映画と夜と音楽と...[596]「すべて昔のこと」と言えるとき...
── 十河 進 ──

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〈ギャングスター/ニキータ/アサシン/レオン/そして友よ、静かに死ね〉

●現在のフレンチ・ノアールではオリヴィエ・マルシャルがお気に入り

斜め後ろからの撮影なのではっきりはしなかったが、「見た顔だな...」とまず思った。初めての登場なのだが、その女優はいきなり男の上で裸身をくねらせている。背筋が通ったきれいな背中だ。お尻も丸出しである。男はシーツに隠れているが、女の露出度は高い。どういう展開になるのかは予想できなかったし、娼婦の役だ。名のある女優ではないのかもしれない、そう思った。

僕はフランス映画を偏愛している。中でもフィルム・ノアール作品は、どんなものであっても一応は見る。劇場で見逃しても、最近はWOWOWが「フランス映画特集」を組んでくれる。昨年は、クロード・シャブロル監督特集を放映してくれた。先日は、未公開フィルム・ノアール作品が何本か流れた。それで火が点いたのか、僕は未公開作品でDVD発売になっているものを探した。

現在のフレンチ・ノアールの監督では、オリヴィエ・マルシャルが僕のお気に入りだ。「あるいは裏切りという名の犬」「やがて復讐という名の雨」「いずれ絶望という名の闇」と、昔に比べれば描写はどぎついが伝統的なフレンチ・ノアールのテイストを楽しませてくれる。僕より7歳若く、アラン・ドロン主演映画で俳優デビューした正統的フランス映画人だ。「裏切りの闇で眠れ」「すべて彼女のために」「唇を閉ざせ」などでは、俳優として活躍している。




そのオリヴィエ・マルシャルの未公開作品がDVDで発売されていた。「ギャングスター」(2002年)という。初監督作品らしい。ネットのレンタルで検索し、見付けたときは嬉しかった。すぐにリクエストしたが届くまでにタイムラグがあり、僕はまったく内容も出演者も確認せずに見始めた。見覚えのない俳優がふたり登場し、会話をする。内容から暗黒街の住人だとわかる。日本で言えばヤクザ、そのふたりのシーンに「ギャングスターズ」とタイトルが出た。

タイトルバックが終わると、主人公らしい男を逮捕するために集まった刑事たちが映る。短時間で6人の刑事のキャラクターを描き分ける。キビキビした描写が心地よい。部屋の中では、前述のシーンが繰り広げられている。男がアップになり「いった方がいい。後で逢えるさ」と言うと、女が「どうなるの?」と訊く。女は美人だが、小じわの目立つ顔だ。倦怠感を漂わせている。娼婦の演技をしているのだろうか。やはり、見覚えのある女優だった。

刑事たちがなだれ込み、男は逮捕される。警察署で男の取り調べが始まる。女が連行されてくる。「彼女を釈放したら話す」と男が言うが、女も別の部屋で尋問される。刑事との会話で、男は逃亡中の犯罪者、女は娼婦だとわかる。しかし、取り調べの間に回想シーンが挟まれ、次第に真相がわかってくる。うまい造りだ。男と女の本当の狙いが明らかになったとき、ふたりは警察署の前で背中合わせに立ち拳銃を構える。拳銃を構えた女の姿に、記憶の中から何かが甦ってくる気がした。

ラストシーンに重なってエンドクレジットが流れ始める。僕は、キャストを見逃さないように目を凝らした。ふたりめに女優の名前が出た。Anne Parillaud......、「ニキータだ!」と叫んだ。アンヌ・パリロー、22年前に僕は一度だけ彼女を見た。ミニドレスにハイヒールで、大型の自動拳銃を撃ちまくる姿が記憶の中から浮かび上がる。「ニキータ」(1990年)から12年分の年を重ねた、憂愁の女殺し屋と僕は再会した。

