映画と夜と音楽と...[631]ギムレットを飲みすぎて...
── 十河 進 ──

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〈ロング・グッドバイ/ヨコハマBJブルース/ア・ホーマンス〉

●浅野忠信がフィリップ・マーロウを演じるNHKドラマ

NHKが五回連続で放映している「ロング・グッドバイ」を見ている。もちろん、レイモンド・チャンドラーの「ザ・ロング・グッドバイ/長いお別れ」が原作だ。原作は何年もかけて書かれ、チャンドラー65歳のときにイギリスで出版された。1953年のこと(アメリカでは翌年に出版された)。今回のドラマは、原作が出版されたほぼ同時期(昭和28年)の日本を背景にしている。

そうしたことで、テリー・レノックス(原田保=綾野剛)を戦争帰りに設定できる。さらに、戦前は日本の植民地だった台湾で育ったことにしてあるのもうまい変更だ。私立探偵フィリップ・マーロウ(増沢磐二=浅野忠信)は、妻を殺したかもしれないテリー・レノックスをメキシコまで送るのだが、それはヨコハマの港から台湾へ密航する船に乗る形に変えていた。メキシコの村のホテルで自殺するテリーだが、原田保は台湾のホテルで妻殺しを告白する手紙を残して自殺する。

一回目の放映を見ていろいろ不満はあったけれど、チャンドラリアンの僕としては見ておかないわけにはいかないので見続けている。もっとも一回目でうまい設定だなと思ったのは、原作ではそれほど出番のない新聞記者ロニー・モーガンの視点で語っていることだ。最初は、誰がナレーションで語っているのかわからない。「私」と語るナレーターである新聞記者が登場するのは、第一回目のほぼ終わりかけだった。

原作はマーロウの一人称だから、ナレーションも私立探偵自身がやればいいのかもしれないが、新聞記者を語り手にしたことで主人公の私立探偵の内面を明らかにせず、彼の言動をミステリアスなままに保てるのだ。それでいて、複雑な事件をナレーションで説明できる。原作は会話も直接的ではなく、説明も不親切なので、何度読んでもどういう筋だったか、誰が殺人犯だったかわかりにくいが、さすがにテレビドラマはわかりやすくしている。




僕自身、原作を何度も読んでいる(最近は村上春樹さんの翻訳版を二度読んだ)けれど、今回のテレビドラマを見て初めて「こんな話だったんだ」と改めて確認している。記憶にない場面が出てくるので、原作(清水俊二さん訳の「長いお別れ」)に当たるとちゃんとある。なるほど、ここできちんと複線を張ってあったんだと納得する。さすがに脚本家は読み込んで、きちんと脚色しているものだと感心した。

もっとも、原作のセリフはほとんど使用せず、説明的なセリフに変えている。リンダ・ローリング役(冨永愛)が登場したときも、すべて本人のセリフで説明してくれた。ただし、マーロウの皮肉な警句がないので情緒には欠ける。まあ、わかりやすいことは間違いない。

村上春樹さんの翻訳版「ロング・グッドバイ」が出てからは、レイモンド・チャンドラーなど読んだこともなかった村上春樹ファン(ハルキストというらしい。女性が多いのが特徴)にも知られるようになった。それで、テレビドラマにしたのだろう。人気者の綾野剛をテリー・レノックスに起用したのも、女性視聴者を意識した結果に違いない。

原作で「夢の女」と形容される絶世の美女は、小雪が演じている。酔いどれの通俗作家(古田新太)の妻の役だ。小説家の家にいる正体不明の怖さがあるメキシコ人のハウスボーイは書生に変更されているが、どの役もうまくコンバートされていて、戦後まもなくの時代だという設定が成功している。ただし、どの人物の衣装もシャレすぎていて、とても昭和20年代には見えない。

●ギムレットとジンライムは一体どこが違うのだ

「長いお別れ」と言えば、「ギムレットには早すぎるね」のセリフが有名だ。この小説の中では、単なる雰囲気を盛り上げる小道具以上の存在になっている。ドラマ版でも増沢磐二と原田保はバー「ヴィクターズ」でギムレットを飲んでいるが、気になるのは彼らが大きめのロックグラスで飲んでいることだ。男ふたりの画としては合っているが、あれではウィスキーのオン・ザ・ロックを飲んでいるとしか見えない。

ギムレットはジンをベースに、ライム・ジュースを加えて作るカクテルである。バーならカクテルグラスで出すはずだ。「ライムかレモンのジュースをジンとまぜて、砂糖とビターズを入れれば、ギムレットができると思っている。ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ、ほかには何も入れないんだ。マーティニなんかとてもかなわない」とテリーは言っている。もっとも、カクテルグラスが似合うのは女性だ。

