映画と夜と音楽と…[630]年寄りは常に正しいか?
── 十河 進 ──

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〈野良犬/張込み〉

●交番で落し物を受け取るまでの出来事

先日、渋谷のカルロス兄貴のスペイン料理店でランチを食べようと思い立ち、駅までの30分ほどを歩いていた。背中に斜めがけにするバッグを背負っていたのだが、15分ほど経ったところでバッグを見たらファスナーが開いていて、パスケースがなくなっていた。あわてて来た道を引き返した。あのあたりだろうという見当はあったが、買い物客が多いところなので、たぶん誰かに拾われているだろうなと思った。

引き返し始めて5分ほどした頃、携帯電話が鳴った。見ると番号が出ていて、頭は我が家と同じ市外局番だった。たぶん誰かが拾ってくれたのだろうと思いながら出ると、「ソゴーさんですか」と男性の声が聞こえた。「そうです」と答えると、「こちらは××交番の者ですが、落とし物が届いておりまして」と言う。助かった、と思いながら「すぐにいきます」と答えて電話を切った。

その交番まで歩いて10分ほどだった。汗をかきながら交番の戸をガラガラと開けると、奥から年輩のお巡りさんが出てきたが、正式なおまわりさんの制服と少し違っている。「落とし物が届いていると言われたのですが」と息せき切って口を開くと、「身分を証明できるものはありますか?」と問われたので、免許証を出した。すると、まず紛失届を書けという。

出された一枚の用紙には、いつ、どこで、何時頃、何を落としたか、を詳細に記入する欄がある。内容物はひとつひとつ書かなければならないらしい。スイカの定期は、何駅から何駅までのものかまで記入させられた。図書館の利用カードはふたつあり、それぞれ詳細を書く。理容室のポイントカードもある。最後に「日本冒険小説協会」の会員証と書いた。

拾ってくれた人が書いたのか、そのお巡りさんが書いたのかわからないが、拾得届にも同じ内容が書かれていて、紛失届を出して受理された僕は拾得届を見ながら、今度は拾得物受取書を書くことになった。すべて書類を残しておかなければならないのだろう。拾った届けがあり、紛失した届けがあり、落とし主が確かに受け取ったという届けが必要なのだ。

拾得届にはきれいな字で、「日本冒険小説協会会員証」と書かれていた。それを見て苦笑いが浮かぶ。何年も前、新宿ゴールデン街の酒場「深夜+1」で故・内藤陳会長にもらったものである。紺地の片面には、協会のマークであるイーグルのイラストとジャック・ヒギンズのサイン(もちろん本物)と英字で協会名が印刷されている。

もう一方の面は「日本冒険小説協会会員証」と大きく印刷され、写真を貼るスペース、氏名・住所・電話・役職を記入する欄があり、「会長・内藤陳」と事務局の電話が印刷されている。事務局は、もちろん「公認酒場・深夜プラス1」だ。僕はそのスペースに、名前と住所と携帯電話の番号を記入し、役職は勝手に「××支部・支部長」としてあった。

苦笑いが出たのは、本人の写真を貼るスペースに僕は「ダーティー・ハリー」(1971年)のクリント・イーストウッドの写真を貼っていたからだ。拾ってくれた人がパスケースの中身を確認しながら拾得届を書いている姿を想像し、やれやれという気分になった。その会員証を見て、どう思っただろう。しかし、年輩のお巡りさんは何も言わないので、僕の苦笑いはそのまま消えてしまった。


●ベテランの相談員の人は僕と同じ年齢だった

書類を書いている間中、テーブルに免許証を出しておいた。それを見たお巡りさんが、「今年、63ですな。昭和26年、私と同じだ」と呟くように言った。その後、「フルで年金がもらえますな」と続けた。えっ、と僕は思い、瞬間的に共済年金のことが浮かんだ。公務員が掛ける共済年金は、民間の勤め人が掛ける厚生年金よりずっと優遇されている。

「それは、共済年金だからですよ」と僕は口にした。「厚生年金では、私の世代は65にならないと年金は満額では出ません」と、どことなく抗議する口調になった。「ああ、そうですな」と年輩のお巡りさんは、よけいなことを言ってしまったなあ、という顔になり、やにわに受話器を取り上げて本署に連絡を取り始めた。僕の落とし物の件だった。

すでに本署に報告がいっていたらしく、報告した番号を読み上げて、落とし主が現れて書類を書いてもらい、拾得物を渡したと言っている。そのとき、自分のことを「相談員の××です」と口にした。それで制服が違うのか、と納得した。電話が終わり、「相談員というと、民間企業では定年後の雇用延長みたいなものですか?」と僕が訊くと、「交番にいつも人がいないと言われたりするので、私らみたいのが駆り出されるんですよ」と気さくに答えてくれた。

