映画と夜と音楽と...[563]40年後の名画座の前で......
── 十河 進 ──

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〈暗黒街の弾痕/復讐は俺に任せろ/赤い家〉

●年配の観客たちが熱心にスクリーンを見つめていた

上映が始まって、すでに30分近くが過ぎていた。「途中からは、入れませんよね」と念を押すと、受付の若い女性が「いいえ、どこからでも見られます。入替えなしですから...」と言う。受付横の階段を昇ると、奥と手前にドアがあった。手前のドアを開けて、静かに身を滑り込ませる。

土曜日の昼下がりである。それにしても、驚くほど観客がいた。一番後ろの通路の壁際に立ち目が暗闇になれるのを待っていると、黒々としていた人々の姿が次第にはっきり見えてくる。スクリーンが明るいシーンになり、館内の様子が明確にわかった。端っこの椅子はすべて埋まっていた。

中央の列は横に10席ほど、左右の列に4席ずつ並んでいる。それが10列ほどある(後で調べたら142席だという)。空席もあるが、映画を見ている人の前を横切らないと座れない。僕はドアの横に立ち、壁にもたれて立ち見をすることにした。フリッツ・ラング監督の「暗黒街の弾痕」(1937年)は90分ほどだ。一時間足らずで上映は終わる。

「暗黒街の弾痕」は、以前にも見ていた。ボニーとクライドは1935年5月23日に警官隊に射殺されたのだが、2年後に彼らをモデルにして作られた映画である。ユダヤ系であるフリッツ・ラング監督は、ナチス・ドイツを逃れてフランスに亡命しハリウッドに渡って数年目のことである。

ボニーとクライドというと、僕の世代はアーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」(1967年)を思い出す。あのせつなくも悲しいギャング映画を思うと、「暗黒街の弾痕」のどこがボニーとクライドなんだよと言いたくなるけれど、シルヴィア・シドニーとヘンリー・フォンダの夫婦がお尋ね者になり、強盗をくり返す後半を見ると確かにボニーとクライドだ。




そんなことを考えながら壁にもたれて立っていると、前から5列目の中央の席の端から人が立ち上がり、バタバタと大きな音を立てて階段を降り最前列に移動した。老女のような背中と動きだった。一瞬、その席に向かおうかと思ったが、階段を降りるときに、どうしても後ろの人の視界をさえぎることになる。自分がそれをやられたらイヤだなと思って諦めた。

その数分後、ひとりの若い男がドアを開けて入ってきた。壁際に僕が立っているのを見てギョッとしたようだったが、そのまま館内に入ってきて見渡すと身を屈めもせずスタスタと階段を降り、中央のど真ん中の席をめざし、坐っている数人の観客の前を「すいません」という感じで分け入った。呆れるより、凄いなあと思った。僕が気を遣いすぎているのだろうか。

ボニーとクライドと同じようにエディ(ヘンリー・フォンダ)とジョー(シルヴィア・シドニー)が警官隊に射殺されて映画は終わり、館内が明るくなった。人々が立ち上がる。後ろの端の席が空いたので、そこに腰を降ろした。近くの席を立ち上がった年配の男性が連れに「やっぱり、いい映画だね」と言い、友人らしい連れが「フリッツ・ラングはいいね。やっぱり、力のある監督だね」と答えた。

ふたりとも70歳は過ぎているように見えた。見渡すと、観客の平均年齢はかなり高い。僕だって年寄りだ。「暗黒街の弾痕」の日本公開は1937年、昭和12年のことである。いくら何でも、その公開を見ている年齢ではないだろうが、昔、映画青年だった時代に見たのだろうか。何となく、そんな想像をさせるふたりの会話だった。

●現在、都内で気になる三つの映画館がある

今、都内で気になる映画館が三つある。京橋のフィルムセンターは古い作品を定期的に上映し、映画研究を志す人のメッカになっているが、アカデミックすぎて僕は昔から敬遠してきた。ところが、最近、フィルムセンター的なプログラムを街の映画館が上映しているのだ。

ひとつは、ラピュタ阿佐ヶ谷。この夏には朝一回限りの上映だったが、「酒井和歌子特集」をやっていた。僕は「俺たちの荒野」(1969年)が見たくて仕方なかったのだが、いけるとしたら休日しかない。その日は都合が悪く、涙を呑んだ。今は、「娯楽の達人・監督井上梅次の職人芸」と題して30作以上を特集している。朝一番の女優特集は「新珠三千代」である。

もうひとつは、神保町シアターだ。神保町には昔から岩波ホールがあり、僕も何度かいったけれど、アカデミックすぎるのと上映が始まると後ろのドアをロックするのがイヤでほとんどいかなくなった。映画の見方を強要されている感じがするのだ。その神保町の新しい名画座が神保町シアターだ。小学館の系列らしい。日本の女優特集が多く、10月末までは「太知喜和子特集」を上映している。