ドラマを見ていて久しぶりに僕もギムレットを作りたくなり、ローズ社とはいかないが明治屋のライム・ジュースを買ってきた。ジンとウォッカは、いつも冷蔵庫に入っている。「バー・ラジオのカクテルブック」のレシピによれば、ドライ・ジン1に対してライム・ジュースを1/4加え、シェイクすればギムレットになる。シェイカーもジガーも僕は持っている。ただし、テリーのレシピだと甘すぎて「飲めた代物ではない」とバー・ラジオの尾崎さんは書いている。

僕が大学生になった頃、ジンライムという飲物が流行った。安いので、学生たちがよく飲んだ。ジンとライム・ジュースを、氷を入れたグラスに適当に入れてかき混ぜていた。あれとギムレットは、どう違うのか。ギムレットはステア(かき混ぜる)ではなく、シェイクするのだ。つまり、シェイカーに入れてシャカシャカやってカクテルグラスに注ぐ。注がれたら、さっさと飲まねばならないショート・ドリンクなのである。

僕はギムレットなる飲物がずっと気になっていたけれど、初めて飲んだのは30半ばのことだった。銀座のギャラリーで写真展のオープニング・パーティがあり、その後、ソニービルの地下にあったバーに入った。誰といったかは、もう記憶にない。そこで僕はギムレットを飲んだのだ。口あたりがよかったせいか、お代わりをして数杯のグラスを傾けた。しかし、パーティですでに下地はできていた。

地下鉄に乗って10分くらいたった頃から、気持ちが悪くなった。飲みなれないジンを、何杯も調子に乗って飲んだからだなと後悔したが、すでに遅かった。我慢できず、自宅のある駅のふた駅手前で下車してトイレに駆け込んだ。飲み過ぎた経験のある人なら、このときの苦しさはわかるだろう。夜の11時近くだった。ほとんど人のいない地下鉄駅のトイレで、僕は深夜の孤独を味わっていた。

ようやく立ち上がれるようになり、洗面台で何度も口をゆすぎ顔を洗った。濡れた前髪が垂れ、酔っぱらい特有のぼんやりと視線の定まらない両の目が情けない表情を作っていた。僕はゆっくりとホームへ出て、真ん中あたりにあったベンチにだらしなく腰を下ろした。電車が入ってきて、目の前のドアから降りてきた女性が僕の前に立った。見上げると、同じ会社の女性編集長だった。

----何やってんの!

心の底からあきれ果てたような言い方だった。もっとも、日頃からそんな調子でしか口を利かない人だった。「イラストレーション」という雑誌を創刊した人で、僕よりひとまわり年上だった。どちらかと言えば無口で、部下には厳しい口調だった。僕は直接の部下になったことはないが、同じフロアにいたのでときどき叱られた。しかし、そのときは、ホントにバカねという口調だった。以来、ギムレットは二杯までと決めている。

●探偵の事務所には「事件から手を引け」と脅す男が現れる

「長いお別れ」の中には、アルコールに対する警句が散りばめられている。チャンドラー自身が酔いどれだったし、ロジャー・ウェイドという流行作家に自身を投影している。それにテリー・レノックスは、「礼儀正しい酔っぱらい」だ。フィリップ・マーロウが初めて会ったとき、彼はナイトクラブの入口に駐めたロールスロイスの中で酔いつぶれている。酔いつぶれた彼を放っておけなくて、マーロウとテリーは友情を結ぶことになる。

アルコールに関する有名な警句は、「飲むのなら自尊心を忘れないようにして飲みたまえ」というものだ。酔いつぶれて道端に倒れていたテリー・レノックスを豚箱に放り込まれる前に救い出し、自宅に連れ帰ったマーロウが言うのである。このセリフのおかげで、僕も自尊心をなくさないように飲んできたつもりだが、酒を飲み過ぎると、つい忘れてしまうことがある。アルコールと自尊心は、両立しないのかもしれない。

エリオット・グールドがマーロウを演じた「ロング・グッドバイ」(1973年)は、テリー・レノックスと知り合い友情を育む前段が省略され、いきなり拳銃を持ったテリーが夜明けに訪れて「メキシコまで送ってくれ」というシーンから始まった。また、結末もメキシコまで出かけていったマーロウがある人物を射殺するという衝撃的なもので、初公開のときに見て僕は怒り狂ったものだった。

「長いお別れ」ファンの多くが映画の大胆な改変を憤ったが、何度か見ているうちにエリオット・グールドのマーロウが「なかなかいいじゃないか」と思えてきた。原作には出てこないけれど、マーロウと猫のエピソードは印象に残る。キャットフードを切らし、マーロウは夜中に買いにいく。しかし、いつもの製品がない。別のキャットフードを買ってきて、いつもの缶に詰め直して出すが猫はだまされない。これは、チャンドラーが猫を飼っていたことから取り込んだエピソードだろう。

