映画と夜と音楽と...[567]さらば青春の光よ
── 十河 進 ──

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〈さらば青春の光/ビッグ・ウェンズデー〉

●布袋寅泰が歌っていた主題歌は「さらば青春の光」

もう20年近く前のことになるけれど、「課長サンの厄年」(1993年7月〜10月TBS放映)というドラマが放映されていた。ショーケンの主演だった。奥さんの役は石田えりである(時代を感じるなあ)。その年は僕も厄年だったので、ドラマには共感したり感情移入する部分が多くあり、毎週、必ず見ていた。かんべむさしの原作まで読んだのである。

主人公は中年クライシスを迎える時期で、それなりの誘惑もあったりして「中年の惑い」にとらわれるのだが、上司役の長塚京三の方が後半になって中年の危機に襲われ不倫を始める。その後始末も主人公がやらされたりして、サラリーマン社会の理不尽な部分も描かれていた。簡単に言えば、とっくに青春を過ぎた中年サラリーマンの悲哀が漂うドラマだったのだ。

そのドラマのテーマ曲を布袋寅泰が歌っていた。作詞作曲も布袋寅泰である。当時、僕は布袋寅泰になじみはなかったのだが、そのテーマ曲は頭に残り、毎週、聴くのが楽しみになった。歌詞はセンチメンタルでノスタルジーにあふれありきたりだったが、それが故に僕の胸を撃ち抜いた。その曲のタイトルは「さらば青春の光」だった。僕はシングルCDを購入し、ドラマが終わっても繰り返し聴いていた。




「さらば青春の光」という曲を聴くと、もちろん「さらば青春の光」(1979年)というイギリス映画が甦った。特にラストシーンの衝撃が......。あれは、ドーバー海峡の断崖だったのだろうか。イギリスを舞台にした映画でよく見かける風景だ。最近では、リドリー・スコット監督の「ロビン・フッド」(2010年)でも似たような海岸が出てきた。

布袋寅泰の「さらば青春の光」は、前半の歌詞では青春時代の輝きが寂寥感を伴って甦り、中盤の歌詞では現在の己の状態に対する悔恨が認識され、「おまえは今のままでいいのか」と自分を責める声が生まれる。そして、ラストに至り、「何もかも棄てろ、明日に向かえ」という意味のアジテーションめいたフレーズが何度も繰り返された。

それは、40の坂を越え厄年を迎えたセンチメンタルな男の胸には、ひどくこたえる歌詞だった。過ぎ去った青春時代の輝き、何も怖れるものはなく、ただ突っ走っていた時代。だが、今の自分は上司に頭を下げ、仕事で妥協し、家庭生活を維持するために汲々としている。こんなバズではなかったのではないか。だから、何かを始めなきゃいけない......。まさに中年の危機の訪れだった。

そんな時期に僕は何を始めたのか。まず、長年の持病の手術をした。その持病が僕の生活から積極性を奪っていたのは事実だった。元来、消化器系が弱く、自律神経失調症だか過敏性大腸だかはいくぶんよくなっていたが、腸にポリープが発見されたのを機会に入院したのである。その結果、僕は解放感を味わったし、何かを始める気になった。

僕は、近くの県立体育館のジムに通い始めた。休日になるとトレーニング用の自転車を漕ぎ、ロードランナーで10キロ近く走り、ウエイトトレーニングをした。その近くの自動車教習所に申し込み、免許を取得した。カミサンがひとりで乗っていたパルサーをプリメーラに買い換え、深夜、ひとりでドライブした。一年間で15,000キロを走った。

僕にできるのは、それくらいだった。会社を辞めるほどの度胸も才能もなく、家庭を棄てるほどの思い切りもなかった。新しい恋をするには、相手がいなかった。結局、僕は青春時代の落とし前をつけるために、若葉マークが外れたばかりのプリメーラに荷物を積み込み、20年勤続で初めてもらったリフレッシュ休暇を使い、一週間のひとり旅に出た。

会社のボードには「センチメンタルな旅・梅雨の旅」と書いておいた。写真家の荒木経惟さんの写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」が話題になっていた頃だった。そう、まさにセンチメンタルな旅だったのだ。その車の中でも布袋寅泰の「さらば青春の光」が鳴り響いていた。

●いつの時代でも、どこの国でも若者は常に怒っている

青春時代は、無茶ができる時代なのだろうか。小心者の僕は羽目を外したことも、やんちゃと形容されるようなこともやった記憶はないが、社会人になってからのことを思い起こすと、やはり高校大学時代の自分は今よりは無茶だったと思う。無知による失敗も多かったが、怖さ知らずのようなところもあった。

若者は未熟で無知で怖いもの知らずで、社会に向かって、大人たちに向かって、自分の置かれた境遇に向かって、常に怒りを抱いている。いつの時代でも、どこの国でも若者は常に怒っている。現状に満足していないからだ。矛先は両親や教師に向かう。若者は鬱屈を抱え、不満をぶちまけ、怒り狂う。だから、半世紀昔にも「怒れる若者たち」というムーブメントがイギリスから起こり、世界の若者たちの心を捉えた。