「警察小説なんか読むと、ベテランの相談員が出てきて、若い刑事を鍛えたりしますよね」と僕が言うと、「私はベテランなんかじゃないですがね」と謙遜する。「ところで、拾っていただいた方にお礼をしたいのですが、名前と連絡先を教えていただけますか?」と話を振ると、「それがね、急いでいると、名乗らずにいってしまったんですよ」とのこと。「名乗るほどの者じゃございやせん。ほんの通りすがりのものでござんす…」というセリフが頭に浮かんだ。

その交番の近くに大きなスーパーがあり、そこの洋菓子売場でお菓子でも買って持っていこうと考えていたのだが、お巡りさんにそう言われて、急に気持ちが萎えてしまった。一面、ほっとしたのも事実である。自分の失敗を助けてくれた人にお礼をできなかったのは残念だが、まったく知らない人に会うことの負担も感じてはいたのだ。お巡りさんは「女性でした」とだけ教えてくれたが、それ以上訊く必要もないので僕は改めて頭を下げて交番を出た。

僕が「相談員」という言葉に反応したのは、昨年読んだ佐々木譲さんの警察小説にベテランの相談員が出てきたからだ。民間企業でも定年を迎えたベテランの技術を必要として、嘱託や顧問といった肩書きで勤務の継続を望まれることがある。やはり「亀の甲より年の功」なのだろうか。何10年も同じ仕事をしてきた人のスキルは、簡単には凌駕できない。

●黒澤明の「野良犬」は刑事ドラマのスタイルを作った

ベテランの警察官が経験の浅い若い警察官を導き、教え、若い警察官が仕事的にも人格的にも成長する物語の原型を作ったのは、もしかしたら黒澤明監督の「野良犬」(1949年)なのだろうか。この映画は、ハリウッドの刑事ものにも大きな影響を与えた。先日亡くなった、淡路恵子のデビュー映画である。SKDの踊り子だった淡路恵子は、そのままのような踊り子役だった。

「野良犬」の展開はスピーディーだ。シナリオが実によくできている。冒頭、若い刑事(三船敏郎)が上司に拳銃をすられたと報告している。そこから回想になり、混んだバスの中で女スリに狙われる刑事が描写される。若い刑事がスリの世界に詳しいという刑事を訪ねると、いかにも経験豊かなベテランの雰囲気を漂わせた志村喬が登場する。

志村喬は、にこやかに犯罪者と話をする。世間話の延長のような感じで、相手から自白を引き出す。三船がいきり立って相手を追及するのとは対照的だ。その対比だけで、「若さ」に対する「経験」の有利さを観客に納得させる。「亀の甲より年の功」ということわざを観客たちに思い出させる。自分の拳銃が犯罪に使われるのではないかと焦る三船に、志村は態度で「まあ、落ち着きなさい」とさとす。

ふたりは女スリから始まって、拳銃の行方をたどり始める。その途中で、当時の後楽園球場での野球の試合が映る。昭和24年、すでに観客たちは平和を享受している。映画は何より時代の証言だなと、こういうシーンを見ると思う。しかし、このシーンでも緊迫したサスペンスを漂わせる黒澤明監督の力量はたいしたものだ。世界的巨匠になる前の黒澤明は、肩の力が抜けている。確かに、傑出した監督だ。

ふたりは、復員した若い男に拳銃がわたったことを突き止める。その男の恋人(淡路恵子)に会いにいくが、女は男をかばっている。そのシーンの前だったと思うけれど、早い時期に三船が志村の自宅で夕食を誘われるシークェンスがある。バラックが並ぶ土手をいくと、小さな志村の家があり妻子が登場する。ここで、志村の家族を見せておくことで、後半のサスペンスが盛り上がる。

ふたりは、拳銃を手にした若い男(木村功が演じているが、なかなか登場しない)がいるホテルに迫る。志村が連絡のために電話をかける。その電話を階段から降りてきた男(顔は映らない)が耳にする。もちろん、犯人だ。このあたりの描写やカット割りは、今見ると古く感じるかもしれないが本当にうまい。志村が撃たれるのではないかと、観客はハラハラし始める。あんな妻子がいるのに……と気が気ではない。

情熱だけは持っているが若い未経験な刑事と、経験豊富で酸いも甘いもかみ分ける老練な刑事のコンビ、老練な刑事が倒れ若い刑事が復讐心と自責の念で犯人を追うという構図、これらは「野良犬」が最初に作り上げ、世界中の映画に影響を与えた。特に「師と弟子」とでもいうべきふたりの刑事の関係は、形を変えていろいろと受け継がれている。

黒澤明の作品には処女作「姿三四郎」(1943年)以来、「師と弟子」というテーマが色濃くにじみ出す。「赤ひげ」(1965年)の三船と加山雄三の関係で、それはひとつの完成を見る。黒沢に影響を受けたジョージ・ルーカスは、「スター・ウォーズ」(1977年)でルーク・スカイウォーカーとヨーダの形を借りてこの関係を描いた。

