まにまにころころ[49]軍師大好き
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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こんにちわん、コロこと川合です。明けましておめでとうございます。もう20日ですか。そうですか。ともあれ、本年もどうぞ宜しくお願いします。

◎──まだパッとしない「軍師官兵衛」

さて新年が始まって、今年のNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』が始まりましたね。ちょうど第三話を見終わってからこれを書いているのですが、続き物のドラマを三話も連続で見るなんて、いつ以来か分からない。まあ、たまたま放送時間にテレビの前にいられることが続いた偶然もあるのですが、LINEの番組公式アカウントからの通知を見て「あ、今日放送日か、見なきゃ」って思わされたり。


舞台となっているこの辺りの時代の歴史物が好きで、ちょうど昨秋辺りから、宮下英樹の漫画『センゴク』を読んでいたことも大きいです。『センゴク』の舞台も戦国〜安土桃山時代が中心で、官兵衛も出てくるんですよ。

さらに加えて、「軍師」ってのが大好きなんです。最初に軍師に興味を惹かれたのは、たぶん中学生の頃。三国志ブームがあって、諸葛亮孔明が大好きで。中学生なのに、将来は軍師になりたいって言ってたほど。

昔から体動かすより頭動かすのが好きだったので、豪傑、猛将より、知将に惹かれるんですよね。体力より智力で勝負!

戦国時代が好きで軍師が好きとなれば、『軍師官兵衛』は見ざるを得ないです。黒田官兵衛より、どちらかといえば竹中半兵衛の方が好きでも。三話まで見た感想が「なんか、パッとしないなー」であっても。(笑)

軍師好きは私に限らず昔から多くいるようで、大抵、歴史に残る軍師は様々な逸話や伝説が、真偽はともかく付加されています。格好の創作対象なんですね。中国古代王朝・周の軍師として有名な呂尚(太公望)なんて、『封神演義』では仙術使いの道士ですし、『三国志演義』の諸葛亮(孔明)だって祈祷で強風吹かしたり寿命延ばそうとしたり。

でも真偽なんてどうでもいいんです。作り話にしても多くの場合きっと、少々マユツバでも「あいつならやりかねない」と思わせるだけのものが実際あったからだと思うんです。太公望なら仙術も使うさ、孔明が祈れば風も吹くさ!

ということで、有名な軍師を数名、簡単に紹介。

◎──呂尚(太公望)

周の武王に仕えた軍師で、殷の紂王を倒して周王朝の樹立に貢献、斉の国の王に。ちなみに原泰久の漫画『キングダム』で秦が戦っている斉は、呂尚の斉が何代か後に田氏によって乗っ取られた後の斉。

釣り好きを指して太公望というのは、呂尚が釣りをしていたところを、文王にスカウトされたという逸話から。ある朝、文王が占いしたところ、すげー人材に出会うって結果が出て、そこで出会ったのが呂尚。話して意気投合し、「あんたこそ、うちのじーちゃん(大公)が待ち望んでた逸材だわ」って。

◎──諸葛亮(孔明)

中国三国時代、劉備に三顧の礼で迎えられた軍師。その「三顧の礼」って言葉自体が、劉備が孔明を口説くのに三回お願いしにいったという逸話から。もう有名すぎて何も書くことがないので、トリビアをふたつほど。

孔明の奥さんは色黒で美しくないと言われているんですが、褐色のアジアンビューティだったという説も。いずれにしても、見た目はともかく、孔明に負けない才女だったそうです。

また「伏龍」孔明と並び称された軍師「鳳雛」ことホウ統は、孔明の姉の義父の甥っ子で、『三国志演義』ではホウ統の兄弟が孔明の妹と結婚し、義理の兄弟にもなっているそうです。

さてここから、日本の軍師。

◎──太原雪斎

今川義元の軍師。漫画『センゴク外伝 桶狭間戦記』でも大活躍。幼い今川義元の教育係として三顧の礼で迎えられた僧で、成長し当主となった義元を補佐。武田、北条と和し、一方で織田(信長の父、信秀)を攻め、織田にさらわれた竹千代(徳川家康)の奪還も成し、政策面でもフルサポートと八面六臂の活躍で、今川氏を隆盛させる。

もう、どう見ても僧ってイメージじゃない。(笑)1555年に60歳で没した太原雪斎があと5年長生きしていたら、桶狭間は……

◎──山本勘助(道鬼斎)

