映画と夜と音楽と…[627]せめて…もう一度だけ逢いたい
── 十河 進 ──

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〈どろろ/黄泉がえり/この胸いっぱいの愛を〉

●実作者である映画監督が具体的に話すから目から鱗が落ちる

朝日新聞の書評欄で「映画術」という本が取り上げられていた。塩田明彦監督が映画美学校で行った授業をまとめたものだ。「映画術」というタイトルでは、ヒッチコック監督にフランソワ・トリュフォーがインタビューしてまとめた名著(晶文社刊)がある。塩田監督は「映画術」の翻訳者である山田宏一さんと蓮見重彦さんに了解を得て、そのタイトルにしたらしい。


新聞の紹介記事を読んで「買わねば」と思っていたら、数日後に出版元のイーストプレスから僕宛で会社に送られてきた。僕の最初の二巻本「映画がなければ生きていけない」を担当してくれた北畠さんが今はイーストプレスで文庫編集長をしており、映画の本だからということで送ってくれたのだ。すぐにお礼メールを送り、帰りの電車で読み始めたらやめられなくなった。

講義を採録したものだから、すごく読みやすくて理解しやすい。例に挙げるシーンも各カットのコマを並べて見せてくれるから、非常にわかりやすい。トリュフォーの「映画術」でも「サイコ」のシャワーシーンの全カットが並べられ詳細に分析されていたが、どちらの本も実作者である映画監督が具体的に話してくれるから目から鱗が落ちる箇所がいくつもある。「なるほど、なるほど」と心の中でうなずきながら、翌日の午前中で読了してしまった。

採り上げている監督や作品が僕の好きなものばかりだったのも、読むのがやめられなかった理由かもしれない。ほとんど見ている映画ばかりだから、シーンのコマが並んでいるだけで内容が伝わってくる。第一章では主に成瀬巳喜男監督の「乱れる」(1964年)が分析され、第二章では「サイコ」(1960年)の凄さがリメイク版と対比されながら紹介される。第三章で採り上げられるのは、「秋刀魚の味」(1962年)「許されざる者」(1992年)「曽根崎心中」(1978年)などだ。

とりわけ面白く読んだのは、第四章で採り上げられた三隅研次監督のことである。勝新太郎の「座頭市物語」(1962年)や市川雷蔵の「大菩薩峠」(1960年)がコマ割と共に分析され、僕など気付きもしなかった視点から読み解かれる。また、僕が偏愛するフリッツ・ラング監督の「復讐は俺に任せろ」(1953年)が、ここまで深く解析されたのも初めてではないだろうか。

塩田監督は自主映画出身で、僕が「小型映画」という8ミリ専門誌で「シネマパワー」という自主映画の頁を作っていた頃、立教大学の学生だったようだ。その頃の立教大学で自主映画を作っていた人たちの中から黒沢清監督も出ているし、今は映像作家としてよりノンフィクション作家としての方が有名になった森達也さんも出ている。

僕は塩田監督の作品としては「黄泉がえり」(2002年)「カナリア」(2004年)「この胸いっぱいの愛を」(2005年)「どろろ」(2007年)を見ている。未見で気になっているのが、宮崎あおいが注目されるきっかけになった「害虫」(2002年)である。最も記憶に残っているのは、オウム真理教事件を背景にした「カナリア」だ。この作品では谷村美月が注目され、その後の活躍のきっかけになった。

●三隅研次監督のDNAは香港映画を経て日本に伝わった?

僕自身はおしゃべりな人間ではあるけれど、寡黙な映画が好きである。僕が神と仰ぐジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品は、極端にセリフが少ない。セリフで説明するのではなく、ひりひりした緊張感のあるストイックな映像で語る。同じ資質の映像作家が三隅研次監督である。

まだ高価だったレーザーディスクで「座頭市物語」「斬る」(1962年)「剣」(1964年)「剣鬼」(1965年)「眠狂四郎 無頼剣」(1966年)を買い、若山富三郎版「子連れ狼」のDVDボックスセットを買うくらい僕は三隅作品が好きである。どの映画も何度見たかわからない。

手塚治虫の「どろろ」が「少年サンデー」で連載が始まったのは、僕が高校生の頃だった。野望に燃える醍醐景光が寺のお堂に祭られた四十八体の魔像に産まれてくる子を捧げたため、鼻も目も口もなく手足もない赤ん坊が生まれ、その子は川に流される。赤ん坊は医者に拾われ、義眼や義手義足で人の姿になるというプロローグは、今でもコマ割まで思い出せるほどだ。

