター」(2004年)が日本で公開されたのは7年前のことになる。ヒューズの死から30年近くになり、いろいろな事実もわかったのだろう、本人の人生に近い物語になっている。もっとも、キャサリン・ヘップバーンとあんなに親密だったとは僕は知らなかった。

スキャンダラスな「アビエイター」に比べれば、昔の作品のせいか「大いなる野望」は意外とおとなしい純情ドラマだった。主人公がハリウッドのセックス・シンボルと言われる女優(モデルはジーン・ハーロウ)と乱痴気パーティーで羽目を外すシーンなどはあったけれど、彼のそばにいつもいる父親の友人ネバダ・スミスが主人公を正しい道に導き主人公も最後は改心する。

アラン・ラッドが演じた金髪をオールバックにした中年紳士ネバダ・スミスは、「大いなる野望」でよほど強い印象を残したのか、彼が映画の中で語った前半生を具体的な物語にすることになった。今で言うスピンオフだ。「大いなる野望」の主人公の父親と出会う以前の「ネバダ・スミス」(1966年)の波瀾万丈の人生が映画化された。原作は、ハロルド・ロビンズとクレジットされている。

もっとも映画の企画が先行し、できあがったシノプシスあるいはシナリオを元にハロルド・ロビンズが小説にしたのかもしれない。いわゆるノヴェライゼーションである。重厚な冒険小説を書いていたアリステア・マクリーンが「ナヴァロンの要塞」(1961年)が映画化されて大ヒットした結果、映画化の企画が先行するシナリオのような作品ばかりになり、次第に読者を失ったのと同じ道をハロルド・ロビンズも辿ることになった。

同じように今では作品を見ることもなくなったが、シドニィ・シェルドンは逆の道を辿った。彼はハリウッドの売れっ子シナリオライターだったのだが、50歳を過ぎたとき「裸の顔」というミステリを上梓し高い評価を得た。次作の「真夜中の向う側」が大ベストセラーになって映画化され、以降はハーレクイン・ロマンスのような波瀾万丈のヒロイン小説を立て続けに出版する。

日本でシドニィ・シェルドンが一般的に名前が知られるようになったのは、英会話レッスンの教材会社が彼の小説を出版し始めたからである。早川書房から出ていた作品はタイトルが変わり、作者の表記も変わった。「翻訳」ではなく、意訳の意味を込めたのだろう「超訳」という言葉が使われた。しかし、ベストセラー作家の宿命なのか、あれほど本屋に並んでいた作品も現在では入手するのは困難だ。

●事実に基づく「ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男」

作家であれば、ベストセラーを出したいと夢見るのは当然だ。ベストセラー作家ディーン・R・クーンツが「ベストセラー小説の書き方」という本を出している。本気で「ベストセラー小説を書きたい」と思っている人に向けた指南書であり、読むとアメリカの出版事情がよくわかる。1981年刊行だから少し古いのだけど、「ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男」(2006年)を見たとき、感覚的によくわかったのは、クーンツの本を読んでいたからかもしれない。

「ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男」は1971年のある日から始まる。大手出版社のマグロウヒル社が大騒ぎになっている。最上階から数階まで無人にして殺菌消毒し、屋上にヘリが着陸できるようにマークを描く。女性編集者が「いよいよ彼(ハワード・ヒューズ)がくるのね」と興奮気味だ。クリフォード・アーヴィング(リチャード・ギア)が指さすと、ヘリが見えてくる。「きたわ」と女性編集者が叫び、「4ヶ月前」というスーパーインポーズが入る。

4ヶ月前、クリフォード・アーヴィングがマグロウヒルの人間たちと話し合っている。その会話から彼があまり売れなかったノンフィクションを書いた作家であり、次作の小説の出版が決まったことがわかる。彼は高級車を購入し、画家の妻と前祝いをする。また、友人で執筆時のリサーチャー(調査担当)でもあるディック・サスキンドとハバナに旅行する。

しかし、「ライフ」誌での連載の話が流れ、版元のマグロウヒルが出版を取りやめる。アメリカでは出版社に長編小説が持ち込まれ(エージェントが持ち込むことが多い)出版を決めると、話題作りのために有名な雑誌に連載を持ちかけるのだ。クリフォードの小説は、その「ライフ」編集長に「フィリップ・ロスの三流コピー」と言われるのである。1971年、フィリップ・ロスは注目の若手作家だった。

クリフォードは「『ニューヨーカー』に持ちかけたらどうだ」と言うが、編集者は「出版はとりやめよ」と引導を渡す。このシーンで、最初、クリフォード・アーヴィングは「初版3万部じゃ少ないよ」と文句を言うのだが、やっぱり英語圏はマーケットが広いんだなあと僕は思った。日本じゃ売れない小説家の初版なんて、3000部がせいぜいだ。昔、司馬遼太郎の新作の初版が3万部と聞いて「さすが」と思ったものだった。村上春樹さんの初版はどれくらい刷るのだろう?