イギリス映画「さらば青春の光」の主人公ジミーも怒りを抱えて生きている。鬱屈が積もり重なり、突然に爆発したくなる。はじけたくなる。思いっきり愚かなことをしたくなる。階級社会のイギリスで労働者階級に生まれ、会社では郵便の整理をして各部署に配達する単調な仕事だ。捌け口は、仲間たちとの週末の夜のバカ騒ぎだ。酒を飲み仲間たちといると王様になった気分でいられる。

彼のこだわりは、モッズ・ルックとヴェスパのスクーター。タイトなスーツに細いタイ、米軍放出の長いアーミーコートを羽織るように身に着け、仲間たちとヴェスパを走らせる。彼の憧れは銀色にキラキラ輝き、様々なデコレーションに飾られたヴェスパに乗るエース(スティング)だ。彼らのグループは、「モッズ」と名乗り、リーゼント、革ジャンスタイルでバイクを乗りまわす「ロッカーズ」を軽蔑し、敵対している。

若者たちのスタイルへのこだわりは理解できる。青春時代は、自分がどう見られるかが最大の関心事だ。仲間たちにカッコいいと思われるか、好きな女の子を惹きつけることができるかと、彼は外見に心を砕く。自分たちの粋なモッズ・ファッションに比べれば、グリースで固めたリーゼントや革ジャンスタイルはダサさの象徴なのである。

モッズは60年代の流行だった。ビートルズが登場した60年代半ば、リバプールサウンドから始まったイギリスの若者文化は世界を席巻したのだ。イギリス文学は「怒れる若者たち」を輸出し、ビートルズやローリング・ストーンズはロックを輸出し外貨を稼いだ。そして、ファッションはモッズだった。モッズ・ルックを特集した雑誌を、僕は10代の頃によく読んだものだった。

「さらば青春の光」は、ロック映画でもあった。原題は「四重人格/QUADROPHENIA」である。これはロック・グループ「ザ・フー」のアルバムタイトルだった。公開当時の予告編では「ザ・フー原作の青春映画」と謳われた。だから、映画の中でもロックが流れ続けている。ロックがなければ、モッズは生まれなかった。モッズとロックは分割不能、不可分の関係だったのである。

●「さらば青春の光」が公開された1979年の出来事

「さらば青春の光」が公開されたのは、1979年の秋のことだった。僕は入社4年を過ぎ、30まで2年しかない余裕のない年齢になった。前年の大晦日にピンク・レディーの「UFO」がレコード大賞を受賞して明けたその年は、1月に大阪の三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、4人を射殺、40人を人質にして籠城する陰惨な事件が起こり、人々は食い入るようにテレビ中継に見入った。

その犯人の名を誰もが記憶に刻んだ。彼は自分の周囲を人質たちに囲ませ、王様のように振る舞った。「『ソドムの市』を知ってるか?」と訊き、「ソドムの市」のような暴虐を再現しようとした。事件後、そんな銀行内の様子を週刊誌がセンセーショナルに報道した。マニアックな映画ファンしか知らなかったであろうピエル・パオロ・パゾリーニ監督の「ソドムの市」(1975年・1976年9月公開)は、一躍、人々に知られることになった。

だが、僕の記憶に残っているその年の映画は「ビッグ・ウェンズデー」(1978年)である。その映画は僕の人生と密接に結びついている。風呂もない阿佐ヶ谷のアパート暮らしが4年になり、秋の契約更新を想定してカミサンはマンション探しに奔走した。ふたりして大手出版社に勤めている友人夫婦の新居を訪ねたのがきっかけだった。彼らの新築マンションは、確かに僕もうらやましくなった。

だが、彼らふたり分の年収は僕の3倍以上はあっただろう。カミサンは阿佐ヶ谷駅前の西友でパートをしていたが、そんなものは彼女自身の小遣いにしかならなかった。マンションを買えば、僕ひとりでローンを払い続けなければならない。それは心理的に本当に重かったが、カミサンは僕のそんな気持ちなどおかまいなく、あちこちのモデルルームを見てまわった。

彼女は現実的で、3LDKのマンションでもそれなりに安いところばかりを探してきた。友人夫婦のように都心の通勤に便利なマンションではなかった。通勤の利便性については考慮されないのだな、と僕はさらにひがんだ。僕は一度もマンション探しには付き合わなかった。結局、都営線が数年後にできるという大島のマンションと、一年後に綾瀬から一駅延びる北綾瀬駅ができるというマンションが彼女の候補になった。

その頃には、どうでもいいやという気分になっていた僕は、一年後に駅ができるという北綾瀬(実際には新駅からでも徒歩20分を超えた)のマンションにして、抽選会に出かけた。希望した部屋は抽選に落ちたが、売れ残っている部屋があるという。「どうする?」とカミサンは訊き、「じゃあ、申し込めば」と投げやりのように僕は答えた。その後の細々した手続きを上の空で聞き、35年ローンという言葉だけが重く落ちた。

