映画と夜と音楽と…[629]モンタナの風に吹かれたい
── 十河 進 ──

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〈黄昏/俺たちに明日はない/パリ、テキサス/モンタナの風に吹かれて〉

●我孫子の手賀沼のほとりに文士たちが住んでいた

我孫子市民図書館は、手賀沼公園に隣接して建てられたアビスタという施設の中にある。いわゆる生涯学習の場だ。ロビーでは絵画展や手芸展などがよく行われている。アビスタが建ったのはそれほど前ではなく、今もガラスをメインにした美しい外観を見せている。一階の道路側からは料理教室や絵画教室を開催しているのが見え、年輩の人々が趣味の世界に没頭している。


図書館の中からは手賀沼公園が見渡せるし、その向こうの手賀沼もよく見える。午前中だと、子供を連れた若い母親たちやリタイアした人たちが散策している。休日になると、手賀沼で遊ぶ人たちも多い。スワンボートに乗る家族連れ、小さなボートを借りて沖に出ている釣り人、カヌーを漕ぐ人などがいる。中には、モーターボートで水上スキーをする人もいる。

我孫子は、「北の鎌倉」と呼ばれた。昔、常磐線は上野の次は我孫子にしか止まらなかったが、理由は明治の頃からエスタブリッシュメントたちの保養地だったからだ。歴史ある由緒正しい、青木功が少年の頃にキャディーをつとめていた我孫子ゴルフクラブがあり、昔は功成り名遂げた元勲たちがゴルフクラブを振っていた。天皇が行幸した老舗の料亭旅館もある。

手賀沼公園の前には、近辺の名所旧跡を示す表示板がある。「志賀直哉旧邸」「武者小路実篤旧邸」「白樺派文学館」などと出ている。志賀直哉の「和解」は長く不和だった貴族院議員の父親と和解する中編小説だが、その冒頭は確か「私」が住んでいる我孫子から東京に出てきた場面だった。志賀直哉は手賀沼のほとりに住み、そこから20分ほどのところに実篤も住んでいた。

実篤の住居跡の周囲は今も自然の緑地が保存されており、昼間でも薄暗い林がある。平日に歩いていると、誰にも会わないような場所だ。ちょっと怖い。そこは高台になっていて、木々の間から手賀沼が見える。太陽が出ていると、水面が光を反射して美しく輝く。少し前までは「日本一汚染された手賀沼」と言われていたが、浄化活動のおかげで改善されている。

手賀沼は、バードウォッチングの名所でもある。アビスタから東へ少しいくと「鳥の博物館」もあるし、その手前には手賀沼の資料館のような目立つ建物もある。サイクリングロードが完備され、自転車で走る人やジョギングする人、ウォーキングに励む人などがいる。ヘンリーとジェーンのフォンダ父娘が共演した「黄昏」(1981年)の原題は「オン・ゴールデン・ポンド」だが、手賀沼は「沼」と言うより、英語の「ポンド」というイメージだ。

週三日の勤務になって、平日の午前中に散歩と称して遠出するようになった。手賀沼公園まで歩くと一時間以上かかるのだけど、アビスタが建った頃に作った我孫子市民図書館の利用カードがあるのを思い出し、ぶらぶらと歩いてアビスタまでいってみた。案の定、三年以上も使用していなかったのでそのままでは使えなかったが、すぐに復活してもらえた。

明るくてきれいな図書館で、開架式の本棚を見ているだけで楽しい気分になる。パソコン持ち込みもオーケーで、専用のデスクも用意されている。CDの棚もあり、いろいろなジャンルの音楽、落語や名作小説の朗読なども揃っている。その場で聴けるブースもある。僕は気になった本を数冊持って机に向かい、ガラス越しに手賀沼を眺めながらパラパラとページをめくっている。面白そうだと、そのままカウンターで借りる手続きをする。

●「リチャード・ブローティガン」という背表紙を見つけた

先日、アビスタの図書館で「英米文学」の棚を見ていると、「リチャード・ブローティガン」という背表紙を見つけた。取り出してみると新潮社から2002年の4月に出たもので、筆者は藤本和子さんだった。驚いたことに、表紙は「アメリカの鱒釣り」と同じ写真が使われている。リチャード・ブローティガンがヒッピー風のコスチュームの女性と写っている有名な写真だ。

「リチャード・ブローティガンか……」と、僕はつぶやいた。その写真の彼はプリント地のシャツの襟をぴったりしたベストからのぞかせ、ピーコートの前を開き、ジーンズをはいている。襟元にTシャツが見え、ビーズで作ったような首飾りをしている。彼自身も60年代のヒッピー風の出立ちなのである。もちろん、帽子をかぶり長髪がはみ出しているし、口ひげを蓄え、メガネをかけている。