もうひとつ、日本の出版界と大きな違いがあるなと思ったのはアドバンスである。原稿ができる前から契約を結び、前渡し金を出すのである。それも10万ドルというレベルの大金だ。作家はその金で執筆し、できあがった作品は契約した出版社が独占的に出版する。だから、「ザ・ホークス ハワード・ヒューズを売った男」という映画が成立するのだ。この映画は実際の詐欺事件に基づいている。

自作の出版が中止になったクリフォード・アーヴィングは、謎の大富豪ハワード・ヒューズから自伝の執筆を依頼されたと嘘をつき、マグロウヒルに出版契約を持ちかける。クリフォードは公表されているヒューズの手紙を元に筆跡を真似て偽手紙を書き、出版社は専門家に筆跡鑑定を依頼し「本物」の判定が出る。彼の目論見は成功し、原稿が完成する前に10万ドルのアドバンスを手に入れる。

しかし、彼が偽のハワード・ヒューズの自伝を出版社に持ちかけたのは、決して金のためではなかった。自分の本を出し、それがベストセラーになるのを夢見たからだ。自分が書いた本を多くの読者が読んでくれること...、そのことを彼は願ったのである。共著者となるディックも自分で本を出す夢を抱いているし、具体的な出版の話もある。

しかし、彼らがペテンまがいのことを始めたのは、ハワード・ヒューズの自伝なら間違いなくベストセラーになるし、出版社も飛びつくからである。ディックが詳細なリサーチをし、クリフォードはまるでハワード・ヒューズが憑依したように口述をする。仕上がった原稿は、かつてハワード・ヒューズにインタビューしたことのあるジャーナリストに「本物だ。素晴らしい」と言わせる。売れない作家だが、クリフォードの作品への情熱は本物だった。

●「今後は『売れない作家』とは名乗れるかも...」と言ったとき

今年の2月のことだった。日本冒険小説協会の会長だった内藤陳さんが亡くなり、お別れの会が椿山荘で開催された。ゆかりのある作家たちが大勢参加していた。僕が一般受付に並んでいると、西村健さんに「作家受付」の方に手招きされた。僕は協会の特別賞をもらったので、協会の催しにいくといつも作家扱いされるが、何となく落ち着かない気分になる。

芳名帳に書いてあったすぐ前の名前は、逢坂剛さんだった。僕の署名の後に佐々木譲さんがきたらしく、会場で会ったとき佐々木譲さんから「ソゴーさんのサインがあったので、いらっしゃるかなと思いました」と言われた。大沢在昌さんにも挨拶したりしていたが、やがて北方謙三さんの献杯の挨拶があり、途中、作家たちが前に出て喋ることになった。

直木賞作家、ベストセラー作家が並んだ。僕は会場の隅にいて、その列には加わらなかった。顔見知りの会員の人が「ソゴーさん、並ばないの」と言うのだが、「あの顔ぶれと一緒には並べないでしょう」と苦笑した。しかし、作家関係の人たちの挨拶が続き、北方さんが何度か「作家の方、もういらっしゃいませんか」とマイクで繰り返した。

自分でも未練たらしい性格だと思うのだけれど、本当はその列に並びたかったのだ。北方謙三、大沢在昌、佐々木譲、逢坂剛、船戸与一、馳星周...などなど、名だたるベストセラー作家と並んで挨拶したと家に帰って自慢(?)したかった。だから、僕は何度めかに北方さんが「作家の方...」と言ったとき、つい前に出てしまったのである。「一応、映画の本で特別賞をいただいたもので...」と言い訳をしながら。

その後のことはよく覚えていない(きっと本能的に忘れたがっているのだ)が、最初に出ないと決めたのだから出なければよかったと後悔している。あの日以来、自分の未練がましい振る舞いを思い出すたびに、叫び声をあげて駆けまわりたくなる。それでも、3月末に最後の冒険小説協会全国大会が行われ、「作家挨拶」の一番手に名を呼ばれたときにも僕は立ち上がった。