シネマヴェール渋谷には、今回、初めて入った。それどころか、ビルの三階にあるユーロスペースにさえ、僕は入ったことがなかったのだ。今年の5月、どうしても見たかったアキ・カウリスマキの「ル・アーブルの靴みがき」(2011年)を見るために渋谷までたどり着いたが、前夜のアルコール摂取過多による体調不良で断念した記憶が甦った。

なぜ、僕がシネマヴェール渋谷にきたかというと、9月の初めに支配人の内藤さんという方から招待券を送っていただいたからだった。添えられた手紙には、「フィルム・ノワールの世界」という特集上映が始まるとあった。同封のパンフレットの表紙は、グレン・フォードとグロリア・グレアムである。「復讐は俺に任せろ」(1953年)のスチールを使っている。

自分の身代わりになって妻を爆殺された警部(グレン・フォード)が、ギャングたちを追い詰めていく物語だ。原作はウィリアム・P・マッギヴァーン。ギャング役を若きリー・マーヴィンが演じている。発作的に人を殺すタイプで、コーヒーメーカーを手に取り情婦(グロリア・グレアム)に煮えたぎったコーヒーを浴びせる。

最初、頭の弱い情婦役で出てきたグロリア・グレアムは、この後、顔に包帯を巻いたままヒロインになり警部に協力する。スチールに写っているグレン・フォードの脚にすがりつくシーンはないが、大きく胸の開いたドレスを身に着けているようにセクシーさで売った女優だ。ハンフリー・ボガート主演「孤独な場所で」(1950年)では、知的な雰囲気を見せていた。

ところで、なぜ僕がフィルム・ノワール好きなのを知っているのだろう。それに、招待券は自宅に郵送されてきた。よく見るとパンフレットの隅に「協賛・深夜+1」とある。ああ、冒険小説協会の会員リストで住所がわかったんだな、と納得した。確かに、フィルム・ノワール特集なら僕は喜んで出かける。それに、18作品のうち、僕は8作しか見ていなかった。

平日、会社が終わってすぐに渋谷に向かえば、2本立てを見られそうな時間だった。何度か平日の夜にいこうと思ったが、仕事をしていると何だかんだと雑用がある。ミーハー的ファンになってしまったジェニファー・ローレンスの新作「ハンガー・ゲーム」(2012年)を優先して見にいったりしたので、結局、10月初旬まで延びてしまったのだ。

本当は9月下旬の土曜日、映画評論家の滝本誠さんと柳下毅一郎さんのトークショーがあるときにいきたかったのだが、例によって前夜のアルコール摂取過多により、終日ベッドにいるはめになったのだった。年齢を重ね、僕は映画よりアルコール摂取を優先する人間に成り下がったのである。それに、昔ほど「見逃したら、今度はいつチャンスがあるかわからない」という切迫感はない。

●ジュリー・ロンドンがデビュー間もない頃に出た映画

「暗黒街の弾痕」が終わり、「赤い家」(1947年)が始まる前、僕はロビーに出て受付の女性に「支配人の内藤さんはいらっしゃいますか?」と尋ねた。面識はなかったが、招待券のお礼を言いたかったのだ。しかし、見付からず僕は名刺を渡し「次の休憩時間にまた...」と言って席に戻った。

「赤い家」は、エドワード・G・ロビンソンの主演である。監督はデルマー・デイビス。出演者の名前にジュリー・ロンドンを見付け、僕は期待した。歌手ジュリー・ロンドンは好きだが、女優としての彼女は「女はそれを我慢できない」(1956年)以外に見ていない。それに、あれは歌手のジュリー・ロンドン自身を演じたのだし、現実の人間ではなく幻だった。

「赤い家」は、ジュリー・ロンドン19歳のときの出演作だ。まだデビューして間のない頃である。しかし、最初からセクシーさで売り出したのだとわかる使われ方だった。町のハイスクールに通う男女3人が登場する。ハンサムな青年ネイト(ロン・マカリスター)とその恋人ティビー(ジュリー・ロンドン)、ネイトに心を寄せるメグ(アレン・ロバーツ)である。

映画は中西部の田舎町の農場から始まり、デルマー・デイビスの後年の名作「スペンサーの山」(1963年)のようだった。「スペンサーの山」は家族愛の物語だったが、「赤い家」はどうなのだろう。パンフレットには「怪奇とサスペンスを融合した異色のフィルム・ノワール」とあった。

スクールバスの中で、ティビーがネイトに日曜に川で泳ごうと誘っている。「水着は?」とティビーが訊き、ネイトが「着ていくよ」と言うと、ティビーが「ダメ。川で着替えるの」と意味深な視線を見せる。その横で顔を暗くするメグがいる。この3人を見た瞬間、僕は理解した。派手でセクシーなティビーにネイトは愛想を尽かし、やがて内気で清楚なメグと結ばれるのであろうと......。

