映画と夜と音楽と…[633]怒り、猛り狂った若き日々
── 十河 進 ──

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〈おくりびと/「さよなら」の女たち/いつか読書する日/マッドマックス/
                       狂い咲きサンダーロード〉


●「おくりびと」に出ていた中年俳優に遠い昔を思い出す

アカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」(2008年)に、ひとりの俳優が出ている。僕はその俳優を見て「老けたな」と思ったが、彼の声を聞き「変わってないな」と少し感慨に耽った。彼が登場するのはワン・シークェンスだったが、「おくりびと」の中では重要なエピソードだった。そこでの彼の演技が自然であればあるほど、納棺夫である主人公(本木雅弘)が成長する姿も自然に見える。自然に見えれば、感動が生まれる。

その俳優が演じたのは、長く連れ添った妻を亡くしたばかりの農家の主である。納棺夫の主人公と社長(山崎努)が到着すると、彼は大きな農家から出てきて「遅いぞ」といらだちを露わにして彼らをなじる。妻を喪った深い悲しみが彼の中に怒りを生み、そのはけ口を求めているのだ。いらだちが収まらない彼は、不機嫌な顔をして家族たちと共に妻が横たわる床の前に座る。

主人公は、すでに死者を厳粛に納棺する技を身につけている。主人公と社長が死者の尊厳を高めるかのように、ゆっくり死装束に着替えさせ、きれいに死化粧を施すのを映像でじっくり描き出す。布団の中で行われていることを家族には見えないようにするから、手探りでの作業になることもある。主人公と社長は、まるで祭儀を行なっているかのように厳かである。

「おくりびと」を見た後、僕も初めて現実に納棺の儀式を見た。それは、まさに儀式としか呼べないものだった。80半ばで亡くなった義父は生前よりひどく痩せ、頬もこけて床に横たわっていた。斎場の広い部屋である。そこへ、まだ若そうな男女ふたりが黒い服装でやってきた。彼らはシーツをかけたまま義父を大きな浴槽に移し、体を見せないようにして全身をシャワーで浄めた。髪も丁寧に洗う。斎場の部屋なので、そんな設備が整っているのだ。

浄め終わると、義父の体を隅々まできれいに拭き取り、シャンプーした白髪も乾かせ、死装束を着せてゆく。ほほを膨らませるために口の中に綿を詰め、化粧で肌の色を明るくする。義父の妹が小さな声で「映画の通りやの」とささやいた。失礼だが70を過ぎた、映画館へなどいくこともなさそうな女性である。「おくりびと」はまだテレビ放映されていない頃だから、映画館で見たか、DVDを借りて見るしかない。改めて「おくりびと」が社会現象になり、人々に納棺夫の仕事を認識させたのだと知った。

僕も「納棺夫日記」という本が話題になるまで、そんな職業があるとは想像しなかった。外国では死者に防腐処理を行い、死化粧をする仕事があるのだと翻訳ミステリなどで知っていたが、日本では「葬儀屋さん」がすべて行うと思っていた。「納棺の儀式」専門の職業があり、当然、様々な死を扱うのだと「納棺夫日記」は教えてくれた。「おくりびと」でも描かれていたが、そんな不可欠な仕事も「不浄だ」と嫌われる。

一時間以上かかった義父の納棺の儀式を見て、改めて「おくりびと」の感動が甦ってきた。死者を送ることの意味が、身に沁みてわかった。家族は死者の尊厳が尊ばれたことを喜び、身内の死という悲しみの中でも納得感を得る。「おくりびと」の農家の主人も納棺の儀式を見守る中で、死者が高められていくことに感動する。主人公と社長が亡き妻を浄め死化粧をする姿を見て涙を流し、別れ際にしみじみと頭を下げて感謝する。少し鼻にかかった声は涙声に聞こえ、彼の演技を際だたせた。

●数えきれないほどの映画に脇役として出演した

「おくりびと」で妻を亡くした農家の主人を演じた俳優の名は、山田辰夫という。彼は、数えきれないほどの映像作品に出た。多くはヤクザ映画、アクション映画であり、オリジナルビデオ作品も多い。「闇金の帝王 銀と金」「暴力商売 金融餓狼伝」とか「女囚K 濡れた過去の女たち」といったタイトルが並ぶ。どちらかと言えば、そういうジャンルが似合う俳優だった。