もっとも、お別れの会のときの僕の逡巡を見ていた司会の芦野さんは、「作家挨拶なんですが...」と言葉を濁しながら僕を紹介した。その言葉を引き継ぐ形で「ここへくるといつも作家挨拶をさせられますが、俺は作家か...といつも思っています」と切り出した。「先日も文庫解説を書かせてもらったのですが、肩書きは『映画コラムニスト』にしてもらいました」と続けた。

それから、僕は2月に電子書籍でミステリを三編出したことを宣伝し、それが2週間で12ダウンロードしかされず、そのうち3ダウンロードは自分で落としたものだと話して笑いを取り、「まあ、しかし今後は『売れない作家』とは名乗れるかもしれません」と言ったところで、会場にいた大沢在昌さんから「俺に対するイヤミか〜」と突っ込みが入り、会場が沸いた。

●作家として認められるのは作品が認められること

大沢在昌さんは、自らもよく言うように「永久初版作家」と呼ばれていた。23歳で新人賞を受賞してデビューしたが、出版した本はいつも初版止まりだった。作家生活10年を経た20数冊めの作品「新宿鮫」でブレイクし、今や押しも押されもしないベストセラー作家になった。内藤陳さんも言っていたが「あれだけ書いているのに水準以下の作品がない」ほど、どの作品もクオリティを保っている。

何度も書いているけれど、僕が長編ミステリを書いてみようと思ったのは、大沢在昌さんと対談したときに「ソゴーさん、小説は書かないの」と言われたのがきっかけである。もちろん、若い頃から作家志望であったし、純文学系の新人賞に応募したりしていた。大学時代の同人誌仲間もそういう人間たちが多かった。だから「作家」と呼ばれることは、夢ではあったのだ。

しかし、作家とは作品を書くから作家なのであって、作家として認められるのは作品が認められることである。考えてみれば仕事の評価と肩書きがこれほど密接な職業もあまりない。自分で作家と名乗ることはできても、作品が評価されず売れなければ、「売れない作家」「三文作家」と侮蔑的あるいは揶揄的に呼ばれることを甘受しなければならない。もっとも、作家志望者を含め「売れない作家」の方が世の中には圧倒的に多い。

人は、小説を書きたいという情熱をいつ抱くのだろう。本が好きで本を読み続け、いつか自分も書いてみたいと夢を見る。だが、多くの人はそれだけで終わるし、中途半端に夢を叶えた人は、その後の「売れない作家」状態に傷つく。大沢さんがエッセイで書いているように「作家になるよりは、作家であり続けることの方が大変」なのである。

内藤陳さんのお別れの会で前に並んだ作家の中にも、今は書店で作品を見ることがほとんどなくなった方もいた。20年前には新刊が書店に平積みになっていた人である。僕も愛読した作家だった。作家にとっては作品が売れるか売れないか、だけが評価だ。ベストセラー作家だって、いつ「売れない作家」になるかわからない。ハロルド・ロビンズだって、シドニィ・シェルドンだって同じである。

クリフォード・アーヴィングは、偽の自伝ではなく調査して書いた「ハワード・ヒューズ伝」として出版すれば、詐欺犯として収監されることはなかっただろう。出来のよい評伝として売れたかもしれない。しかし、それでは莫大なアドバンスも得られなかったし、出版にこぎつけられたかどうかもわからない。誰だって「売れない作家」のままではいたくない。

映画は、クリフォード・アーヴィングとディックのその後を教えてくれる。出所後、クリフォードは書店で自著にサインするディックを見かける。彼は書きたかった子ども向けの本を出したのだ。多くの子どもたちが彼の前に並んでいる。ウィンドウ越しにディックとクリフォードは目を合わせる。ディックが微妙な表情で顔を伏せる。クリフォードは笑みを浮かべる。ディックの出版を祝っているのだ。

クリフォード自身は自らの詐欺事件の顛末を「ザ・ホークス」として出版し、映画化される。クリフォード・アーヴィングは、作家としての実績を残したのである。売れない作家たちが見続けてきた夢を、詐欺事件の主犯として告発され有罪になりながら実現したのである。それでも、彼はきっと満足だったに違いない。少なくとも作家としての夢は実現したのだから...

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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鬱というほどではないのだけれど、このところまた「ふさぎの虫」に取り付かれている。調子がよくない。原稿を書いていても、乗ってこない。困った。「何かいいことないか、仔猫チャン」と、トム・ジョーンズの歌を口ずさむ。

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< https://hon-to.jp/asp/ShowSeriesDetail.do;jsessionid=5B74240F5672207C2DF9991748732FCC?seriesId=B-MBJ-23510-8-1
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