まにまにころころ[36]明日はサッカー日本代表を応援しよう!
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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こんにちわん、コロこと川合です。いつの間にか6月になっちゃいましたねー。いつも月日の流れの速さを悲観することばかり書いている気がしますが、実はこの6月はちょっと待ち遠しく感じていました。

6月というか、明日、6月4日を。そう明日は、虫歯予防デー! そして、サッカーFIFAワールドカップアジア最終予選の、日本対オーストラリア戦の日なんです。

今回のアジア予選は日本がトントン拍子に勝ち点を重ねてきてまして、早々に予選突破を決めてしまうと思いきや、3月のヨルダン戦で負けてしまい足踏み。明日のオーストラリア戦までお預けになっていたんです。

あと勝ち点1を得れば本戦出場決定で、引き分けでも決まるんですが、ヨルダン戦の敗戦以降、どうも不安材料ばかり出てきて、ドキドキしながら6月を待っていたわけです。

明日負けてしまったら、次は11日のイラク戦に持ち越し。イラク戦は会場が、カタールのドーハなんですよね。嫌な場所ですよね。アウェイってだけでなく、どうしても「ドーハの悲劇」って言葉が頭をよぎってしまう土地。できれば、そんないわく付きの土地に持ち越したくはないところです。




◎──ドーハの悲劇

ドーハの悲劇とは、20年前の1993年10月28日、アメリカワールドカップアジア最終予選で、日本代表が初めてワールドカップの本戦出場を決めようとしていた試合で、最後の最後、後半ロスタイムで失点してしまい、すべてを棒に振ってしまった試合。『宇宙兄弟』の主人公である南波六太の生まれた日ですね。

オフト監督の下、三浦カズとゴン中山が得点し、勝っていれば最高の形で初の本戦出場が決まっていた試合でした。

予選グループ6カ国中、5カ国が本戦出場の可能性を残していた混戦で、それでもその時点で首位だった日本は、勝てば本戦出場決定、引き分けでも、他試合でサウジアラビアと韓国がそれぞれ共に勝ちさえしなければ出場できるという有利な状態だったんですが、結果は最悪の形で本戦出場を逃してしまうという、まさに悲劇でした。

その年はJリーグが開幕した年でもあり、代表メンバーも花形揃い。カズ、中山、ラモス、武田、井原、北澤、長谷川健太などなど、知名度で言えば文句なしにドリームチームといった顔ぶれでした。Jリーグ開幕の歓喜から、一気にどん底に叩き落とされたような出来事として、おそらくいつまでも語り継がれる試合になりました。

ただ、あまりにも劇的な幕切れだったため、サッカー日本代表への注目は一気に高まり、その後の代表人気に繋がったとも言え、商業視点での長期的な意味では、最高のドラマだったとの見方もあります。が、そんなこと言ったらカズとラモスに蹴り倒されても文句言えないですね。

◎──ジョホールバルの歓喜

ドーハの悲劇は94年アメリカ大会の予選での出来事ですが、日本代表はその次、4年後のフランス大会で、見事、本戦初出場を果たしています。1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで、イランを延長ゴールデンゴールで破って勝利。

「ドーハの悲劇」に対して、「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれています。まあ、名前が覚えにくいからか、ドーハの悲劇に比べると印象薄いですけど。

呼称の印象はさておき、試合の印象は負けず劣らず劇的なものでした。日本が先制して折り返すも、後半開始直後に追いつかれ、さらには逆転され。慌てた岡田監督はすぐカズと中山のツートップを同時交代、城と呂比須を投入。その城が同点ゴールを挙げて、同点のまま後半終了。

そして延長で、それまでこの最終予選では一度も使われていなかった野人・岡野を投入。なかなか噛み合わない展開が続くも、延長後半でその岡野がゴールデンゴールを挙げて、日本は初めてのワールドカップ本戦出場を果たしました。

あ、ゴールデンゴールというのは、Vゴールとか、サドンデスとも呼ばれてた、得点が決まった時点で試合終了ってルールです。

このフランス大会、本戦の代表メンバーにカズが選ばれなかったことでも話題になりましたね。15年ほど前の話です。なおその本戦ですが、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと、同グループの全てのチームに負けての惨敗でした。

◎──日韓共同開催ワールドカップ

それからさらに4年後、次の大会は日韓共同開催だったアレです。アジアで初のワールドカップ開催に日本が名乗りを上げると、そうはさせじと韓国も立候補、泥沼の招致合戦の末に、共同開催に落ち着いたものでした。サッカーに限らず、日本は招致合戦に弱いですね。(苦笑)

共同開催とはいえ、ワールドカップ開催地になった日本はサッカーフィーバー。ベッカムの髪型が流行ったり、カメルーン代表が大分の中津江村と親交を深めたり。優勝したブラジル代表のロナウドやロナウジーニョも注目を集めました。トルシエ監督の通訳であるダバディも人気でしたね。

また共同開催の韓国との文化交流が進んだ一方で嫌韓感情が高まった、そんなワールドカップでした。

嫌韓感情が高まったのは、韓国戦で誤審やラフプレーや、レーザー光線による相手選手の妨害や、韓国サポーターによる相手選手への度を超した中傷行為が相次いだためで、日本からだけでなく、世界のサッカーファンを敵に回してしまう形になりました。

2004年にFIFAが100周年を記念したDVDを発売したのですが、その中にワールドカップ歴代での10大誤審を取り上げていて、そのうち半分の5つがこの日韓ワールドカップで、さらにそのうち4つが韓国戦における韓国に対して有利な判定のものだったという後日談が。

スポーツの世界では「中東の笛」なんて言葉もありますが、アジアはまだまだ全体的にスポーツ後進国なんだと世界に示してしまった大会でした。

この大会では開催地だったので、予選のドラマはなし。本戦では、ベルギーと引き分け、ロシア、チュニジアに勝利し、ついにグループリーグ突破を果たしました。

決勝トーナメント初戦のトルコに敗れてしまいましたが、勝者トルコを称える日本人サポーターに向けて、トルコ人サポーターは「日本のみなさん トルコより あがとう(ありがとうの意)」と書かれた横断幕を掲げるなど、心温まる光景も見られました。

◎──その後のワールドカップ

今戦っているブラジル大会まで、あと2つ大会が挟まっていますが、長くなってきたのでまとめてしまいます。

日韓ワールドカップの次は、2006年ドイツワールドカップ。日本は本戦へ連続出場を果たしたものの、オーストラリアに負けクロアチアと引き分け、そしてブラジルに負けてと、勝つことのないままに敗退。決勝ではジダンの頭突きが話題になった大会でした。

その次は、前回の2010年南アフリカ大会。日本は連続本戦出場を続け、さらに日韓大会以来、自国開催以外では初となる決勝トーナメントへの進出を果たしました。

が、直近のワールドカップなのに、なんか、ブブゼラのことしか記憶に残ってません。なんでだろ。あ、試合結果を予言する、タコのパウルくんも話題になってましたね。

◎──そんなこんなで、明日、オーストラリア戦!

前説程度に思ってたワールドカップの話をつい延々と書いているうちに今回のまにころは終わっちゃうんですが、まあ、明日はひとつ、みんなで日本代表を応援しましょう。ホーム開催なので、時間も、応援しやすい19時半キックオフ。早々にお仕事切り上げて、テレビの前に集まりましょう☆

【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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サッカー、実はまったく詳しくなくて、選手名もろくに知りません。(爆)