映画と夜と音楽と…[628]89歳になる父のアイフォン
── 十河 進 ──

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支那の夜 蘇州夜曲/東京暗黒街・竹の家〉

●父がアイフォンでメールを打つ練習をしていた

先日、父の誕生日にあわせて帰郷した。一年ぶりである。今年、89才になる父は元気で、義姉の運転する車で高松空港(「世界の中心で愛を叫ぶ」の主人公が叫んでいた場所)まで迎えにきてくれた。父は運転が好きで道もよく知っていたが、免許を返上してもう5年以上にはなる。今は助手席に座り、義姉のナビゲーターをつとめている。

しかし、父の耳はほとんど聞こえないので、会話は成立しない。父が勝手に「仏生山の方から帰るぞ」とか、「陸橋越えてふたつ目の信号を右折や」などと大きな声で言うだけだ。義姉が「その交差点ですか?」と確認しても、聞こえていないから何も答えない。僕は、後部座席でちょっとハラハラしていた。それでも、40分ほどで実家に着いた。

リビングのテーブルに座り、話をしても父にはまったく聞こえていない。母親も耳が遠くなっているが、何度か繰り返して大声を出すと通じる。自然に声が大きくなった。しかし、父にまったく通じないので持参のアイパッドを取り出し、言いたいことを画面に打ち込んで見せた。父が画面をのぞき込んで納得する。そんなコミュニケーションをとっていると、父がアイフォンを取り出した。

半年ほど前、父母と同居する兄から「おやじがスマホをほしがっているが、何がいいかな」とメールがあり、「らくらくスマホがいいんじゃないですか」と返信したが、父はアイフォンとらくらくスマホを比較してアイフォンを選んだ。最初、ひらがなだけのメールがきた。最近は、漢字変換もできているが、相変わらずメールにはタイトルが付いていない。

僕のアイパッドに対抗するように父が取り出したアイフォンの画面には、七五調の長い文章が打ち込まれていた。「打つ練習しよんや」と父が言う。その文章を読んでわかった。昨年、父に聞いた「支那の夜」(1940年)のナレーションだった。僕は見ていないが「クーニャン悲しや、支那の夜」というフレーズで終わるから、おそらく前後編で公開された「支那の夜」の前編のラストに流れたナレーションだろう。

昨年、米寿の祝いの席で「進の映画好きは、ワシの血かのう」と言い出し、戦前、名古屋の三菱重工の工場で数年働いていた頃のことを口にした。そんなことは初めて聞いたのだが、鋲打ち工として勤務していたという。当時の三菱重工だとしたら、戦闘機や戦車を造っていたのだろうか。もしかしたらゼロ戦の鋲を打っていたのか?

年齢にしたら15から18の頃らしい。工場の休みの日には、必ず映画館にいったという。「支那の夜 蘇州夜曲 前編」は昭和15年6月初旬に公開になり、「支那の夜 蘇州夜曲 後編」はその2週間後に公開された。長谷川一夫と李香蘭(山口淑子)の主演である。70年以上前に見た映画で憶えた七五調のナレーションを、父は朗々と暗唱した。

父が練習のために「支那の夜」で憶えたナレーションをアイフォンに打ち込んでいるのを見た僕は、バッグの中から帰省中に読もうと思っていた文庫本を取り出した。岩波現代文庫の「李香蘭と原節子」である。著者は四方田犬彦さん。2000年に出た単行本「日本の女優」を加筆訂正し、さらに「李香蘭と朝鮮人慰安婦」を加え、2011年に文庫本で出版されたものだ。

----こんな本、読んみょんか?
----面白いよ

来年90になろうという父親と李香蘭の話をすることになるとは、僕も思ってはいなかった。その後、父は独り言のように戦前の工場勤めのことを話し、敗戦を上海で迎えて帰国するまでのことを話した。ただし、脈絡がないから流れがよくわからない。昔は戦争中のことは何も話さなかったが、過ぎ去った年月の長さが父の重い口を開かせたのかもしれない。


〈新しい土/イングロリアス・バスターズ/ラストエンペラー/
●ナチ宣伝相ゲッベルスと並んでいる着物姿の原節子

李香蘭と原節子は共に1920年生まれだと、「李香蘭と原節子」を読んで初めて知った。原節子については小津安二郎監督作品との関係で語られることが多いが、15歳でデビューし戦前から活躍していた人である。僕は小津作品以外に黒澤作品や成瀬作品での原節子も見ているが、すべて戦後の作品ばかりだ。戦前の原節子を見たことはない。