メグはネイトと近付きたい気持ちから、片足が義足の養父ピーター(エドワード・G・ロビンソン)にネイトを農場の手伝いに雇ってほしいと言う。その夜、ネイトが手伝いを終えて帰るとき、「森を抜けて近道をする」のをピーターは異常なほど反対し、「赤い家の呪いが...」とか「あの悲鳴が...」と口にする。それを振り切って森に入ったネイトは、異様な悲鳴を聞く。

そのとき、後ろのドアが開いて男がひとり入ってきた。端っこに坐った僕の横には席が3つ空いていた。数列前は端っこからすべて空いているのに、なぜかその男は「入れさせてください」と僕の横に立ち、僕が脚を引っ込めると僕の視界をさえぎって奥の椅子に座った。さっき自分が気を遣ってやらなかったことを、中年男が平気でやっている。名画座にくるからといって、マナーがいいわけではないのだ。

何となく気をそがれてしらけたが、「赤い家」はそれからどんどんミステリアスな雰囲気を盛り上げてくれた。メグとネイトとティビーが赤い家を探して森に入り、それを知ったピーターがメグに異常な反応をする。エドワード・G・ロビンソンは元々が怖い顔だから、異常性を発揮し始めると映画全体が引き締まっていく。ゾクゾクするサスペンスが漂い始める。

「謎解き」という意味では、現在の物語の方がもっと複雑になっている。途中から結末は読めるし、観客に理解しやすいようにきちんと説明もされる。エドワード・G・ロビンソンが抱える過去も推測できる。おまけに、ネイトとティビーの関係も予想通りに進んでいく。派手好きで男好きのするティビーは、真面目なネイトと合わない。ハイスクールの生徒なのに、ジュリー・ロンドンは色っぽ過ぎる。

●40年前の自分が甦ってきた渋谷円山町の映画ビル

「赤い家」が終わり、僕は再びロビーに出た。名刺を渡しておいた受付の女性がやってくる。「支配人は出かけてしまったのですが...」と、「館主です」と男性を紹介してくれた。事前に調べておいたので、内藤支配人のご主人だとわかった。「招待券をわざわざお送りいただいて......」とモゴモゴ言うと、「......さんのご関係ですか?」と訊かれる。「たぶん、『深夜+1』の関係ですね」と答え、改めて挨拶した。

それから、階段でゆっくり降りた。三階がユーロスペースだ。ロビーの造りは、ほぼシネマヴェーラ渋谷と同じ。受付に若い女性がふたり座っており、その向かいの壁際の椅子に外国人の青年が腰を降ろし話をしていた。アジア系の男性だ。中東に近い地域の人のように見えた。頬を髭がおおっている。

二階も同じような造りだった。さらに一階に降りる。まったく知らなかったが、映画美学校という学校が入っている。その試写室もあるらしい。ビル全体が映画一色に染められている。学生らしい若者たちがたむろしている。留学生だろうか、外国人の若者の姿も目に付く。ビルを出ると、一階に併設されたカフェのオープンスペースがある。

映画美学校は、アテネ・フランセ文化センターとユーロスペースが共同で創設した映画学校だという。昔からアテネ・フランセや日仏学院では、なかなか見られない映画が上映された。40年前、大学生の頃に僕もよく通ったものだった。もっとも、フランス語の作品に英語の字幕での上映ということもあり、内容がよくわからなかった作品もあった。

新宿の紀伊国屋ホールでも、ときどき特集上映があった。ジャン・リュック・ゴダールの「中国女」(1967年)「ウィークエンド」(1967年)「東風」(1969年)は、そこで見たと思う。あの頃、僕は貪欲にどんな映画でも見た。一度見逃したら二度と見られないかもしれないという思いで、集中して見たものだ。あの頃の僕が今を生きていたら、間違いなくこのビルに通っているだろう。そう思ったとき、オープンスペースの椅子に腰かける20歳の僕が見えた。

しかし、一歩道に出ると、そこはホテル街で有名な円山町だった。両隣はホテルであり、向かいの路地の奥にもホテルのネオンが輝いている。Bunkamuraへ向かう坂をゆっくり降りながら、映画が三度の飯より好きで、文字通り昼飯を抜いて名画座に通っていた、ガリガリに痩せた20歳の自分はもう二度と戻らないのだと、実感していた。あまりに......、あまりに長い時間が過ぎ去ったのだ。

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息子が愛知県に転勤になり、家から出ていった。早く独立してほしいのだが、30でも実家にいるのは最近では珍しくもないらしい。息子は20歳頃から5、6年はひとり暮らしをしていたので心配はしていないが、何となく淋しくはある。

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