僕は懐かしくなってその本を借りて帰り、すぐに読み始めた。読んでいると、ブローティガン自身の小説を読み返したくなり、自宅の本棚で彼の本を探した。あまりにも有名な晶文社から出た「アメリカの鱒釣り」、新潮文庫で買った「愛のゆくえ」、それに新潮社から出た「バビロンを夢見て」のハードカバーが出てきた。「愛のゆくえ」「バビロンを夢見て」は書評を読んで買った記憶がある。

「アメリカの鱒釣り」は、僕らの世代に大きな影響を与えた本だ。世界中で何百万部と売れたそうだが、本国のアメリカより日本での方が評価が高かった。後にブローティガンは来日し、日本が気に入ったらしく、「東京モンタナ急行」という本を書く。「リチャード・ブローティガン」の著者である藤本和子さんは、「アメリカの鱒釣り」を始め彼の著作のほとんどを翻訳し、後に親交を結んだ人である。

村上春樹さんが「風の歌を聴け」で「群像」新人賞を受賞して登場したとき、リチャード・ブローティガンの影響を言われた。その他、カート・ヴォネガット・ジュニアやフィッツジェラルドなどの名前も挙がったが、文章の断片を並べたような小説の構成は、「アメリカの鱒釣り」の影響だと指摘する人は多かった。確かに、「アメリカの鱒釣り」は、従来の小説とはまるで違うものだった。

単行本で170頁ほどの小説なのに、47も章がある。短い章は一頁しかない。人を食ったことに、最初の章は「『アメリカの鱒釣り』の表紙」というものだ。「『アメリカの鱒釣り』の表紙は、ある日の午後おそくに撮られた、サン・フランシスコのワシントン広場に立つベンジャミン・フランクリン像の写真である」と始まる。実際には、背景のフランクリンの像はボケている。

「アメリカの鱒釣り」がアメリカで刊行されたのは、1967年のことだった。日本で翻訳が出たのは僕の大学時代だと思っていたが、本の奥付を確認したら意外なことにもっと後だった。初版は、1975年1月になっている。僕が持っている本は1946年7月に出た7刷のものだ。一年半で7刷だから、よく売れたのだろう。1976年の夏に買ったのだとしたら、僕は勤めて二年目になっていた。

●ブローティガンの小説は幻想的でとりとめがない

ブローティガンは、五つの異なるフィクションの形式に従って五年間に五つの小説を書くと計画した。「バビロンを夢見て」は四つめの小説で、「私立探偵小説1942年」というサブタイトルが付いている。私立探偵小説の形式に則ってはいるけれど、非常に奇妙な小説である。ポール・オースターの私立探偵小説は、「バビロンを夢見て」の延長上にあるのかもしれない。

「愛のゆくえ」の翻訳が出たのは1975年の3月で、「アメリカの鱒釣り」の翻訳が出たすぐ後のことだった。主人公は図書館に勤める男だが、その図書館は本を貸すのではなく、いろんな人たちが持ち込む作品を受け取り、登録し保管するのである。冒頭、80歳にもなると思えるお婆さんが、五年かかって書いた作品を持ち込んでくる。

どこででも売っているようなルーズリーフ式のノートブックの表紙には、「『ホテルの部屋で、ロウソクを使って花を育てること』チャールズ・ファイン・アダムズ夫人作」と書かれている。「すばらしい題ですね」と語り手は言い、「この図書館には、このような本はまだ一冊もありません」と続ける。こんな風にブローティガンの小説は幻想的で、とりとめがない。詩人の魂を持つ作家なのだ。

ブローティガンは、映画好きでもあった。サンフランシスコで働いていた女性の映写技師が死んだとき、「マートル・テイト夫人は映写技師だった」(「ロンメル進軍」所収/高橋源一郎訳 思潮社刊)という詩を書いた。その冒頭のフレーズは、こんな風に始まる。

 マートル・テイト夫人は
 水曜日にサンフランシスコで亡くなりました
 六十六歳でした
 彼女は昔、映写技師だったそうです

リチャード・ブローティガンは、安い料金で三本立てを上映しているような場末の映画館を愛した。今ではそんな映画館は滅びてしまったが、昔、映画館とはそういうものだった。僕は、そんな映画館の記憶を持っている世代であることを幸せに思う。「健全で美しく、映写中も妙に明るい、座席指定・入替え制の映画館など、く…………え」と言いたくなることもある。

----アメリカの場末の映画館に坐っているのがわたしは好きだ。そこでは人びとは映画を観ながら、エリザベス王朝風の流儀で生きそして死んでいく。マーケット通りには四本立てが一ドルで見られる映画館がある。いい映画かどうかは問題ではない。わたしは批評家ではない。ただ映画を観るのが好きなだけ。(藤本和子訳)