四方田さんの本を読んで、戦前、原節子がヒットラーやゲッベルスと会っていたことを知った。ゲッベルスを主人公にした戯曲を三谷幸喜が書いていたけれど、ゲッベルスは「ナチの映画大臣」と言われた男で、宣伝相として映像を使ったプロパガンダを駆使した。ナチの党大会やベルリン・オリンピックを記録した女性監督レニ・リーフェンシュタールの映像は、今見ても力強く心を掻き立てる力を持っている。

ちなみに、ゲッベルスは映画オタクのクエンティン・タランティーノ監督作品「イングロリアス・バスターズ」(2009年)にもふんだんに登場する。ナチの戦意高揚映画をパリの劇場でプレミア上映し、そこにやってくるヒットラーを始めとするナチ高官たちを殺すシーンがクライマックスになっているのだから、ゲッベルスが頻繁に登場するわけである。

四方田さんの本にはフォーマルな格好をして立つゲッベルスと、あでやかな柄の着物姿で並ぶ原節子の写真が掲載されていた。説明には「1937年、ベルリンの日本大使館パーティにて」とある。くっきりとした目鼻立ちの原節子はゲッベルスより少し身長が低いが、すっきりとした立ち姿である。彼女がヒロインを演じた「新しき土」は3月23日にベルリンで上映され、ヒットラーやゲーリングなどナチの最高権力者たちが見た。

僕は、15歳で女優になった原節子がドイツとの合作映画「新しき土」(1937年)のヒロインとして出演し、映画のヒットによって人気を博したのは知っていたが、その映画がドイツはもちろんヨーロッパで公開され、親善のために原節子が渡欧したことは知らなかった。四方田さんは外遊時のアルバムや原節子が身に着けた着物を入手し、実証的に綴っていく。

「新しき土」はレニ・リーフェンシュタールを見い出した、山岳映画を得意としたドイツ人監督アーノルド・ファンクと伊丹万作(伊丹十三監督のお父さん)の共同監督だったが、ドイツの国策映画を作ろうとするファンク監督と伊丹監督はまったく合わず、それぞれ別のバージョンを作ったという。現在、DVDでも入手できるが、どちらのバージョンが発売されているのだろう。

「新しき土」は満州に開拓民として赴いたヒロインが、日本兵に守られながらトラクターで広大な土地を耕しているシーンで終わる。満州国の建国を正当化し、そこが希望の土地なのだと訴える。当時、国際世論は傀儡政権を樹立して満州国を独立させた日本を非難した。現在、ロシアがクリミア半島を「住民の自主投票による意思だ」として、強引にロシアに組み込んだことを非難する欧米のように……

四方田さんの本によれば、原節子の一行は日本で「新しき土」が公開された翌月の1937年3月に東京を出発した。下関から船で満州に入ったが、その船には満州映画協会(満映)理事長になる前の甘粕大尉も乗っていた。関東大震災のときに大杉栄と幼い甥、伊藤野枝の三人を惨殺した憲兵大尉である。その後、満映の理事長なった甘粕は、敗戦時に服毒自殺をする。ハリウッド映画「ラストエンペラー」(1987年)では、坂本龍一が甘粕を演じた。

●シャーリー・ヤマグチを初めて見た「東京暗黒街・竹の家」

僕が李香蘭(山口淑子)の最初の自伝「李香蘭 私の半生」を読んだのは、つい最近のことである。その自伝が出た当時にかなり評判になり、沢口靖子主演でテレビドラマになったことは憶えていた。その後、劇団四季が自伝を元に「ミュージカル李香蘭」を上演した。そのミュージカルが中国でも上演されたことは、四方田さんの本で初めて知った。

僕にとって山口淑子は、「三時のあなた」の司会者だった。午後3時からテレビで放映されていた奥様向けのワイドショーである。高校生の僕は彼女が何者なのかは知らなかったが、父母が「あれは李香蘭やろ。ずっと外国におったんや」と話していたのは記憶に残っている。その後、参議院選挙に立候補して当選し、三期にわたって参議院議員をつとめた。

彼女が参議院に当選した頃、山口淑子が戦前は李香蘭という名で中国人として映画に出演し、戦後はハリウッド映画に進出した後、彫刻家のイサム・ノグチと結婚していたことなどを僕は知った。したがって、波瀾万丈の人生を送った人だというイメージは持っていたけれど、自伝を読んで戦前の李香蘭時代のことを理解したのだった。

もっとも、僕が初めて女優としての山口淑子を見たのは、サミュエル・フラー監督の「東京暗黒街・竹の家」(1955年)だった。日本を舞台にしたハリウッド映画である。30年以上前だと思うが、サミュエル・フラー監督の特集上映があったのだ。富士山の見える場所でアメリカ人が殺され、それを知らされた友人がアメリカからやってくる。彼は、東京に巣食うアメリカ人犯罪者たちの仲間になる。