●疾走するオープニングシーンがリュック・ベッソン作品の刻印

「グレート・ブルー」(1988年)で、リュック・ベッソンという若き監督に注目した。フリーダイビングを題材にした素晴らしい映画だった。主人公はストイックすぎて感情移入できなかったが、ライバルのエンゾを演じたジャン・レノの男らしさと、鼻がツンと上を向いた(若きオードリー・ヘップヴァーンを連想させる)ロザンナ・アークェットのかわいらしさが印象的だった。

「ニキータ」(1990年)は、リュック・ベッソンの鳴り物入りの新作だった。公開のずいぶん前からテレビで紹介され、直前には派手なCMが流れた。体にぴったりしたミニドレス姿の若い女殺し屋が疾走する。爆発する炎に追われ、キッチンの通気口に飛び込むシーンが繰り返し流れた。映画雑誌で、ベッソンとアンヌ・パリローの出逢いが生んだ映画だと書かれていた。ふたりは恋愛関係にあり、後にアンヌ・パリローはリュック・ベッソンの子供を生む。

「ニキータ」のオープニングは、「グラン・プルー」のオープニングシーンをもじっている。夜のパリの濡れた舗道をカメラが流れるように映していく。移動撮影というより、高速で走る車から舗道を見ているようだ。濡れた舗道は光を反射して美しい。「グラン・ブルー」のオープニングシーンは、光を反射している海面の俯瞰撮影だった。スクリーンいっぱいに輝く海面が猛スピードで流れていく。そのスピード感がわくわくさせたものだったが、「ニキータ」も同じだ。

カメラが停止し、アングルが変わると数人の若者たちの脚が映る。彼らはジャンキーで、薬ほしさに薬局を襲う。警官がやってくる。銃撃戦になる。ジャンキーのひとりであるパンク風の少女が拳銃を拾い上げる。目の前に若い警官が転倒している。少女は警官と目を合わす。警官が命乞いをする。少女は無表情のまま、ためらいもなく警官を撃ち殺す。そこで、暗転した。プロローグだけで、リュック・ベッソンの映像センスが抜群なのがわかる。

「ニキータ」から派生したジャン・レノ主演の殺し屋映画「レオン」(1994年)のオープニングシーンも同じだ。こちらは「グラン・ブルー」と同じく空撮で、ニューヨークを俯瞰する。風景が凄い速さで流れていき、最後にカメラがアングルを変えると、そこはマンハッタンである。続いて、リトル・イタリーのイタリア料理店で、店主がレオンに説教している。ここまで繰り返すと、冒頭の移動撮影シーンはリュック・ベッソン作品であることの刻印になる。

「ニキータ」は「殺し屋版マイ・フェア・レディ」と言われた。死刑を宣告されたニキータは別人となって、政府の組織に暗殺者として養成される。訓練するのは、笑わない黒ずくめの中年男(チェッキー・カリョ)である。このキャラクターの存在感が凄い。「ニキータ」をハリウッドがリメイクした「アサシン」(1993年)ではガブリエル・バーンが演じたが、こちらも棄てがたいもののオリジナル版には及ばない。ニキータに女の優雅さを仕込むのは、名女優ジャンヌ・モローだった。

「ニキータ」は訓練シーンがじっくり説得力をもって描かれるから、後の展開が切なくなる。ニキータは訓練終了のお祝いディナーだと教官に誘われ、高級レストランにドレスアップして赴く。渡されたプレゼントを開くと、大型拳銃と指令の文書が入っている。冷酷に警官を射殺した(観客として感情移入できない)女は、もうそこにはいない。高い教育を受け洗練された大人の女になったとき、皮肉にも彼女は人を殺さねばならない。だから、殺伐とした殺人シーンが続くほど、ニキータの悲しみが身に迫ってくる。

●湾岸戦争が始まった頃に「ニキータ」は公開された

1991年、僕は「ニキータ」を池袋の映画館で見た。「ニキータ」が公開されてすぐの1月17日には湾岸戦争が始まった。その日の僕の日記に「ついに湾岸危機が戦争に。今朝、アメリカを中心として多国籍軍がイラクを攻撃。圧倒的に優位に立つアメリカが猛烈に爆撃した」とある。2月9日の土曜日には「昨日で仕事はヤマを越す。本日は久しぶりに仕事をせずに過ごす。木曜日にビクターのNさんに接待されタクシーで帰宅。明日は妻と映画へいく予定」と書いている。