●ベテラン刑事と若い刑事の人生に対する想いが際立つ「張込み」

若い刑事とベテラン刑事の組み合わせといえば、野村芳太郎監督の「張込み」(1958年)を思い出す。この映画には、黒澤明作品と縁の深い人が関係している。原作は松本清張だが、シナリオを書いたのは「羅生門」(1950年)でキャリアをスタートさせた橋本忍である。ベテランの刑事を演じたのは、「七人の侍」(1954年)で剣豪の久蔵を演じた宮口精二だった。

「張込み」は、当時としては異常に長いアバン・タイトルが採用されている。若い刑事(大木実)とベテラン刑事(宮口精二)が混んだ夜行列車に乗り込んでくる。空いている席がない。ふたりは新聞紙を列車の廊下に敷いて座り込む。大阪を過ぎたあたりか、ようやく席が空き向かい合う四人掛けのボックス席に腰を下ろす。九州までの長い出張だ。

その間、会話でふたりが刑事であること、ある事件の犯人を追って九州へ向かっていること、ふたりの目的は犯人の恋人だった女を見張ること、などがわかる。その恋人は今は結婚しており、そこに犯人が立ちまわる可能性があるかどうか、ふたりの刑事が意見を出し合う。やがて九州に到着し旅館に入り、窓を開けて「さあ、張込みだ」というセリフと共に、「張込み」というタイトルが出る。

ふたりはセールスマンという触れ込みで旅館の部屋を借り、一日中、向かいの家を見下ろしている。そこには、笑顔を見せず暗い顔をして暮らしている若妻(高峰秀子)がいる。彼女は子持ちの中年男の後妻に入り、あまり幸せそうには見えない。何もない日常を見続けているうちに、若い刑事は彼女に感情移入し始める。それを、ベテラン刑事が遠まわしにたしなめる。

旅館に着いてからは、刑事たちのいる旅館の部屋が主な舞台になる。向かいの家は、刑事たちの視点と同じようにロングショットでしか描かれない。うっかりしていると、高峰秀子かどうかさせ気付かないくらいだ。彼女と夫や子供たちとのやりとりは聞こえず、サイレント映画を見ているようだ。刑事たちの会話で、その出来事の意味がわかる。

若い刑事は、「もう犯人はきませんよ」とあきらめ始める。しかし、ベテラン刑事は焦らない。当然、ベテラン刑事の読みが正しいのだ。ある日、若妻は盛装して出かけ、刑事たちが尾行する。犯人(田村高廣)が現れる。確か、この役が彼のデビューだったはずだ。犯人を逮捕したベテラン刑事は、昔の恋人に会い初めて激情を見せた若妻に、「今ならいつもの生活に戻れる」と人情味を見せてさとす。それが彼女にとって幸せかどうかはわからない。

もう10年以上前になるが、同じ原作を脚色したテレビドラマ「張込み」が放映されたことがある。ベテラン刑事を演じたのは、ビートたけしである。細かなところは忘れてしまったが、ビートたけしが若妻に「今から帰ればいつもの生活に戻れる」とさとすシーンは印象に残っている。ビートたけし独特の「真情のなさ」が生かされていた。人情派の宮口精二とは違って親身になって忠告している感じがなく、それが逆にリアリティにあふれていた。

ビートたけしの「どーでもいいけど」的な忠告のセリフを聞いて思ったわけでもないが、「亀の甲より年の功」は常に正しいのかと疑問が湧いた。昭和30年代なら吝嗇でかたぐるしい夫、わがままな夫の子供たちに耐えて生きることが、彼女にとってよいことだったのかもしれない。しかし、平成の時代になって見ると、愛のない夫婦生活や愛情を抱けない継子たちとの生活に戻るよりは、自立を勧めたくなる。

フィクションの世界では若い刑事とベテラン刑事の意見が対立すれば、結果としてベテラン刑事が正しかったということになりがちだ。「若さ」は「経験」に太刀打ちできない。しかし、それは脚本がそうなっているだけで、年寄りが常に正しいわけではない。どう見ても幸せそうじゃない若妻に、若い刑事は「あんな家、出てしまいなさい」と言いたいのだ。もしかしたら、その方が彼女は幸せになれたかもしれない。

若いか年を重ねているか、経験不足か経験豊富か、それによって正しい判断ができる場合もあるだろうが、必ずしも常に正しいとは限らない。経験を重ねることでスキルが深まるもの(職業的な課題など)なら、ベテランは若手に勝るだろう。しかし、人の生き方に代表される「正解のない事柄」に関しては、経験だけに頼って判断していたのでは、若者に「時代錯誤だ」と言われてしまいそうである。

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