ちなみに「ロング・グッドバイ」には、駆け出しの頃のアーノルド・シュワルツネッガーが「事件から手を引け」と脅しにくるギャングの用心棒として登場する。裸になるカットもあり、見事な筋肉も見せる。マッチョではあるけれど、間抜けな役だ。NHKのドラマ版では用心棒の役をレイザーラモンHG(エドはるみなど、なぜか吉本系芸人が脇で出ている)が長身を生かして演じていた。

同じくチャンドラーの原作で、ジェームス・ガーナーがマーロウを演じた「かわいい女」(1969年)には、マーロウの事務所に現れて「事件から手を引け」と脅す役でブルース・リーが出ている。事務所の中を壊しまくり、最後に天井のライトを飛び蹴りで粉々にするのには、驚いた。いかにも、ブルース・リーである。

●松田優作が演じた「長いお別れ」的な悲しい友情物語

逆光を駆使し映像派と呼ばれていた工藤栄一監督が、松田優作を主演にして撮った「ヨコハマBJブルース」(1981年)という映画がある。松田優作はブルース歌手であり、私立探偵である。だから、松田優作の歌が存分に聴ける仕組みになっている。テレビシリーズ「探偵物語」を終え、大藪春彦原作の角川映画で主演した直後、アクションスターとして最も波に乗っていた頃の松田優作である。この後、彼は文芸作品に出始める。

「ヨコハマBJブルース」の脚本は、テレビシリーズの「探偵物語」以来、松田優作お気に入りだった丸山昇一が書いている。丸山昇一は、物語の基本構造をチャンドラーの「長いお別れ」に求めた。僕は「ヨコハマBJブルース」を見たとき、真っ先に「これは『長いお別れ』じゃないか」と思った。BJと呼ばれる探偵はフィリップ・マーロウであり、テリー・レノックスを演じたのは内田裕也である。

その物語が、工藤栄一監督独特の映像で描かれていく。僕は工藤栄一ファンだから、「ヨコハマBJブルース」は気に入ったが、残念ながら一般的にはそれほど評価されている作品ではない。おそらく、松田優作が監督のテリトリーに多大な口出しをした結果だろう。この作品の後、「二度と優作とは仕事をしない」と工藤監督がどこかで語っていたのではなかったか。

いや、あれは別の俳優だったかもしれない。やはり自分の出演作を仕切りたがるその俳優(歌手)と工藤栄一監督はぶつかり、撮影途中で監督を降りる。結局、主演俳優が監督を引き継ぎ、クレジットは工藤監督と連名になった。松田優作も監督と衝突し、降板した監督に代わって自身で監督した作品がある。「ア・ホーマンス」(1986年)だ。工藤監督は「ア・ホーマンス」に出演しているから、「二度と仕事しない」相手は松田優作ではなかったのだろう。

僕は、「ヨコハマBJブルース」を作っているときの工藤栄一監督にインタビューしたことがある。8ミリ専門誌「小型映画」に「監督インタビュー」という頁を作り、好きな監督の新作に合わせて取材をしていた。新作の宣伝になるから、取材を受けてもらいやすかったのだ。一回目が加藤泰監督、二回目が工藤栄一監督だった。僕は、東映大泉撮影所の食堂で監督のインタビューを始めた。最後の仕上げをしていた監督の昼休みの時間をもらえたのである。

ところが話が盛り上がり、僕はダビングルームで作業する監督の横で引き続きインタビューさせてもらえた。正面の大きなスクリーンには「ヨコハマBJブルース」が映り、その下に録音レベルを示すUVメーターがふたつ映し出されていた。監督はソファに腰を下ろして指示を出す。モニター室で、スタッフが指示に従って作業をする。僕は監督の横のソファに座り、作業の合間にいろいろと質問をした。

その頃、工藤栄一監督はテレビの「傷だらけの天使」や「必殺シリーズ」で人気があった。テレビの仕事が多い時期だったが、「その後の仁義なき戦い」(1979年)「影の軍団 服部半蔵」(1980年)で、久しぶりに劇場映画の世界に帰ってきた。「影の軍団 服部半蔵」は、工藤監督伝説の時代劇「十三人の刺客」(1963年)のニュープリントとの併映で封切られた。次回作を撮っていると聞いて、僕は東映宣伝部に取材を申し入れたのだった。

だから、「ヨコハマBJブルース」が公開になったとき、僕は初日に見にいった。それほど多くの観客はいなかったけれど、松田優作のブルースに心を揺さぶられているらしき人たちはいた。物語の整合性より、映像や雰囲気を楽しむ映画だった。よれよれで倦怠を感じさせる主人公の私立探偵。その友人。謎の女。彼らはヨコハマ(矢作俊彦作品のように、あくまでカタカナのヨコハマだ)を舞台に、無国籍な雰囲気を醸し出す。そして、「長いお別れ」のような悲しい友情物語が描かれていくのだった。

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