彼は、テレビドラマにも数多く出ている。キャリアをスタートさせた初期、主役ではないものの割に目立つ役が多かったが、次第に見過ごすこともある脇役にまわり、ときには「どこに出ていたんだ」とエンド・クレジットの出演者の名前を見て振り返ることもあった。しかし、僕は山田辰夫という名前を30年間忘れたことはなかった。いや、その名前にはビビッドに反応したものだ。いつか、あのデビュー作のような強烈な印象を与えてくれるのではないかと……

しかし、彼の30年のキャリアの中で僕が記憶しているのは、デビュー作以外では大森一樹監督が作った斉藤由貴主演シリーズの一本だけである。「恋する女たち」「トットチャンネル」に続き、大森・斉藤コンビは「『さよなら』の女たち」(1987年)を作り、その中の山田辰夫の姿や声が今も僕の記憶に残っている。いや、彼の場合、その特徴的な声が耳に残るのだ。

それなのに、彼のデビュー作に助監督としてつき、共に苦労した緒方明が監督した「いつか読書する日」(2004年/「映画がなければ生きていけない」第二巻529頁「平凡な人生は存在するか」参照)に出ている彼を僕は思い出せない。我が愛する一本なのに、岸部一徳と田中裕子の顔しか浮かばない。一体、どこに出ていたのだろう。

「おくりびと」の後、僕が山田辰夫のことを思い出したのは、今年の3月15日の土曜日、朝日新聞のbeに連載している「映画の旅人」に彼が登場したからだった。そこには、夜空を背景にしたSF的な光景のカラー写真が大きく掲載されていた。巨大な光り輝くコンビナートである。キャプションには「闇の中に浮かぶコンビナートの姿は、今も時空を超え幻想的に輝く=川崎市川崎区」とあった。

その記事の見出しは「卒業制作が生んだ『革命』」となっていた。そのカラー写真を見、その見出しを読めば、僕には何の映画が取り上げられたのかはわかった。山田辰夫のデビュー作品だ。それは、僕にとっても思い出深い映画だった。もう34年も前のことになったのか、と思った。その映画の監督の小柄な姿が甦る。まだ日大芸術学部映画学科の学生だった。その作品が卒業制作だったのは、その記事で初めて知ったのではあるけれど……

●爆発的なエネルギーを感じさせる石井聰互作品

石井聰互監督は、8ミリで作った自主映画「高校大パニック」(1977年)が話題になり、日活が35ミリ版でリメイクすることになった。監督は澤田幸弘と決まったが、まだ20歳になるかならないかの石井監督は「自分にやらせろ」と頑張り、最終的には共同監督となった。しかし、beの記事によると、「大人のやり方を見せつけられ、手も足も出なかった」と語っている。

福岡出身の石井監督は、博多弁でセリフを言わせている。「高校大パニック」のリメイク版が公開され、テレビスポットでさかんに流れた「勉強できんが、なんで悪いとや」というセリフは、一時期の流行語になった。その言葉を発してキレた男子生徒は、女生徒(デビュー間もない浅野温子)を人質にして校舎に立て籠もる。僕は8ミリ版もリメイク版も見ているけれど、物語はそう要約するしかない単純なものだった。

しかし、爆発的なエネルギーは8ミリ版の方が圧倒的だった。もちろん商業映画としては、日活のスタッフが作った方が安定しているし、辻褄も合う。だが、8ミリ版には熱く煮えたぎる何かがあるのだ。ついこの間まで高校生だった監督が、自分の中で沸騰する何かをフィルムに注ぎ込んだに違いない。それが大人たちによって中和されてしまったのがリメイク版だった。

当時、石井監督は、大森一樹監督、森田芳光監督たちよりいくつか若い世代に属していた。大森監督のシャレっけ、森田監督の都会的なおとぼけ、といったスタイルとは違い、徹底的なアクションで映画を作りたがっているように見えた。そんな彼らを8ミリ専門誌「小型映画」の僕の先輩編集者だった日比野女史は取り上げ、座談会を開いて記事にした。