主人公を演じたのは、ロバート・スタック。後にテレビシリーズ「アンタッチャブル」でエリオット・ネスを演じた。彼は潜入捜査官で、殺された友人の日本人妻だったのがシャーリー・ヤマグチ(山口淑子)である。アメリカ人が望む日本女性(男にかしずき、風呂で背中を流したりする)を演じた。ショーン・コネリーと浜美枝が出た「007は二度死ぬ」(1967年)の先駆けのような映画だった。

ここ10年ほどで、僕は山口淑子の戦後作品を何本か見た。「わが生涯のかゞやける日」(1948年)「人間模様」(1949年)「醜聞」(スキャンダル)」(1950年)「戦国無頼」(1952年)などだ。監督は吉村公三郎、市川崑、黒澤明、稲垣浩だから映画史にも残っている作品ばかりである。ただし、「戦国無頼」以前の作品は占領時代のものなのでGHQの検閲を意識しており、当時の空気を知るために見る資料映像のような気がした。

「人間模様」だったと思うが、山口淑子は満州からの引き揚げ者であることを隠して戦後社会を生きている。当時、引き揚げ者(特に女性)に対する強い偏見があったからだと僕は推察した。五木寛之さんの引き上げ体験を元にしたエッセイや小説で書かれていたが、女性たちはソ連兵によるレイプを疑われ、日本上陸時に妊娠しているかどうかを確認されたという。

「醜聞」を見ると、昭和25年の時点ですでにクリスマスイブが派手に祝われていたこと、スキャンダリズムばかりを追うイエロー・ジャーナリズムがはびこっていたことがわかった。今と変わらない。黒澤明は、例によって自らの正義を高らかに振りかざし、イエロー・ジャーナリズムの卑劣さを糾弾する。そのメッセージが露骨すぎて鼻白むこともあった。

●70年以上にわたって父の記憶に刻み込まれた映画

李香蘭は、敗戦後、国民党政府によって日本に協力した中国人(漢奸)として告発される。有罪なら処刑だ。しかし、日本人であることが証明され、日本に帰国する。彼女が満映時代から信頼した人物が岩崎昶先生(僕は大学時代に岩崎先生の「映画論」を2年受講した)であり、先に帰国していた岩崎先生は彼女の所持品を預かり、自宅の庭に住居を用意して待っていた。

戦中の映画で李香蘭が演じた中国娘は、いつも日本人の男に恋をした。彼は紳士であり、公正であり、中国人に対する偏見を持たず、大東亜思想を純粋に信じ、劣等民族の中国人(支那人)を救うことが正義だと思っている。典型的なのが「支那の夜」だった。日本軍が制圧した上海。船員の長谷(長谷川一夫)と中国語が話せる舎弟分(藤原釜足)が、好色な日本人ともめている貧しい中国娘を救う。

彼女は日本人に反発し、抗日を口にする。しかし、主人公を始めとする優しい日本人たちの中で心を開き、やがて主人公を愛するようになる。日本人の男と中国人の女が恋愛で結ばれることで、日本も中国も幸せになれるのだという単純なメッセージである。しかし、逆はない。日本人の美しい娘が中国人の男に恋をする物語は、一等民族の日本人にとっては屈辱であり、当時の軍の検閲を通るはずもなかった。

「支那の夜」を見たとき、父は16歳の工員だった。15歳で故郷を遠く離れ、おそらく寮に入って、毎日毎日、くる日くる日も鋲を打ち続けていた。休みになると、繁華街へ出て映画を見るのが唯一の楽しみだったのだろう。そこで、ある日、李香蘭という美しい中国の少女を見る。父は、スクリーンに映る19歳の李香蘭を見て、何を思っていたのだろう。

僕も16歳の頃に見た映画、聴いた音楽、記憶に焼き付けられた出来事を憶えている。テレビアニメ(「サスケ」や「佐武と市捕物控」)やドラマ(「逃亡者」)の冒頭のナレーションも暗唱できる。それは毎週、繰り返し聞いていたからだが、この記憶はこれから20年経っても消えることはないと思う。それにしても、父は一度見ただけで憶えたのだろうか。もしかしたら、李香蘭を見るために何度も映画館に通ったのではないだろうか。

「支那の夜」から70年以上の時を経ても、「クーニャン悲しや、支那の夜」で終わる長い文章を暗唱できるほど、記憶に刻み込まれるとは父も思っていなかったのではないか。だいたい、16歳の父が89歳の自分を想像したとは思えない。しかし、その後、父は中国大陸に渡り、敗戦で帰郷し、母と結婚して兄と僕が生まれた。兄と僕が独立し孫が生まれ、今や息子たちもリタイアしようとしている。

父のアイフォンの画面を覗き込みながら、僕の心の奥底から何だかとても不思議な思いが湧き起こってきた。

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