映画と夜と音楽と...[591]ルーブル美術館を駆け抜けたい
── 十河 進 ──

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〈ダ・ヴィンチ・コード/はなればなれに/ドリーマーズ〉

●ルーブル美術館を借り切って撮影された特別番組

少し前のことだが、日本テレビでルーブル美術館の特別番組を見た。ルーブル美術館を借り切っての大がかりな撮影である。司会はビートたけし。レポーターも高田純次などを起用し、バラエティ番組のノリだった。しかし、ルーブル美術館のビジネス面の解説もあり、美術館地下やスタッフしか入れない作業スペースなども紹介されていた。各展示作品も丁寧に紹介されていて、長時間の番組だったが録画してじっくり見た。

BS放送が始まってありがたいのは、NHKだけでなく民放テレビも美術番組をよくやってくれることだ。世界の美術館には、次々に日本のテレビクルーがいっているのではないか。ヨーロッパの片田舎の美術館まで放映してくれるから、時間があると見ている。アムステルダムのゴッホ美術館もいきたいし、ルソーやムンクやフェルメールやセザンヌの実物を見てみたい。そう思っているが、実は一度も海外へ出たことがない。

美術館巡りだけでなく、海外で実際に見たい場所はたくさんある。仏文科出身なので、特にパリはいきたい場所がいっぱいだ。渋谷の文化村ではなく、サンジェルマン・デ・プレのカフェ・ドウ・マゴのテーブルでコニャックを呑んでみたい。北米にいくなら一度はスーパーボウルを実際に見たいし、ニューヨーク近代美術館でルソーの「夢」、ゴッホの「星月夜」、ウォーホル作品なども見たいと思っている。




カミサンは20年ほど前に初めてパリにいって以来、もう何度も海外へいっている。パリにいったときは、日曜の昼に電話をかけてきて「今、シュンゼリゼ」と言った。こちらは、まだ小学生だった娘に昼飯を作っているところだった。その後、カミサンは美術教師をしている妹と10日ほどスペイン美術旅行にいき、プラド美術館やガウディのサグラダ・ファミリアを見てきた。

数年前はイギリスにいき、最近では台湾へいき、今年はベトナムとカンボジアへいってきた。「ベトナムだけだと安いんだけど、アンコールワットも見たいから」と言いながら成田へ向かった。ちなみに、いつも間際になってからしか僕には告げない。「来週、台湾だから...」と言われたのは、昨年のことだった。まあ、それでもいいのだけど、スケジュールも連絡先も、誰といくのかも...聞いていないんだなあ、いつも。

僕が海外にいかないのは、おっくうだからだ。四国高松には飛行機で帰っているが、飛行機があまり好きでないこともある。昔、仕事で沖縄へいくことがあり、帰りは飛行機で2時間半かかった。途中でうんざりし、「降ろしてくれ〜」と言えるなら言いたかった。だから、海外にいかない理由を「飛行機嫌い」としてある。たぶん、乗ってしまえば大丈夫だと思うが、長時間のエコノミークラスはつらい。といって、ビジネスクラスに乗れる財力はない。

子供がふたりとも小学生の頃、カミサンが出版健保のハワイのコンドミニアムを予約したことがある。食事は付かないが、安く泊まれるのだ。「エーッ、俺はいかないよ。三人でいったら」と答えたところ、カミサンは予約をキャンセルしてしまった。以来、彼女は僕を誘う愚を悟り、海外旅行はずっと友だちや妹と出かけているらしい。

数年前、本を読むシェフこと兄貴分のカルロスにパスポートを持っていないことを知られ、「やーい、ノーパスポート野郎」と囃し立てられた。あんまり悔しいので、「パスポートくらい、とってやらあ」と松戸の申請所に出かけた。しかし、前夜、カミサンに「どうせ使わないんだから5年にしといたら。5000円くらい安いわよ」と言われた。確かに5年だと11,000円の費用ですんだ。

5年用パスポートの色は、赤ではなく紺だった。カルロスに「パスポートとったぞ」と得意になっ見せたら、「なんだ紺色じゃないか。初めて見たよ。アハハハハハ...」とまたバカにされ悔し涙暮れた。5000円ケチったばかりに...と後悔したが、仕方がない。結局、そのパスポートは未だ真っ白いままだ。もうすぐ切れてしまう。ICチップ入りなのになあ。

先日、ルーブル美術館の番組を見て、カミサンに「凄いなあ。ルーブル美術館、相当に広いみたいだなあ」と言ったら、「一日じゃ、とても見られないわよ」と、私は実際に見てきたのよオーラを出されてしまった。はいはい、そうですか...、ええ、ええ、どーせ僕は映画でしか見たことないですよ、とひがみ根性丸出しでひねくれた。もっとも、映画ではルーブルで人が死んだりする。

●ルーブル美術館館長の謎の死で始まるベストセラーの映画化

ルーブル美術館が出てくるので有名な映画は、ベストセラー小説を映画化した「ダ・ヴィンチ・コード」(2006年)だ。監督は大作専門のようになったロン・ハワード。若い頃は「アメリカン・グラフィティ」(1973年)や「ラスト・シューティスト」(1976年)に役者で出ていたけれど、すっかりヒット監督になり、同時に頭髪も薄くなった。「ラスト・シューティスト」の少年の面影はどこにもない。

ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」は映画を見た後に読んでみたが、ベストセラーになるだけあってスピード感が凄かった(もっとも、僕は映画でストーリーを知っていたので、冒頭の数10頁を読んだだけでやめてしまったけれど)。ダ・ヴィンチの絵に隠されたキリストの謎を追う主人公とヒロイン、彼らをつけねらう謎の集団、敵か味方かわからないフランスの警部が入り乱れ、追う者・追われる者のドラマがめまぐるしく展開する。こりゃ売れるわな、と感心した。

館長の異様な死体が、閉館した夜のルーブル美術館で発見される。その展示室は防犯シャッターが降り、完全な密室状態だ。館長は素っ裸で床に図を描き、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」を模した形で死んでいる。たまたまパリにきていた宗教象徴学の権威であるラングドン教授(トム・ハンクス)が、パリ警察の警部(ジャン・レノ)に呼び出され、捜査協力を求められる。

館長の死体を検分しているとき、パリ警察から派遣された暗号解読の専門家だという若い女性ソフィー(オドレイ・トトゥ)が現れる。ラングドンの携帯電話が鳴り、出るとソフィーが「黙って聞いて」と囁く。「警部は館長と会う約束になっていたあなたを犯人と疑っている。すぐに逃げなさい」と続ける。ソフィーは、殺された館長の孫娘だったのだ。

この人間関係は何だかご都合主義だなあと思ったが、まあ、そういうことはあまり深く突っ込まないタイプなので、そのまま映画の流れに身をまかせると、アレアレと思っているうちに深い謎に充ちた世界に誘われる。その辺は、ジェットコースター的な展開だ。謎の宗教組織が出てきて、司祭服の不気味な男が自らを鞭打ったりして思わせぶりである。

冒頭、僕は夜のルーブル美術館の外観を見て、ちょっと感激した。ガラスのピラミッドも美しく輝いている。ライトアップしているだけに、夜間の方が圧倒的に美しい。実際の館内シーンは、もしかしたらスタジオなのかもしれない。いや、ラングドンとソフィーがルーブルから逃げ出すシーンもあるから、館内撮影も敢行しているのだろうか。商売上手なルーブルは、そういう点では協力的らしい。

●ルーブル美術館はゴダール映画に全面協力したのか?

40数年前、ジャン=リュック・ゴダール監督は僕の最大のヒーローだった。上京して初めて見た「勝手にしやがれ」(1959年)、名画座で追いかけた「女と男のいる舗道」(1962年)、「アルファビル」(1965年)、そして「気狂いピエロ」(1965年)と「男性・女性」(1966年)...、それらは僕にとって特別の映画だった。

上京した年、新宿紀伊国屋ホールで上映された新作「中国女」(1967年)と「ウィークエンド」(1967年)を僕は見にいった。ゴダール映画のヒロインだったアンナ・カリーナはすでに彼の元を去り、新しい恋人アンヌ・ヴィアゼムスキー(文豪モーリアックの娘で後に作家になった)が登場していた。訳がわからなかった「東風」(1969年)も紀伊国屋ホールで見たはずだ。初公開は1970年7月だった。

「東風」以降のゴダール作品を、僕はほとんど見ていない。僕にとってのゴダール作品は、1959年からの10年間に作られたものだけだ。しかし、その作品群の中でも「はなればなれに」(1964年)は、名作「気狂いピエロ」の前に作られたゴダールの長編七作目だが、あまり語られることのない映画である。

「はなればなれに」に思い入れているのは、クエンティン・タランティーノ監督である。B級アクション映画ばかり偏愛している印象があるタランティーノ監督だが、「はなればなれに」のフランス語の原題「Bande a part」を自分のプロダクション名にするくらいこの映画が好きらしい。「パルプ・フィクショ
ン」(1994年)には、「はなればなれに」のダンスシーンにオマージュを捧げたシーンがある。

「はなればなれに」はクライム・ノヴェルを原作とした(例によって原作を使う意味はほとんどないけれど)、男女3人の物語(スケッチとでもいうべきか)である。ヒロインは、もちろんアンナ・カリーナ。美しさの絶頂期にある。その3人がルーブル美術館を全力疾走するシーンが印象的だ。「はなればなれに」は、物語より断片的なシーンが記憶に残る作品だった。

ジャン・リュック・ゴダールは1930年生まれ。今ではもう80を超えているが、1960年代はちょうど彼の30代に当たる。若い。青年といってもいい年代だ。ソルボンヌ大学を出ているから、知的エリートである。1950年代初期から映画評論誌「カイエ・デュ・シネマ」に映画評を書き始め、フランソワ・トリュフォーやエリック・ロメールたちと知り合う。