武田信玄に仕えた隻眼の軍師。推量することの「ヤマカン」の語源とも。軍略に築城に法整備にと、こちらも八面六臂の活躍で武田氏を盛り立てるものの、仇敵上杉謙信に軍略で上を行かれて、川中島に散りました。

まともな史料があまりなく、長くその実在さえも疑われていた山本勘助ですが、昭和44年になって出てきた書状から、どうやら実在したらしいとのこと。

その書状が発見されたきっかけは、大河ドラマ『天と地と』を見て触発された人が探し出したという、歴史好きの凄さを垣間見るもので。実在が疑問視されていたため、その大河ドラマ『天と地と』には山本勘助は出てこないのに、この書状の発見のおかげで、平成2年の映画版『天と地と』には山本勘助が登場。

◎──竹中半兵衛(竹中重治)

信長家臣の秀吉によって三顧の礼で迎えられた軍師。孔明のせいでか、軍師はみんな三顧の礼。二回は断るらしい。(笑)

元々は織田氏の敵、斎藤義龍、龍興の親子に仕えていた。龍興がさっぱりダメ主君だったので、いい加減にしろよと手勢たった16人で龍興の居城・稲葉山城を一日で奪取。それを知った信長が、「すげーな、おい、俺のとこにこいよ」と誘うも拒否。稲葉山城を龍興に返還して他国へ向かい、ほどなく隠遁。

三年ほどして、秀吉に口説き落とされ、織田家に。調略で落としたり、兵糧攻めで落としたりと、味方の血を流さない戦にも長け、次々と敵を攻略。秀吉、大出世。

息子に軍議を説いていたところ、息子がトイレに立とうとしたら「小便垂れ流してでも軍談中に席を立つなアホ。軍談に集中して失禁したらむしろ誉れに思え」と叱りつける厳しいお父さん。大河ドラマ『軍師官兵衛』初回で幼少期の官兵衛が、話に集中しては失禁していたのはおそらく、この話が元ネタ。

また、黒田官兵衛が謀反を起こした荒木村重の説得に出たまま帰ってこなかった時のこと、官兵衛まで寝返ったとブチ切れた信長が秀吉に、見せしめに官兵衛の息子を処刑しろと命じた際、半兵衛が「はいはい、じゃあ始末しときますわ」と引き受けた振りをしつつ「あの官兵衛が裏切るわけないやん」と、こっそり保護。

ほどなく半兵衛は病没してしまうも、荒木に一年間捕らわれていた官兵衛が救出されて、疑いが晴れたところで官兵衛親子は涙の再会。官兵衛、大感謝。竹中家の家紋をもらい受け、黒田家の家紋のひとつに。

◎──黒田官兵衛(黒田孝高)

竹中半兵衛と「両兵衛」として並び賞される秀吉の軍師。後のキリシタン大名としても有名で、『軍師官兵衛』の三話で宣教師の話に興味を持っていたのはその前振り。官兵衛の活躍は大河ドラマに任せますが、野心家としても有名。

天下取りを狙っていたとも言われ、関ヶ原の戦いに家康側として大活躍した息子、黒田長政(半兵衛に助けられた子)が「家康さん大喜びで、握手までしてくれたで」と報告したところ、「右手で握手したんやったら、空いてる左手はどないしててん。刀握って刺さんかい!」と叱ったらしい。

◎──紙の書物のすごさ

軍師、軍師と書いてきましたが、最後にちょっとデジタルクリエイターらしい話を。今回、太公望から官兵衛まで、歴史上の軍師を紹介しましたが、彼らの話が今に伝わっているのは、様々な書物に書き記されて残っているから。古いところでは、太公望の話が記された司馬遷の『史記』なんて紀元前のもの。

これって、紙なりなんなりに書かれたアナログものだから残ってるんですよね。私が漫画『センゴク』を読んでいるのは、Kindleで。仮にこのKindleが二千年後に誰かの手元にあっても、たぶん『センゴク』は読めない。(笑)

記録媒体であり、同時に表示媒体でもあり、長期保存も可能で、電源も不要。紙の書物がどれだけすごいかを、改めて実感した次第です。

電子書籍は紙の書籍に取って代わるものではなく、両者それぞれ、一長一短で、特性を活かした棲み分けなり使い分けがされていくんでしょう。

【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
合同会社かぷっと代表
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kindle、気軽に買えすぎて、請求が怖い……