35年...、僕は60を超えている。そこまでローンを払い続けるのか、と重い心のままルンルン気分のカミサンに連れられて、初めて建設予定地に赴いた。千代田線綾瀬駅で降り、バスで20分。花畑運河という場所に到着した。その雪見橋だったか、花見橋だったかの辺に長谷川工務店のマンションが建設中だった。僕は初めてモデルルームに入った。カミサンはもう何度も見たのか、楽しそうに僕に説明をした。

その後、「ぐれてやる」という気分もあったのだろう、僕の生活は少し荒れた。学生時代より無茶をしたかもしれない。ふっと気付くと、ローンを払い続けるために会社勤めを続け、疲弊し年老いた60過ぎの己の姿が浮かんだ。その姿を消すために飲めない酒を無理して飲んだ。そのうち、酒に強くなった。夜明けまで飲んで、始発で帰ったりした。

そんなとき、僕はメーデーのデモに参加した後、「ビッグ・ウェンズデー」を見た。そこには、青春時代の輝きがあり、大人にならねばならない悲しみがあり、背負わなければならない人生の重みがあり、苦い現実と哀愁と寂寥感があった。そして、もちろん友情も...、恋も...。そのとき、僕はまだ27歳だった。なのに、僕の人生は決められてしまったのだ。35年も続くローンが、その象徴だった。

──僕には、一生、水曜日の大波なんてやってこないだろう。

映画館を出て「ビッグ・ウェンズデー」の看板を見上げながら、僕はそんな絶望的な想いにとらわれた。

●青春時代の輝ける日々と喪失感が描かれた

1979年の初秋、僕は新居に引っ越しをした。6畳と3畳のキッチン、それにトイレしかなかったアパートに比べると、広さは3倍ほどになった。廊下を入った右手のクローゼット付きの洋間は僕の書斎になった。リビングとダイニングは間仕切りを開放するとひと間になり、広く使えた。リビングの左手に6畳の和室があり、そこがカミサンの居室になった。

しかし、引っ越してみてわかったのは、駅までの道がひどく混んでバスの時間がかかることだった。僕は結局、自転車で駅に出ることにして、駐輪場に申し込んだ。自転車でも20分ほどかかった。「原付にしたら」とカミサンは気楽に言ったが、免許を持っていない僕は原付免許の試験を受けにいくのが面倒で諦めた。駅までの途中、環七を横切るのだが、朝は多くのバイクやスクーターが走っていた。

やがて11月になり、僕は28になった。その10日後に「さらば青春の光」が公開になった。昔から青春映画は好きだし、特にタイトルが気になっていたので、僕は会社の帰りに「さらば青春の光」を見た。引っ越して都心に出てくるのを億劫がるようになったカミサンは誘わなかったし、その頃はひとりで映画を見るようになっていたのだ。

「ビッグ・ウェンズデー」はサーフィンに人生を重ねた映画だったが、「さらば青春の光」はファッションとヴェスパにこだわった青年の物語だった。そして、青春時代の輝ける短い日々が描かれ、それが失われてしまう喪失感が生々しく伝わってきた。主人公は青春時代の輝きが永遠に続くことを信じているかのように、過激に突き進む。分別のある大人になんかなりたくない、と彼は全身で叫んでいるようだった。

主人公は好きな女の子がいるのだが、その子は彼自身も憧れているカッコいいエースに夢中だ。そんな想いも彼を屈折させるのか、よけい過激にロッカーズとの対決に向かって無鉄砲な行動を取る。しかし、ロッカーズとの対決は途中で警官隊に阻止され、彼は逮捕され、職を失い、家族からも「出ていけ」と言われる。失意の彼は、憧れだったエースがベルボーイとして卑屈に働いている姿を見て、さらに絶望する。

人は、生きていかなければならない。生きていくうえで、最も必要なことは「耐えること」である。我慢することだ。先日の梅原猛さんの言葉を引くなら「忍辱の徳」である。辱めを忍んで徳を積むことである。いくら卑屈に見えようが、働いて賃金を得て生活を維持するためには、忍ばなければならない。しかし、そんなことに気付くのは、今の僕のように長く生きてきた後である。

若さの絶頂にいる「さらば青春の光」の主人公には耐えられない。我慢できないのだ。彼は断崖に向かって、ヴェスパを飛ばす。フルスロットルにする。それは青春時代の特権であり、映画でだけ描ける夢だ。そのラストシーンは、今でも僕の脳裏に鮮やかに刻み込まれている。そして、この映画を見て僕は「スクーターもかっこいいじゃないか」と思った。それでも、免許は取りにいかなかった。

「さらば青春の光」を見たとき、僕は自分の青春の終わりを感じていた。28歳の既婚者が、何を今さら青春だよ、とも思ったが、とりあえずマンションを買いローンを引き受ける覚悟は固めた。責任の重さは過剰に感じたが、それを放棄する勇気は僕にはなかった。それから14年が過ぎ、厄年を迎えた僕は「課長サンの厄年」に共感し、「さらば青春の光」と歌う布袋寅泰の声に、「さらば青春の光」を見た頃の自分を思い出していた。

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