この文章の後、「だめだ! だめだよっ! 車へもどれ、クライド。ああ、なんてこった、ボニーがころされちまう!」と出てくる。もちろん、「俺たちに明日はない」(1967年年)を彼は見ているのだ。その映画がアメリカで公開された年、「アメリカの鱒釣り」がサイモン&シャスター社から刊行されたのである。

●モンタナに住んだ映画監督や俳優や作家たち

ハリー・ディーン・スタントンは、ヴィム・ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」(1984年)の主人公で知られる俳優である。長いキャリアを持っていたが、僕も「パリ、テキサス」で名前と顔が一致した。最近では「アベンジャーズ」(2012年)にも出ているけれど、すでに80半ばを過ぎた。彼は俳優のウォーレン・オーツやピーター・フォンダ、映画監督のサム・ペキンパーなどと交流があり、彼らをモンタナに住まわせるきっかけを作ったという。

そのハリー・ディーン・スタントンとリチャード・ブローティガンの関係が、藤本和子さんの「リチャード・ブローティガン」を読んでわかった。藤本さんの聞き書きだと思うが、六本木のバー「クレードル」のオーナーでありママだった椎名たか子さんの回想が掲載されていたのだ。「クレードル」は1971年から2007年まであった伝説のバーで、作家や映画監督などがよくきていたという。

椎名たか子さんはリチャード・ブローティガンと親しく、彼が「東京モンタナ急行」を執筆していた頃、映画監督の浦山桐郎と役者の河原崎長一郎と酒盛りをしたり、吉行淳之介と食事をしたりする間柄だった。八年間のつきあいで一度だけアメリカにいき、ブローティガンがロサンジェルスに迎えにきた。彼はハリー・ディーン・スタントンを紹介し、「ロサンジェルスに滞在している間、このハリー・ディーンはあなたのものだ」と言った。

ハリー・ディーン・スタントンがブローティガンと親しかったことで、「モンタナ」というキーワードが僕の中でつながった。「モンタナの風に吹かれて」(1998年)の原題は「ホース・ウィスパラー(馬にささやく人)」だから「モンタナ」はどこにも出てこないのだが、タイトルに使うくらいだからモンタナを舞台にしているのだろう。その画面で見る限り、美しい自然が残っている。こんな自然の中で静かに暮らしてみたいと思わせる。

「スイッチ」という雑誌はハイセンスでスノッブな雑誌だったが、僕は好きで今でもバックナンバーを持っている。その編集長だった新井敏記さんが「スイッチ」に書いた取材記事が、「モンタナ急行の乗客」(新潮社)というタイトルで一冊にまとまっている。取材対象は沢木耕太郎、ジョン・アーヴィング、サム・シェパード、笠智衆、緒形拳といった十人だ。その「あとがき」に、新井さんはこんなことを書いている。

----カナダとの国境線に近いモンタナはアメリカでも有数の自然が残り、舞台は美しい。モンタナから始まる夢の流れを「東京--モンタナ急行」と名づけたのは、リチャード・ブローティガンだった。夢の中を走る列車と、僕はその作品を読み変えた。東京とモンタナの間に横たわる数々の記憶の断片を、急行列車の停車駅に見たて、それぞれの駅が呟く声を詩のような掌篇とし紡ぎ出していった。ヒッピーの夢が破れた静かな時代に彼はサンフランシスコを離れ、トマス・マグェエンやピーター・フォンダらと北の森に小屋を建て、失われたアメリカの心を拾い集めていた。

しかし、リチャード・ブローティガンはモンタナではなく、カリフォルニアの暗い林の中にあった家で死んだ。頭蓋骨を銃弾が砕いた彼の遺体は、海の見える窓に向かって倒れていた。1984年10月、死後一か月以上たって発見され、「かれの遺骸であることを確認するには、歯形を調べるしかなかった。ウィスキーの瓶とピストルがそばにあって、新聞の報道や、友人や知人の多くは、自殺だ」といった。しかし、「自殺するはずがない」と椎名たか子さんはいう。

彼女の元には、1984年8月11日付けのブローティガンからの手紙が残っている。死のひと月ほど前の手紙だ。その追伸には、「わたしの最初の映画シナリオの初稿を書きおえた。西部劇なんだ!」とある。手紙は明るい色調に彩られている。リチャード・ブローティガンが書いたB級西部劇……、見たかったなあ。

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週三日勤務になって七か月が過ぎた。もう、フルタイム勤務には戻れない。とにかく本が読める。一週間でハードカバー三冊は読んでいる。読むジャンルも広がった。美術関係の本に手を出し、先日はエドワード・ホッパーの画集を見ていた。ホッパーの絵は昔から好きなのです。

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