僕は「ニキータ」をカミサンと見にいったのは記憶していたが、なぜ、ふたりでいったかと記憶を探ると、招待券を二枚もらったからだったと思い出した。当時、僕はビデオ雑誌の編集長で、ビクターや松下電器やソニーの広報担当者と付き合いがあった。「ニキータ」は、VHS方式のビデオで飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本ビクター(JVC)が出資している。だから、ビクターのNさんから僕は招待券をもらったのだ。

当時、ビクターはソフト方面の事業に手を出そうとしていた。ビデオデッキ、ビデオカメラのハード面はVHSで制覇し、後にソニーがハリウッドに進出したようにソフト面に進出しようとしていたのだ。そのひとつが映画への出資である。「ニキータ」は、そのハシリだった。同じ頃、ビクター音楽産業は「ニューフリックス」という映画雑誌を創刊した。編集スタッフの中心になったのは、元「キネマ旬報」の編集者たちだった。

創刊号の発行は「1990年6月22日」になっているから、5月くらいに書店に並んだのだろうか。隔月での発行だった。創刊号の奥付を見ると、編集長のSさんとは直接の面識はなかったが、副編集長のMさんとは電話で話をしたことがあった。アドバイザーなのだろう、映画評論家の山田宏一さんが名前を連ねている。そして、アートディレクターには高崎勝也さんの名がある。「ニューフリックス」は、まるで女性誌のような美しいデザインでスタートした。

当時、僕は「ビバ・ビデオ」というビデオ雑誌の編集長になったばかりだった。僕は金をふんだんに使えるのなら「エスクァイア」のようなクオリティ・マガジンを作りたかった。今から思えば青臭い編集者だったが、僕の理想の雑誌が「エスクァイア」だった。そんなときに「ニューフリックス」が創刊された。それは、ビデオ時代ならではの映画雑誌だった。表紙は毎号、ハリウッド全盛時の女優たちのモノトーンのポートレートで、デザインが素晴らしかった。

一流のアートディレクターが参加しなければできないエディトリアル・デザインの「ニューフリックス」は、僕が思い描いたビジュアル誌の理想型のように見えた。だから、創刊から2年間買い続け、今も大切に書棚に並べている。「ニキータ」の記事が載ったのは、創刊の翌年の2月号だった。特集は「1991年のアメリカ映画徹底ガイド」だ。表紙はブルートーンのヴィヴィアン・リー。輝くように見えるのは、銀を使っているからではないか。贅沢な印刷だ。

あれから22年の月日が流れた。今は、もうブルーレイの時代である。日本の家電メーカーもずいぶん変化した。経営危機に陥り韓国メーカーの資本下になったり、膨大な赤字を計上して吸収合併されたり、あの頃、こんな時代がくると誰が予想しただろうか。栄枯盛衰...といった言葉がよぎる。まさに「治乱興亡...夢に似て、世は一局の碁なりけり」である。

自分自身のことを振り返ると、1990年の秋から1991年にかけては激動の年だった。慣れたカメラ雑誌編集部から、何もわからないビデオ雑誌編集部に異動した変化の年だった。おまけにすぐに編集長になり、鬱のスタッフや新人部員を抱えた。そんなとき、大手出版社の競合誌の統括編集長からヘッドハントの話があり、断ってもなかなか諦めてくれなかった。それでも、20年以上の時間が流れてしまえば、他の記憶と同じになる。すべて「昔のこと」である。

●「ニキータ」で有名になった俳優の21年後の姿

「ニキータ」はアンヌ・パリローを世界的に有名にしたが、冷徹にニキータをきたえ暗殺の指令を与えるボブ役を演じたチェッキー・カリョの存在も観客の記憶に刻み込まれた。その後、ハリウッドに呼ばれたりしたようだが、僕は「ニキータ」以外の出演作の記憶がほとんどない。ところが、昨年、オリヴィエ・マルシャル監督の久しぶりの公開作「そして友よ、静かに死ね」(2011年)を見ていると、冒頭、年を重ねたチェッキー・カリョが登場した。