それから20年後、僕は幼い息子と本屋にいき「どろろ」が四巻の文庫本で出ているのを見つけた。確か「どろろ」は身障者に対する差別意識を助長するとかいったクレームがあり、未完のまま一年ほどでおわったなあと思い出し、僕は改めて「どろろ」を読みたくなって文庫本を買った。僕が最も好きな手塚作品なのである。そして、「どろろ」は10歳にもならない息子の心も捉えた。

塩田明彦監督の「どろろ」は妻夫木聡が百鬼丸、どろろは柴咲コウだった。百鬼丸を育てる医者が原田芳雄、父親の醍醐景光に中井貴一、弟の多宝丸が瑛太という豪華な配役である。どろろを大人の女優にやらせるのはどうかと思いつつ僕は見にいったが、期待しすぎたせいか物語は原作に忠実だったのに何となく肩すかしを食った気がした。

「映画術」の中で塩田監督は三隅研次監督作品の分析に続いて、自作の「どろろ」の舞台裏を公開している。三隅研次監督の時代劇のようなことを、塩田監督は「どろろ」でやりたかったのだ。そうわかると、僕の中で「どろろ」が違う意味を持って立ち上がってきた。ひとつひとつのアクションやショットが、新しい視点で甦る。「どろろ」の色彩設計は印象的だったなあと思い出す。

塩田監督は三隅研次監督についての話を始める前に、香港ノアールの旗手ジョニー・トー監督の「ザ・ミッション 非情の掟」(1999年)の分析をする。有名な香港ジャスコ内でのスタイリッシュなガン・アクションだ。塩田監督は「香港映画は独自の『動き』を創造してきたわけですけど、その源流には『座頭市物語』の三隅研次がいる」と語る。

そして、「三隅研次のドラマを背負った優れたアクション・動きは、どこへ行き着いたのか?」と提起し、その答えとしてチン・シウトンがアクション監督を担当した「ドラゴン・イン 新・龍門客棧」(1992年)を採り上げる。残念ながら僕はこの映画を見ていないのだが、塩田監督は自作の「どろろ」のアクション監督としてチン・シウトンを招聘したことを明かす。

これを読んで、「そうか『どろろ』では三隅研次をやりたかったのか」と僕は感慨深いものを感じた。三隅研次の遺作「狼よ落日を斬れ」(1974年)を新宿のほとんど客のいない封切館で見たのは、もう40年前のことになる。池波正太郎の「その男」の映画化で、松坂慶子の侍姿の美しさが記憶に残っている。三隅研次のDNAは香港映画を経由して、日本の監督に戻ってきているのか。

●センチメンタルな人間を涙させる塩田監督の二作品

僕は自分がセンチメンタルな人間であることを自覚しているから、映画や小説ではセンチメンタリズムが前面に出ているものを嫌う傾向がある。僕がハードボイルド好きなのは、ハードボイルドの本質がセンチメンタルであるにもかかわらず、表面に出てくるのがシニカルで非情な行動であるからだ。つまり、隠されたセンチメンタリズム(村上春樹作品も同じだ)が僕は好きなのである。

そうではあるけれど、よくできたセンチメンタルな映画は僕の心を捉える。たとえば、大林宣彦監督作品がそうだ。「あした」(1995年)や「はるか、ノスタルジィ」(1992年)などが浮かんでくる。そこでは臆面もなくセンチメンタリズムが謳い上げられる。それらは少女の話だが、大人のセンチメンタリズムとしては「なごり雪」(2002年)や「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2006年)がある。

塩田明彦監督の「黄泉がえり」を見たとき、何てセンチメンタルな映画なのだろうと思った。同じ監督が「この胸いっぱいの愛を」を作ったのだと知ったとき、同工異曲の話だなと感じた。この二作の間に、シリアスで社会性に充ちたテーマの「カナリア」があり、塩田監督にこんな一面があるのかと考えた。もちろん、人間は多様な一面を持っており、「映画術」で塩田監督は自分の好みを明らかにしている。

だから、僕もセンチメンタルだと思った塩田監督の二作に触れておきたい。なぜなら、センチメンタルではあっても僕はその二本が気に入ったからなのだ。「黄泉がえり」も「この胸いっぱいの愛を」(ベタなタイトルですが)も、大林宣彦監督の「あした」と同じテーマを扱っている。つまり、愛する者にとって死者とは何か? ということだ。愛する人が死んだ後、せめて…もう一度だけでも逢いたい、突然の死で伝えられなかったことを伝えたい、という思いを実現させる映画である。

「黄泉がえり」は人気者の草薙剛と竹内結子の主演で話題になり、柴咲コウ(RUI)が唄う主題歌「月のしずく」もヒットしたから憶えている人は多いだろう。九州阿蘇近辺で死者たちが甦る現象が起こり、その調査に厚生労働省の官僚(草薙剛)が赴く。そこは、彼の生まれ故郷であり、そこで死んだ親友の婚約者(竹内結子)と再会する。彼女は主人公の親友が甦ることを強く願っている。