ゴダールは、パリで暮らしていた。日常的にルーブル美術館にいっていたとしても不思議ではない。広いルーブル美術館である。どれくらいで駆け抜けられるのか、とゴダールは発想したのだろう。「はなればなれに」の3人は、9分45秒で駆け抜けた。本当だろうか? それくらいで駆け抜けられるのか。ルーブルは、ゴダールに撮影を許可したのか。実際のルーブルを知らない僕は、想像するしかない。

●ルーブルを駆け抜ける記録を塗り替えた「ドリーマーズ」

「はなればなれに」の3人と同じようにルーブル美術館を駆け抜けようとするのは、ベルナルド・ベルトルッチ監督作品「ドリーマーズ」(2003年)の主人公たちだ。時代は1968年。世界中で若者たちの叛乱が起こった年だった。パリでは五月革命が起ころうとしていた。カンヌ映画祭がゴダールやトリュフォーの抗議行動のために中止になった年である。

その年2月、パリのシネマテーク館長アンリ・ラングロワが文化相アンドレ・マルローによって更迭された。その更迭に抗議したのがジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーなどヌーヴェル・ヴァーグの監督たちであり、ヌーヴェル・ヴァーグを代表する俳優ジャン=ピエール・レオーだった。彼らはシネマテークで古今東西の映画を見て育ち、やがて映画監督になった。ラングロワに対する尊敬の念は強かった。

ジャン=ピエール・レオーは「大人は判ってくれない」(1959年)の主人公アントワーヌ・ドワネル役でデビューし、トリュフォーの分身として何本もの映画でドワネルを演じ続ける一方、ゴダールの「男性・女性」(1965年)でも主人公を演じた。「ドリーマーズ」では実際の抗議行動のフィルムが挿入され、若き日のジャン=ピエール・レオーが写っている。

「ドリーマーズ」は、アメリカからパリにやってきた映画マニアのマシューが、シネマテークで双子の兄妹に出会うところから始まる。折しも、シネマテークではラングロア更迭の抗議集会が開かれている。その混乱の中で、マシューはイザベル(エヴァ・グリーン)というミステリアスな美少女と知り合う。彼女の双子の兄がテオ(ルイ・ガレル)だった。

「ドリーマーズ」とは、そのまま訳せば「夢を見る人たち」あるいは「夢想家たち」ということなのだろうが、「予言者」「透視者」といった意味もあるらしい。すべての会話が映画の引用である双子のイザベルとテオは、「映画の世界に浸りきった夢想家」なのかもしれないが、何かを予言する、あるいは人の心を透視する能力を持っているかのようにも見える。

兄妹の父親は作家で、母親と共に長い旅行に出ることになる。テオとイザベルは留学生のマシューに一緒に暮らそうと提案し、3人の奇妙で危うい暮らしが始まる。彼らは映画のセリフを口にし、その出典をマシューに当てさせようとする。あるいは、特別の仕草をして、それが何の映画からの引用なのかマシューに問いかける。マシューはすべて当てる。彼らは間違いなくシネフィル(映画狂)である。

イザベルは「私は1959年にシャンゼリゼの舗道で生まれた」と宣言する。「私が最初に発した言葉は『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』」と言う。その瞬間、ゴダールの「勝手にしやがれ」(1959年)のワンシーン、ジーン・セバーグが「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン」と大声をあげてシャンゼリゼ通りで新聞を売り歩く姿がインサートされる。

3人の映画狂のゲームはエスカレートする。イザベルは「はなればなれに」の3人のように、ルール美術館を駆け抜けようと提案する。「あれは映画だ」と怯んでいたマシューも彼らと共に走りける。そのシーンはモノクロームの「はなればなれ」のカットと、カラーで撮影されたテオ、イベル、マシューのカットが動きを合わせて編集される。ふたつの映画が融合する。

テオ、イザベル、マシューの3人は9分28秒でルーブル美術館を走り抜け、イザベルは「17秒の記録更新よ」と大喜びする。あのシーンは「はなればなれに」の各カットを分析し、どのキャメラポジションから、どんなサイズで、どんなアングルで撮影するか、事前に綿密に設計しないとできないはずだ。アンナ・カリーナたち3人とイザベルたち3人は、映画の魔術で解け合ってしまう。

もしかしたら、「愚かな日本人観光客、ルーブルを駆け抜ける」と顰蹙を買うニュースになるかもしれないけれど、僕も「はなればなれに」や「ドリーマーズ」の3人のように、ルーブルを走り抜けてみたい。映画を見ていると、そんな気持ちになる。その前に、どうやってルーブルにたどり着くかが問題なのだけれど......

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

ベッドの位置を変えた。読書用ソファを窓寄りにする。原稿を打つのはドア近くのテーブル。いつの間にかモノが増えて部屋が狭くなった。本を整理しようと思いながら、棄てられない。VHSテープも整理しなきゃいけない。見られなくなったLDは、どうしようかなあ。何枚かジャケットを飾ってはいるのだけど。

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< http://forkn.jp/book/3701/
> 黄色い玩具の鳥
< http://forkn.jp/book/3702/
> 愚者の夜・賢者の朝
< http://forkn.jp/book/3707/
> 太陽が溶けてゆく海

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