渋い初老の男がホテルの屋上に上ってくる。上半身は裸だ。もう年だが、鍛えた身体である。彼は、幼い頃からの人生を回想する。そして、自分が送ってきた人生の結果、現在、直面している葛藤を見据える。迷い、決断する。彼は海を見下ろしながら、「誰もが望む人生とは? 家を持ち家族に囲まれ、楽しく心穏やかに暮らす。信頼できる友人も必要だ。俺は幸運にもすべてを手に入れた。余計なものまで...」とひとりごちる。

男はプールのある大きな屋敷に住み、リヨンで悠々自適の老後を送る元ギャングである。足を洗って20数年、孫の洗礼式を終え、庭で大勢の知人や親戚に囲まれてパーティを開いているとき、10数年ぶりに故郷に帰ってきた昔の友セルジュ(チェッキー・カリョ)が逮捕されたことを聞く。主人公エドモン(通称モモン)を演じるジェラール・ランヴァンが渋い。この映画のとき、実年齢で61歳。こんな男になりたいと僕は思った。

男は、ロマ人(ジプシー)として子どもの頃から差別されてきた。彼をかばってくれたのがセルジュだ。以来、親友になる。ふたりは悪ふざけでサクランボを盗み、一緒に投獄される。やがてギャングの仲間になり、抗争の後、独立して自分たちのギャング団を作り、銀行や現金輸送車を襲い「リヨンのギャングたち」として有名になる。だが、密告されて警官隊に囲まれ、懲役を勤めた後に足を洗ったのだ。

しかし、セルジュは麻薬密売の世界に飛び込み、警察から追われていた。また、麻薬組織のボスを裏切ったことから、闇社会からも命を狙われている。そんなとき、帰郷し逮捕される。昔の仲間たちが「助けよう」と集まってくる。刑務所に移送されれば、セルジュは間違いなく殺されると彼らは言う。エドモンは「もう年だ。それに違法なことはしないと妻に約束した」と答える。しかし、彼に友を見棄てることはできない。

一方、逮捕されたセルジュは何も喋らず、「その年で懲役になれば、老衰で死ぬぞ」と刑事に揶揄されても表情を変えない。チェッキー・カリョが、いい味を出す。「ニキータ」から21年後である。老けた。白い髪を短く刈り上げ、こけた頬に白く短い髭を生やしている。しかし、濃い色のランニングシャツから出ている両腕には衰えはない。何10年も裏社会で生きてきた男の匂いがする。

結局、エドモンは若いギャングたちに依頼してセルジュを逃亡させる。だが、若い奴らの荒っぽいやり方が気にくわない。若いギャングたちのひとりはセルジュの娘の夫で、妻に暴力をふるうろくでなしである。助け出されたセルジュは、無表情にその男の眉間を撃ち抜く。「娘に何て言う?」と訊くエドモンに、「悩みがなくなったと言えばいい」とセルジュがクールに答える。

僕が「フィルム・ノアールの神」とあがめるジャン=ピエール・メルヴィル監督は「人生は三つの要素でできている。愛と友情と裏切りだ」と言った。それは、すべてのフィルム・ノアールのテーマである。「そして友よ、静かに死ね」も例外ではない。いや、メルヴィル作品以上にそのことを深化させている。エドモンの葛藤、迷い、決断...、そのひとつひとつが長く生きてきた僕の心に響いてくる。そして、こう語りかけるのだ。

──いくつになっても、現在を生きている限り、「すべて昔のこと」にはならないのだ......

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

梅雨明けの週末。このところ、まともに5日間の勤めを果たしていない。人間、年をとることは、自分で経験しないとわからないのか。目が見えにくくなり、身体の動きが衰える。いつの間にか、ゆっくり歩いている自分に気付く。イヤでも早朝から目が覚める。フルタイムで働くのが辛くなる...。

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< http://forkn.jp/book/3701/
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