まにまにころころ[70]ざっくり日本の歴史(中編その1)
── 川合和史@コロ。 Kawai Kazuhito ──

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こんにちわん、コロこと川合です。今週は出張の移動と重なって『花燃ゆ』を見ることができませんでした。NHK大河ドラマは、翌週の土曜日お昼に再放送があるので、土曜まで我慢です。

『花燃ゆ』を見られなかったので、今回は前置きなしで本題へ!

◎──中世

日本史の中世は、だいたい平氏の台頭から安土桃山くらいまで。というわけで、今回は平氏政権〜鎌倉時代入り口までをざくっとおさらいしたいと思います。

◎──平氏政権

平氏、というか、平清盛の時代です。白河上皇と持ちつ持たれつで武力を拡大していった平正盛、つまり平清盛のお爺ちゃんの時代にのし上がり、次の忠盛の時代になっても勢いは衰えず、鳥羽上皇の時代にさらに力を拡大、日宋貿易も直接行える権力を持って経済的にも盤石に。

それを清盛はまるっと受け継ぎ、貴族の政争に絡んではことごとく勝利を得て、政治的にも中枢へ上り詰めます。

清盛自身は出家し、表向きは政治の世界から身を引きますが、実権はそのまま。さらに娘を高倉天皇に嫁がせ、外戚になります。

後白河上皇と長らく宜しくやっていた清盛でしたが次第に溝ができ、高倉天皇もまた、いつまでも政治の実権を握り続ける後白河上皇に不満を覚えはじめて、後白河vs高倉&清盛という形に。そして、清盛は力でねじ伏せました。

高倉天皇の勝利、とはいえ、前にも書きましたが嫁のお父さんにはあまり強く出られないですよね。ましてや、完全に清盛の軍事力が後ろ盾になっている状態。こうして清盛が実質的にこの国の頂点に立ったわけです。




◎──平氏と源氏

先に書いた「貴族の政争」ですが、大きなものがふたつ。1156年の保元の乱と1159年の平治の乱です。

前者では、勝った後白河上皇側に、平清盛と源義朝が付いていました。後者では、この二者が敵味方に分かれ、清盛が勝ちました。

義朝は敗死、そして息子の頼朝と義経は捕らえられ処刑されるところでしたが、清盛の清盛の継母である池禅尼が「まだちびっ子やし、助けたり」と助命嘆願。頼朝は伊豆に飛ばされ、義経は京都の寺に放り込まれて決着。

後はご存じの通りです。

◎──源平の戦い

以仁王(後白河の息子)「清盛、うざい......源氏でなんとかしてくれや!」

頼朝「おう、大義名分できたし、俺が源氏まとめて、おとんのカタキ取ったる!」

清盛「させるかいっ」

義経「にーちゃん、俺も手伝うで!」

木曽義仲「親戚の俺も一暴れするで! ほうら、大活躍や! 俺すげー!」

後白河「頼朝、よーやった!」

義仲「いや、いちばん頑張ったんは俺やんけ! くそ、後白河のボケッ!」

後白河「なんやと!?」

義仲「あ? やれるもんならやってみぃ!」

義経「......やったった」

後白河「義経、よーやった!」

義経「盛り返してきた平氏もガツンと叩いたる!まずは、一ノ谷で逆落としや!」

平氏「きゃんっ」

義経「追い込めー! 那須与一、あの扇の的を射貫いてビビらせたれ!」

与一「がってん!(すぱーん!)」

平氏・源氏「おーーーーー!」

義経「よーし、壇ノ浦でトドメじゃー!」

平氏「ぎゃふん」

義経「よっしゃ、俺すげー!」

後白河「義経、よーやった!」

頼朝「義経、調子乗って滅茶苦茶しやがって! 後で困るの俺なんじゃ!」

後白河「義経、褒美に官位どないや」

義経「もらえるもんはもらいまっせ」

頼朝「考え足らずにもほどがある......ここらで摘んどくか」

義経「うわっ、にーちゃん、なにすんねんっ。上皇、助けてっ」

後白河「頼朝、もう義経やっちゃえば?」

頼朝「そうしますわ」

義経「ちょっとまってちょっとまっておにーさんっ」

弁慶「牛若、平泉の秀衡さんとこに逃げましょ。白紙の勧進帳も読みまっせ」

秀衡「おいでおいで」

義経「ありがとぉぉぉぉぉ」

秀衡「あ、病でワシ、もうあかんわ。泰衡よ、義経のゆーこと聞きや」

頼朝「泰衡ぁぁぁ、義経差し出さんと痛い目みることになるでぇ」

泰衡「ひぃっ、どうぞどうぞっ」

弁慶「立ち往生しまっせ」

義経「無念......」

泰衡「義経かばってた弟の忠衡も始末しときましたで」

頼朝「うん、まあお前も始末するけどな」

泰衡「ちょちょっちょっとまって!......ぎゃー」

そんなこんなで、源頼朝が武家のトップに君臨することになりました。

◎──鎌倉幕府

頼朝が武家のトップである征夷大将軍に任ぜられたのは1192年。それ以前から実権は握っていたので、鎌倉幕府の成立は1192より前と考えるとかなんとかで、「イイクニ作ろう鎌倉幕府」というゴロあわせの立場が揺らいでいる昨今。ま、なんにせよ、この頃に成立しました。

やっと源氏の時代がきたかー、と息をついたのもつかの間。10年経たずに病死。嫁の北条政子が後の引き継ぎしつつ、北条氏が幕府の実権を握ります。頼朝の血筋も絶たれて、3代で終演。

鎌倉幕府は北条氏が適当な貴族を将軍に立てて、執権が政治を動かすスタイルに。飢饉があったり元寇があったり大変な時期をいったんは乗り越えたものの、1333年に鎌倉幕府は滅びました。

元寇は防衛戦のため、勝っても得るものがなく、褒美も出せないで、武士団の落胆&反感は募って、結果、倒幕の潮流に。倒幕後、なんだかんだありまして、足利尊氏が征夷大将軍に。そして室町時代へ入っていきます。

◎──続きます

次回も鎌倉時代の話、続きます。鎌倉幕府成立までのとこがちょっと膨れすぎました......次回は鎌倉時代の話と、室町時代かな。室町末期に信長が出てきて、秀吉へとバトンタッチ。織田・豊臣の織豊時代(安土桃山時代)を経て、次の家康から江戸時代に。で、明治、大正、昭和、平成へと続いていきます。

時代が下るにつれて、(資料がいっぱいあって)歴史話が濃くなっていくので、適当に流しつつ、なるべく早くこの歴史トークをゴールさせます。(笑)ではまた次回!


【川合和史@コロ。】koro@cap-ut.co.jp
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先週は火曜から5泊6日で弘前・青森に行っていました。今フラフラです......