その座談会がきっかけだったのか、自主映画界でプロデューサーを志していた秋田光彦さんと石井監督が結びついた。前述のbeの記事によれば、秋田さんは現在、大阪の大蓮寺の住職を務め、市民活動や若者の演劇や映画などの芸術活動を支援しているという。30数年前には、若者たちの自主映画を支援した。その結果、秋田光彦プロデュース、石井聰互監督の「狂い咲きサンダーロード」(1980年)が生まれたのだ。

石井監督は22歳。16ミリカメラによる自主制作だったが、確か東映セントラルフィルムが配給し全国公開された。当時、東映セントラルフィルムは、マイナーな映画を見つけてきては配給していた。「泥の河」も「竜二」も東映セントラルフィルムの配給だった。おそらく、完成した作品を見て配給を決めたのだろう。「狂い咲きサンダーロード」には、それだけの力があったのだ。

●猛り狂う主人公が「狂い咲きサンダーロード」を牽引した

朝日新聞beの「狂い咲きサンダーロード」の記事には、僕の知らなかったことがいろいろ書かれていた。後に監督になる緒方明さんは自主映画上映会のイベントで石井監督と知り合って強引に誘われ、「入ったばかりの大学を中退し、家出同然で上京」し、「眉毛をそって、そり込みを入れさせられた」あげく、「暴走族の集会に潜入し、映画の協力者を」探させられたという。

「狂い咲きサンダーロード」は、暴走族の若者たちの映画である。おそらくオーストラリア映画「マッドマックス」(1979年)の影響を受けている。舞台を近未来に設定し、ふたつのグループの対立と抗争を物語の軸にして、スクリーンを車やバイクが猛スピードで疾走する。公開当時、「マッドマックス」は予告編で「スタントマンが○人死んだ」と売りにした。その激しさが、若者たちに受けた。

「狂い咲きサンダーロード」は、「マッドマックス」を上まわる激しい映画だった。危険なアクションもある。資金のない現場では安全対策も不完全だったろうし、素人ばかりでスタントの技術もなかったはずだ。よく無事に完成したものだと思う。そういう意味では、奇跡的な作品だ。スクリーンにはエネルギーが満ちあふれ、心を焦がす熱い何かがほとばしる。それらを感じさせる、ひとつの大きな要素が主人公を演じた山田辰夫の狂ったような激しさだった。

近未来の街サンダーロードでは、暴走族たちの抗争が続いている。しかし、権力の規制が厳しく、それぞれのグループは牙を抜かれる。「愛される暴走族」を目指すのだ。だが、過激派であり、武闘派である主人公の一派は牙を収めない。あくまで権力に逆らい、対立するグループと抗争を繰り返す。山田辰夫は鼻にかかる少し甲高い声で、常に叫んでいる。怒鳴り、罵倒し、バイクを走らせ、武器を振りまわし、破壊し、闘う。

彼は、次第に孤立する。右翼結社に入り大物ぶる男色の先輩(顔を知られるようになった頃の小林稔侍)に「大人になれ」と諭されても、「大人になんか、なりたかねぇんだ」と拒否する。彼は何に反抗しているのか、わからない。だが、その気持ちは、僕には手に取るようにわかった。心の深い部分に伝わってきた。感応した。大人になんかなりたくない。世界に「ノー」を言い続けるんだ。拒否し続けるんだ。体制に組み込まれるな。

「狂い咲きサンダーロード」を試写で見たとき、僕は30まで一年と少ししか残ってなかった。自分の20代が終わろうとしていた。「狂い咲きサンダーロード」は22の監督が同世代のスタッフを率い、同世代のキャストを駆けまわらせて作っていた。そして、主人公は誰の言葉も聞かず、世界に「ノー」を言い続けるために破壊し、フルスロットルで走り続ける。その映画一本で、山田辰夫は僕の記憶の中に生き続けることになった。

しかし、30年の後、「おくりびと」で山田辰夫は納棺夫の厳粛さに感動する中年男を演じていた。その役を否定するわけではないが、誰でも結局は世界に組み込まれてしまうのだな、と僕は思った。自分も同じだった。「会社は汚い」と団交で怒鳴っていた労働組合の若き委員長は、「組合も大人になれ」と諭す労務担当役員になった。

「おくりびと」に出演した翌年、山田辰夫は胃ガンのために53歳でこの世を去った。しかし、「狂い咲きサンダーロード」で彼は荒れ狂う若き日の姿を残した。

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