死者たちが愛する者たちの前に現実の存在として甦るのを「黄泉がえり」と称しているのだが、蘇生の現象が描写されるわけだから様々な形の愛のエピソードが語られる。死んだ子供が甦り、幸せになる家族がいる。少女の前に死んだ恋人が現れ、死んだ息子が年老いた母の元に帰ってくる。そこでは、男女の愛、親子の愛、肉親の愛が描かれ、死者が甦るのは誰かが強く死者との再会を望むからだとわかる。

しかし、竹内結子が望むのに婚約者は甦ってこない。そのことを主人公も不思議に感じている。しかし、彼は親友の婚約者だった竹内結子を心の底から愛していたのだ。それが、最後のどんでん返しにつながるのだけれど、原作者の梶尾真治さんはミステリを書いている人だから、そのどんでん返しの意外性は見事である。さらに、その意外性によって映画は余韻の深いものになった。

「この胸いっぱいの愛を」も原作は梶尾真治さんである。ファンタジーにミステリの要素が入っている奇妙な物語だ。ここでも、様々な愛の形が描かれていく。主人公(伊藤英明)は出張で飛行機に乗る。その飛行機には、気弱そうな男(宮藤官九郎)や若いヤクザ(勝地涼)や老女(倍賞千恵子)も乗っている。主人公が向かうのは、小学生時代を過ごした北九州の門司である。

気がつくと、主人公は20年前にタイムスリップしている。そこで、旅館を営む祖母(吉行和子)と暮らす少年と出逢うが、それは20年前の自分だった。近所には、子供の頃に自分が憧れていたお姉さん(ミムラ)がいる。彼女は前途有望なヴァイオリニストだったが、難病なのに手術を拒否して死んでしまったことを主人公は思い出す。未来を知っている彼は、彼女の夢を叶えるため、また彼女の命を救うために奔走する。

●もう一度だけでいいから逢いたいと思うことの意味

幸いなことに僕自身には、どうしても…もう一度逢いたいと強く強く願う死者はいない。義父が80半ばで逝去し初めて身内として葬儀を行ったが、それは順番という気がしている。いわゆる大往生だ。また、僕自身の両親はふたりとも90近くになるけれど、元気で暮らしている。まあ、それなりの覚悟はしているけれど……

未だに残念に思っている(悔いて)いるのは、20年前に亡くなった後輩の女性編集者の死だ。夜明けに土砂降りの雨の中、道路を横切ろうとして車にはねられた。生きていれば凄い編集者か、あるいは音楽家か、名のある文章家になったと思う。まだ30前だった。僕は、彼女の通夜で涙が止まらなくなった。僕の編集部を出て数年になり、あまり話さなくなっていたが、彼女とはもう一度話したかった。

一年前、写真家の管洋志さんが亡くなったときも、その一年前からガンだと聞いていたのに衝撃を受けた。悔いた。3年ほどお逢いしていなかったので、悔やまれてならなかった。せめて、もう一度逢って話がしたかったと、通夜の席、棺の中で静かに瞑目する管さんに逢った瞬間、こみ上げてくるものがあった。涙がこぼれた。

どんな人も、死は避けられないものだ。残った人間はやがて諦め、その人の記憶を大切にしようという気持ちになる。後輩の女性編集者のことは今でもときどき思い出すし、何度か印象に残る会話をしたことを甦らせる。管さんとは30年以上の付き合いの中でいろいろなことがあり、この一年の間、ふとした瞬間、不意に思い出が湧き上がってくる。自分自身の過去の姿と共に……

塩田明彦監督の「黄泉がえり」は、突然、愛する人を亡くした人たちの物語だ。別れの覚悟もできないまま、思いを残したまま、突然、愛する人と死別した人間は、彼らのように「せめて、もう一度だけでいいから逢いたい」と思うだろう。また、「この胸いっぱいの愛を」は、思い残したことをたったひとつだけ叶えられるとしたら……という物語である。親、兄弟、妻、子供、恋人……、もう一度逢いたいと願う死者であることで、彼あるいは彼女に対する己の愛の深さが証明される。

【そごう・すすむ】sogo1951@gmail.com < http://twitter.com/sogo1951
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三月末に帰郷しました。両親とも健在で、瀬戸内の穏やかな春を味わってきました。やることがないので、散歩と読書ばかり。友人の新居祝いに出かけ、久しぶりに会った別の友人とは、ジョニー・トーの話をしてきました。相も変わらず。

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